開放すべき自由都市も、ミレトスだけとなった。クロノス城のヒルダは、開放軍の突入とともに、またどこへかワープをしたらしい。地団太を踏むアーサーに、
「ヒルダの行く場所は、もうひとつしかない。帝国にあるフリージの本城だけだ。とにかく、帝国に入ることを第一に考えよう。帝国の中に入れば、わからなかったことも、少しずつ、わかってくると思うよ」
私はそう言った。
そのとき、ナンナが、
「お父様、サラの様子がおかしいの」
といってきた。後衛に回ると、サラがかたかたと震えている。
「サラ、大丈夫か」
顔を覗き込むと、その顔は真っ青だ。
「い…いるの…」
「何がいる?」
「くろい…竜がいるの…」
「黒い竜?」
「ロプトウスだな」
レヴィンさまが仰った。
「前線に出てみろ、ユリウスがいる」
遠くから、イシュタルと何かしら話しているユリウスには、いつかレンスターやトラキアでみた禍々しい雰囲気などかけらもなく、むしろ、物見遊山でミレトスにきた、名士の二人連れのようにしか見えなかった。
「こう見ている分には、危険人物には見えないんだがなぁ」
とアレス様が仰ると、ティニーが
「いつものユリウス様は、とてもお優しいのです。でも時々、吸い込まれるような雰囲気になられて、そのユリウス様をお慕いして、アルスターから、何人も、女の子がバーハラに行ってしまったことが、あるそうです」
と言った。
「しかし二人…何を話しているのだろう」
「そんなもの、知る必要はないさ」
そのとき、二人の気迫が、遠めに見ていた我々を、吹き飛ばすような勢いで迫ってきた。
「な、何だこりゃ」
「それぞれ、神器を持っているに違いない! 魔法に耐性のないやつは逃げろ、何が起こるかわからんぞ!」
明らかに、二人は我々に迫っていた。
「悪趣味な、我々を殺して楽しむつもりか」
レヴィン様が舌打ちをされる。
「…ロプトウスは相手にするな、イシュタルを狙え! 彼女に手傷を負わされれば、さしものユリウスも驚くだろう!」
その支持にしたがって、我々も全速で後退を始める。
「しかし、逃げ回って解決する問題なのか、これは」
「レヴィン様にお尋ねされれば、どうされるおつもりなのかわかるでしょう、今はお早く、逃げることだけを」
「わかった。
リーン、乗れ!」
しかし、まばらな木立が点在する中、全速の後退は半ば恐慌状態を引き起こしていた。
そして気がつけば、デルムッドがいない。
「デルムッド!」
私は、声の限り呼んだ。
「デルムッド、いるのか!」
「父上!」
解放軍の無名の戦士の声の向こうから、デルムッドの声が返ってきた。
「僕は軍のしんがりで来ます、ご心配なく!」
「そんな、たった一人でしんがりだなんて」
リーフ様とナンナが駆け出そうとした。それを私は槍を出して制する。
「お父様!」
「何故とめる!」
「私が行く」
私はそれだけ、短く言うと、殺到する無銘の戦士の中を、逆流するように、しんがりへと駆けた。
「はやく、振り向かないで、とにかく逃げるんだ!」
兵士達にそういいながら、ゆっくりとやってくるデルムッドと、私は合流した。
「父上!」
「こんなときに息子をほうっておく父親が、どこにいるものかね」
私はそういってみる。
「間近にユリウスがいるはずだ。私達もなるたけ早く戻ろう」
「わかりました」
しかし、ヴン、と空気の歪む感覚がして、
「そうはさせるか」
と声がした。
「…ユリウス」
「様をつけろ、虫けらが」
黒い気配を漂わせながら、ユリウスがゆっくりと歩いてくる。兵士達はもはや、我を失うかのように、ただ走ってゆく。
「イシュタルと、開放軍とやらの戦士を一人先に血祭りに上げたが勝ちと決めて探していたのだ。
イシュタルからは何の返事もない、この勝負は私のもののようだな」
ユリウスは鼻で笑って、私達に迫ってくる。
「さあ、どっちを血祭りにあげようか。若いのか、年寄りか。
…年寄りにしようか? どうせ短い命、惜しむものはあるまい」
「なに!」
気色ばんだのはデルムッドのほうだった。
「父上、逃げてください、僕が引き止めます」
「待て、ここでお前が残ったら、ロプトウスの餌食になるんだぞ」
「かまいません」
「何?」
「ヘズルの不肖の末裔が、死に場所を見つけたんです。
ただ、心残りなのが…」
デルムッドは言って、服の隠しがある辺りをなでた。私は、そのデルムッドに言う。
「生きろ」
「え?」
「その存在がある限り、お前は生きろ」
「でも」
私達が言い合う中、
「お前達が無駄な話をしている間に、ロプトウスの呪文は完成してしまったぞ」
ユリウスの声が場を一気にさました。手のひらで、黒い珠を転がすようにしている。あれがロプトウスなのか?
