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 その貴族の生まれがノディオンだとわかったのをこれ幸いと、私は、知りたいことをとにかく聞いた。でも、貴族の返答は、あまり芳しいものではなかった。
「ノディオンの新しい王様は、よい方なの?」
と聞くと、貴族は
「さあ、私は、陛下の御側近く伺候するほどのものではないので、詳しくは存じ上げません」
と答え、
「ノディオンって、どういう所なの?」
と聞くと、
「先の国王のご遺徳により、代替わりがあっても、さして混乱はないようです」
「どういうこと?」
「なくなった前の王様がとてもよい方だったので、新しい王様はそれをお手本にすればいいのだから、民は余計な心配をしなくていい、と言うことです」
そんな、雲をつかまされるような問答ばかりだった。
「でもあなたは、お母様は知っているのよね」
「え、ええ」
お母様の話になると、貴族はすこし戸惑うような声になる。最初私に出会った時、この貴族は、私をお母様本人と間違えた。きっと、ノディオンにいらしたころのお母様を知っているのだろう。
「お母様、ご病気なの。お風邪が治らなくて、この頃ずっと横になられているの」
というと、貴族は
「本当ですか」
と、少し意外そうな声を出した。
「だから、ノディオンのお兄様に、いっぱいお願いしたいことがあるの。
 お母様に優しくしてほしいし、マディノにはないお薬や、よいお医者様を探したりしてほしいの」
「それはもう、陛下がお聞きになれば、きっとそうなさりましょう」
「きっとね、きっとそうしてくださるわね」
貴族の口ぶりは、まるで自分のことのような、心配した、慌てた口ぶりだった。私は、何度も何度も、貴族に念押ししながら、ノディオンへの旅を続けた。

 一見、良い人に立て続けに出会った、おとぎ話のように見える旅だったが、その一方で、私は出会いたくない出会いもしていた。
 私と、その奇特な家来二人は、アズクトリアの西を南におり、中央にある森を迂回して、ハイライン経由でノディオンにいこう、ということになっていた。森は今開拓中で、物騒だからというのが、貴族の言い分だった。
 もう一日も移動すればハイラインの領地にも入ろうかというある夜、
「ハイラインを抜けられさえすれば、あとはいよいよ姫さんの目的地ノディオンなわけだが」
宿で傭兵が苦い顔で言った。
「昼のことといい、その何たらいうバカ王子のことといい、無事ハイラインを抜けられるかどうか、俺はものすごく不安になってきた」
さかのぼること半日ほど前、昼下がりにしてはほとんど人通りのない道を、私と貴族が歩いていた。道に残っている人も、あわてて中に入ろうとしているものばかりで、私は思わず
「変な町ね、こんな良いお天気なのに」
と言っていた。貴族も
「全くですね」
と、けげんな声を上げた。その中、全く逃げるようなおびえるようなそぶりもない一団が、私達の前に歩いてくる。貴族が一歩前に出て、私の体を腕で軽くかばった。
真向かいで止まった男達の一人が
「物騒ですな、お姫様の旅に家来がお二人とは」
と言った。言葉はそこそこ丁寧に聞えたが、口ぶりは全く下品そのものだった。
「何故、この方が姫であるとわかった?」
貴族が問うと、男達の中から、
「わかるもわからないと、私らの目と耳は早いんですぜ」
と言う声がした。とりもなおさず、私の素性はすでにわかっている所にはわかっている、というわけだ。そして、旅の目的さえも。しかし、マディノの町でああまで声高に供を募っていれば、わからない方がおかしくもあるだろう。
「実は、この先のハイラインのやんごとない方が、姫様を心配なすっておいででね、このまま私らがハイラインにお連れして、改めてノディオンにお送りなさろうとお思い立ちになったのですよ。
 つまり、私らは姫様を迎えに来たわけで」
「そんな事などさせるわけにはいかん」
貴族の周りがにわかに殺気立って、気がついた時には、彼は腰の剣を抜き、男達の一人の鼻柱につきつけていた。
「エリオットの魂胆など、すぐに見当がつく。ずさんな差配だ」
私達が往来の真ん中で起こしていることを、町の住人は家の中から見ていたのだろう、いつの間にか、私達の周りには遠巻きに人の輪ができていた。その輪の中から
「おいおい、何やってんだ二人とも」
と傭兵が出てこなかったら、貴族は男達を相手に大立ち回りでもしていたかもしれない。

