back

 トラバントの遺体は、一時的な…私たちがトラキア王国を通過するまでの…休戦協定の提案をセリス様がしたためられた親書が添えられ、国王の格式をもって、開放した捕虜とともに、トラキア本城に返された。
 今は国王となったアリオーン王子が、かつて自由都市ターラにしたような情けを掛けてくれればと期待はしていたが、国王となった今は、自分ひとりの意見で動くこともなるまい。
 返答のいかんによって、これからの私達の進路はいくつにも分かれる。いまごろ軍議の席は、そのあらゆる可能性を視野に入れて、対策が練られているのだろう。
 横になっていることも、トラキアの反応が帰ってくるのももどかしいが、私が今、次の戦にむけてできることは、これだけなのだ。
 トラバントの体に食い込んだ槍の感触を、私は一生忘れることはないだろう。
 キュアン様。エスリン様。
 勝手ながら、お二人の敵を討ちました。
 最期におそばにいられなかったことを、これでお許しいただけますか?

 そのとき、部屋の周りがにわかに騒がしくなった。何があったのか、首だけでももたげようとしたところに、
「叔父貴、入るぜ」
とアレス様のお声がする。周りが騒ぎまわっているというのに、この方は少しも動じられるところがない。
「なにか、あったのですか」
とうかがうと、
「あったといえばあったな。俺が物見に上がっていたら、突然ドラゴンが一匹降りてきて、セリスにあわせてくださいとかいって、えらい別嬪がおりてきた。それをセリスに言ったら、あの騒ぎだ。
 俺の方がどういうことだと聞きたいくらいだ」
そうおっしゃって、アレス様は首を傾げられた。私は、
「これからの私達とトラキアの行方を左右する、現し身をもたれた聖女ですよ」
「…なんだかよくわからないが、仲間か?」
「おそらくは。
 特にリーフ様には、これから先、いなくてはならない方です」
「へーぇ」
アレス様は、そのお話にはあまり興味のなさそうなお声を上げられた。
「あんまり美人なんで、つい口説きそうになっちまった」
「お戯れを」
「もちろん冗談さ、見たところそんなスキのある風には見えなかったしな」
そう仰って、アレス様はお帰りになられるようだった。
「叔父貴にも知らせとけってセリスに言われたんでな。
 まぁなんだ、早く起き上がれるようになってくれな。俺、あんたがいないと軍議で周りの言ってること、全然わからないんだ」
「わかりました」
私はそう答えて、寝台に深く身を沈めた。
 思いがけなくも頼られているのだ、まだまだ終わるわけには行かない。

