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 慌ただしく、各拠点に、竜に強い弓部隊や魔道士がつぎつぎとワープされてゆく。
 トラキア本城に立てこもった形になったアリオーン王子の部隊は、「三頭の竜」を送りだした後は沈黙を守っている。
 この城は、竜でなければ行き来もかなわないような、特に険しい山の上に聳え立っている。
 トラバントに譲られた竜が、懐かし気に寄せてくる首を叩きながら、アルテナ様は城を眺めておられた。
「そう、アイオロス、あなたにはわかるのね。あの城がトラキア城だって」
額に刻まれたダインのしるしと翠色のうろこ。間違いなく、トラバントがあの時放した竜に違いなかった。
「珍しい色の竜ですね」
伺ってみると、アルテナ様は
「トラバントが言うには、砦の奇跡以前から、聖ダインを乗せて飛んでいた竜とか。
 小さい頃私はトラバントとこの竜に乗って、兄は自分の竜で、…トラキアの空を飛びました。険しい山を緑でうめるのだと…兄は言っていました…」
と、トラキアの城を見やられながら仰る。
「竜はいいわ、ただ、人を乗せて飛べば良いもの」
とおっしゃる。
「何も考えずに…」
「…」
アルテナさまは、それこそしばらく、何か考えておられた。
「姉上!」
そこにリーフ様がおいでになった。
「…お願いがあります」
「何?」
「…後営の守備を」
「どうして」
「どうしてって」
リーフ様は一瞬言い淀まれた。
「…トラキアと戦うことは、お辛いでしょう。後営にいらっしゃれば、少しは…」
「いいえ」
アルテナ様は頭を振られた。
「トラキア城に突入するという事態になったら、私がいなければ」
「ならばその時まででも」
「私がトラキアと戦えないと、そう言いたいの? あなたは」
「…アリオーン王子に対することは無理でしょう。
 十数年もの間、ごきょうだいでいらしたのです、今槍を交えるなんて、そんな事させたくありません。
 姉上が兄と呼ぶ方なら、私にとっても兄と同様です。
 これから本陣の手勢と戦うことになっても、無用の流血をされるようにと、今指示を回してきたのです」
「…トラキアの兵には、そういう情けは侮辱と写ります」
リーフ様の探るようなお言葉に、アルテナ様は毅然と返された。
「一兵たりとも、立ち向かってくるなら容赦はしないように。情けをかければ、死ぬのはこちらの方です」
アルテナ様の竜が、その感情を読んだのか、ばさりと一度翼を広げた。

 そして我々は再び、異様な光景を見ることになる。
 アリオーン王子の竜が、襲い掛かる魔法に方向感覚を狂わされる。
 その勢いに竜から払い落とされたアリオーン王子が、急に、黒い何かに包み込まれ、消えた。
 誰も、何も言わずとも、この光景をつくり出し得るただ一人の人物に思い当たった。
 森羅万象に等しき闇の王子、バーハラのユリウス。

 ただひとつ、アリオーン王子について明らかなことは、その失踪(なのだろうか)に、バーハラが一枚噛んでいる、と言うことだった。
 アリオーン王子が闇の中に飲まれて行った一瞬、側にいたものの話しでは、…ユリウス皇子の姿がその闇の中に浮かんでいたとか。
 人を竜もろとも、我が手に呼び寄せる等と言う魔法は、宿老の高司祭でさえ、自分を中心にした限られた範囲の中でしか可能ではないと聞く。トラキア軍には、そんな高度な魔法をあやつれる存在はなかったと言うことで…だから、レヴィン様が
「アリオーンは、おそらく、生きながらユリウスにからめ取られたのであろう」
というのは、もっともなお言葉であった。
「ユリウスが、アリオーンを助けて、一体何に利用するのかなど、おれたちにはもちろん、わかりっこない。ただ、事態の深層は、たんなるセリスとユリウスの兄弟喧嘩ではすまされない所に向かっている。神器がふた手に別れ、真っ向から対立しそうなことを見れば、楽に分かるだろう」