 とにかく、昼間のことを思い起こしながら、傭兵は
「姫さんの出自と目的がハイラインのバカ王子に知られた以上、できるだけ急ぐべきだな。
 いつアグストリアの別の王国が気がついて、同じことをしでかさんとも限らねぇ」
しかし、肝心の虎の子がな。傭兵は私達に、これ見よがしに財布代わりの革袋をふった。軽い音だ。つまり、旅費が心もとないということを、その音で私達に教えたのだ。
「でも、ハイラインを通らないと、もっと危険なんでしょう?」
「金食い虫の元締めが何を仰る」
私が首をかしげると、傭兵は苦り切った顔をした。野宿にも携行食にも慣れない私が、一番手がかかるそうだ。そんな自覚はなかったけれど。外で寝ると髪は露でぬれるし、日持ちのする食事は、あまりおいしくないと、私は素直に思っただけなのだから。
「じゃあ、早く抜けてしまいましょうよ」
「ほとんど文無しのお貴族様を二人連れて、どうやって傭兵並の急ぎの旅をしろっていうんだ、何か知恵があったら、俺の方が教えてほしいぐらいだ」
その時私の頭の中に、閃くものがあった。
「あ」
私は椅子代わりにしていた寝台から飛び降りて、自分の荷物を探った。
「これ、つかえる?」
家来として二人を雇う私からの報酬として金貨二枚をさしひいても、私の「お金」はまだ金貨や銀貨が残っていた。傭兵が、それを見て裏返った声を上げた。
「何でそれを早く行ってくれねぇんだ姫さんよ。それだけありゃ、ノディオンまで遊んで帰れるぜ」
今まで旅で使われていたのは全部銅貨だった。だから、私は、金貨や銀貨は、人を雇ったりする、もっと特別なことにつかうのだとばかり思っていたのだ。

 そうして、何とかハイラインに入った私達だったが、エリオットという、この国の王子は、私を自分の手の中に入れるのを諦めていなかったらしい。この間の町であった一団が、少しずつ面子を変えながら着いてきている、と傭兵が言った。
 しかし、ハイラインの町は、守護聖人の祭りのさなかにあった。浮かれた町に入った私達も、それに惑わされていたのだろう。私に着いていてくれたはずの二人が何かのスキで目を放した一瞬、私は目と耳をふさがれて、横抱えにされていた。
「姫!」
気がついた貴族が、私を追ってくる気配がしたが、何かの薬か魔法か、私は一時に気を失っていった。

 目を覚ますと、マディノの部屋のような場所に寝かされていた。
「お、お、起きたね」
と声がする。人相に悪い所はないが、何となく雰囲気の貧相な若い男が、隣に座り込んでいた。
「ここはどこ?」
「俺の持ってる屋敷だ」
「あなたはだれ?」
「お、俺は、エリオット。ハイラインの王子だ」
その名前を聞いて、私は反射的に枕上の方に後ずさっていた。
「あなたね、悪い家来にあとをつけさせて、私を無理矢理にハイラインに連れて行こうとさせたのは。
 ヒキョウな人は嫌いよ。近寄らないで」
そういいながら、エリオットとの間をできるだけ開けるように、手足を折ってほとんど私はうずくまるような格好をしていた。
「恐いことなんか、何もしないよ。ノディオンのお姫様とか言う人が、町の宿屋に泊まる方が、よっぽど物騒なんだぞ。
 朝になったら、お姫様らしい立派な馬車で、ノディオンまで送ってあげるから」
そういうエリオットの目は、思い出せば、ずいぶんと血走っていた。
 私はその血走った目こそが怖かったのだが、その血走った目の意味がわかった頃になってから、よくあの時首を縦に振らなかったものだと、自分で自分に感心した。
「だめよ、だって、二人とも、町においてきてしまったのよ、今頃きっと、私を探しているわ」
「どうせ、途中で雇ったその場限りの家来なんだろう? もう君のことなんか忘れてるさ」
「そんなことないわ、あの二人はいい人なのよ、マディノからずっと、着いてきてくれたんだから。
 私、あの二人をノディオンの王様に合わせて、ごほうびをいっぱいあげるって、約束したんだもの。約束を破るのは、わるいことなのよ」
「の、ノディオンの王様は、この間王様になったばっかりで、何にもわかっちゃいないんだ」
エリオットの声が、少し震えてくる。
「どこの馬の骨かもわからないやつらに、ご褒美を上げるような奴じゃないよ」
「私のお兄様なのよ、お兄様の事を悪く言うなんて、嫌な人ね」
私は、そこに転がっていた、おそらくはエリオット本人のものなのだろう、剣を二人の間に置いた。
「私がいいっていうまで、そこからこっちに来ちゃだめ」
「そんなに警戒するなよ、お姫様にふさわしい部屋だから、一晩使っていいと、勧めてるだけじゃないか」
「いやよ、あの二人も一緒じゃないといやなんだから」
エリオットが、にじるように、剣のあるぎりぎりまで近づいた。
「なぁ、ここだけの話なんだけど」
目も血走っているが、鼻息も荒い。私は、思わず身の毛がざわりと騒ぐのを感じた。
「実はあの町で、君を見てたんだ、それからなんだよ」
「なにが?」
「ああもう、じれったい」
エリオットが、服の合わせを、風を通したいのか、わずかに開けた。そこに、手先が飛び込んでくる。鼻にばんそうこうをはりつけた男は、あの町で、一度は私を誘い出そうとした男達の一人に間違いなかった。
「お頭ぁ!」
「お頭と呼ぶな、一体なんだ、良い所に!」
「き、き、きやがりましたよ。二人が」
「なんだとう?」

