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 ミーズから陸路で一番近い拠点はカパトギアといい、今ハンニバル将軍はそこに部隊を伴って詰めているらしい。
 その部隊が、ミーズを奪還しにきたはずの竜騎士隊の壊滅を受けて、ミーズに向けて進軍を始めたらしい。捕虜にしたトラキア兵を尋問して得た話によると、後嗣として鍾愛していた息子を他拠点に預けての出陣だという。
 あるいは、そうさせられているのかもしれない。会って話をすれば、きっとご理解頂けようものを、戦とはままならないものである。
 その迎撃の準備をしていた時である。物見からさらに切羽詰まる報告が入る。
「トラキア城方面から竜騎士隊の接近、紋章はトラバント本人!」
なに! 私の全身が震えた。
「来たね、トラバント」
リーフ様が仰った。私はリーフ様より早く立ち上がっていた。
「リーフ様、ご本懐を遂げられる時が時が来ましたよ」
と言う。しかしリーフ様は
「私は人の邪魔をするほど無粋じゃない。
 お前の方がトラバントがどういう人間かわかっているはずだ」
「…リーフ様」
「負けてくるなよ。相打ちもダメだ。
 父上と母上に見せる顔がないだろう」
「わかりました。
 ご厚情、感謝します」
 「お父様」
物見までの道、ナンナが私を追いかけてきた。
「トラバントと戦われるのですか?」
「そうだ。危ないから、お前は城の中にいなさい」
「…はい」
ナンナは、見上げる瞳に涙を滲ませて、
「お父様、ご武運をお祈りしてます」
と言う。流れ落ちそうな涙を指で拭い、
「その言葉は、微笑んで言うものだよ」
私はそう言った。
「お前の母上は、それができるお方だった」
私は向き直り、その場所にまっすぐ向かって行った。

 その間に、私は私で、自分を納得させようとしていた。
 私とて、トラキアのすべてを頭から否定しているわけではない。
 セリス様のおっしゃるように、半島南部は厳しい状況にある。北部の豊かさを羨み、ああいう所行をしたとしても、あるいは詮ないことかも知れぬ。
 そして、ここに至るまでに出会い、戦いを共にした、多くのトラキアびとたち。彼等は私が今からしようとしていることを、きっと許しはしないだろう。
 だが、騎士の魂をほかならぬキュアン様から刷り込まれた私は、赦せと言う声に耳を傾けることは、最後でまでできなかった。
 真の善人のいないようにも真の悪人もいない。
 だが、私の中にある騎士の正義は、彼を悪だと断じた。滅ぼせ、と。
 すべてを投げ打ったとしても、私は永遠に、容れることはできぬ。
 あの男だけは!

「トラバント!」

「来たな、死に損ないが」
微かに、血が臭う。解放軍の無名の戦士がるいるいと横たわるその中に、トラバントは私を待つかのように立っていた。
「やっと主人の後を追う気になったか」
とも言った。
「見くびってもらっては困る。主君の恨みを晴らすことこそ騎士の本願、それがかなえられて、むしろ光栄だと思う」
私は昂揚していた。しかし私の言葉を、トラバントはハナで笑った。
「雑魚が何を言うか」
「何!」
「力不足ゆえにお前は戦線をはずされ、主君の死に目に会えなかった、そうではないのか?」
どうしようもなく情けないことだったが、私はトラバントの言葉に平常心をあおられていた。ささやかではあるが一抹の不安になっていた予測の図星を射抜かれ、わけもなく身体が熱い。
 その中トラバントは、一転声を荒げた。
「槍を構えろ!」
たらしていた槍の穂先に、鈍い重い衝撃がはしる。槍の柄を伝わって私の両腕に響き、穂先が跳ね上げられた。

