はたして。
魔法騎士団のあとを、単身やってくる『雷神』イシュタルは、二十歳にやや欠けるというその年に似合わず、影をその身に含んだ妖艶な美貌の王女だった。魔術の道にはまったく疎い私にも、その身の回りに取り付く魔力が青白い火花を散らす様が、焼き付くように、目に映る。
「なるほど、確かに別嬪だ。
だが、リーンには負けるな」
アレス様が、唇の片方を少し持ち上げられて、笑うように仰った。
足下の屍など、ものともしない。おそらくイシュタルは、地を踏んで歩いてはいないのだろう。銀色の髪の、金色の瞳の、麗しい「雷神」は、
「誰がそこにいようとも、私の進路を阻むことは出来ません。
死にたくなければ、私をアルスターに通しなさい」
「そんなこと、出来ない!」
ミランダ姫が声を上げられた。
「もうアルスターは帝国の支配から抜け出したの! もう、だれにも渡さない!
イシュタル、あなたでも!」
ミランダ姫が魔導書を構えられる。イシュタルはそれを見ているのか、見ていないのか、大様に構えている。
<トード、偉大なる我らが始祖、嘉したまえ、今新しく、御身天より賜り給うた雷の業をなす我に、祝福と、力を>
諸手をさし伸す、その前に、一抱えはあろうかという書物が現れる。
「容赦ねぇな…ご神器の全力詠唱でこの辺、一本の草も残さず吹き飛ばす気かよ」
アーサーが唸る。しかし我々のことなど全く意に介さないように、イシュタルは詠唱を続ける。
<阿鼻叫喚の嵐と共に、怒り来れ雷帝… 御身に親しむあらゆる雷を集め、御身が御名を冠した鉄槌となし、御身が御名の元に我振りおろさん…>
浮いた書物が開き、魔力がその前に集中する。青白い雷の塊を、イシュタルは手に取り、たかだかと掲げた。
<中空に荒ぶるあらゆる雷よ、雷帝の御名の元に我に従え!>
「完成した、来るぞ!」
アーサーが声をあげる。
しかし。玲瓏な声で編み上げられた『トールハンマー』をくり出そうと挙げたその腕は、その背後より突然あらわれた誰かの手に掴まれた。青白い光は、それだけで、何もなかったかのように消し飛ぶ。
イシュタルの集めた黒雲と同化していたように、その腕が現れ、顔が現れ、手は、イシュタルの腰の線を、まるで愛撫でもするようになでた。
「フリージなど、さっさとこの者たちにやってしまえばいい。
それよりイシュタル、帰ってくるんだ」
「あ」
雷神は暗い朧のなかからあらわれた声の主人の方を見て、顔に朱をはしらせた。
「はい。仰せのままに。ユリウスさま」
ユリウスと呼ばれたその、まだ少年といっていい姿は、炎の色の髪を揺らして、あざ笑うかのように我々を一瞥した。そして、パチン、と指をならす。イシュタルは、雷神の顔をどこかに投げ捨てて、今はただ、愁いをにじませた顔を、ユリウスの胸に寄せているだけだ。
程なくして現れたワープの魔法陣。二人の消えた後も、まだその名残がくすぶるように残っている。
「…あんな気味悪いやつらと、同じ血が流れてるなんて、考えるだけでぞっとする」
馬を並べていたアーサーが、手綱を握りしめながら、奥歯を噛み締めたような声で言った。
三度のレンスターの危機は、思いもよらない闖入者によって、あっけなく去った。
しかし私達は、それぞれの座を温めることも許されない。
マンスターへの障害は、何も無くなっていた。短い時間の間にアレンで補給を済ませ、出発しなければならない。
確かアレンの館で、ナンナがリーンの様子を見ていたはずだ、彼女たちにも出発が近づいていることを教えねばなるまい。
アレス王子をお連れして、館に入る。デルムッドは、かつての従者ブランやシュコランのように、もう何も言わないでも私の後をついてくる。一族には、私がアルスター近辺で取り立てた新しい従者だと思っていた者がいたほどだ。
「お帰りなさいお父様、お兄様」
と、ナンナはかわいらしい姿で出迎えてくれる。
「アレス様もご無事で何よりでした、リーンのところにご案内いたしますね」
先に立つナンナを見て、アレス王子は
「いつもこうやって可愛くさせてればいいのに」
と仰る。
「そうさせたいのは山々なのですが、彼女も戦場に出れば立派な戦力ですから」
「俺だったら、こんなに可愛い子、戦場なんかに出したくないな」
「リーンに聞こえますよ」
「かまわんさ」
そういいながら、リーンの部屋の前に出る。
「私達はここで待っていますので」
と言うと、
「悪いな」
と仰って、アレス王子は中に入っていかれた。
「調子はいいのか、リーン?」
「もう、だいぶいいよ。少し、寂しかったけどね」
「その分の埋め合わせは後でいくらでもするさ。
それでな、リーン」
「うん」
「マンスター方面に出撃らしい。ここから遠くなる。お前、どうする?」
「いくよ。アレスと一緒なら大丈夫。
…ねぇ、アレス」
「なんだ?」
「この間のセリス様との話…何か答え出た?」
「セリスが悪気の無い奴だということはわかってきた。ただ、昔のことは…わからない」
「アレスはそういうけれどもさ、騎士って、格好はいいけど、結局人を傷つけるのが仕事じゃない。
そういう世界でさ、たまたま立つ場所が違っただけなのよ、本当のところはきっと。
逆恨みにまですることじゃないと思うな」
リーンの言葉に、私はひらめくものを感じた。
「ナンナ」
「はい」
