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 私はそのままこの部屋にいる。アリオーン王子も、かつてターラを守らせていた竜騎士の兄妹をそこにのこしていた。
「兄上には、ひとつ、大切な使命があることを、お忘れになりましたか」
「使命?」
「はい、私にも同様に課された使命です。
 …私は、ゲイボルグを次代に継がせる使命に運命づけられているのです」
アリオーン王子は、やはり、あまり機嫌の良くない声で
「そのことか」
と言った。
「先の話と思っていたが、慌ただしく天槍をあずかり、そんな事など、考えたこともなかった」
「…今ここで言うのはあまりに不謹慎かもしれませんが、どうか、グングニルを後々まで継がせるべく、そのこともお考えになってください」
アルテナ様は一層うつむかれた。
「…たしか、ターラのリノアン市長とのお話が、ございましたよね」
「あったな。何度か対面もしたが、結局向うから断ってきた」
「兄上にとって、気の進むお話でしたか?」
「一度紹介された体面上、失礼のない程度にあしらったが、噂には、彼女は独身を貫くらしい」
王子は、後に控えた部下をちらりと見て言った。
「では、今、どなたかお考えに?」
「いや。だが、種を蒔くうちに、芽の出るところはあるだろう」
「…」
アルテナ様がつと立たれ、窓の外を眺められるように、その前に向かわれる。
「…何故、今その話をする?」
「…産みの父上母上との別れが、私に課せられたゲイボルグのさだめでないとしたら、今がその時なのかもしれません」
「何?」
「私の…いえ、ノヴァの末裔にとって、最もつらいさだめは、対になる天槍を失うという事実です」
外をごらんになりながら、アルテナ様のお声は次第に涙がちになってこられる。
「私は、その事実を受け入れなければならないようです。
 トラキアに、今までの恩を返すには、この方法しかないと思ったのに。
 兄上、あなたは、天槍を手に、私の前から去ってしまわれるおつもりなのですね。
 グングニルのないトラキアを、私は守ってゆかねばならない、そういうことですね」
アルテナ様の肩が震えておられる。アリオーン王子は、そのアルテナ様に近寄るでもなく、視線を向けるでもなく、
「お前が来た日のことを、私はよく覚えている」
と言った。
「帰って来られた父上が、小さいお前を連れてきて、『妹だ』と仰った。
 武骨な城がにわかに柔らかいものに和んだ気がして、私も実の妹と思って、大切にしてきたつもりだった。
 それがある日突然、誰でもない、父上が、お前の本当の出自を私に打ち明けられた。
 妹と思っていたお前が、妹ではないと。その驚きは、お前にはわからないだろう。
 アルテナはその事実を知っているのだろうか、お前が私を慕ってくるたびに、確かめたかったが、できなかった。
 私がそう思っているのを知らずに、お前はそのように、美しくなってくる」
アルテナ様が、振り向かれた。
「今はもう、お前は押しも押されぬレンスターの王女、かたや私は暗黒神の犬だ。
 相容れる所は、どこにもない」
アリオーン王子は、既に立ち上がって、どこへかと、立ち去る準備をはじめている。
「待って兄様」
アルテナ様が声を上げられた。部屋を出ようとする王子の前に取りすがるように立たれ、
「どこに行かれるのですか」
「…新しい死に場所を探しに行く。グングニルの事は、気にするな」
「…死に場所なんて…仰らないでください…」
アルテナ様の、おさえられてあった涙が、また雫のように頬を使ってゆく。
「兄様、セリス様にお味方下さい。セリス様が、新しく生きる道を探してくれるはずです」
ほとんど無表情に近かったアリオーン王子の顔に、ごく薄い笑みが浮かんだ。
「…わかったアルテナ、私の命を、お前に預けよう」
「お味方下さるのですね」
「いや。私はお前の為に戦う。お前が戦うなといえば、ここにいる。
 全てはお前の言葉次第だ」
