「おじい様がいたの。ユリアも…」
サラが言った。制圧したシアルフィの城に入ったときのことであった。
「でも、二人とも、どこかにいってしまった…」
セリス様のシアルフィ凱旋を、城の人々や昔を知る兵士、ましてやオイフェなどはもろ手を挙げてその喜びを隠さないが、ご本人はまだぱっとされておられないご様子だ。そして私は、この城の中に、聖剣ティルフィングがしっかりと保管され、継承が無事なされたことのほうが不思議だった。
セリス様は、その聖剣を受け取った司祭からは、誰が預かっていたとも聞かなかったと仰り、
「でも、こうしてると」
聖剣を両手に抱えるようにされて、
「父上と母上の声が…聞こえてくるような気がするんだ…」
静かに仰った。レヴィン様が返される。
「神器は、代々の継承者の記憶の断片を残しながら、次へと受け継がれてゆく。シグルドが聖剣を握った時期は決して長いものではなかったが…セリスにはわかるようだな」
「わかるよ」
セリス様は仰り、
「ここが最後ではないということも」
と、聖剣を腰に佩きながら仰った。
「皇帝アルヴィスすら傀儡に過ぎなかった今は、バーハラ帝国を支配するものは暗黒教団。
僕から母上と、父上を奪い、またみんなもそれぞれ、親や親しい人を奪われた、そうだね」
そう周りを一瞥されつつ仰ると、解放軍の戦士達は、一様に首を縦に振った。
「僕達はこれから、帝国を暗黒教団から救う。
暗黒教団を排除して、新しい秩序を作るんだ」
セリス様は静かに仰った。
「でも今は、…祈ろう。
幸せではなかった、でも、僕の母上を愛してくれた…アルヴィスのために」
私は、シアルフィの物見に立って、目の前に広がる平原を見ていた。
思えば、奇妙なめぐり合わせであった。
初めて、人を殺すことになるかもしれないと、二昔前、この草原にあった私は震えていた。
その私を見所があると勇気付けてくださり、大役をお任せくださったのは、誰あろう、キュアンさまであった。
私の騎士称号が上がるたびに、称賛の声をかけてくださった騎士の方々もなく、一人の男として、わきまえねばならないことを教えてくれた、あのベオウルフもいない。
私一人だけが、生きてこの場所に立っている。
言葉なくそこにいると、後ろから、
「何を考えているの?」
と声がした。
「…アルテナ様」
「少しずつ、あなたを思い出してきました。
あなたは、父上からの御用がないときは、そうやって、遠くを眺めていましたね」
「そうでしたでしょうか」
「覚えていますよ、私があなたに嫁ぎたいといったのを」
「随分と昔のお話ですね」
アルテナ様はふと笑ったようなお顔をされて、
「そうしたらあなたは、海の向こうに、同じ約束をした人がいると、そう言いました。
もう一度出会うことができたのですか? あれから」
とお尋ねになる。私は
「子供達をご覧ください、あの二人がなによりの答えです」
そう答えた。アルテナ様は「そうでしたか」と仰って
「レンスターの記憶が封じられていた間も、あなたの声だけは覚えていました。
深くて、優しい声。私にせがまれて読んでくれたおとぎ話の騎士の役が、本当によく似合っていて、そのかわり、お姫様の役はとても恥ずかしそうで」
くすくすくす、とお笑いになるのを、私は苦笑いも出来ずに見ていることしか出来ない。その笑いをとめられて
「私の騎士と誓ってくれた、あの約束は今でも使えますか?」
と、アルテナ様が神妙なお顔で振り向かれた。
「私はもとより、レンスターの騎士です。ノヴァの継承をうけたアルテナ様に、いかに忠誠を誓わずにはいられましょうか」
私が答えると、
「ありがとう。その答えが私の強みになります」
アルテナ様は仰った。
「あの時、トラキアで、黒い闇にとらわれたアリオーン…
もう一度、私の前に現れる気がしてならないのです。
父上と母上との別れが、私にとってのゲイボルグの運命ではないとするならば…私はこれから、つらい経験をしなければいけません」
「…」
「見守ってくれますね」
私は、アルテナ様のお顔を見ていることしか出来なかった。
ゲイボルグの運命。
代々の継承者に訪れるという、一生忘られない喪失を、そう呼んできた。多くは、かけがえのないご家族とのお別れであったと思う。カルフ陛下はキュアン様をなくされ、またキュアン様は…砂漠で、エスリン様、アルテナ様をお命もろともに失われた。
そしてアルテナ様は、何を失われるのか。それは、ご本人もご存知ではない。
「私のことはいいから、姉上を頼む」
リーフ様は出陣前にそう仰った。
「私はお前から、もう十分学んだ。だから、お前には、代わりに姉上を助けてほしい」
「十分わかっております。
しかし、お一人では」
「私はもう、ひとりじゃないよ」
私が返すと、リーフ様は、同じく出陣を控えられているご一同をわずかに振り返られた。
「でも姉上は違う。姉上には、まだ、超えなければならない問題が残ってる。
…トラキアの統一は、私の仕事じゃない」
「何を仰られますかリーフ様」
「そうだろう?
