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 ナンナは、もう起き上がっていて、その隣にはデルムッドさえいた。
「どうした二人とも」
と私が怪訝な声を上げてしまうのを、
「それがおかしいんですよ」
と言った。
「ダーナ攻略している間に、武器の交換しようと思ってここまで退ってきたら、急に手が言うことを聞かなくなって」
「大丈夫か」
と、私はデルムッドの腕を見る。聖痕に触れようとすると
「あちっ」
と彼は声を上げた。
「痛むのか」
「痛いのか、熱いのか、もう何がなんだか。そうしている間に、けが人を治療していたナンナが倒れたって言うから」
「ナンナ、では君は背中が」
と尋ねると、ナンナは声をあげずにうなずいた。彼女は、王女と同じように、背中に聖痕があったはずだった。
 根拠など何もないが、アレス王子…そう周りには知らせてはいないが…がこの陣の中、いや、陣の中でなくても至近距離にあることが原因としか思えなかった。
「今は二人とも、痛みはどうだね」
と尋ねると、二人とも、強く触れさえしなければ異常はないという。
「そうか、災難だったな」
と言うと、
「お父様、二人ほとんど同時なんて、おかしすぎます」
とナンナが言った。
「私達に、何か、あったのですか」
しかし私は
「私が聞きたいぐらいだ」
今ははぐらかすことしか出来なかった。
「あまり続くようなら、何か考えなければならないのだろうが…
 今は休んでおきなさい」

 「それは聖痕の共鳴だな」
「共鳴?」
レヴィン様のお言葉を、私はほとんど鸚鵡返しにしていた。
「簡単に言えば、聖痕のあるもの同士が集まるとおこる。極端な話、正当な継承者が発する何かに、同じ血統が圧倒されると起こる。
 アレスの従弟妹になるんだ、あの二人がそうなったところで、それが当たり前の反応だな」
「いつもいつも起こるものなのですか」
「そのうち慣れるよ。共鳴は、言ってみれば、散逸した血が集まっている証拠だからな」
おそらくご自身も経験者なのだろう、そうレヴィン様は仰って、
「セリスたちの様子を見てくるか」
と立ち上がられた。
「今頃流血の惨事になっていなければいいんだが」
「そんな怖いことを仰らないでください」
「いや、わからんぞ」
レヴィン様がおどけたところの全くない顔で仰る。
「アレスの魔剣からは、恨みに近い強い感情が感じられる。セリスも、死んだら困る人間だというには代わらないのだからな」
「…ごもっともです」
「ならば急ごう」

 「わかった、その話はしばらく預けてやる!」
セリス様の天幕から、そんな声が聞こえた。
「だが、お前が俺の仇であることは変わらない、ダーナの街からあのブラムセルを追い出すまではここにいてやる! それからは知らんぞ!」
「ありがとう。でも、僕は、それぐらいの時間があれば、僕達はわかりかえると思うんだけど」
「うるさい」
セリス様のそんなお言葉を背にされて、アレス王子は足音荒く天幕を出て行かれる。私たちが近づいていたのがお分かりになったのだろう、私を、氷のような目でご覧になって、かがり火で薄明るい陣の中に消えて行かれた。
 中では、長く気を張っていたものか、机に突っ伏したオイフェを逆にセリス様が
「ね、大丈夫だったでしょう? だから、安心してよ」
となだめておられる。
「またオイフェを困らせたか」
とレヴィン様が仰る。
「オイフェの胃袋の穴はこれで何個目だ?」
そんな混ぜ返しをされて
「僕は全然困らせてないよ。アレスがこの軍で一緒に戦ってくれたら嬉しいって、そういっただけなんだけど」
「すぐには承諾しなかったろう」
「うん…僕をね、父上の仇だって。もう両方の父上もなくなっているのにね」
「いつつかみ合いのけんかになるか、私は気が気ではありませんでしたよ」
オイフェがすっかり疲れ果てた声で言った。
「でも僕は、とてもそんなことが、二人の間にあったとはおもえない。
 そうだよね、リーフ?」
