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 準備が整い、帰国を済ませ、リーフ様は新生トラキア王国国王の冠を戴かれた。アルテナ様は、旧トラキア王国だった全ての土地をゆだねられ、南トラキア女大公として、全て国王と同じ待遇を受けるよう、決められた。
「すまないね、ナンナのことはどんどん後回しになってしまって」
と、リーフ様は仰る。リーフ様の即位にあわせて、役職の叙任なども華やかに行われたが、ナンナはまだ、王妃とはならなかった。
「そういう話も、あったよ。でも、私はもう少し今のままがいいかな…って。ナンナだって、王妃の負担をかけるにはまだはやいし、王妃にしたら、ほら、…その年でおじい様は、お前もいやだろう?」
「はぁ」
「でもナンナは、一緒にアグストリアにつれてゆくよ。ノディオンが見たいって言ってた。昔の人がいたら、驚くかもしれないね。プリンセスのお帰りかって」
「古い者がおれば、喜ぶでしょうね」
「私もナンナも、レンスターの城の中に完全に入ってしまう前に、もう少し見聞を広めたいと思っている。
 無茶なのはわかってるよ。命だって危ないかもしれない。
 でも、その危ない命の守り方を、私はお前から十分学び取ったと思う」
「そう仰っていただければ、私もここまでお育てした甲斐があると言うものです」
私は心底そう思い、改めて頭を下げた。
「姉上の事は、成り行き上私も知ることになってしまったけれど、済む事さえ済んでしまえば、私の代わりを務めてくださると仰ってくださった」
「さようですか」
「姉上も、大変な決心だと思うよ…まさか、ご自身の体でグングニルを次に残すなんて…」
「どうか、アルテナ様のことは、広いお心で受け止めて差し上げてください」
「わかってるよ。同じ継承者として、放っておけなかったのだろうし、…トラバントの死が、皮肉だけど、二人を素直にさせた。
 私は何も知らないことにして、生まれてくる継承者に、神器に恥じない待遇をさせてあげるだけだ」
「それがよろしいかと」
私が、仰ったことを理解したつもりでそう答えると、リーフ様は複雑な表情をしておられる。
「…何か、失礼でもありましたか」
「そうじゃないけど。
 …役職の叙任式で、お前の名前が最後まで出なかったことで、みんな不思議がっているのに、何故お前は平気な顔をしていられるのかと思って」
たしかに、叙任式の中、並べられた役職の中に、私の名前はなかった。私が大陸を、リーフ様について回っている間、レンスターにとどまってランスリッターを育ててきたグレイドは、大将軍に叙せられた。本人はその役にないと、私をすすめたようだが…。
 その他にも、役職はあれこれとあったが、そういわれればひとつだけ、誰も叙せられなかった役職があった。
「役職のことですがリーフ様」
「何?」
「何故、国王を補佐する宰相をお決めにならなかったのです? 宰相が一人いれば、いずれ復帰されるアルテナ様もご安心になると思うのですが」
そう言ってみると、リーフ様はやおら私に向かって改まれて、
「それは、お前のために空けてあるんだ。宰相補佐官が任じられているから、彼らが姉上を助ける」
と仰った。私は、目の前に火花か散るほどに驚いた。
「私が、宰相ですか」
「当たり前だろう? お前には、これからも私を助けてもらいたいし」
「…催促をしているのではありませんが、それでは何故、そうなさらなかったのです?
 宰相ともなれば文官の棟梁、私に槍を置けとおっしゃるなら、言うとおりにもいたします」
「…まだわからないかな」
リーフ様は、私に向かって、まるで怒鳴りつけられるような勢いでこう仰った。
「宰相になる前に、お前にはしなきゃいけないことがあるのを忘れてないか!」
「はぁ?」
「宰相になったら、国王とおんなじで、ほとんど城詰めになるんだぞ、簡単に出歩けないんだぞ!」
その勢いに押されるままの私だった。何故このように語気を荒げられるのか、その理由を伺おうとした時、リーフ様は
「それに、配偶のいない宰相なんて、見栄えがしないじゃないか」
そう仰った。

 私には、しなければならないことを、リーフ様がああ仰ってくださるまで忘れていた。
 アレンの館の執務室で、今まで気にもしていなかった左手を、私はじっと見つめていた。
 あの日、ミーズの城でお見受けしたお姿は、一体どこにおいでだろうか。そんな事を考えた。