私にノヴァの血は流れていても、姉上のようにゲイボルグを振るうことは出来ないのだから」
そう仰られて、馬を返される。
「あのお二人でないと、統一は出来ないんだ」
留守部隊を任されて、物見に立った私に、アルテナ様が後ろから声をかけてくださる。
「まるで、子供に反抗されて小言のやりばのない母親のような顔をしていてよ」
「何とでも仰ってください」
私はそれに、苦笑いしか返せなかった。
「しかし、リーフ様の仰ることももっとも…」
「リーフが?」
「トラキア統一のお仕事は、アルテナ様をもってこそふさわしいと」
「まあ」
アルテナ様がくす、とお笑いになる。
「そうして私に押し付けようとしているのね、困った子」
「しかしアルテナ様、アリオーン王子がここに来られたとして」
私は、一抹の怪訝さを口にしていた。
「統一を協議する、その卓につかれるおつもりはあるのでしょうか」
アルテナ様は、しはらくお考えの後、
「本人につもりはなくても、トラキア王国はアリオーンでないとまとまりません」
そう仰った。
「人を資源として、国外に送り出さねばならない時代は、トラバントの時代で終わらせなければなりません。
アリオーンは、トラキアに近い自由都市ターラを、かげながら庇護していました。
あなたも知っているでしょう」
「…はい」
ターラ、と聞いて、すぐに思い出したのは、細腕でその街を維持しようとしていたリノアン嬢のことだった。
「たしか、リノアン嬢が王子には許婚であったと」
しかしアルテナ様は、ふと眉根を寄せられ、
「…確かに一度、その話はありました。でも、自由都市はどの国にも属さないという、彼女のお父上の言葉もあり、また帝国との力関係が衝突する場所であることもあって、決定ではなかったはずです」
そう仰る。
「…いえ、思い違いではありません。その話は白紙に戻っています」
そして、一息のあとに、少し語気を強められた。
「それから王子にも、私にも、縁談はありませんでしたもの」
「…トラバントは、何故アルテナ様を手元で育てたのでしょう」
私は、長らくの疑問をぶつけてみた。アルテナ様は栗色の髪をさらりとかしげて、
「本人しかおそらく答え得ないことだと思いますが」
と仰った上で
「自分の名の下で、トラキアの統一を見たかったのかもしれません。
マンスター地方との融和という形ではなく統一を知らしめすには、自分の下に天地の二槍があることが一番早いと考えたのでは」
そう探るように、ご自分のお考えを口にされた。
「その手立てを考えていたときに、私が砂漠にいたのです。ただ、ゲイボルグを奪えば済むと思っていたところに、私が」
「なるほど」
「継承者がいなければ、神器があっても持ち腐れと言うもの」
アルテナ様は長いお話を終えられた。
「私は幸せと言うものです。トラキアという家があり、またレンスター、シアルフィという家があり…
こうして永らえてきた私は、どうすれば、この恩に報いることが出来るのかしら、ねぇ」
そう仰りながら、物見からの眺めをはるかに見やられるアルテナ様のお心積もりを、私は何とはなしにはかりかねていた。
かつてグランベル六公爵家と呼ばれた名家との戦いは、ゆかりのある戦士とは、文字通り骨肉の争いだった。しかし、今バーハラ帝国は暗黒教団に全てを支配され、各家の当主であっても、教団の操る手駒でしかない。
フリージの城で、とうとう女王ヒルダが討取られたという報告を受けた。
「どうなるのでしょうね」
とアルテナ様が仰る。
「公爵家の中には、既に当代の後継者を失って、神器の扱い手がいないところが出ているようですが」
「私達が生きている間は、神器はただの鎮護の象徴であることを保ち続けねばなりません」
私はそう返した。
「一代間が開いたとしても、次の世代には扱い手が出てくることでしょう
アルテナ様がそう思い詰める必要はございませんよ」
いくたりか、今後扱い手を輩出する使命をもつだろう顔が浮かんだが、私は誰とは申し上げなかった。
「私も、地槍を継承するために…いずれは縁組みをしなければならないのでしょうね」
アルテナ様の思い詰められたようなお顔は、強制的に与えられている自分の未来に対する、ささやかな抵抗にも見られた。
「この城に古くから仕える人から、母上のことを聞きました。
父上に強く望まれて、またご自分も望んで…このシアルフィからレンスターに行かれるお姿は、とても幸せそうでいらしたと。
…私はわがままでしょうか」
