戦いを重ね、強くなった戦士たちに、レイドリックに再び命をあたえ操る暗黒司祭など、物の数ではなかった。
マンスターの城は、暗黒教団の魔力から解き放たれた。
サイアスが主導して、浄化の儀式が行われると、よどんだ部屋に新しい空気が吹き込まれるように、マンスターの城に差し込む光さえが、新しいものに思える。
そしてサイアスは、ブラギの塔へと、長い巡礼の旅に出るという。
「道中の無事を祈ります」
とリーフ様が仰ると、
「有り難うございます。
私も、行く先々で、皆様の無事を祈りつつ行きたいと思います」
そして、フィアナから始まったマンスター解放軍も、解散の時を迎えていた。
三々五々と、別れてゆく戦士たち。
「ご武運をお祈りいたします」
「元気でな、王子」
コノートの陥落も、相前後してその報告が届いていた。フリージ王国は、事実上の壊滅を見たのだ。彼らが、帝国の目を恐れて、忍び歩くことなど、もう必要ない。
最後に、セイラムとサラが残った。
「二人は、どうするの?」
「私、帰るところがないの」
サラは あまり困っていないようだったが、セイラムは
「サラ様の仰る通りで… 私一人ならばなんとでもなりましょうが、サラ様は」
と言う。
「ねえリーフ様、私、一緒にいちゃだめ?」
「いいの?」
「うん。人がいっぱいいるの、楽しいから。
セイラムは?」
とサラが尋ねる。セイラムは
「一度暗黒教団に身を染めた者を、容れがたい所はたくさんありましょう、迷いの森にて、サラ様をお見守りいたします」
セイラムはそういって、きびすを返した。
「本当はね、まだ、声が聞こえるの」
セイラムの背中を見送りながら、サラがこぼすようにいった。
「助けて…って」
マンスターを超えればミーズ、そこから先は、トラキア王国だ。
しかし、トラキア王国は、帝国本領との緩衝となっていたフリージ王国が壊滅したことを受けて、その警戒度を増してきた。ミーズとマンスターの境は、厳重に警戒されている。グレイドたちがしてきたように、傭兵団として隠れることは、もはや無理だろう。
ハンニバル将軍の個人的な感慨より、トラキア王国の国体が危機にさらされていることの方が、将軍にとってはもはや優先すべき事項になっている事は、十分に考えられる。
「そうか… そんなことがあったのですね」
セリス様は、我々がたどってきたミーズ周辺の情勢をお聞きになって、一言そう返された。
「では、今はそのハンニバル将軍を、頼ることは出来ませんね」
「まだハンニバル将軍が、ご自分の気概にもとらぬ所をもっておられるならば、あるいは」
「でも、ご自身も『トラキアの盾』とたたえられるトラキアの名将、トラキアへの忠義を侮ることは出来ません」
「仰る通りです」
「リーフは、この状況について何と言ってますか?」
そうセリス様に尋ねられて、
「マンスターを制圧した今の勢いをそのままにミーズまで、と仰っていますが」
そう返答する。
「トラキア王国に対しての温度差は、人によってどうしようもありませんね。
リーフは、ご両親をトラキアに討たれてしまっている」
「はい…」
「リーフの思うことも尤もです。
僕はリーフと同じ思いを、帝国に対して持っています。帝国以外に敵はいない。
出来れば、戦わずに通過したい。この国の国民は、帝国のあしらい以前に、厳しい地理条件の中、それでも毎日を必死に生きている」
「トラキアとの融和が出来ればよいのですが」
私がそう言うと、セリス様はすこしく笑いを含まれた声で
「それは無理だと、僕はレヴィンに怒られましたよ」
と仰った。
「トラキアは、ほぼ隷属的な待遇とはいえ、帝国の唯一の同盟国です。
暗黒教団がグランベルの中央深くまで染み込んで、子供狩りが各地を脅かしている。
トラキアも、その子供狩りの憂き目に遭っているのは他国と同様なのですが、目下打破しなければならない敵であるのは同じこと。
そして僕しか、この状況を打破出来るのはいないと、彼は言いました」
セリス様の母親になるディアドラ様が、グランベル王族に連なる、究極の光魔法ナーガの継承者だと分かり、時のヴェルトマー公爵アルヴィス卿との縁組をもって、帝国は創建されたと、噂には聞いていた。お子様もあげられたが、宮殿内で起こったある事件に巻き込まれ亡くなった、とも。
つまり、セリス様は、ディアドラ様からの血筋をたどれば、レンスター付近で怪しげに現れ、そして消えていった皇子ユリウスの異父兄弟になる。しかし、セリス様のこれまでは決して皇位の継承権について優先を叫ぶためではなく、父上になるシグルド様から継承されたはずの聖剣ティルフィングと、ナーガを扱う聖者ヘイムの血筋という二重の光によって、暗黒教団の闇を払拭するためであるのだ。
