back

 「ほっとけ」
そういう話を一切合切打ち明けて、
「私はどうすればよいのでしょう」
とレヴィン様にお伺いを立てたら、レヴィン様は一言、それだけ言った。
「放っておけないからご相談をしたのですが…」
「いくらお前が、娘の月の障りがいつあるか把握している親だと言ってもな」
「な、何でご存知なんですか」
「ナンナから聞いた。そろそろそのことも忘れてあげたほうがいいぞ」
「はあ、努力します。
 でもレヴィン様、私には事が無事に済まないような気がしてならないのですが」
「無事で済ますかそうでないかは、それこそ、当事者が考えることだ。
 そういうことに横槍を出すとだな、いくら親でも家臣でも、馬に蹴られるぞ」
 なんてこった。私を頭を抱えることしか出来なかった。馬にも蹴られる覚悟だったのに、それすらも許されないとは。
 放っておけと言われたままに、私は当事者たちを傍観せざるを得なかった。デルムッドには、気になるようなことがあったら話に来いといってあったが、その話もないあたり、それぞれの関係はいつか私が見聞きしたままなのだろう。

 マンスターの物資はほぼ空に近かった。マンスター地方の各国にあるはずの物資を、それぞれの拠点の負担にならないように、少しずつ運ばせる。
 しかし調達できる物資には、おのずから限界があって、私達は、それを待っているしかないのだ。ゆえに拠点のマンスターからは動けずにいた。
 待つことの慣れた私にはどうという時間でもなかったが、若者はそうとは言っていられないのだろう、あちこちで、お互いを高める訓練をしていた。私はその物音を、本を顔にかぶせ、瞑目して聞いていた。
 と。
「お父様」
と声がする。
「…お父様?」
「起きているよ」
「寝息を立てていらっしゃいましたよ」
本から顔を外すと、ちょうど逆光でしか分からないが、その輪郭だけで分かる娘がいた。
「お暇ですか?」
「暇といえば暇だが?」
「今、食堂で、みんなと話していたんです。みんな、それぞれのご両親のことが聞きたいって」
「レヴィン様は?」
と尋ねると、ナンナは、
「物資を集めるためにコノートにおいでのはずですよ」
と言う。なるほど、それで私か。
「わかった、行こう」
立ち上がると、ナンナは私の手を引く。
「早く」
「おっと」
出足の一歩を乱されて、
「こら、急がせないでくれ」
とつい口に出してしまうと、ナンナは
「だって、急がないと、みんな待ってるんですから」
といとも朗らかに言う。
 その笑みが「可愛らしい」から「美しい」に変わりつつあって、年がいも無く胸を痛めた父親の心も知らず。

 ナンナにつれられてみんなが集まっているという食堂に差し掛かったとき、
「父上ぇ!」
とあわてた風情でデルムッドが駆けてくる。後ろには、シスター・ラナと、双子の剣士の一人ラクチェがいる。
「どうしたのみんな、そんな大慌てで」
とナンナが声を上げる。
「それが」
デルムッドが息を切らしながら説明しようとすると
「ナンナ、剣の練習しようよ、アレスに大分鍛えられたんでしょ?」
とその彼の口をふさぐようにラクチェが言い、
「怪我したら私がライブしてあげるから、ね」
とラナが言い、
「え、お父様の話、聞きたいんじゃなかったの?」
「私達はいいのよ、エーディンから聞かされてるもの」
裏返るような声をあげるナンナを、ほらほらと、追い立てるように行ってしまう。
「一体、何があったんだデルムッド」
私と一緒に置いてけぼりにされたデルムッドは、ついてきた二人の雰囲気におされ、私と同様に数秒間はそこに立ちっぱなしだったろうか、またにわかに目の色を変えて、
「とにかく、来て下さいよ、もう大変なんですから!」
私の手を引いた。