「父と息子か… あきれた茶番だ。親など、子を残せば、後は死ぬよりない用無しではないか。
死に場所を見つけたのだな、いいだろう、せいぜい美談で語りつがれるがいい!」
ユリウスが、デルムッドに向かって、その黒い珠を押し付けた。デルムッドの体はその勢いに激しくゆがんで、次の瞬間、転がされている。立ち上がろうとした彼の口から、黒い血がしたたり落ちた。そのとき、私の目には、きら、と、日の光をはじく何かが見えた。
「!」
デルムッドが這うように、それをとろうとした。しかし、その日の光をはじいたものは、ユリウスの足元に転がり、ユリウスはそれをがし、と足の下にした。
瞬間、デルムッドの気配が輝いた。
「ヘズルよ、魔剣を授かりし砦の勇者よ、我まことにその裔ならば、そのみ業もて、我が祈りを聞き届けたまえ!」
奇跡としか、言いようがなかった。デルムッドは立ち上がり、口から流れる黒い血を、袖でぐい、とぬぐった。
「何故死なぬ!」
逆上したユリウスから次々と飛ばされる、ロプトウスの簡易詠唱の攻撃を、デルムッドはすべて体をかわしてよけた。
そしてデルムッドは、ユリウスの胸先まで近づき、その頬を、平手でぱん、と叩いたのだ。
「父上は、これからも、生きていてくださらねば困る」
ユリウスは、腰を抜かしたように、その場にへたり込んだ。ロプトウスが出していた黒い気配は、もう消えている。
少し離れたところで、わっと、歓声が上がった。
「イシュタルが!」
ユリウスは、にわかにあわてた顔で、ワープの魔方陣を空に描き、そのまま、どこかに行ってしまった。
デルムッドは、その足元から、落ちた物を拾い上げ、まるで人にするように、いとおしそうに撫でた。それをまた服に隠しこみ、
「戻りましょう、父上」
といった。しかし、馬に乗ろうと手綱に手をかけたとき、ずるりと、その体が急に力を失う。
私はすぐさま下馬して、デルムッドを抱き上げた。
「いやぁ…死ぬかと思いました」
「デルムッド、今のは、もしかして」
「トラバントと戦ったときに、父上がされていたことと、多分同じですよ。
ヘズルに祈り、僕は助かった。
しるしに恥じないヘズルの末裔で…僕は父上の息子だって…やっと」
「そうか。
…戻ろう。みんな心配しているはずだ」
ぐったりと、馬に乗せられた風情で戻ってきたデルムッドを、皆がざわめきで迎えた。
「一部始終見させてもらったぞ」
私の肩を、レヴィン様が叩かれる。
「父親稼業も、楽じゃないだろう」
「仰るとおりです」
ミレトス海峡の橋がかけなおされ、シアルフィから進軍してきたヴェルトマー家精鋭騎士団ロートリッターを相手に、アーサーがそれこそ獅子奮迅の大立ち回りを演じているその最中、私はデルムッドの部屋にいた。
「もういいだろう、そろそろ話してくれても」
と私が言うと、デルムッドは、寝台の脇の小机に乗せていた、少し歪んで、石の取れた髪飾りを取った。
「みんな、この開放軍の中で、いろいろな出会いを体験しているんです。従弟の出会い、きょうだいの出会い、…僕みたいに、親子の出会いは少し変わっているかもしれないけど。
それから、将来を一緒に歩きたい人との出会い…アレス様はリーンと、あのままずっと一緒にいられるだろうし、まさかナンナがリーフ様にあんなに望まれているだなんて、びっくりしました」
「すると何だ、もしナンナが妹ではなかったら、妹と知らずにくどいたか?」
「まさか、そんなことはしませんよ。
そのために、これがあるんですから」
デルムッドは、自分の手の中に目を落とした。
「…たしか、ナンナと同じぐらいの年だと思います。ティルナノグの町で…大陸の様子を見る先遣隊に、僕が選ばれたことを喜んでくれて…
でも、そのままこの遠征に入ってしまって、かれこれ三年ぐらい会ってません」
開放軍の中で、デルムッドに浮いたうわさ一つなかったのは、なるほどそういうわけだったか。しかしデルムッドは、うなだれたままでいる。
「彼女は、…今とても辛いはずなんです」
そういった。
「なにか、あったのかな」
「ティルナノグにセリスさまや僕達が隠れていることが帝国に知れて…軍が差し向けられたことがありました
僕はまだ、実戦にでられるほど強くないからって、隠されて…兵士に襲われた彼女を、助けてあげられなかったんです」
デルムッドの声が震えていた。助け出されたリーンにしきりに同情していたのは、そういう理由があったからか。
「こんなこと、今の世の中じゃ珍しくないことは、父上もご存知でしょう。