「わがまま?」
「こんな時なのに…
強いられて、ただ後継者を生み出す為に…
それが、とても、忌まわしくて」
私の顔は笑いでもしていたのだろうか。アルテナ様はにわかに眉をつり上げられて、
「おかしいですか、そんなに」
と仰る。
「全然、おかしいことなどありませんよ」
「では何故そう笑っているのです」
「アルテナ様、貴女は大切なことを忘れておられる」
「え?」
アルテナ様は私の言葉に、言葉の勢いをそがれてしまわれたようだ。
そこに、物見に上がっていた兵士から、
「南東方面に竜騎士団を確認いたしました!」
と報告が入ってきた。
はたして、それを率いるのはアリオーン王子であった。物見にいた兵士たちと、部下とを戦わせている。アルテナ様はその物見にゲイボルグだけの武装で駆け上がり、竜騎士一人の、今にも兵士を貫かんとする槍をはじいた。アリオーン王子の目が、にわかに細まる。
「…アルテナか」
「兄上、まだこのような不毛な戦いを続けられるおつもりですか!」
「次に会う時は敵と言ったはずだ」
「そもそも、トラキアの竜騎士の誇りとは、このようなものなのですか!
赤い大地にかりそめの富をもたらすためには、暗黒神の手下ともなるのが、トラキアの誇りですか!
泉下の父上がお嘆きになります!」
アリオーン王子は、全ての竜騎士を下らせ、自ら竜を降りてきた。
「私達には、もう退路はない。トラキアは、私達のものではない。
トラキアを我々の手に取り戻すには、致し方のないこともある」
「だからといって、兄上らしくないお振舞いを!
シアルフィは私にとっても因縁浅からぬ土地、この城にどうしても槍を向けるというなら、私を倒してからお入りください」
「…そう子供のようにかんしゃくを起こすものではない、アルテナ」
アリオーン王子はそう、静かに言った。
「お前が話しあうというなら、そうしよう」
「私が、トラキアのことを考えていないとお思いですか。実の両親を殺した男に育てられたからといって、にわかにたもとを分かつような、そんな薄情に私はできておりません」
アルテナ様は仰る。
「どうして、トラキアの日々を忘れ去ることができましょうか。
ここまで育ててくれた、あの赤い大地のことを…」
しかし、そのあと、にわかにかぶりをふられ、
「いいえ、思い出話をしているヒマはありません。
兄上、兄上はもうご存知でしょう、この戦いのどこに正義があるかを」
そう仰って、アリオーン王子の顔をごらんになった。
「わかっている。しかし、私は雇われたのだ。雇われたかぎりは、それだけのことをせねばならぬ」
「暗黒神の露払いでも…ですか」
「…」
「…セリス様は…この戦いが常に必要なものなのか、悩みながら戦っているのです」
何も言わないアリオーン王子の前でアルテナ様はとつとつとお話をされる。
「いくら暗黒教団との戦いとはいえ、実際に戦うのはその土地から無理に供出された兵士、このバーハラにいたっては、各公爵家のもつ騎士団なのです。
既に当代のいない家も出るようになりました。
それでも、暗黒神は戦いを望み、帝国はそれに躍らされている」
「お前の言いたいことは、もう十分にわかっている」
アリオーン王子は、やっと口を開いた。
「セリスに味方せよと、言うのだろう?」
アルテナ様はゆっくりうなずかれた。
「兄上、私が兄上と戦いたくない、その理由もおわかり頂けますよね」
「なさぬ仲とといえ、兄妹であったからか」
「兄上は、この戦いが終わった後のことを、お考えになったことはありませんか」
「戦いの後?
父上の死によって形体を失ったトラキアに戻るつもりはない。
お前が弟と一緒に、半島の南北を統一して収めればよい」
アリオーン王子の声は少しくなげやりでもあった。故国に戻ることもできず、かといって、暗黒神の傭兵をやめろとアルテナ様に説得されている、事態の難しさが、この王子をいらつかせているのに違いなかった。
「…国土は確かに、そういうこともできましょう。マンスター地方と富を分かち合う、あるいは、トラキアの山々を緑に変える何らかの方法を、考え出すことができるかもしれません。
でも、それだけでは不十分なのです」
「何が不十分なのだ」
アルテナ様はしばらく黙られた。そのあと、
「竜騎士たちを、信頼できる者以外は全員この部屋から去らせてください」
と仰った。
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