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 「…そうだ、みんなはどうしている?
 そろそろ俺がいないのがわかって、心配し始めていると思うが」
我に返ったように、お兄様が言った。私は
「私には、お兄様のいらっしゃる所がわかりましたから、誰にも探すなと言って来ました」
「グラーニェは?」
「今夜は、お母様の為にお祈りを、と」
「そうか。ありがとう。
 特にグラーニェには、こんな姿を見せて、余計な心配をしてもらいたくなかったんだ」
お兄様はふう、と溜め息をついた。
「お兄様は」
「ん?」
「先ごろになって、何故お母様にお手紙をおだしに?」
「…」
お兄様が少しためらうように言った。
「父上の遺品を整理していたら…書記官に清書させる前の、父上の認知状が出てきた。そこにクレイスの名前があって、どうしても、迎えなければと思った…」
俺に見せたくなかった、何か理由でもあったのだろうか。お兄様はそんなことを言ってから、
「…もっと早く、迎えてあげればよかった」
そう、呟くように言った。
「お姉様を?」
「いや、クレイスを。
 そうすれば…もう少し、生き永らえることもできたかも知れないとおもうと」
お兄様は、ぐっと背中を折ってうなだれた。私は、その隣に座って、お母様の肖像を見上げた。お兄様の言葉は、しばらく途絶えた。顔を覆った手のすき間から、ぽつりと、何か落ちた音がした。
 きっと、いつかのお母様と同じ涙に違いなかった。結ばれてはいけないもの同士が、それでも一つの場所にいなければならない、理性と、その逆のものとで揺れる、天秤のきしむ涙。
 この一ヶ月耐えていたものが、お兄様にはいま、一気に押し寄せているのだ。
「何も、できなかった。あれ以上のことは、何もできなかった。
 父上がもっと早くお前のことを打ち明けてくれれば、俺は多少の無理は承知でクレイスを呼び寄せるように進言できたのに」
お兄様の心が、私の心に刺さってくる。今になってほとばしる、お母様への思いが刺さってくる。
「…俺が、あと三年早く生まれていれば、お前にも、俺の娘として出会えていたかもしれないのに」
なんてまっすぐで、切なくて、壊れそうな心なんだろう。お母様は、この心を、もっと早くからわかっていらした。だから、ノディオンとマディノにはなれても、ずっと忘れずにいられたのだ。
「その言葉を…もっと早く、お母様に聞かせて差し上げれば…」
口にしかけたけど、最後まではいえなかった。だって、体面の上で、お兄様はお母様を、母と仰ぐと決めてしまわれたのだもの。でもお兄様は、今それを全身で悔やんでいる。
 その時、私はふと、お姉様のことが気にかかった、お母様のために一身にお祈りをされるお姉様。お母様の臨終に、涙を流してくださったお姉様。お姉様の心も、また別の意味で綺麗な心でいらっしゃる。
 十年待って、やっと結ばれた人が、その心の中に、別の人を住まわせ続けることを、お姉様はお許しになるだろうか。
「お姉様は?」
「…」
「お兄様、お姉様は?」
「…自信がない」
お兄様の声は、弱かった。
「体面を取り繕うことはいくらでもできる。しかし、それ以上は…」
「お母様のお願いは、お姉様を、御自分の代わりに、王妃として大切にして差し上げることだと、思います。だから、最後は…お兄様とお会いにならなかったのですわ」
「…そうしなければ、ならないか」
「…たぶん」
お兄様は、私の方を見ずに、顔をあげた。
「ヘズルの血は…お兄様とお姉様でなければ、伝えることは出来ないのですから。
 お母様にできなかった分だけ、お姉様を幸せにして差し上げて」
「…」
「ね、お兄様」
お兄様はすくっと立ち上がった。そして、私を見た。視線で射すくめられる。お兄様の顔から目が離せなくなる。
「どこにも行くな」
「え?」
「離れるな、俺のそばにいろ!」