 結局、エリオットのたくらみは未遂に終わった。私はその夜のうちにノディオンに向かえることになった。
 二人とは、ここでお別れになりそうだ。私は二人に、約束通りに金貨を渡した。
「いつかきっと、また会える?」
と聞いたが、傭兵は
「傭兵とはな、そういう約束はしちゃいけねぇよ。まあ、エッダの神様がご酔狂で、もう一度出会えるように計らってくださること、お祈りしててくれ」
そう言って、唇の端を持ち上げて笑った。
「会ったらいつでも、姫さんの家来になるからよ」
 貴族は、そのままノディオン王、つまりお兄様の所に行くという。おじいさまが仰ってらした、マディノへのお叱りが本当のことになって、各国、出陣を命じられたのだ。
「お兄様に言って、気をつけてって。ケガしないでって」
そう言うと、貴族は、私の手の甲に優しくくちづけて、
「わかりました、間違いなく、陛下にお届けしましょう」
と言い、傭兵と二人、駆け出して行った。
 私はすこし、ぽおっとしてしまった。物語のお姫様にしてくれる挨拶を、自分がされるとはおもわなかった。

 エリオットの屋敷を出ると、三人、騎士らしい人が立っていて、本当に、お姫様の乗るような馬車が一台、私を待っていた。
 でも、不思議だったのは、その騎士が、少しずつ、身に付けているものの色が違うだけで、誰を見ても、ほとんど同じ顔をしていたことだ。つまり、三つ子なのだ。三人の区別を、どうつけようかまよっていると、
「さすが、我らが陛下の妹姫と申しましょうか…いや、この行動力には我らほとほと感服致しました」
とひとりが言う。
「よくお一人での旅をお思い立ちになられましたね、政情が不安定な上に、戦に乗じて誰がいるかもわからないマディノから」
ともうひとりが言う。
「何にせよ、ご無事でようございました。お母上も無事マディノをお出になられておりますから、陛下のご帰還をご一緒にお待ちになってくださいませ」
と、最後のひとり。
「お母様、大丈夫なの?」
私が身を乗り出すと、
「はい、陛下が、横になられたままでお母上をお運びできる馬車を急ぎ用立たせまして」
と、一人が言う。どうやら、いろいろ知っていそうなこのひとりが、三つ子の中でもお兄さんなんだろう。
「すでにマディノは抜けられております、あちらはまっすぐお急ぎになっていますから、相前後して到着できるかもしれません」
「お母様、大丈夫なのね、よかった」
私は胸をなで下ろした。ほっとなったついでに、眠くなってきた。眠っていなければならない時間に、いろいろあり過ぎたのだ。私は隣のお兄さん騎士の膝の上に、遠慮も無く身をもたれかけてしまった。窓の外から見えるのは、まだ夜空だ。
「役得だな、告げ口するぞ」
「おいおい」
そんな軽口を、私は半分夢の中で聞いていた。でも私は、すぐに跳ね起きて、窓の外をみた。
「姫様、そんなに身を乗り出されたら危のうございます」
騎士の声がしたが、そんな事はどうでもよかった。限りなく黒に近かった空が、一瞬にして青くなったので、私はびっくりしたのだ。
 いつもなら、まだ夢の中の私の前に、初めて現れた、見たこともない青。夜の星を少し残して、深く、鮮やかに広がる青。
「すごい、きれい…」
「夜明けですね」
三つ子の一人が言った。私はしばらくの間、眠気をわすれていた。でも、
「あ」
その青はほんの一瞬。すぐに、太陽の前触れの明るい光が空には一杯に広がって、朝焼けにかわっていこうとする。私は、自分の席にぺたりと座った。私の目と心をさらって行った青は、この次いつ会えるのかな。そんなことをおもった。だって、この時間、普段なら私は眠っていなければいけないのだもの。
「しかし、陛下もご酔狂をなさる。何故正体をすぐ…」
「アルヴァ、それは内密の話だ」
「ああ、そうだった」
その会話には、何か深い意味が込められていたのだろう。でも、私にはもうかんがえるほどの余裕がなかった、眠気はすぐに戻ってきたし、消えかける夜明けの青と、その中で真っ白に浮かぶようなノディオン城が窓の外に見えていたからだ。