「例のものを持ってきなさい、今ならご説明出来そうだ」
「はい!」
「例のもの?」
デルムッドが首を傾げる。
「まあ、見ていなさい」
しばらくして、ナンナが持ってきたものを確認して、
「私だけではリーンが怖がろうから、二人も来なさい」
そう言って、ナンナから部屋に入ってくる。
「あ」
リーンは私の顔をみて、少し動揺したようだ。しかし、
「リーン、大丈夫だ、この御仁がブラムセルみたいな奴じゃないことは、俺が保証する」
というアレス様のお言葉に、少し安心したようだった。
「ゆっくり休めたかな」
と私は静かに問うた。
「はい… ナンナが、とても親身にしてくれて…」
「それは何よりだ。よければ、そのまま友達付き合いでもして欲しい。ナンナは気後れしがちの子なのでね」
さて。私はアレス王子に向き直る。
「お話が漏れ聞こえてしまったところで、王子にお渡ししなければならないものがあることを思い出しました」
「王子はやめてくれって、前に言わなかったっけ、俺」
「今の間はこうお呼び申し上げます。
これをお収めください」
私は、二つの封筒を、アレス王子の前に出した。
「これで、王子の溜飲はことごとく下がられましょう」
私達は、王子が二つの手紙を読み終えるのを、じっと待った。
「そうか…やっぱり」
王子は、座られていた椅子で、ゆっくりと脱力される。
「そうだよな、セリスの性格じゃ、陰謀なんて組めるはず無いもんなぁ」
と笑いさえなさる。
「何? アレス、どういうこと?」
とてリーンが首を傾げると、
「リーン、お前が言った通りだった。全部俺の思い過ごしだ」
「そうなんだ、よかったね」
リーンが花開くように笑んで、私の顔もつい緩む。
「ご理解をいただけて、私も肩の荷が下りました」
「でも、何であんたが、親父の手紙なんか持ってるんだ?」
「本来、王子にこれをしかるべく渡されるはずの方が、私に預けられていたからですよ」
「あの人のことか」
「あの人だよね、きっと」
二人がそううなずきあうので、今度は私の方がいぶかしむ番だった。
「あの人、とは」
「アレスが昔会ったことがあるって人と、私も会っているんです」
リーンがそう言う。
「ナンナにそっくりで、でも、…ナンナより、ずっと大人っぽい人で」
「リーン、その人の、俺しか知らない話教えてやろうか」
「何?」
「その人、親父の妹なんだ」
「嘘!?」
「本当さ、こっちの手紙に書いてあるし、俺は本人からそう聞いたし」
「…それじゃあ、アレス様が知ってる、ナンナにそっくりの獅子王の妹って…」
「お母様?」
「そういうことになりそうだな」
「僕達、アレス様の従兄弟になるんですか!?」
デルムッドが裏返った声を上げる。
「そういうことだ、俺もまだ、半分ぐらい信じられないけどな」
「よかったね、アレス、家族がいっぱいだね」
リーンがしんみりと言った。しかしアレス王子は、
「お前も家族とおんなじだよ」
と仰る。
「いつか、ほんとの家族になろうな」
「…うん」
「わ」
デルムッドが声を上げる。
「しばらく、二人にしてあげたほうがいいね」
「そうですね」
「父上」
「お父様」
「ああ、そうだな」
私達はそっと部屋を出た。
しかし、溜飲が下がらないのは今度は私の番だった。一体、アレス王子は、ダーナの街で、王女とどう出会われて、一体何をお話されたのか。もしかしたら、王女の行方にかかわる、何か手がかりをおもちでは無いだろうか。
そう思うと、何だか、心が騒ぐ。
一つ、朗報を知らせておかねばならない。
リーフ様は、セリス様の解放軍の中でその腕を磨かれ、その場の満座のご推薦を受けて、マスターナイトとなられた。
その儀式をごらんになれなかった、多くの方々の面影が浮き沈みして、私は涙を止めることができなかった。リーフ様は立派に成長され、そしてレンスターはしかるべき方の手に戻られた。
この儀式は、私の使命がそこで完遂されたという、その証明でもあった。
「我が主はレンスター。我はわが主君に忠実なる者なり。主君には名誉を、貴婦人には敬愛を捧げん。
弱き者は守り、邪なる者は許さず、常にその心・技・体を保ち、徳を求めてやまぬ、神よ願わくば、この志を嘉したまえ」
儀式の時には、神妙に宣誓をされたリーフ様は、
「これで、僕の守りたいものが、全部守れればいいんだけどな」
とつぶやかれた。
「ご心配には及びませんよ、マスターナイトは、それが出来うるものにこそ、許される称号なのですから」
「プリンセスは、そうしておられたと思うか?」
「あの方の手の差し伸べ得る範囲は、そうであったと思います。
あの方が守りたかったのは、まずご自身と、そして亡き祖国ノディオンと獅子王陛下の名誉、そして、子供たち」
「何よりお前、だな」
リーフ様は短く笑われた。
「お恥ずかしい話です」
「いや、恥ずかしいなんてこと無いよ、お前たち二人は、僕の目標だから」
「目標、ですか」
「そうだよ。マスターナイトの力が、僕にどれだけ備わっているか、僕はそれを、しばらく確かめたいと思う。
それで、もし、僕の求めていたものが手に入ったとしたら」
「はい」
「ナンナに、求婚していいかな」
私の周りの空気が、ぴしっと固まった。
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