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 進軍といっても、マンスターとミーズは、移動距離にしてはさほどのものではない。
 しかし、馬や人が通れるのは、右左から山が迫ってくる、その間にある川沿いのわずかな平地しかなく、竜騎士隊の襲撃があれば、軍は難なく混沌の極地に陥るだろう。
 天馬騎士達は、なるべく高度を低くとりながら、それでも四方からの襲撃を警戒するように、ゆっくりと飛び交っていた。
「息が詰まるようだね」
と、リーフ様が仰る。
「小さい頃は、全然そんな事思わなかったけれども…」
「ここはまだ緑がある方です。さらに奥深く入ると、緑すら無く、城は峻険な山の上に築かれて、竜でなければ出入りもできないようになっています」
「そんな城、どうやって攻めるんだろう」
「有利である方法をとるならば、魔法しかないでしょう。弓は射手自身が竜より高い位置にないと」
たとえば…進みながら、私は左右の山を見巡らした。その瞬間、何かがきら、と光った。
「弓か!」
私は思わず、その光からリーフ様をかばうように馬を動かした、と、
「…うう…」
リーフ様がずるりと、落馬される音がした。
「リーフ様!」
後に続いていたナンナが声を上げた。その声を中心にして、人だかりが円を作る。
「お怪我はありませんか!」
「わからない…尾根の辺りに、光が見えたんだ…そしたら、急に…」
痛むのだろうか、その場所をおさえておられる。
「出血などございませんか、ナンナ、ライブは」
「はい、でも、ライブは何も反応もなくて…」
「何?」
隊伍が乱れていたのがお気になったのか、
「どうしたの?」
セリス様がいらっしゃった。
「大丈夫です、油断して、落馬しただけですから」
リーフ様はそう仰って、もう一度馬に乗り直される。
「気をつけてよ。いつトラキア軍が来てもおかしくないんだから」
セリス様は仰って、元の位置に戻って行かれる。私達も、元のように隊列を直し、前進を再開した。
 その私の馬に、ナンナが馬を寄せてくる。
「変です、お父様」
「変?」
「リーフ様のことが… まるで、アレス様と出会われた時の私達みたいな状態でした。聖痕の共鳴に、ライブは効かないんです」
「なに?」
私は再び尾根をみた。光は、私達に合わせて少しずつ位置を変えていた。私たちを見ているに違いなかった。そして、その光が、私の苦い記憶を細く照らし出す。
 主命とはいえ、出陣の列に加われなかった悔しさと、悲報がもたらされ、現実を目の当たりにした時の絶望感。そして。
 アルフィオナ様のお言葉が蘇ってくる。
「当代の死亡が確認されれば、神器はその瞬間、次代に引き継がれます。キュアンがあの子より先に死んでいたならば、継承は自動的に行われ、神器はあの子を生涯守るでしょう。
 キュアン達が遺してくれた…アルテナを」
「まさか」
私はつい呟いていた。
 もしあの光がノヴァの聖光だとして、アルテナ様がご無事だとして、何故、トラキアにおられるのだ!?

 その日の野営で、もう一度リーフさまの元を伺う。
「大事はございませんか」
と尋ねると、
「うん、今は痛みもないし、まったく元通りだよ。あの時は、死ぬかと思ったほど痛かったけれど」
「大事がなくて何よりでした」
異常のないことで一応安心した私に、リーフさまは
「ねぇ」
と改まれる。
「あの人は、僕を知っていたのかな」
「あの人、といいますと」
「お前と一緒に、山を見ていただろう?
 あの光は、その人から出ていたんだ。竜騎士だったのかな…槍が日を照り返して、よくは見えなかったけれど…赤い鎧を着た若い女性だった。少しさびしそうに、僕たちを見下ろしていたように見えたんだけど…」
「そうでしたか」
「一瞬、目が合ったように見えたんだ。そしたら、ノヴァのしるしが急に痛くなって」
「やはり」
私は、同じく天幕にいたナンナに目配せした。ナンナが軽く頷く。リーフさまは怪訝そうな顔をした。
「どうかしたの?」
「これは、私の推測の域を出ませんので、ここだけのお話にしていただきたいのですが」
「…うん」
「リーフ様は、『聖痕の共鳴』に出会われたのかもしれません」
リーフ様は、それがなんのことかわからない様子でおられる。
「聖痕の共鳴?」
「はい」
私は、これまでのことをあらかた説明して差し上げる。
「セリス様の時には何もなかったのになあ」
「セリス様のご事情は私にもわかりかねますが、本日リーフ様が出遭われた出来事については、あくまで推測の域ですが、説明することができます。
 リーフ様、驚かずお聞きください。
 ご覧になった赤い鎧の竜騎士めいた女性。もしかしたら、それはノヴァの当代の継承者…お姉上かもしれません」
 前置きしても、驚くなという方が無理な話であった。返すお言葉も見つからず、口だけを脱力されたように開いて、リーフ様は呆然とされている。
 私だって、確信ではないのだ。トラキアのことだ、軍部に女竜騎士などいくらでもいよう。しかし、彼女を彩る光は、私がかつて見たものに相違なかった。
 しかし腑に落ちないことは沢山あった。わかっているのは、アルテナ様とおぼしき女性が、トラキアのあの場所に、おいでだったということだ。