何故、ディアドラ様がそんな目に遭われなくてはならなかったのか、神ならぬ私には分かる由もない。
「リーフも分かっていると思います。
英雄は、必ずしも自分から思い立ってなるものではなく、不特定多数の誰かが望んで押し立てる部分があることを」
セリス様はそう仰って、長くため息をつかれた。
そんな話をして、天幕を出てくると、リーン一人の背中が見えた。いつも不即不離にアレス様がおられるはずが、ついいぶかしく思って
「今は一人なのかな?」
と声をかけてしまった。リーンは私を振り返って、
「やだ、なんか、女の子誘ってるみたいですよ、それ」
と笑った。
「いや、君にはアレス様がいつもついておられるのに、今日ばかりはと思って」
「アレスなら、そこにいますよ、ほら」
とリーンが指を差す先には、アレス様がちょうどナンナに剣の稽古をつけられているらしい所だった。
「あれは、ナンナ、か」
「はい。この間、親戚って事が分かってから、アレスはああやって、何かとナンナやデルムッドに剣を教えているんですよ。
血のつながりがあるのが、よほど嬉しかったみたいです」
「それで君はここで取り残されて?」
つい私が尋ねてしまうと、
「私は剣はほとんど使えませんから。上達しない人相手に教えても、アレスだってやりがいがないと思います」
リーンはそう言って少し笑った。
「ナンナ、だいぶ強くなりましたよ」
そうとも言った。
「すまないリーン、娘を鍛えなかったのは私の責任だ。今になってアレス様の手をわずらわせるとは…」
「そんなこと、ありませんよ。
だって、ナンナはまだ十五才なんですよ、強くなるなら、これからです。
でも、あなたは、強くなるより、かわいらしくて優しいナンナであるように育てて来られたのでしょう?」
わかりますよ、それぐらい。リーンは言ってうふふ、と笑った。
「それに私、独りぼっちじゃないです。アレスがいるから」
「なるほど」
私はリーンのとなりに座り込んで、二人の稽古を見ていることにした。
リーンが言う。
「アレスがあんなに楽しそうな顔をしたの、見た事がなくて、すこしほっとしてます。
前は、もっと厳しくて、怒ってるようだったから」
「やはり、魔剣やご両親の関係で?」
「かもしれません。セリス様のお父様を探して仇を討つってことに、こりかたまってて」
アレス様は、魔剣が抱え込んでいたあらゆる怨嗟を自らの力で浄化されたのか。
「今は、リーフ様の方が、昔のアレスに似た顔をされているような気がします」
「リーフ様が?」
「ご両親はトラキアのせいで亡くなったって、聞いてますよ。いよいよ親の仇のいる国に入るんですもの、緊張しないほうがおかしいですよ」
「君は、人の様子を見るのが上手なのだね」
「踊り子ですから。踊りながら、人の目を見て、ああ、あの人、私の踊りを見ているけど、別な事を考えてるなって」
リーンは言って、「あと…」と言いよどんだ。
「どうした?」
「ええ、私は別に、アレスがナンナを可愛がるのは、妹扱いだって分かっているからいいのですけど…」
「二人が、どうかしたかな」
私の奥底の古傷が、ずき、と痛む。
いつか、ヒルダに聞かされた話が頭によみがえってきて、私は、どうか、その話しの続きでなければいいと思った。
「アレスは自分のお父様そっくりで、ナンナはお母様にそっくりだって、言うじゃないですか。そして、お二人はとても仲がよくて…
それで、いとこ同士でしょう? あんなにそっくりに生まれてきたのは、自分たちでかなえられなかったことを、子供の代で成就させたかった、親の強い思いが残っていたからじゃないか…って、そんな話を、聞いたんです、この間」
やんぬるかな、私の想像は、予想の域を出ることは出来なかった。つい頭を抱える私に、リーンの声がかかる。
「私、そんなこと、絶対ないと思いますよ。
だって、アレスは私の事をとても大切にしてくれるし、ナンナも、どんなにあなたが大切にしてこられたか、レンスターで十分わかってますもの」
しかし、世間はそう見ないのだ。
わからない。私の存在を無視して、どうして醜聞は広がってゆくのか。いや、私はどうでもいいのだ。グラーニェ様が浮かばれぬ。王女がお話してくださったように、喜びのうちにあげられたお子様が、何故今私の娘との醜聞に取りざたされねばならないのだ。
「私がふがいないばかりに、君にまで嫌な思いをさせてしまっているようだね」
「ちがいます。
かわいそうなのはナンナです。折角この解放軍のためになりたくているのに、そんな噂を立てられて…」
「…」
「お父様なら、ナンナを守って差し上げてください。
本当のことを知っているんですから」
「そうだな…ありがとう」
「あと、リーフ様のこと」
「うん?」