「はい、僕たち三人の父上は、大の親友同志だったと、僕もよく聞かされてきました。
 あのにアレス王子だけあのような思い込みをしているのは…少し、おかしい気がします」
「うむ…」
レヴィン様は少し考えられた。そして、私に尋ねられる。
「アレスはレンスターに疎開させていたはずだな、何かあったのか?」
「はぁ」
私はレンスターでのアレス王子のことを説明することになった。
「ご実家が、グラーニェ様が返されてきたのはシグルド様の陰謀ではないかと」
「陰謀?」
場にいた全員が裏返った声を上げた。
「根拠は全くありません。せめて妻子はとのお計らいを、ご実家で曲解されたのですよ」
「どんな親だ、一体」
「それだけ、ご一族から王妃が出たということが誇りであり、よりどころであったかと言うことです」
「じゃあアレスは、父上を仇だと教えられ続けて、父上がいなくなったら、僕を仇に思えって、そういわれて育ったんだ。
 そういうの、なんだか、悲しいね」
セリス様がしんみりと仰る。
「私がレンスターにいる間に、引き取ることも不可能ではなかったのですが、まるでいき違うように行方不明になられて」
場がしん、と静まった。
「どうやって、アレスの曲解を矯正するか、だな」
私はそこで、あれを思い出していた。王女から預かったあの手紙。しかし今のアレス王子にそれをお見せして、果たしてそれを信用して下さるかどうか。
「王子も、お見受けした限りでは、丸っきりの子供と言うわけでもないでしょう。セリス様の誠意と時間が、ゆっくりではありましょうがわだかまりをとくなによりの手段かと」
そういうと、
「そうだね、僕達はまだ知り合ったばっかりだ。わかってもらう時間は一杯あるよね」
セリス様はそう仰って
「わかった。その話は一旦終わりにしよう、
 休養が取れたらダーナの街を攻略するよ。聖地をあんな奴の好きにさせて置けないからね」
と、場の解散を告げられた。
 娘達のいる天幕からナンナを呼び出した私は、いつか預けた包みの内容のことを、アレス王子のご素性から説明した。
「では、あの中には、獅子王様からアレス様へのお手紙が入っているのですね?」
「そうだ、本当なら、母上がじかにお渡ししたかったはずなのだろうが、万一を思って私に預けておられたのだ」
「それなら何故、お父様から直接お渡しにならないのです? 血のつながりはなくても、お父様はアレス様の叔父様ですよ」
「王子と言うことは説明していないのだよ、主だった方々以外には。それに、ご本人のお心がまだ、迷っておられるように見える。
 私がそのときと思ったら、私にそれを戻してほしい」
「わかりました…
 …あの」
「何だ?」
「この間、アレス様が、ライブの途中で倒れた私を心配されてたらしくて、お言葉をかけてくださって…」
「なるほど、ちゃんと返答は出来たかね?」
「…自信はありませんが」
「わかった、後で私からもお礼しておこう
 もう休みなさい」
「はい」
 ナンナが入っていったのを見届けて、何事か誉めそやすようなささやきが天幕から漏れてくるのを聞き流しながら当てられた天幕に戻ろうとすると、アレス王子が立っておられた。
「あの子、お前の娘だったのか」
「はい、先日はお言葉をいただいたそうで…光栄なことです」
「…お前は、俺が誰かを知っているんだな」
「はい」
「俺の信じていたことは、嘘か? 本当か?」
「私はそのころ、ただの騎士でありました。雲の上のことなど、知る術もなく。
 何より、真実をお伝えされたいはずの方がここにはおられませんゆえに」
「上手くはぐらかすな」
「ご自身の目と耳で確認していただきたいからですよ」
「なるほど」
アレス様は軽く笑って、少し顔を上げて、夜空を仰がれた。
「あの娘…気になるんだ。 まだガキで、魔剣も抜けなかったころ。あの娘に似ている人に、俺は出会ってる」
「え?」
今度は、私が怪訝な声を上げる番だった。しかし、アレス様はそれ以上はお話にならず、
「明日は、とうとうブラムセルの野郎と戦えるのか?