 「信じるなという方が無理な話だ」
レヴィン様はそう仰った。野営の陣を見下ろせる岩山の中腹におられた。私がそこに近づいて、あったことの説明をする。レヴィン様にもお聞かせした方が良いと思ったのだ。
「この軍の中で、ゲイボルグの聖光を見たことがあるのは、俺とお前と、ほんの少しなものだろう」
「解せないことがいくつかあるのです」
「アルテナ姫がここにいる理由か?」
夜陰の中、私を振り向かれるレヴィン様の目は、ぼんやりと翡翠色に光っておられた。
「限りなく良心的に解釈すれば、両親を目の前で討たれて遺された彼女に、トラバントが哀れを催して自国に連れたといえるかもしれない」
「トラバントが?」
「トラバントが、周辺諸国から傭兵王と渾名され、非情な傭兵集団を引き連れて各国の動乱を影で助けながら、国民はそれを非難することがなかったか、理由はそこにある」
レヴィン様はそう仰った。
「受けた依頼には常に忠実であり、モノによっては本人が出向くという、国王自身が文字通りトラキアの槍であり楯であることを、国民がよく知っているからさ」
もっとも、半島北部の人間に話をしても、にわかには信じ難いだろう。レヴィン様はそれにそう付け加えられる。
「受けた報酬も、絶対に私の用には使わないそうだ。
 知らされてないだけで、トラバントは、存外に滋味ある男なのだ」
「…わかりません」
私はつい呟いていた。
「その滋味あるというトラバントが、何故イード砂漠であんなことを」
「トラキア半島の統一」
私の呟きに、レヴィン様はそう返された。
「天槍と地槍、そろえてこその統一と、彼は考えたのかもしれない。
 だから、アルテナ姫に継承を発生させ、地槍とともに国元に送り、マンスター地方が崩壊するのに乗じて進出する予定だったのかもしれん。
 しかし、その野望は帝国に破られ、以来十何年と苦汁を飲むはめになっているわけだ」
レヴィン様は淡々とそう語られた。統一までの秘蔵の姫としていたならば、アルテナ様がトラキアにおいでだったのを私が知りえなかったのも仕方ないと、自分を慰めてみるものの、お小さいながら万が一の事があったのかと、諦めていた私にも、責任はある。
「お前の心配など遠く及ばない砂漠でおこってしまった事件だ。
 その件で自分を責めるのはやめておけ」
レヴィン様はそう仰る。
「お前の槍の切れ味が鈍って、余計自分を追い込むだけだぞ」
「…はぁ」
私がうなだれたままでいるのを、
「ああそうだ、槍といえば」
とレヴィン様が改まって仰る。
「フィーがお前を探していたぞ、明日にでも会ってみるといいだろう」
 フィーは、レヴィン様の実の娘である。つまり自身はシレジア王女であるのに、姫扱いをがんと受け入れず、私も勝手ながら、普通の騎士と同じように彼女に接していた。
 フィーとカリンにせがまれて、時々槍の稽古を付けることもあった。
「私を探していたそうだね?」
とフィーに尋ねると、フィーは朗らかに
「はい!」
と答え、荷物の中にあった槍を一振り、取り出して見せた。
「母様の遺言なんです。この槍をあなたにお返しするように、って」
フュリー卿が既に鬼籍にあることは、合流当時から聞かされていた。セティ様も含めたこのご一家のご事情を、私が詮索する必然性は全くない。しかし、見知った仲間がもうこの世にいないという話は、聞いて少なからずやるせなさを感じたのもまた確かである。
 とにかくフィーは、その槍を私に示した。
<王女様の格別のご配慮により今までお預かりしていましたが、いよいよ私も槍のもてぬ体となり、娘に預ける次第でございます。
 卿のお話は途切れ途切れに伺っております、シレジアがこうでなかったら、影ながらでもお助けできればと思うのですが、なかなかかなわず… 
 娘には、卿にまみえる機会があったなら、懇ろに師事を乞うようにも言ってあります。ふつつかで落ち着きもない娘ですが、どうかよろしくお願いいたします…>
槍には手紙が添えてあり、流麗に卿の筆跡が残っている。
 私は改めて槍を見た。手放して十数年になるというのに、穂先には曇りもなく、柄には彼女がしてきた奮闘の跡が残っていた。
「ありがとうフィー。この槍をもう一度手にできるとは思わなかった」
「この槍は、レンスターで代々、功績のある方に下賜される槍だと聞きました。
 私が使うには、少し荷の重い槍です。母様の仰っていたように、本来の持ち主にお返しするのが自然だと、私も思います」
 お部屋に、何も言わず残して行ったのを、王女はお気がつかれたのだ。しかし、王女は武器の持てぬお体であったが故に、フュリー卿に託されたのだろう。柄に残っている手の跡が、何よりそれを物語っている。
 この槍を賜った時のことを思い出していた。誰彼という、あの時正騎士に叙された私を祝ってくださった方々のお顔や、全幅の信頼をキュアン様からあずかったという高揚感。騎士として絶頂の時間を、私はこの槍と一緒に過ごしてきたのだ。
「本当に、ありがとう」
私はフィーに、そうとしか返せなかった。
 