王子の腕をとらえておられたアルテナ様が、安心したように、足の力を抜いてしまわれた。
「アルテナ様」
私がそれを助けようとすると、アルテナ様は
「大丈夫です」
の一言で私を近づけさせてくださらなかった。
「兄様」
アルテナ様と視線を合わせるよう屈みこんだアリオーン王子に、アルテナ様はか細い声で仰った。
「次代のグングニルを、どうか私にお預けくださいませ。どこかに行ってしまわれるなら、私に未来への希望を残してくださいませ。
 お願い、兄様」
アリオーン王子は、明らかに笑っていた。
「兄様などと呼ばれると」
そして、アルテナ様を抱き上げ、
「お前の花が盗みにくかろう」

 ご自分の意志で、未来を選べるお立場にあると、私がことさらに申し上げる必要はないようだった。
 ゲイボルグの運命。それは、何かの拍子にこじれた二つの槍のために作られた、まやかしめいた噂なのではなかったろうか。
 アルテナ様は、今望まれる全てを、そのお手にしていらっしゃる。

 ご自分の意志で、未来を選べるお立場にあると、私がことさらに申し上げる必要はないようだった。
 ゲイボルグの運命。それは、何かの拍子にこじれた二つの槍のために作られた、まやかしめいた噂なのではなかったろうか。
 アルテナ様は、今望まれる全てを、そのお手にしていらっしゃる。

 暗黒教団に染まったグランベル帝国の崩壊、そして新しい光の時代の到来については、私の口で改めてくだくだしく述べる必要はないと思われる。
 ただ、解放軍戦士と呼ばれた若者達が、その血脈に従って新しくその土地土地に封ぜられ、準備を整えて凱旋するには、相応の時間が必要だった。突如封ぜられても、その土地は、自分が生まれ育った土地でない場合も、往々にしてあるからである。帝政時代の官吏は根強く残ろう。今後彼らが戦うのは、そういうものたちとの、武器を持たぬ戦いにちがいない。
 その点、リーフ様はご運がよかったといえるだろう。あの方のお帰りになる場所は、生まれ、旅したトラキア半島なのだから。
 しかし、リーフ様は
「そのことなんだけど」
と仰った。
「まだ、私は本格的に帰るつもりは無いよ」
「お待ちください、それではレンスター…もとい、トラキア半島はどうなさいます」
「もちろん、帰るよ。正式に姉上のお披露目もして、戴冠式もあるし、…ナンナとの結婚式はまだ早いかな」
「…娘のことはともかく、後々を考えてらっしゃるならよいのですが」
この頃は、リーフ様のお言葉も立つようになられ、私のほうがうならされるのもしばしばだ。しかし、それでよいのではないかと思い始めていた。
「私のことは心配いらない。姉上を心配してほしいんだ」
「アルテナ様をですか」
「ご事情が複雑だから、きっと帰られるのが不安でおられるのだろう。お前に会いたがっておられるようだから、早めにお話を聞いて差し上げてほしい」
「…わかりました」
 アリオーン王子は、アルテナ様の仰るままに、帝国のために働くこともしなかったが、長くシアルフィにとどまることもなかった。後に言う「聖戦」の終わりを見届けることなく、王子は一人、どこへかに飛び去られた。
「ゲイボルグのさだめは、爾後永久に継承者を縛ることはなかろう。天地の槍の悲劇は、私達二人により、終わりを告げたのだ」
と、一言、私に言って。アルテナ様は、先に因果を十分お聞きになられたのだろう、そのことは何も仰らなかったが。
 この後暇ができたらお伺いしてみよう。そう思っている所に
「叔父殿」
と別のお声がかかる。アレス様が、後にデルムッドを控えておられた。普段はもっと気さくにお声をかけてくださるものを、今日に限っての改まった様子に、私はつい笑みを禁じえず、
「どうされましたアレス王子、いつになく真面目なお顔で」
そう伺ってみる。
「ひとつ聞きたいことがある」
アレス様はそう仰って、デルムッドを見やった。
「デルムッドは、レンスターに連れて行って、叔父殿の土地を継がせるつもりか?」
「え?」
 確かに、はじめてデルムッドをアレンに入れた時、一族の反応は驚いたものであったし、また安堵したものでもあった。