 ミレトス地方と、我々にとってはバーハラ帝国の足掛かりとなるシアルフィ公領とを隔てる海峡は、そこに非常線のある見える証として、橋が落とされている。
 このミレトス地方での拠点・自由都市ペルルークを帝国から奪還するにも、相応の激突が会った。既に相手は他でもなく、帝国軍である
 セリス様は、トラキアからの重なる戦闘を続けてきた解放軍に、しばらくの休息を与えて下り、そこで年も返った。
 しかし、かつてミレトスと言えば、自由都市の魁として、華々しかった時期もあったというのに、今はその面影がしのべないほどに、荒れ果て、荒んでいる。
 なんでも、ある日突然、帝国軍が押し寄せ、半島の自由都市を全て制圧して、フリージ王国の女王であったヒルダが、例の残虐な圧政をしいていると聞く。
 その帝国軍を排除してあるだけ、まだこのペルルークの方がましというものだった。
 しかし、帝国軍が入ってこないという保障があるだけでもこの都市には価値があるのか、港には船が入り、また陸路からもなにくれと物資が集まり、町は、少しずつながらも、にぎやかさを増していった。
 出払ったかのように、ペルルーク城の中の会議室には誰もいない。二三人、思い思いに時間を潰しているようだった。
 先ほど、アレス様が、何人か知る知らぬ顔を引き連れてどこかにおいでになったようだったから、その分、昼間の静けさが感じられる。
 リーンが、机にうつむいて、真剣な顔をしていた。
「何をしているのかな?」
と尋ねると
「あ」
とリーンは顔を上げて、
「本を、読んでいたんです」
と言った。と言っても、その本は、挿絵の多い、絵本のような本だった。
「アレンの街で、ナンナから少し字を教えてもらって…
 最後には、お祈りの本が読めるようになれたらなぁって」
「なるほど」
私は得心した顔で返事をした後、
「アレス様はどちらに?」
と聞いてみる。リーンは「街に行ったみたいですよ」と答えたが、
「でも…街のどこに行ったか、ご存知になったらたぶん、ひっくり返りますよ」
そう笑った。
「いまさらひっくり返りはしないよ、年頃の若い者が連れ立って行くところといえば、大体相場は決まっている」
そうは言ってみたが、そろそろアレス様には、そのようなお振る舞いは程ほどにしていただいたほうがよいような気もした。
「しかし、アレス様がそんな場所に行かれるとわかっているのに、君は何も言わないのかい?」
「アレスはもう、ああいう場所で遊ばないって、私に誓ってくれました。
 他のみんなにしても、あんな場所で得られる優しさなんて、ほんの一時で、それっきりなんですよ。
 帰ってきたらそのことで喧嘩する人も、いますけどね」
リーンはくすくすと笑いながらいい、
「それにほら」
と私の視線を指で動かした。
「ああやって、アレスの誘いを断った人もいますし」
その指の先には、開いた窓にもたれて、何事か考えている風情のデルムッドがいた。

 「お前は、アレス様についていかなかったのか」
と尋ねると
「僕はああいうところは嫌いです」
デルムッドは、私のほうを見もせずに、一言それだけ言った。
「リーンがさっき言っていたでしょう、一時だけの話だって。
 僕はそんな一時だけの遊びにおぼれるつもりはありません」
「しかしその後、話は聞くのだろう? 結局同じことだ」
「父上は、僕に不埒者になれと仰るのですか?」
「いや。
 しかし、真面目も度を過ぎれば短所だ。少しは不真面目になってみるのもいいと思うぞ。
 これは経験者からの忠告だ」
「父上も、ああいう場所で遊んだことが?」
「ないよ」
「ですよね…」
「しかし興味はあった。
 お前ぐらいの年には、その興味と、実行に移す勇気との狭間で苦しんだものだ。
 頭には理性があり、体には本能がある」
「そして父上の上では理性が勝った。
 …やっぱり、僕は父上にはかないませんよ」
「そう持ち上げられても困るな。これでも私は健全な青年であったつもりだが」
そういいながら、私は、デルムッドが手で何かをもてあそんでいるのを見た。ちらりと何かが揺れ動いて、何かの飾りの類ではないかと思った。
「目下のお前の悩みは、その手の中のことかな?」
探るように言うと、彼は手の中のものを素早く服のどこかに隠してしまった。
「いいんです。
 父上やナンナに比べたら、僕の気持ちは、本当に小さいものですから」
デルムッドは立ち上がって、おそらくは自分の部屋へであろう、会議室を去ってしまった。
「嫌われたかな?」
思わずつぶやいた。娘との接し方も良くわからなくなってきたが、最近は息子との接し方もわからない。困った親だ。つぶやいたついでに、自分にあきれさえもした。