と尋ねられる。
「おそらくは」
夜明けの出陣が決まっていた。
「俺は、本当なら今からでも、行ってアイツの首を掻っ切ってやりたい。俺がこうしている間にも…」
砂漠の夜の風が、すうっと吹いた。アレス様はその風の行く方向を見やられるようにされながら、
「あの剣は、王の振る剣だと、あの人は言った。守りたいもののために抜けといった。
 だから俺は、明日、守りたいもののためにあの剣を抜く」
アレス様に対して、こんなご助言ができるのは、あの方しかおられまい。私は天の配剤に驚くよりなかった。まさか王女が、アレス様と出会っていたとは。
「では、私からも、明日のために一言申し上げておきましょう。
『守りたいもののために生きろ』
いたずらに切り込むのは、蛮勇と申しますよ」
「それは頭の片隅にでも、入れておくか」
アレス様は、ひとつ、年相応のお顔で笑まれて、ご自分の天幕に戻って行かれた。
 そして、翌日のダーナ攻略戦。
 領主館が制圧されると同時に中に飛び込まれたアレス様は、ご自分のローブに、華奢な手足の娘をひとり、宝物のように包んででてこられた。
「遅くなって、ごめんな… こんなことになってしまって」
というアレス様に、娘はかぶりを振る。
「いいの、私の体なんて、どうでもいいの。アレスが私を迎えに来てくれた、それだけで嬉しい…」

 踊り子という、アレス王子が助け出したその娘は、そのまま王子がひとつ天幕の中にいれ、治療を受けさせた後は、お手ずから、横のものを縦にもさせないご様子らしい。
「ブラムセルと…やり合ったらしくてな」
レヴィン様がそう仰るその本当のところは、私にも推し量れた。
「体の傷はじきに癒えるだろう。しかし、心の傷はなかなか癒えない。しばらく、アレスのしたいようにさせてやってくれ。
 まんざら、真っ赤な他人でもないようだし」
「わかりました」
私はそううなずいた。王子が生きておられたい理由が、何よりあの踊り子にあるのなら、私は王子のお振る舞いに何も申しあげることはない。もし、僭越ながら王子の立場に私があって、踊り子の立場に王女がおられたなら、私だって同じことをしただろう。
「なんだ、あの娘はアレス王子と知りあいなのか」
とリーフ様が仰る。ちょうど、セリス様やリーフ様と一緒に、次のアルスター攻略に向けて、近辺の地図を広げていたところであった。
「そのようです。顔見知りでおられたようなので、王子としても淫蕩な領主の下に囲われているのを、見捨てて置けなかったのでしょう」
「ただの知りあいのはずなのに、助けた後は水入らずなのか…」
うらやましいな。リーフ様ははっきりと、そうつぶやかれた。
「仕方ないよ、リーンは今、アレス以外の男が怖いって言っているんだから」
セリス様はそう鷹揚におっしゃる。
「結婚もしてない男女が一つ屋根の下は規律が乱れるもとになりませんか?」
「僕はそうは思わないな」
セリス様が軍勢の駒をそろえつつ仰る。
「儀式なんてね、ああいう二人には、後からついてくるような、付け足しみたいなものだよ」
「そう仰るなら、僕だって…」
リーフ様はそう言葉にされかけたのを、私の顔を見て、明らかに空気と一緒に飲み込まれた。
「ん? 誰か一緒にいたい人でもいるの? レヴィンと話して、おかまいなしなようならそうしてあげるよ」
セリス様が仰るのに、リーフ様は私の顔色を窺うようにして
「いや、やっぱり、いいです」
そう仰る。
「いいんだ?」
「はい」
「…変なの」
セリス様は少し首を傾げられてから、アルスター近辺の兵の配置について、私に何くれと確認をとられる。そのついでなのか、私の方にやや寄られて、
「リーフの意中の人って、誰なの? 僕にいえない人?」
「…さぁ」
私はそれより、リーフ様が私の顔色をことさらに気になさるほうが不思議だった。
「僕はてっきり、あなたと一緒についてきた、あの羽飾りの可愛い…」
「わあああああっ」
リーフ様が大声をあげられる。軍議が始まろうというので、ばらばらと集っていた一同は、その剣幕にざっと後ずさったほどだった。
「そ、それは、僕の問題ですから!
 お前も言うな、いいな!」
「は、はい」
「さあ、始めましょう。早くアルスターを落ち着かせないと、僕は胸を張って仲間のところに帰れないんですから」
 私は別に、リーフ様が娘をお気にかけてくださる分には、何も問題ないと思っている。私の知らないところで深く因果でも含められたのか、今に至るまで、リーフ様なり娘からなり、事実の報告は受けていない。
 とにかく、リーフ様が、後々の事まで考えてどなたかを迎えねばならないという自覚をお持ちなら、私は家臣として何も申し上げることはない。ただ、そのお相手が娘だったらということを考えると、彼女で本当によいのだろうかという、一抹の不安がないでもない。
 惜しいはずがない。王女もそれを望んでおられた節であったようだし…
 そんなことを考えながら、武器の準備などしていると
「…父上」
と声がする。
「デルムッドか」
しかし、その顔は、何となく、いつもの明るさがない。
「何か、困ったことでもあったか?」
「いえ、特には… ただ、リーンのことが」


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