「…奥様は何故、このような立派なお子様がおられることを隠しておられたのでしょうか」
という一族の言葉も、あるいは当然の疑問であったに思う。
「おそらく」
まだアレス様が見つかる前のことであったが、私は、血脈の維持という言葉を使いたくなかった。
「隠していたのではなく、ここに来るためには足手まといになる幼さだったのを、言いそびれていたのでしょう」
と濁した答えをするよりなかった。それでも一族は
「真に英雄を育てるには、実の親自ら育てぬ方法もありといいます、奥様もきっと、その言葉に従われたのでしょう」
と限りなく好意的に受け取ってくれた。
 とにかく、アレンの町で、デルムッドはいずれ私の後を継いで領主となり、おなじく、いずれ統一トラキア王国の妃となるナンナの兄として、宮廷にも必要とされるだろう事は、私にも容易に想像できた。
 しかしアレス様も、デルムッドを必要とされているようだ。
「叔父殿は、この手紙の主に心当たりはないか」
そう仰って、私に手紙をお見せになる。受け取って、封筒に施されていた封蝋の紋章で、私は差し出し主が誰か、すぐにわかった。
「何と書かれてありましたか」
「すぐには信じられない話だ。
 アグストリア解放軍というものがあって、帝国から流れ来た旧勢力や暗黒教団と戦っているらしい」
アグストリアは、最も早くグランベルの参加となってしまったがために、トラキア程とは行かずとも、かなりの冷遇を受けていたという。帝国の崩壊を受けて、そういった者たちが流れ出てゆくには、ある意味うってつけの場所といえた。
「もっと信じられないのが、この手紙の主は、デルムッドを知っていて、デルムッド宛を経由して俺の所に着たということだ。
 どうしてじかに俺に来ない?」
アレス様の純粋な問いに、私は答える。
「手紙の主は、アグストリアの北にある、マディノという土地の自由都市の市長です。
 この方は、あなたの叔母上の祖父殿、デルムッドにとっては直接の曽祖父に当たられる方なのです。
 この子がティルナノグにいる間も、ずいぶんと便宜を計らっていただきました」
「なるほど、それでか」
アレス様はハタと膝を叩かれた。
「その手紙では、俺にアグストリア開放の旗頭になれと言っている」
「お嫌ですか」
伺ってみると
「嫌なものか。
 生まれた場所といっても、ほとんど記憶にないが、腐りきった帝国とあの暗黒教団をのさばらしておくほど、俺の魔剣は寛容じゃない」
アレス様は鼻息荒く仰って、
「そこでだ。
 デルムッドが、俺についてくると言っている。解放軍としての仕事が終わった後も、俺を助けてアグストリアにとどまりたいと言っている。
 叔父殿はそれでいいのか、一応、親としての意見を求めに来た」
デルムッドは、うつむきがちの顔を上げて、じっと私を見る。私譲りの青い目は、真剣に何かを訴えようとしていた。
「改めて問うまでもないがデルムッド、アレス王子に供するのは、自分の意志だな?」
私の問いに、彼はまず言葉なく頷く。
「まず、受けた恩は、たとえ身内であっても返さなければいけません。ティルナノグにいた頃は知りませんでしたが、まさかあの頃の僕たちを養う資金を出していたのが曽祖父様で、その方が先頭に立ってアグストリア開放軍を立ち上げたとあっては、助けないという方法はありません」
「なるほど」
「それに、アグストリアは母上の生まれた土地、なければ僕も生まれなかった土地、そういうことを考えると、どうしても行かなければ、守らなければいけないと思って」
私は、デルムッドの意見に、なぜか満足したものを感じていた。そこまで自分の意見があれば、改めて私が教えるまでもなく、この王子を助けてゆくだろう。
「お前がそう思うなら、そうしなさい。
 体が空きさえすれば私も駆けつけたい所だが…そのことも、よろしく伝えて欲しい」
「はい父上」
デルムッドの返答は明るかった。
「まだ甘い所もあるとは思いますが、そこは傭兵式に遠慮なく仰ってください」