 アルテナ様のご来臨も、あんなことのあった昨日の今日の話であったから、セリス様とのご会談の席にも伺候できなかった。
「お前たちは、それぞれどうお見受けしたかな?」
と、子供たちに聞いてみる。
「継承者の…気迫と言うものなのでしょうか、冗談なんかおいといて、本当に聖ノヴァがまだこの世におられたら、あんな感じではないかと思いました」
デルムッドが言う。しかしナンナの見方はすこし違うらしく、
「確かに、お兄様の仰る通りでしたけど、あちらで、なにかおつらいことでも会ったのかしら、少しさびしそうで。
 リーフ様がお話しかけされても、上の空でいらした様子が」
と言う。
「すぐにこちらの水に慣れろといっても、それは無理だよ」
「それだけの話ならいいのですけど」
「まあまあ二人とも」
言い合いになりかけた二人を私はつと制した。そこでナンナが思いついたように
「そうそう、アルテナ様、お父様に会いたがっておられたわ」
と言った。
「アルテナ様が?」
トラバントを討ったことを責めるおつもりであるなら、私は甘んじてそれを受けるつもりであった。
 トラバントを討ったいきさつを知り、オイフェなどは私を手本にせよとセリス様に進言しているようだが、私は、これで名声や名誉、ましてや人の手本になるつもりなどさらさらない。
 私は私のすべき事をしただけだ。
「お身内でセリス様とリーフ様がおられても、じかにアルテナ様をご存知なのは父上だけらしいからなぁ…」
しかし、デルムッドの言葉で、私の考えは全く見当違いだということを知った。
「そうだった…
 トラバントの最期も、お知らせしなければならないから…」
「それがありましたね…」
「いかな事情があるとは言え、アルテナ様を今までにしてきたのはこのトラキアの大地とトラバントだ…」
何をどれから話そうか。そんな事を考えている間に、私はすうっと気が遠くなる。
 私が眠ってしまったように見えたのか、子供たちはそれぞれ顔を見合わせて、部屋を出て行った。
 こういう眠りは、血が戻らない間はしばしばあるらしい。浅い眠りが、物音で覚まされた。
「賊か」
私は、枕上に立て掛けて会った槍をとろうとした。しかし、その気配は慌てたようで、
「ごめんなさい。どうしても、あなたと話がしたくて」
と仰るお声は、エスリン様を思わせた。私はほとんど闇の中尋ねていた。
「…アルテナ様、ですか」
「ええ」
私は、枕元の明かりを大きくした。それでも限りある明かりの中でお見受けするお顔は、幼い頃の面影もあり、またご両親のそれぞれの面影を宿しておられた。
「怪我の程度が重いそうだと聞いたので、会うのを控えようと思ったのですが…どうしても」
「何をおっしゃいます。本来なら私の方が怪我等理由にもせず参上すべき所を」
物音に入ってきた兵士に、暖炉の火を足させ、明かりを増やさせる。アルテナ様は、トラキア風の衣装で、つくねんと椅子に座っておられた。そして、話しをはじめられる。
「…トラバントを看取ってくださって、ありがとうございます。
 今はなさぬ仲となりましたが、娘としてお礼を言わせてください。
 そして、見事、父母の仇を討取りました。レンスター王女として、その勲を讚えます」
「もったいないお言葉です」
二つの立場として裏腹なお言葉は、どちらも、私としてはこれ以上もなくあり難いものであった。
「リーフにも会いました。向き合っている間に、どんどん思い出されてきて…父上がご出征される日も、母上の腕の中で眠っていたあの子が、レンスターのプリンスとして威儀正しくいるのも、あなたのおかげですね、ありがとうございます」
アルテナ様は、そう仰って、腰を折られた。
「おもてをおあげください、アルテナ様。私は、ただ、キュアン様の命にしたがって、ただそのお命だけでもご無事であればと思って、今までお守りしては参りました。
 リーフ様の今のご威儀は、本人のご修養によるものです。
 私は人の道を王子に説明できるほど、できた人間ではありません」
「謙遜はおやめなさい」
アルテナ様はそう仰ってかぶりをふられた。
「あなたの名前は聞いていました。その忠誠心、トラキアでも見習うべきものが多いと、評価にやぶさかでない人も多々おりました。
 トラキアはバーハラ帝国とちがって、武勇のあるものを尊ぶのです」
「勿体無いお言葉です」
「まさか、その時は、私にこうして縁深い人とは、思いもしませんでしたけれど」
「…もうしわけありません」
私は、今になって、ひしひしと、我が身が情けなくなってきた。トラキアでも、王女という表立つ場が多いお身柄ならば、居場所を尋ね当て奪回することもできただろうに、私は目の前にばかり捕われていた。私に、もう少し、トラキアにふかく関わろうとする勇気があれば、この方が今のようになるまでを、…主君の変わりに見届けることもできたはず。
「トラキアにおられた間、おつらくはありませんでしたか」
私はつい尋ねていた。始めから継子と教えられ、虐げられてお育ちになっていたかも知れないと、少しは思ったのだ。しかし、アルテナ様は私のこの言葉にもかぶりをふられた。
「トラバントは、私を本当の娘のようにおもって育ててくれました。
 このトラキアの赤い大地も、私にとっては慈しむべき大地です。
 辛かったのは、私がトラバントの娘でないと知った時の、あの一瞬だけ。
 それ以外は、なにも」
「…左様でしたか」
私は、トラバントの最期をアルテナ様にお話しした。
「そんな事を…」
アルテナ様は言葉を詰まらせた。
「彼は既に見通していたのですか。
 私は…不安なのです。これから兄上…いえ、アリオーン王子と直接槍を交える事態になって、私は冷静でいられるかと」
「直接交戦となるかは、セリス様が送られた親書の返事次第です。
 たしかに、半島北部の人間である私にとっては、ある意味ここが目的地であるかもしれません、しかし、セリス様の解放軍にとって、ここは単なる通過点でしかないのです。その通過点でしかない所で、戦わねばならない現実については、誰もが憂えているはずです」
アルテナ様は、しばらくして口を開かれた。
「トラキアとの間に、これ以上の流血を望まないことについて、セリス様と私は同じ意見です。
 私で良いのなら、そうなるように、幾らでも働きかけはしましょうが…おそらく、トラキアは聞き入れないでしょう」
アルテナ様のお顔が、急に悲壮みを帯びられた。
「それが、トラキアの誇りです。
 王を弑したほどのやからと、改めて和を講ずることは敗北より恥ずかしいことです」
「私のしたことは、やはりトラキアでは容れられませんか」
「…」
アルテナ様は、複雑なお顔をされた。
「新しい歴史の礎となることと、割り切れるものばかりではありません。おそらく、トラキア城では、その意見の方が多いでしょう」
「やはり」
「ですが、アリオーン王子が国王の今のトラキアで、それがどれだけ重く受け止められているか。
 それが、運命の分かれ道です」
アルテナ様はそこまでおっしゃってから、しばらく、私と顔をあわせたくないように、視線を泳がせた。そして、ついて出たお言葉が
「私…兄上とは、戦えません」
だった。衣装の膝に、ぽつりと、涙が落ちる。
「確かに、セリス様やあなたが考えている通り、兄上なら、トラバントにできなかったことができるかもしれません」
「停戦の交渉…を、ですか」
私は、アルテナ様の悲壮なお顔を見ているに忍びなかった。
「アリオーン王子も、アルテナ様と同じお心なのですか?」
アルテナ様は、ややあってから、うなずくだけで肯定された。
「アルテナ様、貴女は、我々には分からないトラキアをよく御存じです。
 貴女とアリオーン王子、お二人がトラキアの情勢を左右すると言っても過言ではありません。
 血で血を洗う不毛な戦いか、手を取り合い、双方に同じき進む道を歩かれるか」
「ええ、そうでしょう。
 でも」
呟くようなお声。
「そのために、さけられぬものであっても、私は彼とは戦いたくはない」
「…」
「ですがもう、私達の間には、決定的な異なる運命が渡されてあります。
 今は…アリオーンをうつものが、私でないことを、ただ、祈るばかり」
アルテナ様は胸の前で手をあわされた。
「兄は、トラキアという国を主君に選んだ騎士…
 騎士として、トラキア一流の武人として、あのひとはあのひとの道を歩むのだと、思います」
私は、アルテナ様のお顔を見ることしかできなかった。
 国王は、国土を主君とした騎士でいなければならないのか。そんな疑問が私の胸をよぎったが、それは言わずにおいた。