 そして休息の時間は終わる。
 レヴィン様が、セリス様に託されていた少女ユリアが、突如として消えた。
「…ユリア…いなくなっちゃったの?」
とサラが聞く。
「そうみたいだよ…」
リーフさまが答えられた。
「どこにいるか、サラにはわかる?」
サラは、きょとんとリーフ様を見上げられた。
「…わからない。見えない」
サラはそう言った。しかし、感じ取ったことは、言葉にできないほど膨大であったのだろうか、いつもは不思議に揺らめく瞳の光も、特に乱れがちだ。
 そのうち、暗黒魔導師が城を包囲しているという報告がある。
「レヴィン!」
軍議の席で、人が集まるなり、アーサーが口を開いた。
「俺、外のやつら蹴散らしてくる!」
「まてアーサー、お前にかなう相手か、落ち着け」
レヴィンさまが冷静に仰る。
「でも、ユリアは暗黒教団に連れ去られたんだろ! だったら、表のやつ捕まえて、尋問でも拷問でも、居場所を聞けばいい話じゃないか!
 そうだろ!」
「できたらそうしているさ、しかし、ここに来ているのは所詮は下っ端、何もわからないぞ」
レヴィンさまのお声は冷静だった。それに付け足すように、サラが
「…ヘルもあるの。あまくみてはだめ」
と言う。
「いうなれば、私達は未知のものと戦うことになる。
 三属性と光の魔法、この四種類はすでに大陸ののあちこちで研究が進み、素養がなくても、魔導書さえあれば使用できるほどまでになった。
 しかし、暗黒魔法は、今まで伝説であっただけ、その実態が、まだほとんどわかっていない。
 これまでにわかっていることは、三属性に対して光魔法と同様に優位であることだけだ。
 アーサー、いくらお前が炎魔法に一足ぬきんでた才能があっても、それだけではどうにもならないということだ」
「ユリアをこのまま見捨てるのかよ!」
アーサーの声が一段と高くなる。
「暗黒魔法だからっていって、このまま城で相手が引っ込むまで待てって言うのかよ!
 俺はそんなことしたくない!」
「アーサー、落ち着いて」
セリス様がそのアーサーの肩を叩いた。
「僕とアレスがこれから、少しでも城への被害がないように、何とかしてくる。
 レヴィンを信じて。僕の大切なユリアを君に預けたんだから、君にはもっと、いい出番があるはずだ」
「お前の死骸とユリアを対面させるのは、俺もいい気分しねぇさ」
アレス様も仰る。
「セリス、行くぜ」
「わかった」

 ひきつけるだけひきつけて、詠唱の完成前に攻撃するという、基本的な攻撃が、以外にも奏功した。
 その後伝令があり、ペルルークから先のクロノス城に、ヒルダ女王がいるという報告が入ってきた。ペルルークに迫っていた暗黒魔導師たちは、あらかた始末したあとのことだった。
「ブルーム王はとうに死んだのに、まだこの人は帝国への忠誠を尽くしているのね」
ミランダ姫が忌々しそうに仰る。
「…イシュタル姉さまが、ユリウス様のお気に入りだから、そのゆかりに違いないですわ」
とティニー。
「…ブルームはなんだかんだ言って、母さんを生かしておきたかったんだ。
 ティニー、忘れるなよ、その母さんを殺したのは、…ヒルダだからな」
トードのゆかりの方々は、まだ、その因縁に決着がついていなかった。
「急ごう、バーハラに送られるはずの子供達が逃げたといって、追っ手が出されてるみたいだ」
デルムッドがそう言い出して、騎兵の何人かはその出撃の準備を始めたようだ。
「私も行こう」
「…父上」
デルムッドが、一度その準備をやめ、私を呆けたほうに見た。
「何をしている。出撃だろう。子供狩りなどと言う愚行は、許されない」
「そう、ですよ」
デルムッドは改めて装備を確認して、馬に一鞭当てた。飛び出すように出ている彼を追って、私も城を出た。

 道すがら、デルムッドと馬を並べた。
「確かお前は、リーンが助け出されたときに、私に何か質問をしたな」
「…はい」
「それと、お前がまだどこかに隠し持っているものと、関係はあるのだね」
デルムッドは、それには何も答えなかった。
「それはしっかり持っていなさい。きっと、お前を助けてくれるはずだ」


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