 助けはない。見物人もいない。文字どおりの一騎討ちだった。

 彼の持っている槍はグングニルではなかった。しかしいずれ銘槍であることに間違いはないだろう、そして、竜に騎乗する場合とは槍の捌きは全然異なろうところを、彼は軽々しく槍を振るってくる。その様はさながら舞うようであり、天賦の才というものを感じずにはいられない。
 しかし私にも、賜った勇者の槍がある。騎士の私が最も輝いていた時間をともにすごした、石突きから穂先にまで、私の息が染み付いた存在。この槍でトラバントを討ち取る。運命というものは皮肉で、また面白い。
 私本人も、すべての力と技とを持ってトラバントに対峙している。城を失い、仲間を失い、さらには主君をも失った私に、そのすべての仇を任されている、それが私がここまで生かされてきた理由である気がした。
 騎士の有頂天に、私は導かれいてるのか。ここで散って、騎士の鑑と讃えられるのが、私に示された運命なのだろうか。
 否。私は、まだ死ぬことはできない。
 守らねばならないものがある。見守ってゆかねばならないものがある。
 何より、探し出してでも出逢いたい人がいる。
「私はまだ死ぬことはできない。主君より命を落としても良しと許しをいただいていないからな」
「主君の後を追うことすら許されず、その上女まで行方知れず、その騎士や男の出来損ないのようなザマで、お前はよく今までおめおめと生きたな」
「私に与えられた使命はまだ残っている。まもなく帝国は倒れ、新しい秩序のもとに大陸は再編される。
 私は現在を見つめ、未来を支えるために、過去を受け継いでゆくものになるのだ。
 全うされぬうちは」
「自分だけが善人になるつもりか」
トラバントが、槍の穂先を下げた。
「確かに、あの小僧にくみしたお前はいずれ善人として、そうしなかった俺は悪人として、後世伝えられるだろう。
 しかし俺は、このトラキアを思うが故に、あえて後ろ指をさされることに決めたのだ。殊勝な決心だろう。理屈は違うだろうが、俺とお前と、過去になることに変わりはない」
トラバントはそう呟いて、屋上の隅で主人を見ていた竜に歩み寄った。鞍と防具をはずす。
 おそらくそれが、竜にとっては自分の仕事の終わりをあらわすのだろう、安心したような低い声をあげ、主人の顔に鼻先を寄せた。そのくびを軽くたたいて、トラバントは声をかけた。竜はトラキアの山肌のような赤茶けた色ではなく、その体は翡翠のうろこに覆われ、額にダインのしるしが刻んであった。
「さあアイオロス、トラキアへの道は分かるな?
 これからは、お前を俺より可愛がってくれるアルテナを乗せて、あれの為に飛ぶがいい」
竜は、その言葉がわかったように、主人に背をむけ、屋上から身を踊らせる。上昇のために二三度大きく羽ばたいて、その後は、上空の風を得て、南を目指した。
 それから、かなり長いこと、私達は戦っていた。お互いの槍はお互いの身体を何度かかすめたが、いずれも致命傷にはならない。いたずらに、時間だけだたっていた。
 一瞬の事だった。傾いた太陽が私の目に入った。緊張が解け、目を細めた瞬間、身体の横の方に、どん、と、何かがあたった感触がした。
 熱い。トラバントの槍の穂先が、私の脇腹から、真っ赤に染まって抜け出てきた。膝から崩れ落ちた私に、トラバントの容赦ない声が浴びせかけられる。
「どうした、仇を討つだの、過去を担うだの、あの言葉ははったりか!」
血が、私のからだの内と外とに流れ出してゆくのが、嫌にはっきりわかった。
 立ち上がったが、地面が揺れているように感じて、私はなんとか、槍を支えにして均整を保った。
 対峙するトラバントは、全く傷の影響を受けていないようだ。しかし私の目に写るその姿が、急に歪んてくる。
 …ここで、私は終わってしまうのだろうか。
「立たぬか! レンスターの青き槍騎士と、二つ名など大仰に奉られて、思い上がったか! お前はそれだけの男か!」
トラバントの、叱責にも似た嘲笑が聞こえた。
 私は、顔をあげようとした。手足に、力を入れようとした。
 なぜか、痛みはやや和らぎはじめていた。しかし、傷がなおったのではない。体中が痺れはじめて、感覚の何もかもが鈍くなりはじめていた。
 ふいに、和やかなものが、私の体を引き上げるように感じた。
 死際の人間に見える、この世ならぬ者たちなのか。だとすれば、この存在は、英雄と天が定めたもうた者を嘉するというヴァルキリーなのか、それとも。
 しかし、その存在は、凛と張る声で
『立ちなさい!』
「!」
その声で、急に現実に引き戻された気がした。再び私に、声が聞こえる。
『あなたは、こんなところで死んではだめなのよ』
そこにはトラバントと私しかいないはずなのだが、もう一つの存在の出す言葉に、私は違和感なく対峙していた。
『顔をあげて、良く見て』
動かして、というよりは動かされて、私の顔は真正面にいるトラバントを見た。が、その前に、私の目に入ってきたものがある。
 私を包む光が、私とトラバントの間で凝りはじめた。そして、つくり出された形に、呆然とする。その姿は、ほのかに微笑んでいるように見えた。
『あんまりあなたが危なかしいから、見ていられなくて』
「え?」
『過去を担って、未来に臨むのでしょう? ならば、こんなとこで死んではだめよ』
「どうすれば、よいのですか」
その姿に問いかけると
『…祈って。ただひたすらに。もう一度その槍がふるえるように』
光は私の胸に飛び込んできた。一瞬の静寂ののちに、私は、トラバントの悲壮な顔を見た。私が、再び立ち上がってくることをじっと待ち受けている。
 すべてに思い当たった。
 なぜ、竜を放したのか。
 なぜ、グングニルを持っていないのか。
 すでに、この男は自らの退路を断っているのだ。ここを死に場所に定めてきたのだ。傭兵王と号されることも、ハイエナと蔑まされることも、すべて自らの誇りにして、…私のように、過去を担って死んでいきたいのだ。
 しかし、私に、彼の望みをかなえる力が残っていようか。気力も体力も、血とともに、ほとんどが流れ去っていた。
 それでも、私は彼を討たねばならないのだろう。
 私のように、過去を担うものとして、彼の誇りは、私が討ち果たしてこそ、完成するのだ。
 祈れといわれたとおりに、私は槍から片手を離して、胸の前でにぎった。