むき出しの感情が突き刺さる。お母様に言えなかった、その言葉が突き刺さる。一生抱きしめて行くだろうその思いを包む、その心の綺麗さと危うさを…お母様から血を分けたとはいえ、私に護りきれるのだろうか。でも、お母様に向けられていた、お兄様の本当の心は、いま、そのすべてが私の上に注がれている。
 お兄様は、私を半ば強引に私を引き寄せ、私のその腕の中におさめた。私に、それを拒む方法は、何一つなかった。
「はい、もう、どこにも、いきません」
魔法にかけられた様な言葉が、私の口をついで出た。
「本当か?」
「はい、運命が、すでに、決められていたと、しても」
お兄様は、私に、長いくちづけをした。あまりに長くて、息が止まりそうになった。
「護ってくれ、俺の女神」
「…はい」

不安だけど、私しかいないのだ。護られることを望み、頼ることを当然とする人たちの中で、私だけが、この人が一番必要なものを、保ち、与え続けられると、この人は信じているのだもの。

 私が、兄の側で内政の補佐をしようと思い立ったのは、お母様のお葬式に関係することすべて終わって、何ヶ月かたった頃だと思う。
 お姉様は
「奇特なお思い立ちですけれども、大丈夫なのですか?」
と拍子抜けの顔をされておられた。
 礼儀作法、文学、歴史、手芸、それに、王宮の中の勢力関係。王女の教養として、学ばねばならないことは沢山ある。それでも残ったいくばくかの時間を、内政と、多少の剣術と戦術に当てるだけのことだ。兄はたびたびアグスティに登城し、イムカ様に謁見し、ご相談に乗ることもあると言う。長い滞在になっても心配をしてもらいたくないから、私はあえて、その道を選んだ。そして兄と三つ子の騎士は、私の思い立ちを快く受け入れてくれた。
 私が書類を覗き込むと、見やすいように持たせてくれるし、精通者が吹き出してしまうような簡単な質問も、快く答えてくれる。兄は私を側に置くことが、たまらなく嬉しいようだった。私も、その心に答えたい一身で、兄の側をできる限り離れなかった。もちろん、お姉様の邪魔はしない程度に。

 そのお姉様が、
「一体どういった方がお好み?」
と、お尋ねになる。サロンの貴婦人や家臣の方々からお預かりした手紙を、私が一通も手に取らずに侍女に預けた時だった。
「二年も三年もお手紙にお返事がなくて、みなさまいぶかしんでおられます。もうどこかに、お心がお有りなら、陛下に申し上げてお話をすすめていただいたら?」
お姉様のお言葉には、他意はない。ただ、お母様がいなくなって一人きりの私をご心配する。だから私は、これ以上率直にしようもなく、お姉様に答えた。
「廷臣や、その御子弟の方々には、今はまったく興味ありません」
「あらまぁ」
お姉様は、困ったような呆れたようなお顔をされた。
それから
「では、お国の外になりますか? シアルフィのシグルド様は、お隣のよしみでよくおいでになりますけれども」
とおっしゃる。探るようだったが、やや決めつけた感もあって、私はつい笑ってしまった。
「ちがいます。それはシグルド様に失礼ですわ」
「あら、そう」
お姉様は、じつに寂しそうなお顔をした。
「私はまだ、お嫁の行き先は決めていません」
と言うと、
「ええ、でも」
とおっしゃる。
「そのうち、お決めになりませんと。今日はたまたまハイラインのエリオット王子様がいらして、うんともすんともお返事がなくてもう眠れないとそれはもう」
言われて、私は、エリオットの脂下がった顔を思いだした。会うたびの肘鉄砲など、もう痛くも痒くもないらしい。
「お話を何度も受けておりますの。ボルドー様も乗り気でいらっしゃって、イムカ様に何度か縁組を取り持ってほしいとおかけ合いされているそうですけれども」
喉元にまで、なにか不快なものが上がってくるような気分だった。いつか私を私有の屋敷に放り込んで、まだコドモの私との間に既成事実を作ろうとした、王子の風下にもおけない王子…最っ低。
 それをそのまま口にしたら、お姉様は卒倒されるだろう。だから
「でも私」
と、言いたいことは全て飲んだ顔をした。