 ミーズの城を落とし、私達はトラキア王国での拠点を手に入れた。
城下の様子は、私が以前見たものとあまり変わらなかったが、私達を見る住民の目は、明らかに懐疑的で、むしろ、抵抗感むき出しであったといってもよかった。
「住民は、救われたとは思っていないさ」
と、レヴィン様は仰る。物資の中からいくばくかを提供しようとしたら、にべも無く断られたという。
「それに、ミーズを取られたとあっては、いよいよトラキアも黙っているまい。
 いつでも迎撃できるように準備させておく必要がありそうだな」
「そうですね」
「なにぶん、相手は空を飛んでくるんだ、こんな山ぐらい、なんなく飛び越えてくる」
軍議の席で、レヴィン様が概況を説明され、
「竜に強い魔法や弓を使う者に、少しがんばって貰う必要があるかもしれない」
と仰ると
「僕…いや、私が入ります!」
とリーフ様が立ち上がられた。
「リーフ、本当にいいの? レヴィンから話を聞いたけど、もしかしたら、自分の実の姉上と戦うかもしれないんだよ?」
セリス様がそう眉根を寄せられる。しかしリーフ様は
「大丈夫です。説得できる自身はあります。それに私は弓も魔法も使えますから、レヴィン様の仰る条件に十分当てはまる」
「わかった。君を信じよう。
 怪我だけはしないようにね」
「はい!」
その時、物見が急を告げてきた。竜騎士の一団が、今しも向かってくると言う。
「じゃあいいね、誰か、いつでもリーフの援護に入れるように準備しておくのを忘れないで!」

 トラキアの城の特徴なのだろうか、城の屋上は物見にしてはずっと広く、竜をつなぎ止めるような道具があちこちに仕掛けてあった。 
「ナンナ、私と一緒にいると、危ないよ。退った方がいい」
「わかっています。でも…」
「私は死なない。姉上だとしたら、きっと説得する。
 わかっているなら、さあ」
リーフ様はナンナを押しやろうとしたら、ナンナは動かなかった。彼女は耳を少し触り、何かをリーフ様の手に握らせる。
「ご無事で」
「ありがとう」
二人はそう言い交わしながら、ことさらに顔を寄せた。帰ってきたナンナの耳の片方には、耳飾りがついていない。
「よいお守りになればいいがね」
「なりますよ」
ナンナはライブの準備をしながら言った。
 竜の一団は、トラキア本城のある真南から近づいてきていた。
「どう見える?」
とリーフ様に尋ねられ、私は
「…見えます、この間と同じ光が」
見たままをそう返答する。隊伍のしんがりを進んでくる竜には、輝くばかりのお姿があった。リーフ様のお顔が険しくなられる。
「痛まれますか」
「少しね。でも、この間ほどじゃない」
リーフ様は、周りにいる魔導士や弓兵に
「距離をとって攻撃! でもしんがりの竜には手を出さないで、私が相手する!」
と指揮をくだされた。
 続々と落ちてゆく竜。やがて、城から少し離れて様子を見ていた女竜騎士がリーフ様の前で竜をおろす。
「レンスターの王子とやらか」
そう口を開く彼女が抱えているのは、紛れもなく、ゲイボルグであった。
「そうです。そして、貴女の弟でもあります。姉上」
「馬鹿をいえ。私がお前の姉であるものか。私はトラキア王女アルテナだ」
「ですが、貴女のお持ちになっているのは地槍ゲイボルグですよね」
「そうだが?」
「どなたからそれを継承されたか、ご存知ですか」
「お前にそれを話す必要もあるまい」
竜騎士の顔に、わずかに焦りが見えた。
「貴女は私と同じ父上から地槍を受け継がれたのですよ。
 レンスターの王子キュアン。それが貴女と私の父上の名です」
「まさか」
竜騎士はリーフ様の顔をじっと見た。リーフ様は、それから先、何も言葉も口にされない。
「…お前の言葉は、まことか」
「…神と、聖女ノヴァに誓って」
「…父上に、確認する。話はそれからだ、お前の命はお前に預けておこう」
竜騎士は竜にむち打った。竜は大きな羽音を立ててゆっくりと物見から浮き上がり、やがてトラキア本城の方に向かって消えて行った。


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