「この頃、あまりお話でないみたいだから、お話を聞いてあげてください」
「そうだな、そうしよう」
どうやら、私のリーフ様の扶育の使命は終わっていないようだ。よりによって、私の一番疎い方向に。
稽古が終わったのか、ナンナの声がする。
「お父様ぁ」
「叔父貴ぃ」
しかし、アレス様に呼びかけられて、私は踏み出そうとした足がもつれた。
「だから言ったでしょアレス、いきなりそんな風に呼んだらびっくりするって」
「いや、おば上の旦那だから叔父だろ、でも、デルムッドとのつきあいからして、叔父上って呼ぶのもどうも今更過ぎて」
「もう、本当に突然な人なんだから」
「まあいいや。
叔父貴、ナンナを勝手に鍛えてすまん。でも、だいぶ強くなったぜ」
「あ、有り難うございます。ナンナ、よくお礼を言っておきなさい」
「はい」
「私はリーフ様の所に行ってくるから、あまり、二人の迷惑にならないように」
「? はい」
リーンにリーフ様の事を取りざたにされて、私は、リーフ様がマスターナイト叙勲の時に仰っていた言葉を思い出していた。
そして、今出来してきた昔の醜聞。それを丸く収める方法、それはすなわち、ナンナをリーフ様にお勧めして、ヘズルの血脈に関する因果を絶ちきる事しかないだろう。
しかし、「お勧めする」という事が、私にはどうしても出来なかった。それは私の勝手であって、彼女の意思ではない。リーフ様がお望みなのは、重々知っている。問題は、ナンナに、どうやって自分から首を振らせるかということだ。
リーフ様は、一人で何かのご教練をされていたのを、ちょうど終えられたところだった。
「久しぶりだな、お前の顔を見るのも」
リーフ様はそう何気なく仰って、汗を取ったお体の上に軽く服を羽織られる。
「は、長くお目通りがなかったのは、どうかお赦しください」
「気にしていないよ、だって、どうやってこの先に進軍していくか、お前は毎日誰かと膝付き合わせているんだから」
「お言葉痛み入ります。
ときにリーフ様」
私は改まって、切り出してみた。トラキアに足を踏み入れるという、その事実について。
「我々は、これからトラキアに入ります。相手をするのは、フリージ軍の要請を受けて援軍としてやってきたほんの少しの竜騎士隊ではありません、もっと過酷な訓練を受けた、熟練した竜騎士隊です。
ディーンを、覚えておいでですよね」
「覚えてるよ」
「彼は原隊に復帰しました、すなわち、アリオーン王子の直属です」
「…アリオーン王子は、決して悪い人ではないと思うよ。だって、リノアンとターラをとても大切にしてくれたじゃないか」
「そうですね。
ですが、トラキアには、国王トラバントがいまだ絶大な権力を誇っています。そのことをお忘れなく」
「それも覚えてるよ。
忘れてないよ。
彼が父上と母上を殺したって、お前が教えてくれたじゃないか」
「その通りです。
ですがリーフ様、これまでの解放軍の歩みの中で、多くのトラキアびとを見たことでしょう」
「うん」
「どうかお忘れなく。憎むべきは犯した罪です」
「…わかった」
リーフ様は、私の言葉に真剣な顔で応えられた。そして
「ちょうどいい。お前に相談したいことがひとつあった」
と仰った。
「何でしょう、私でよいならば」
「ナンナはいったい、どうしてしまったと思う?」
「ナンナ、ですか」
「そう」
リーフ様が、長くため息をつかれた。
「僕とナンナは本当に、ずっと一緒にいて、十年以上も離れることもなかった。
でも今になって、アレスが出てきて、親戚と分かった途端に、何かといえばアレスがナンナを連れていってしまう。ナンナも、それを拒まない。
僕って、彼女にとっての何だったの?」
「確としたお答えが私に出来れば、リーフ様をこうも煩わせることもないのですが…」
「でもさぁ、彼女がそうやって分からなくなってゆくたびに、なんだろう、胸が痛いんだよ」
「左様ですか…」
ちょうど、リーフ様は、私がマディノにあって、王女との関係に悩んでいる、その年ごろに指しかかっておられる。この苦しみは、ふとあるきっかけをつかみさえすれば、難なく抜け出せるのだが、そのきっかけの見つけ方を、私から教えて差し上げるのは、きっとレヴィンさまがご存知になったら「余計なお世話」と仰るだろう。
「娘はまだ、子供ですから」
「そうかな。今のナンナ、すごい綺麗だよ。親なのに分からない?」
「いえ、わからないというわけでは」
私がつい、どう答えていいものかわからずにいると、
「まあ、見ててよ。ナンナを見ていた年月だけは、お前以外のだれにも負けるつもりはないからね」
リーフ様は私をみて、唇を持ち上げてお笑いになった。
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