「ええ、あの方に限っては、陛下は論外とおっしゃってお断り続けてらっしゃるのよ。安心なさいまし」
お姉様は、気が乗られたらしく、くすくすと笑われた。だがすぐ真面目なお顔になって、
「陛下は、どう御考えなのでしょうね。何度か、申し上げたことが有りますけれども、『まだ先の話だ』とおっしゃるばかり」
「…」
兄は、いつか私にいったことを忠実に守っているのだろう。あの人は、私がいなければ、いつか国王としての重圧に耐えきれず、壊れて行くとおもっている。私がいないと安定しない、危うい立像なのだ。
 逆に、お姉様は、私が、ちょうど縁組の適齢期なこともあって、心配をしてくださっているのだ。
「お兄様がまだ早いと仰るのなら、そうなのだと思います」
「私には、もうどこに行かれても問題ないほどご立派に見えるのだけれども、陛下がそう仰っているのに、私が独断でお世話差し上げてもよいものなのかしら?」
お姉様は…お嫁に来ることで、今の幸せを得たと思っていらっしゃる。それは私も否定しない。だから、お母様を失って、よりどころをなくした私に、新しいよりどころを得ることで、幸せになってもらいたいのだ。その心が伝わってくる。
「私…」
でも、お姉様とお話をしているその最中にも、私からは、兄の顔がはなれなかった。私がいなくなった後の兄を、想像するのが恐かった。
「私…」
「ええ」
「お兄様のような方が、どこかにいらっしゃるなら、その方の所には、いっても良いと、思います」
苦しい言葉だった。でもお姉様は、言葉に無邪気さを感じたものらしい。くすくすくす、とお笑いになる。
「あらまあ、それは到底無理なお話。私達の陛下程のお方が二人とこの世にいらっしゃるなんて、私には考えられませんわ。
 わかりました。このお話は、しばらくしないことに致しましょうね」
お姉様は、本当にたあい無く笑っておられた。そして、お立ちになる。
「サロンに、いらっしゃる?」
と聞かれて、私は、
「申し訳有りません、この本を早く読み終えたいので」
と、読みかけの歴史書をお姉様にかかげてみせた。
「では、気が向いたらおいでなさいまし」
お姉様は軽く頭を下げられた。お姉様は、私を本当の妹のように思ってくださって、時々こうしてサロンに招いてくださる。最初は、それに着いて行ったけれども、内政を学ぶついでに執務室でいろいろな話を聞くうちに、それはしてはいけないことだとおもったのだ。
 お姉様は、名実ともにノディオン王妃にならなければならない。
 そして私は、いずれ家臣が何らかの方法で話を作って、無理にでもどこかに嫁がされるだろう。だから、私が執務室に出入りしたり、玉座の間で外交交渉などが行われているのを見ているのを、あまりいい顔をしない家臣がいるのを、知らない私でもない。外交の手駒にしかならない王女に、必要以上の学問は毒なのだ。持ちかけた縁組をゴネて断る可能性があるから。
 とにかく、私とお姉様との間には、厳然と一本線がひかれ、私はお姉様の後にならねばならないのだ。兄の中で、私達の順番がどうであろうとも。

 お姉様は、左右を侍女に抱えられるようにして、ゆっくりと部屋を出て行かれる。
 もう、ご出産が近いのだ。お姉様は、持て余しそうなほど大きなお腹を少し撫でられた。
「あらあら、私が立ち上がって楽になると、暴れん坊さんになるのね…困った子」
そう笑いながら、部屋を出て行かれた。
 私はそのお姉様を、少し苦い思いで見送ってから、また歴史書に目を落とした。
 明るい窓際に置かれた机が、急に翳った。顔を上げると、低い雲が、ゆっくりと、日を隠そうとしている。
「きっと、雨になるわね」
私はそう呟いた。

 そして。
 私の目の前には、兄が立っている。輝くような王の正装が、事態のただならない予感を、言葉より重く語っている。私は、腕にしっかりと、ミストルティンを抱きかかえて、兄のアグスティ登城の準備を見守っていた。
