「私は」
と、髭の騎士…それがオイフェだと知るのに時間はかからなかった…が言う。
「今でも時々、セリス様について、わからなくなることがあります」
「わからなくなる?」
「はい。リーフ王子をここにおとどめになるのは結構なのですが、そちらはよろしいのですか?」
オイフェの言わんとしているのは、おそらく、旗頭が別の軍の客将になることへ対しての、少なからずの危惧であった。
「レンスターは新しく編成された騎士団によって守られていますし、リーフ様に味方する勢はすべてレンスター領内で休養を取らせているので」
「マンスターとコノートが、それを知ってレンスターを攻めることもありうると思うのですが」
オイフェがそう言った時
「その心配はないさ」
と後ろでレヴィン様のお声が。
「フリージ王国は、セリスの動きにすっかり気を取られている。レンスターはまだまだ後回しだ。レンスターがセリスの本拠地になったら、慌て始めるだろうがな」
だから、安心してリーフを預けておけ。レヴィン様はそう仰る。
「あわやもう一度レンスターが落ちたとしても、リーフ本人は、ここにいる限り安心だ。
それについては、俺が保証する」
「あ、そうか」
リーフ様は、セリス様の親書には、一度会って話をしたいとあったと仰っていた。きっとそれは、レヴィン様のお計らいなのだ。
「それよりも、面白いことになっているぞ」
「面白いこと?」
「オイフェはもう百も承知だが、このセリスの軍の中には、バーハラの悲劇で壊滅させられた仲間の子供たちが、集まっているんだ」
「…はぁ」
「受け継いだ血に、機を見て集えとでも、命令されたのでしょうかな」
オイフェがそう笑った。しかし、私は笑えない。二人の子供たちに受け継がれた血がたとえそう命令したなら、私はなぜここにあるのか。
「そんなこと、俺がわかるものか」
私の顔をちらりと見て、レヴィン様が仰った。
「…しかし、可愛いな、ナンナは。もう娘達が取り巻いて離すようではないよ」
そして、さりげなく、私が答えやすい話に変えてくださる。
「痛み入ります。一番大切な時期を男手にて育ててしまい、まだまだ子供しい娘ですが」
「いや、そんなことはないさ。
まあ、来し方のことは、後でゆっくりしよう。
お前はまず、デルムッドとの親子の会話が必要そうだな」
「そのようですね」
彼の聞いて来た吟遊詩人の話の中の、勇ましい「青き槍騎士」が、実はある種愚直な男だということを、言って聞かせる必要はあるかもしれない。
そして私は、この目で、メルゲンの陥落を目の当たりにすることになる。
「リーフはまだ慣れないだろうから、後ろにいてね」
とセリス様は仰って、自ら軍の先頭になって切り込まれてゆく。その隣にいらっしゃるのはシャナン王子か、振るほどに星の飛び散るような剣を片手に、相手を選ぶことなく戦い、文字通り城門への道を切り開かれてゆく。
その後をだれかれという戦士達が入り、セリス様の故郷・シアルフィ公爵家の旗がフリージ王国の旗のかわりに掲がるのに、さして時間はかからなかった。
「…すごいや」
リーフ様が息を飲まれた。
「この勢いなんだ、僕も欲しいのは」
「我々ではご不満ですか」
そう尋ねてみる。
「そうじゃない。でも、有無を言わさない勢い、そして、犠牲を最小限にして城だけを奪い取る指揮力と機動力」
僕には、何かが足りない」
そう仰るリーフ様に、私は答える。
「足りないのではありません。リーフ様とセリス様とでは、指揮力と機動力の内容が違うのです。
われわれマンスター解放軍は、マンスターの陥落を最終目的にしてはいますが、その理由は小異集団の集まりゆえに、どうしてもさまざまになってしまいます。
しかし、セリス様の解放軍は、もっと遠大な、帝国の打倒を目標にしています。
暗黒教団の恐怖は誰もが知るところ、その暗黒教団の闇を払う光なのですよ、セリス様は」
「僕も、エーヴェルのことや、セイラムからの話で、暗黒教団がどんなところか、わかってはいるつもりだよ」
「マンスターを侵食している暗黒教団は、氷山の一角に過ぎません。しかし、セリス様はその中核を目指しておられる」
「…僕は、本当に、半島のことしかしらない、器が小さい人間だ。
…どうしたらいいんだろう」
リーフ様は長く黙られてしまった。半島のことしか詳しくはわからぬようにさせたのは、私の責任でもあった。私は、そのリーフ様のお姿に、昔の王女のお姿が重なった。そして思いつくように、