「…私を守りたまうもの、魔剣の血に連なる枝葉に鮮やかなる暁の薔薇、私こそは、御身の騎士。
 願わくは、私の祈り聞き届けたまえ。今しばらく、この身に血と力を。
 かつて交わした誓約に従い、我を助けたまえ」
声は私の内側から、はっきりと聞こえてきた。
『あなたの祈りは、かつて誓約で預けた私の心。心置きなく、あなたのために』

 内部に熱が戻ってくる。視界がはっきりしてきた。高い山の稜線に日が赤く隠れようとして、決着に時間がかけられないことが悟られた。
 立ち上がり、槍を構えなおした私に、
「そうだ、そうこなくては!」
トラバントの顔が嬉々と輝いた。傷の衝撃は、完全に忘れたわけではない。しかし、逆に身は研ぎすまされたように、軽く感じた。
「私はまだ死ねないようだ」
 トラバント、望み通り引導を渡そう!」
「よかろう、来い!」
 真一文字に突進してくるトラバントの槍を、皮一枚で避けた。いなしながら穂先で彼の胴をなめた。そして、体勢を変えて突っ込んでくる胸に、しゃにむに突き立てた。
 胸骨が砕ける感覚が柄を伝わってくる。トラバントはそのまま仰向けに倒れた。
 歩み寄る。胴の傷から血が流れ、私の靴の爪先を赤く染めた。
「…」
トラバントは私を、笑ったような目で見た。
「…これで、いいのか」
尋ねた私に
「…ああ」
彼は満足そうに、目を閉じた。
「…アルテナの事を、頼む。真実を知ったあの子は、今にミーズにやってこよう。迎えてやってくれ。
 お前しか知らぬ本当の両親の話を、…してあげてほしい」
「…」
「あれは…アリオーンとは戦えぬ。そういう子だ」
「…」
トラバントは、大きく息をついた。
「願いをかなえてもらって、…忝い」
そう閉じた唇に、私は聖印を切った。