でも僕は、彼女を助けられなかったことが、悔しくて…レヴィンが謡ってくれる、レンスターの青き槍騎士の息子なのにどうして、と」
「私だって、たやすく今までを生きてきたのではない。お前のように蹉跌や絶望を何度も繰り返して、今があるんだよ」
デルムッドは、しばらくすすり上げていた。人前では、そんなことももう子供じみてできにくかろう、私は、彼が気の済むまで、そのままにしておいた。
「…父上」
やっと涙を抑えた声で、デルムッドが言う。
「ひとつ、尋ねていいですか」
「なんだね」
「ナンナが開放軍にきたとき、ヘズルの血の円環のうわさが、立ちましたよね」
「ああ、そんなこともあったな」
「そんなことって」
デルムッドがはたと向き直る。
「悔しくなかったんですか? アレス様とナンナの時はまだましとしても、父上の場合は、獅子王と母上の話だったんですよ?」
そのあと、目がくらんでまた寝台に倒れこんだデルムッドを、私はつい笑ってしまった。
「全然、悔しくなどなかった。耳にいい話が残ってゆくのは良くあることだからな。
それに私は、お二人の潔白なことを、一番知っている人間のはずだ。
違うかな?」
「本当にそうですか? レヴィンの話だと、若い頃の父上は、女性については相当に朴念仁だと」
私は、デルムッドの額をつい、と弾いた。
「いた」
「朴念仁でも野暮天でも、わかるものはわかるのだ」
「適当に話を切り上げようとしてませんか、父上」
「そう見えるか?」
さすがにそのあたりの一部始終ばかりは、息子であっても話せるものではなかった。
「ごまかすことなどしてはいないよ」
しかし、自信を持って言えることはある。
「卑しいうわさの一つ二つで諦める私であれば、お前は今ここにはいない」
「…」
「話したかな、私はもともと、母上の護衛であったことは」
「…はい」
「あの方を守ろうと決心したその時から、私の心はあの方の足元に額づいているのだよ。
今も」
部屋は一瞬しん、とした。その静寂を破って
「やっほう、デルムッド、いい子でおねんねしてたかなぁ?」
と声がかかる。
「パティか…その声何とかならないか、頭がくらくらする」
デルムッドは額を押さえて眉根を寄せる。確かに、甲高い声は、今のデルムッドには少し毒か。
「人が折角お見舞いに着たのに、そういうこと言うのね、ほんとにかわいげないんだから。
そんなだからもてないのよ」
「僕は別にもてたくない」
「そういうのがいいっていうコがいるから、また世の中ってわかんないのよね…って、デルムッド、なにそれ」
パティの目は目ざとい。デルムッドが手の中にしたままの髪飾りを見つけていた。
「へーぇ、やっぱりいるんじゃない、気になる子」
「ここにはいないけどね」
「ひゅーひゅー、やっぱりいい男は違うねぇ。
でもさ、その髪飾り、地味な上に、壊れてない?」
「壊れているのは認めるけど、地味ではないと思うよ」
「そうかなぁ、ヒスイなんて、地味だよ。緑の石がいいならさ、エメラルドとか、サファイアでしょ、見つけてこようか?」
「…」
デルムッドは、完全に布団をかぶって、そっぽを向いてしまった。私はパティに、
「気遣いはありがとう。でも、彼はあれでいいと言うのだ、そのようにしてくれないものかな」
と言う。パティは不承不承のていで
「わかった。でも、壊れてたら使えないでしょ、直さないと」
そう言った。
「ミレトスのギルドは復活してるみたいだから、いい修理屋探しておくわ。
でも、デルムッドが元気になるのはいいけど、お兄ちゃん、どうしよう」
しかしパティはそこで首をかしげる。パティの兄ファバルといえば、私達がユリウスを相手している間に、セティさまと一緒にイシュタルに対峙していたはずだ。
「うん、セティ様の魔法のあと、お兄ちゃんがイチイバルでかっこよくきめてね。
そしたら、またあのユリウスが出てきてうやむや。
おまけにお兄ちゃんすごい落ち込んでるし。落ち込むなんてこととは全然縁がなかったあのお兄ちゃんがねぇ…どうしのかしらって」
パティはすらすらと、言うだけ言って、「お大事に」と部屋を出て行った。デルムッドがその物音を聞き図っていたように起き上がって、
「なるほど」
と言った。
「何が『なるほど』なんだ、デルムッド?」
「い、いや、何でもないです」
またデルムッドは布団にもぐってしまった。
どうやら、子供達の間では、私などもうかかわる必要のないことが、いろいろと起こっているらしい。
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