 食堂の入り口の前には、無名の戦士が中をのぞこうと壁になっている。私はそれをかき分けて、中に入ろうとして
「あ!」
声を上げてしまった。今しも、食堂の中では、リーフ様とアレス様が乱闘されている。喧騒にかき消されてお声は聞こえないが、何か言い争ってもおいでのようだ。
「何をなさっておられるのですかお二人と」
も。言い出しそうになったのどが、服を引かれてぐっとつまる。
「そこまで馬に蹴られたいか」
レヴィン様のお声が上のほうでして、私はそのまま、部屋の外に引きずり出された。
 「レヴィン様、ずいぶんお帰りが早かったのですね」
別室に連れ込まれて、のどが自由になった口で言うと、
「世辞はいい、どうして放っておけんのだ」
とレヴィン様が仰る。それにデルムッドが答えた。
「僕が悪いんです、僕が父上に知らせようとしたから」
レヴィン様は少しくあきれた顔をなさる。
「何だ、親子して野暮天か。
 まあいい、デルムッド、騒ぎのいきさつを教えてくれ」
「はい…」
そうしてデルムッドは、私を呼び出すに至る間での事情を話し始めた。
 きっかけは、食堂で、娘たちがそれぞれの生い立ちなどを語り合っているところから始まったらしい。ただリーンだけは、それを少し離れて、アレス様と一緒に見ていたそうだ。
「リーンは混ざらないの?」
とデルムッドが聞くと、リーンは
「私、あなたたちみたいに、すごい親持ってたわけじゃないし…」
と言ったという。
「聖戦士の血筋なんか何も持っていなくても、リーンは今のままで十分さ」
アレス様はそう仰った。
「ありがと、アレス」
「俺から離れるなよ、きっと守ってやるから」
「…うん」
その二人の睦まじい様子は、このごろは日夜リーンをお放しにならないというもっぱらの話にたがうことない様子であったという。
 そのアレス様をご覧になって、リーフ様は
「いいなぁ、アレスは。リーンといつも一緒で」
と仰ったらしい。
「ここまで呼んで来させればいいじゃないか」
「でも、あんなに楽しそうに話してるし」
ちょうどナンナはそのとき、解放軍の少女達に囲まれて、楽しそうではあるが少し困ったそうな顔をしていた。やがて、デルムッドを見て、
「お兄様、お父様を連れてきていい?」
と言ったという。
「どうして?」
「だって、みんなのご両親の話、聞かせたいけど、レヴィン様いらっしゃらないでしょう?」
「そうだっけ」
「私、連れてくる」
少女達に待っているようにいい、ナンナはその輪を抜け出していった。
「いいのか? なんだかよく知らないけど、行っちゃうぜ、ナンナ」
アレス様がそう仰ると
「だから何?」
リーフ様はあまりご機嫌のよくない声で返された。
「素直じゃないんだから。
 好きなんだろ? ひとこと言えば何でも言うこと聞くんだから、いっそ命令しちまえばいいんだ」
「僕は、命令なんかでナンナを側においときたくないんだ。
 君にはわからないと思うけれどもアレス、 僕とナンナは単純に言葉では言えない関係なんだよ。
 十何年と、一緒にいて…離れたことなんて、ほとんど無いんだ」
「十何年一緒にいて、まだ妹扱いじゃ、ほんとの兄貴に悪いぜ」
話が急に自分の方に向いてきて、デルムッドは何を返していいか正直わからなかったそうだ。
「本物の兄貴といいましてもね…この間出会ったばっかりで。
 あ、でももちろん、可愛いし、大事にしてあげたいですよ」
「だとさ」
「アレス、僕ははっきり言って貰わないと嫌なタチなんだ」
リーフ様がいよいよご機嫌を悪くされる。アレス様は、そのご様子にいささかもひるむことなく、
「じゃあ俺、今からナンナを口説き落とすって、言ってもいいか」
と、薄ら笑いで仰ったという。リーンとデルムッドが
「ええ!?」
と裏返った声を上げて、場の目が一瞬にして、その方向を向いたらしい。
「アレス、冗談が悪過ぎよ」
「心配するなよ、リーンとナンナで両手に花なんて、最高じゃないか」
 そこからの動きは、デルムッドにもうまく説明できなかった。
「リーフ様が突然アレス様に殴りかかって…もう後は何が何だか。
 僕は、父上なら止められるかもしれないと思って、父上を連れてこようとして、そしたらナンナはあの通り…」
「ナンナがどうした?」
「何だか知りませんが、ラナとラクチェに連れていかれました」
レヴィン様は「ははは」と破顔一笑されて、私に
「ほら、俺達の出る幕は無かっただろう?」
と仰る。
「…そのようですね」
私はつい憮然とした顔になる。その頃、食堂のにぎわしさが、急に落ち着いてゆく。
「どれ、見に行くか」
レヴィン様が腰を上げられた。
 一緒に食堂に入ると、リーフ様とアレス様は、同様にぽかんとしたご様子で、床に座り込んでおられた。
「うるさいじゃない!
 リーフ様、私、リーフ様がそんなに喧嘩早い方とは思いませんでしたわ!」
空の水桶が脇に転がり、今しもなみなみとしたもう一杯を、ミランダ姫が二人にかけようとされていた所だった。