私はそうアレス王子に言う。すると横から
「大丈夫、私も一緒に行くんだ」
リーフ様が顔を出された。
「私とセリス様はこの戦いで助け合った。今度は、私達が、アレスのために一肌脱ぐ番だって、三人でそう決めたんだ」
「リーフとセリスがいるなら、まあじきに古いやつらも追い出せるだろう。
 だからデルムッド」
アレス様がにやりと唇を持ち上げられた。
「お前はイザークで、きちんと落とし前をつけてから来い」
「アレス様、それは今ここで言わなくていいでしょう」
「なになに、何の話?」
「うわぁ、リーフ様まで」
動揺するデルムッドに、二昔前の自分が重なり、私は声を上げて笑ってしまった。

 アルテナ様は、ご都合は夕方がよいと仰るので、その時間にうかがった。
 お部屋には、アルテナ様が、部屋付のメイドを一人二人残してただけで、長椅子に身を預けるように座っておられる。
「誰も、お部屋を守らせないのですか」
と伺うと、
「エダがいたら、あなたも話がしにくいでしょう」
と仰った。エダは、アリオーン王子がアルテナ様に残された竜騎士で、トラバントを討取った時にはあれこれといわれたものだが、今はアルテナ様のお計らいで、その話しは出てこない。
 とにかく、アルテナ様は、毅然とした態度を隠し、ただつくねんと、座っておられる。
「アリオーン王子のことが、お気になりますか」
「気にならないといえば、嘘になりますよ。私にグングニルを預け、どこへかいってしまったのですから」
アルテナ様は力なく仰る。
「人に知られずに流した涙も、もう枯れ果てました」
「私にご用と伺いましたが」
話しをその方向に向けようとすると、アルテナ様は
「用というのは他でもありません、これからのことです。
 リーフはアレス王子を助けにアグストリアに行くと言っているようですが、半島の事はどうするつもりなのです?」
「私が伺ったおはなしでは」
私は、昼間の話を聞かせて差し上げた。すなわち、一度はトラキアにもどり、トラキア半島を統一させた王国を建国することを宣言し、その王として戴冠した後、アレス王子を助けてアグストリアに行かれる。そんなようなことを。
「長くはかからないだろうとは仰っていました。
 その間、アルテナ様に王国のご采配をと仰っておりましたが」
「まさか、私にそんな事が勤まるものですか」
アルテナ様は、リーフ様のお心積もりに、小さくではあるが、はっきりと不満と緊張をしめされた。
「竜に乗り槍を振るう以外のことを知らない私に、一体何をせよと」
少し語気を強められ、その後、アルテナ様はせき込まれる。部屋付のメイドがさわさわと近寄り、介抱をして差し上げているようだ。
 とまれ、ややあって、メイドの離れた後、アルテナ様は
「…私はしばらく、ミーズにいることに決めました」
と仰った。
「ナンナのいるあなたが、今の私を見て、何を取り繕う必要がありますか? わかるでしょう?」
そう言われて、私ははっとした。アルテナ様は、本当はこのことを、私にお知らせしたかったのだ。
「確信しています。私の体には、次のダインが息づき始めています」
「…」
「このことは秘密裏に済ませなければなりません。だから私は、それまで表に立ちたくはないのです」
「わかりました。帰国に合わせて、何とか計らいましょう」
そうは言ってみたが、私には自信はなかった。アルテナ様からやがて世に出られるであろう次のダインを、どうすればよいものか。
「それを聞いて安心しました。
 トラキアにも、レンスターにも、よい廷臣は幾人もいるはずです…あなたも含めて。よく話しあい、わかりあい、新しい国の形を作ってくれるよう、私の願いはそれだけです。
 リーフには、したいようにさせてあげて」
「はい」
「今後、あの子は国王として、万事国がついて回る立場になるのですから」
アルテナ様は私に退出するよう仰った。


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