「どうか、早まったことはなさらないでくださいましね、兄上。もう、今までとは、勝手が違うのですから」
と、つい口になる。アグストリア盟主の、突然の代替わり。それにまつわる黒いうわさが、宮廷を席巻しているそうだ。それを私も伝え聞いてしまい、つい難しい顔になってしまう。
「お前まで、あのうわさを信じているのか」
兄は笑った。笑った顔まで、王の顔だった。
「そうではありませんが…シャガール王は、イムカ様とは逆に、これまでも兄上を目の敵にされてきました。…どんな方法であったにせよ、盟主となって、どんな仕返しが兄上にあるかと思うと」
「アグスティ本城に登れば、俺はアグストリア盟主に仕える騎士になる。騎士たるもの、逆に主君からその不名誉を除き、守り立てる努力をせねばならん」
「…ハイラインが、先だっての兄上のお振る舞いについて、アグスティになにやらもうしあげたようですね」
「ああ、そうらしいな」
グランベルと、不可侵の盟約を組んでいたはずのヴェルダン王国が突然進出を始め、一番近いユングヴィ公国を襲撃したことは聞いていた。
 ユングヴィの公女様は屈指の美女と伺っている。ユングヴィを襲撃され、公女様まで連れ去られた事を重く見たグランベルは、シアルフィのシグルド様が隣国のよしみでユングヴィを奪還し、ヴェルダンへ追撃したのを制圧軍と追認し、ついにはその国土をグランベル領に接収したことは、アグストリアにも伝わっていた。さらに聞けば、ヴェルダンは、古に絶えたとばかり思われていた暗黒教団に染まった宮廷魔導師に牛耳られていて、いつかグランベルに制圧されるという発言を入れての先んじたユングヴィ襲撃だったと聞いている。
 過去のものだとばかり思われてきた暗黒教団に毒されていたヴェルダンからその勢力を排除したシグルド様は、バーハラよりヴェルダンの拠点の一つだったエバンスの城主に任ぜられ、お妃をヴェルダンの中から迎えられて、そのお暮らし向きも落ち着きつつある。
 しかし、それまでに至る出来事によって、アグストリアの中には、要らぬ曲解が芽生えてしまった。
 エバンスをまず接収されたシグルド様は、そのときまだ行方のわからずにおられたユングヴィ公女様を捜すため、そこを拠点に、さらに首都まで南進されることを決定されたそうだ。その時、兄はエバンスに向い、シグルド様にアグストリアに転進する意志のないことを確認し、ヴェルダンとアグストリアの間の国境の守備の強化と、シグルド様のご意思の報告を請け負った。シグルド様も、士官学校以来のご友誼によって、進軍により空同然になるエバンスを、必要が出たら守護して欲しいと、全幅の信頼を預けてくださった。
「あの猪突猛進さが、今の奴の軍の士気を維持しているのだからな。
 キュアンもいた、よほど危なくなれば、奴が制動をかけるだろう。士官学校ではよくあった光景だよ」
「…それでも、私は腑に落ちません。シグルド様の行動はここに影響をおよぼすものではないとの兄上の報告を、アグスティでは正しく理解下さったのでしょうか。イムカ様がお兄様からのご説明でわかってくださらないとはとても思えないのですが」
「…真意を伺いたくも、当のイムカ様にもう伺うことはできぬ」
 問題はそれからなのだ。
 守備の薄くなったエバンス城に、ハイラインのあのエリオットが制圧目的で出陣したことが、自体を複雑にさせてしまう。全てはあの男の、兄と張り合おうとする虚栄心と屈折した感情から始まったと言っても過言ではないだろう。
 シグルド様の本拠になったエバンスは、グランベルとアグストリア、二つの国に近い要衝といえた。そこを占拠されてしまうと、シグルド様達は、ヴェルダンの中で孤立してしまう。
 それを避け、エリオットを諌めるために、兄は仕方なく出陣した。
 エリオットの軍は為す術も無く退却して行ったが、先に動きを起こしたのはハイラインであったはずなのに、それに対するノディオンの行動に対して、ハイラインはアグスティに訴え出たのだ。