 トラキアは、前王トラバントの喪に服す意味での、数日の停戦に応じはしたものの、それ以上の停戦は、「逆に今ある敵を排除することが王への追善である」と主張、事態は、解放軍とトラキアの全面衝突がさけられなくなりつつあった。
 アルテナ様の予想通りだった。動けるようになった私は、まずセリス様にお目にかかり、この事態を作り出した責任が私にあることをわびた。しかしセリス様は
「あなたは、何も自分を責めることはありません」
私にそうおっしゃった。
「逆にあなたは、騎士として、すべきことにしました。オイフェが、あなたを見習うようにと、うるさく言ってきますよ」
「…は」
「私にも、それだけの勇気が欲しい」
セリス様は、まだトラキアの民の苦しい生活を思いやることを、やめておいでではなかった。しかし、それがセリス様と言う方なのだ。
「…そのように、戦に関係ない民の生活を思いやれる滋味深いお心が、セリス様なのです。
 シグルド様もそうでした。アグストリアの開拓村を盗賊から救済されたり…
 戦があって最も難儀をするのは、戦に関係ない民です。レヴィン様はどう仰るかわかりませんが、その思いやる心は、お持ちであって全く邪魔なものではありません」
セリス様は、少し黙られてから
「そういえば、あなたからみた父上の話を、私は聞いたことがなかった。
 時々、話して頂けたら嬉しい」
と仰る。
「私の拙い口でよろしければ」
私はそう答えた。私の中にある「過去」は、「未来」の糧になるのだ。

 本拠地をトラキア城に近いグルティア城に移した時、私はハンニバル将軍と対面することができた。
「その節は…」
今レンスターを守り、兵力の回復を一手に引き受けているグレイド達をかくまって下さったことについて、一言礼が言いたかった。将軍は
「帝国との同盟が清廉潔白なものであれば、私もあんなことはせなんだろう」
と仰る。
「しかし、マンスター地方の制圧の方法があまりに杜撰で、きっとこれは遺恨を遺すと思った。
 旗頭あってこその騎士。その心意気は、国を異にしても変わることはない。
 しかしドリアス卿には惜しいことをされたな。娘御と婿殿は今レンスターでおられるのか」
「はい。ランスリッターの再建に全力を傾けているようです」
「次ランスリッターが世に出る時は、彼らこそ、天地の槍の元に統一されたトラキアの盾となろうな」
将軍が、白く蓄えられた髭の下で含むように笑まれた。その時、
「報告!」
軍議の席に兵士が飛び込んできた。
 それぞれ、近い窓から空を見上げると、黒い煙のように、竜の大部隊が、すでに制圧した城に向かってゆくのが見えた。兵力が手薄になっている箇所を襲撃して、逆に我々を孤立させる計画なのか。
 もちろん、その中の一隊は、このグルティアに向けて一直線に進んでくる。
 物見におられたアルテナ様が降りてこられ、あおざめたお顔で
「…三頭の竜」
と呟かれた。
「三頭の竜?」
「なんと…早まられたものか…アリオーン殿下…」
ハンニバル将軍が拳をにぎられた。
「三頭の竜は、まさに、今のような時…トラキアが存亡の危機に陥った時に限って使用せよと、堅く守られてきた禁断の戦術、トラキアにとっては起死回生を期する最後の手段…
すべての兵力を、本陣守護をのこして三つにわけ、奪回するべき拠点に送り込むのだ…
 しかし、今その戦術をお選びになったとして、なんとする」


next
home