 トラバントが、完全に動かなくなった時、日はとうに落ちて、ちらちらと、星が瞬きはじめていた。
 私は、あの気配がまだ身を離れていないことがわかっていたから、こう言ってみた。
「これで、いいのですね」
『…』
はじめ、なにもおっしゃらなかった気配は、ややあって、
『いいのよ』
と仰った。
『あなたらしくなく「過去をになう」なんて決心をしたものだけれども…
 …それは、つらいことよ。でも、になわれた過去の中に、生きることを望む人がいるの…トラバントもそう。私の大切な人たちも…そう。
 あなたなら、わかるわよね』
「はい」
気配は、私の身体を離れられた。私の前で再び、お姿をあらわされ、柔らかいお手が私の服の襟に触れた。艶やかに微笑まれたお顔があった。
「ひとつ、お伺いしてよろしいですか」
『何?』
「あなたはご存命であると、伺っております。今、どちらに…」
『…』
私の問いに、ご返答は長くなかった。
『…私という存在は、これからもそばにいるわ。
 それでは、だめ?』
「もしご存命であるなら、私達が賜った大切な二人の宝を、是非にもお見せしたい」
『見てるわ…見守るわ、これから、ずっと』
「どうしても、今はどちらにおいでなのか、答えてはいただけないのですね」
それに対するご返答もなかった。ただ、私を惑わすようなお声が、
『それほど私に逢いたいなら、あなたが探して』
と聞こえただけだった。
 その後の、消えながらのお声が、しばらくその場に残っているようで、私は無性に離れがたかった。
『言ったとおりよ。私はずっと見ているわ。
 御武運のありますように…私の騎士様』

 呼ばれた気がしたので、振り返った。
 リーフ様とナンナ、デルムッドがいる。三人は私に駆け寄ってくる。
「リーフ様、トラバントはこのように」
と言った。リーフ様は、たいまつの明かりでざっと検分して、
「そうか…よくやった」
とだけ、おっしゃった。
「途中から見ていたよ。ナンナが回復に行きたがっていたけど、私がずっと止めていたんだ。
 私は信じていたからね。お前がそう簡単に死にはしないって」
「ありがとうございます」
そういう私の体は、なぜか、多量の出血がありながら、意識もあり、自分の足で立ち上がれていた。しかし、支えながらではないと、歩くことは出来なかった。

 儀式魔法のライブで傷を完全にふさぐことは出来たが、失われた血は休養だけが、元に戻す方法であった。私の側には、二人の子供達が、心配そうな顔で、私の顔を、穴があくほど見つめていた。
「どうした二人とも、そんな目をされたら、私も困るではないか」
そういうと、二人はお互いを見交わし、
「一つ、確認してよろしいですか、父上?」
そしてためらうようにデルムッドが切り出した。
「…あの時、母上があの場所にはいらっしゃいませんでしたか?」
「え?」
「私も感じたんです。…お母様みたいな気配が」
ナンナが声をつまらせる。ナンナの方が、持ち前のカンがよく聞くのか、デルムッドよりはっきりと、あの気配を感じ取っていたようだった。
「嬉しかったけれど…魂のように見えて…薄く輝いて…」
「あれが真にお前達の母上であれば」
私は二人に言った。
「以前にお前達が言った、母上が存命であることを、自ら否定するという矛盾にならないかな?」
「…」
子供達は、黙ってしまった。私は、見た現象と、感じた気配との差に戸惑っているのだ。
 そのうち、ナンナが
「やっぱり、お母様は…」
と呟くようにいい、うつむいた目に涙をためてゆく。私は、その涙を指で拭い落として、
「そう言うものではない。確かに、この世ならぬものが、あの場所にはいた。
 だが、あれはお前達の母上ではなくて、…私の幸運の女神だよ」


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