 戴冠式に立ち会ってくださったアレス様との会話を思い出す。
「叔母上とダーナで会ったとき?」
「はい、差支えがなければ、そのお話の内容と、王女がその後どのようなご進路を取られたか、それを承りたく」
「…」
アレスさまは、隣のリーンを見て、少しく複雑な表情をされた。アグストリアに行けば自由にならない身の、最後の安らげる時間をわたくしごとで邪魔しているのが、少し気まずかった。ちょうどアレスさまは、聖戦の戦後処理の間にわかったリーンの懐妊を喜んで、その後のことをお話されていたのだからなおさらだ。
「叔母上は」
昔のことを思い出されるように、アレス様は口を開かれる。
「ブラムセルにとらわれていた。その間に、俺の魔剣と、父上のことを教えてくださって、その後、ブラムセルに呼ばれて、…その後は、俺もわからない」
「…そうですか」
イザークのデルムッドのもとにも戻られなかったという話からすると、やはり、砂漠が、王女ご最期の地かと、思わざるを得なかった。しかし、それではミーズの話の納得がいかない。
「しかし、レヴィンは」
うなだれた私の顔を上げさせるように、アレス様が続けられる。
「デルムッドとナンナには、叔母上は生きていると教えていたそうじゃないか。
 もしかしたら、何かの理由で動けないのかもしれないぞ」
「はぁ…」
「叔父貴、あんたは先に回って悪いことばかり考える」
アレス様はそう仰り、
「生きているかそうじゃないか、あんた自身の目で確かめなければ、いつまでも叔母上の旅は終わらないんだ」
私の行くべき方向を、少しだけ示唆された。

 「父上」
と声がかかり、私の思索が打ち切られる。デルムッドとナンナが、執務室の入り口に立っていた。
「入っていいですか」
「断る必要はないよ、入りなさい」
二人は、机ごしに私に向かい合い、
「…お母様を、探しに行かれるのですね」
ナンナが言った。
「探しに行くのではないよ。あらためてここにお迎えするのだ」
「しかし、イード砂漠だというだけで、他には何の情報もないではないですか。
 どう探されるのですか?」
いぶかしい顔をするデルムッドに、私は言う。
「お前たちが心配することではないよ」
「…子供が心配して、何かいけないことでも?」
デルムッドがますますいぶかしい顔をした。
「お前と同じだ、デルムッド。私は私として、あの方をお迎えに上がる」
私は言って、立ち上がる。子供たちと話している間に、私は、そんな単純な方法さえ忘れていた。
「デルムッド、出発の準備はもう整っているのだろうな?」
「は、はい」
「一両日にも出よう。お前はイザークへの遠回りがあるからな」
「わかりました」
「あ、あ、あの、お父様」
私達が納得した所で、ナンナがせわしなく、何かのしぐさをしている。
「これを」
と差し出してきたのは、水晶の耳飾りだ。
「これは、お前が持っていなさい。私だって、なくすことがないではないのだ」
「でも、お持ちください。
 お母様にお返しします。きっとお母様の方がお似合いだと思うんです」
ナンナには出立の式典があって、一緒に旅立つことができないのだ。それを思うと、彼女の振る舞いをむげにもできなかった。私は、ナンナの手のひらからその耳飾りを取り、
「わかった。私があずかろう」
そう言った。

 一度イザークに行き、新しい娘の顔を見、私は思っていた以上に安心した。帰ってくるまで待てという息子の便りのとおりに、すでに寒村に戻っていたティルナノグで、ひたすらに待ち続けたという。四年もあったというその隔たりの時間が、一足飛びに二人の間を隔てなく近づけたといって、いまさら目くじらを立てるような野暮天の父でもない。
「戦のことは何もわかりませんが、炊き出しぐらいはできますわ」
と笑っていた彼女なら、きっとデルムッドを立派に助けるだろう。彼女の黒髪にあった髪飾りは、なかなか、あの息子にしては趣味がいい。

私は一人、砂漠の入り口にいた。
 そのまま、砂漠に沈む夕日を見ていた。
 白い砂を真っ赤に染めて、紅が映える。
 出立を決めた隊商が列をなす、その影がながくひかれてゆく。
 その紅も、かつて御覧になっていたかと思うと、死の砂と言われるこの沙漠の夕日も、満更悪いものではない。
 振り返れば、月が、淡い恥じらいの色を秘めながら東の空に差し掛かってくる。
 いずれ、白い光が、沙漠の熱をさましてゆくのだろう。
 その月の下のどちらに、そのかなしきばかりのお姿はありましょうや。
 わが王女。
 伝え切れなかった気持ちばかりを供にして、私も歩いてゆくことに致しましょう。
 貴女を、探しに。


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