「ヴェルダンを突然制圧するに及んだグランベルの動きは当然看過するべきものではなく、ハイラインは、友誼によらぬ客観的な視点で、エバンスの主人シグルドの意志を確認する為、かの地におもむいた。
 そこをノディオンが、個人的な友誼を引き合いにハイラインを退けたことは、在エバンスのグランベル勢力の意志を代弁にしたにほかならず、それはすなわち、ヴェルダンはあらぬ異端の嫌疑をかけられ、グランベルにたおされたとなり、次は国境をあい接するアグストリアへの進出を企み、ノディオンはそれを友誼のかさをきて支援しているのだ、と認識せざるを得ない。
 このノディオンの行動は、アグスティに対する謀反にほかならず、今後のアグストリアのためにも許すことは出来ない」
この訴えは、イムカ様ではなく、イムカ様の代理としてアグスティの実権をあずかっていたシャガールの琴線を大いに揺らした。
 なぜイムカ様が、その時、実権をシャガールに委譲していたのかはわからない。とにかく、その訴えがあってすぐ、イムカ様は突然亡くなり、シャガールが名実アグストリアの盟主になった。エリオットもシャガールも、兄に対しての敵愾心には一致する所がある。それが今回の不穏な宮廷情勢の一端にあることは、ほぼ間違いないだろう。
「ハイラインに躍らされて、アグスティの廷臣は続々と反ノディオンの気勢があがっていると聞いていますが?」
そう尋ねると、兄は苦い顔をした。
「俺の報告の方法が悪かったのだろう。
 あらぬ疑いが、シグルドにかかることになってしまった。奴のためにも、もう一度参上して、きちんとご説明差し上げねばならない」
「兄上のせいでは有りません。自分だけが尊いとする、アグストリアの…いえ、シャガール王の増上慢のせいですわ」
すると、兄は、
「めったなことを言うものではない」
と、厳しい声を出した。
「…何処で誰が聞くかもわからん。考えていたとしても、口には出すな。それが国を預かるものの行動だ。自らの尺度で、全ての物事を判断しようとするんじゃない」
そういわれて、私はは、と口を押さえた。
「…はい。以後は気をつけます」
「…今度のことは、客観的で中央に納得の行く説明をしなかった俺の落ち度だ。
 折角均衡を保っていたはずのグランベルとの間柄であったのに、外交問題にあえてなさろうと為さる陛下のお振る舞いは、やつのためにも俺が止めねばならん」
兄は言い、最後に羽織ったローブを、一度手で払った。
「ミストルティンを」
「…はい」
私は、ミストルティンを渡し、帯に据え付けられるまでをじっと見つめた。その後、兄は私の横ながらの視線に気がついたのか、こう言う。
「…心配か」
とくに取り繕う必要もなかったので、素直に返答した。
「はい」
「どうして」
理由を聞かれても、にわかには説明できなかった。一切の政治的な事項が、兄の予測した通りに好転したとしても、兄の身を離れないだろう一抹の不安。得体の知れない、何か大きいものが、その後ろにずっと張り付いているような… 昔、お母様に見たものとは、異質であり、おなじであるような…
「…言葉には、なりません」
「直感と言うやつか?
 大丈夫だ。ノディオンはあけるが、いつものことだ。俺はどうにもならん。
 お前にそんな顔をされたら、俺も出立しにくくなる」
「…はい…でも…」
「見送るなら、笑ってくれ」
俯き加減の私の顔を、下に入り込むようにしてのぞきながら、兄は笑った。
 そう。そういう不安を取り除くのが、私の使命だもの。私は
「はい」
できる限りの笑顔で、兄を見返した。兄は、私の手をとり、それで自分の両手で、あたためるように包んだ。
「その笑顔が、一番よく似ている。
 何があるとしても、おまえの笑顔のためになら、俺は笑って耐えられる。
 守ってくれ、…俺の女神」
「はい」
私のうなずきに、兄は満足そうに手を離した。
 それがこの人の安定になるのなら、私はいつでも笑おう。


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