 「ぷっ」
とレヴィン様がまた吹きだされる。普段は寡黙でどこにおられるのかもわからないシャナン王子も、オイフェも、事があればレヴィン様のように吹き出したいのをこらえているようだった。
 私は務めて知らぬふりをした。レヴィン様がどの筋から調達されたものか、アレンのワインの、しかも私の生まれ年のものを一本空けてくださったが、こんな雰囲気では味わう余裕もない。
 しかし、レヴィン様はどうもこらえられなくなったご様子で、とうとう声を上げて笑い始められる。私以外の笑い声が三重に聞えてくるが、私は全然笑う気になれない。
 食事の後、物資確保が完了したことを受けて、進軍の予定をレヴィン様がご説明される事になっていた。しかしレヴィン様は、何も仰らず、やおらフィドルを取り出された。軽快に弦を鳴らして、
「さあ、今から話すは嘘じゃあないよ、遠く遠く東の国に、一人の騎士様がおいでだったよ…」
と始められる。デルムッドだけは、その歌い出しを完全に記憶しているのだろう、私を振返った。話が進むにつれて、向けられてくる少女たちの視線も痛い。
 二昔前の、私の若気の至りを語り終えられて、
「昼間何かあったらしいな。当事者に言っておく。ケンカも良いが、遺恨は残すなよ」
と仰った。
 仕方ない、今は笑いものになっておくことにするか。
「…大まじめだったのですよ、私は」
それでも私はそう言った。
「わかってるさ。だから、戒めのつもりでその話しをしたんだ」
レヴィン様はやっと笑い終えられる。
「こういうのもなんだが、女性問題で軍の信頼状態がばらばらになるのはいただけないだろう。とくに、我々の頃と違って、年ごろが多い。
 一部例外もいるが」
なあ、オイフェ。レヴィン様がそう話を向けられて、オイフェは盛大にワインにむせた。
「そのうち一発殴らせろよ」
「何とでも仰ってくださいよ」
何やら二人に共通の話題を感じたが、私は気にしない事にした。そしてシャナン様は、部屋を出られるのか、私の肩をひとつぽんと叩かれて、
「昔も今も、俺は十分に楽しかったぞ」
と仰った。
 
進軍開始の期日が伝えられて、城の中もにわかに、戦に望む雰囲気になりつつある。
 そろそろ眠ろうかと思っていた頃、
「お父様、今、よろしいですか」
と、ナンナの小さな声がした。
「構わないが?」
「…失礼します」
自分の体が通るだけ開けた扉から、ナンナはするりと中に入ってくる。
「レヴィン様のお話を聞いて、どうしてもお父様とお話がしたくて、待っていたんです」
「笑っても良いんだぞ」
娘までその話を取りざたにするのかと、私はいささかならず憮然とした。
「笑うなんて、とんでもありません。
 だって、人と喧嘩までして、お母様を守りたかったのでしょう?」
「それはまあ、そうだが」
「あそこでお父様が、お母様をあきらめられてしまっていたら、お兄様も私もいなかった。そうですよね」
私はしばらく考えるふりをした。考えるまでもなく、答えは一言だ。
「…そうだが?」
その一言に安心したのか、ナンナが唇をほころばせる。
「実はレヴィン様のお話の後、リーフ様が私の所にいらして」
「リーフ様が?」
私は胸騒ぎを覚えた。そしてその胸騒ぎは、私の思った方向を示した。
「『いつでも、どんな時でも、君を守っていたいから、側にいて欲しい』
と、仰ってくださいました」
「それで、お前はどんな返答を?」
尋ねてみた。リーフ様のお言葉を、どれだけ理解しているか、私なりに彼女に確認してみたかった。ナンナはしばらく思い出すようなしぐさをしてから
「リーフ様、私を見る目が、今までと全然違っていらしたんです。
 今までは、お兄様みたいな、優しい目でいらしたのに…」
「恐かったのか?」
そう尋ねてみると、ナンナはかぶりをふる。
「全然。だって、お母様のお話をする時のお父様と、同じ目でいらしたから」
「…なるほど」
「実は、ここに来る前に、リーフ様のお部屋に伺ってきたのです。リーフ様がそうして欲しいと仰るから」
「え?」
私がつい眉根を寄せた。
「『昔みたいに、一緒に眠ろう』って仰ってくださいました」
「ちょっと待て、それは」
「いけませんか?」
今更リーフ様にそれを禁じたとしても、隠れてそうされるだけだろう。私はひとつ深呼吸して、
「リーフ様がどうしてお前にそうして欲しいか、わかってるかな?」
問うてみた。
「お父様がそのことをご存知になるなら、リーフ様を信じてくださると」
ナンナはどこまでも無邪気だった。リーフ様が私にそのことを教えろと彼女に言ったのは、私が許すまで彼女を清いままにしてくださるというおつもりか。私には面と向かって仰りにくかったのだろう。
「私はリーフ様を信じていると、そう返答しなさい」
「はい」
ナンナはそううなずいてから、私のすぐ隣に座った。
「私、お父様の娘で本当によかった」
彼女はそう言い、何やら香りのよいものが、私の頬に一触れした。


next
home