 城に入った後、案内されるままに入った部屋で昼になるまで眠った。起きて、部屋の中がマディノの自宅の部屋よりずっと立派なことに目を回していたとき、入り口の辺りに三人の騎士の誰かがいることに気がついた。
「どうしたの?」
「はい、王妃様が先刻御入城されました」
「え?」
「姫様のお母上です。姫様のお母上は自分の母上と同じことと、陛下が、お母上は王妃と呼ぶよう、お城に言い渡しました」
「お母様、ここにいらしたのね? おかげんはいいの?」
「はい。姫様をお呼びゆえに、御案内すべく参上致しました」
 お母様は、私のものよりもずっと広くて綺麗なお部屋で休んでおられた。私を見るなり、起き上がる。
「ああ、無事だったのね」
言われてから、思いだした。私は、お母様にもおじい様にも、何も言わずに飛び出していた。涙が出かけた。
「お母様…ごめんなさい…私」
「いえ、無事ならば、良いのよ。あなたがいなくなって二三日経った時、お兄様からお手紙が来てね、あなたは部下の方が保護をしたからと、教えてくださったの。
 ノディオンから馬車も仕立てていただけてね、あなたが無事と聞いて、すぐ出発したのよ」
「そうなの? …お母様、旅が長くてお疲れでしょう?お加減は?」
「ええ、あなたが無事なことを知ったら、すぐに良くなりました」
「…よかった!」
私は、お母様の胸に顔を埋めた。いい香りがした。このしばらく、お兄様のお話になると、お母様は明るいお顔になる。それが嬉しい。
 私は、家を出てからの一部始終をお母様に話して聞かせて差し上げた。お母様は、その話を、微笑まれながらお聞きになっていた。そのついでに、
「お母様、お母様はもう、お兄様のことをごぞんじなんですよね?」
と尋ねた。あの貴族から、芳しい返事が聞けなかったことを、今度はお母様に質問したのだ。
「私はお顔をちゃんと存じ上げていますよ。でも、王様としては、知りません」
お母様はそう言った。考えてみればそうだ。ノディオンの宮廷にいたのは、お兄様が王様になる前の話だもの。
 私は、貴族がしてくれた話をお母様にどうしても話したかった。
「お兄様、お母様がご病気だと知ったら、すごく悲しまれるだろうって、その人言ってたわ。よいお薬もお医者様も、きっと探してくださるだろうって」
「…そう」
「お兄様、きっとお優しい人ね」
「ええ、それもわかっていますよ。
 私は、あなたを身ごもるまで、ずっと王子様だったあの方のお世話をしていたのですから」
お母様は、ふふふ、と笑われた。
「あの方は、本当に、お優しい方なのよ。
私の病のこととはまた別に、国と国民を困らせない王様に、きっとなられます。
 私は、そう信じています」
まるで、お兄様をご自分で育てられたようなお顔で、お母様はそう仰った。
「私にも、優しくしてくださるかしら?」
「まあ、珍しく心配屋さんね」
お母様が、私の頭を撫でながら仰った。
「妹のあなたを、邪険になさることなど、ある訳がないでしょう?
 お父上を亡くされて、一人きりかと思った所に、血のつながった妹のあなたがいるとわかって、私と一緒に迎えてくださると仰ったのよ?」
「そうよね」
私は小さくうなずいた。
「お兄様、早く帰ってこないかしら」
「ええ、…ご無事にね」


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