「昔、そのように、無力なご自身を嘆く方がおられました。
もっと力になりたい。受けた恩に報いたい。
その方に指し示された、一つの道があります」
と言った。
「…どんな道?」
「マスターナイト」
「僕がなるの? それに?」
「素養さえあれば、不可能ではありません。現にその方は、指し示された道を見事に全うされ、長くリーフ様のおそばにいたのですよ」
「え、それじゃ、お前の奥方は…」
私はただうなずいた。
リーフ様ならあるいはと思ったのは、全く私の願望でしかない。しかし、王女は、そのお志を貫かれた。
「今まで貴方が、受けた恩を返したいと思っただけご精進なされれば、自然と道は開けてくるでしょう」
メルゲンを攻略し終え、つかの間の休息の後、奇妙な話が入ってきた。
「ダーナ? この間砂漠を降りてきた時は、うんともすんとも反応がなかったあの街がどうかしたの?」
「うむ」
話をもたらしたレヴィン様が仰る。
「メルゲン攻略で疲れているだろうと踏んだのか、後ろから我々を襲うつもりらしい、防衛線を張って様子を見よう」
そういうレヴィン様のご指示で、もう何をすればいいのかわかっているのだろう、みんなはじかれたように会議の天幕を飛び出してゆく。
「お前も出ておけ」
レヴィン様が私の肩を叩かれた。
「そろそろ、リーフのお守りから卒業しないとな」
飛び出していこうとするデルムッドを捕まえて、武器庫まで案内してもらう。
「父上は槍なら何でも使えるのでしたよね」
と聞いてくるのに
「うむ」
生返事をしながら、武器をみてゆく。その内、一本の槍が目に入った。
「細身の槍か…これにしよう」
「え、そんな簡単なのでいいんですか?」
「武器は使われるものではないよ」
私はそういって、武器庫を出た。デルムッドが追いかけるようにして
「武器は使われるものではない、とは?」
と尋ねる。
「よい武器を持っていてても、使うものに技量がなければ逆にその性能を持て余すという話だ」
「わかりました、覚えておきます」
デルムッドは言って、馬の方にむかっていった。
砂漠の彼方に、ぼんやりと街が見える。あれがダーナだそうだ。
「まだ暗黒教団がそう強くない頃は、人数を集めて見張りながらなら行き来も出来たそうですが、今はそれも出来ないそうです」
砂嵐でもまっているのだろうか、そのダーナの姿も時々消えたりする。砂混じりの風が吹いて、私は顔を伏せた。
風がやや静まり、顔を上げると、ちかちかっと、光るものが見えた。
「デルムッド、来るぞ」
「は?」
「ダーナの軍勢だ、セリス様に報告を!
数は少ない、私が先頭にでる!」
「は、はいっ」
砂漠を前にして、感慨にふける時間もなかった。私は、細身の槍を攻撃の構えに持ち直して、ゆっくりと前に出た。
思い思いの武装をしているところからすると、傭兵のようだった。系統立たない敵を相手に戦うのに、全力はいらない。細身の槍は軽量化されていて、さばきやすいのが長所、威力は二の次だ。傭兵は、自分が不利になれば逃げることを考える。まれにそうでないものもいるが。
数騎を戦闘不能にされて、傭兵団の首領らしい男は、人員を補充するのか、残ったものを連れて街の中に入ってゆく。しかし、引く気配を見せない傭兵がいた。
「逃げないのか」
私が問うと、傭兵は
「逃げるのは俺の性に合わない」
という。デルムッドよりは年上であろうが、まだ若い青年の声だった。そして青年の馬は、一瞬、高く飛んだ。その勢いをつけて斬りつけてくるのを、槍の柄でうけた。今までの剣にない、重いものだった。
「俺を邪魔するなら、倒す!」
青年は言って、素早く回頭し、剣を構える。砂漠の日差しが、刀身を翠色に輝かせていた。
その色が何であるか、私がわかっていれば、このようなことはしなかっただろう。
私は青年の剣をいなし、青年の背中を穂先で斬った。
「がっ!」
青年が、うめいて落馬する。致命傷を負わせてはいないが、少し傷が深いかもしれない。
「…こんなところで…死ねるか…」
剣を支えにして立ち上がろうとして、青年が砂にのめる。助け上げようとして、私は、切れた服の影から、見覚えのある何かの文様を見た。
その文様自体には、見覚えがあった。子供たち二人にも、同じような文様がぼんやりとあるからだ。しかし、私の記憶にある文様とそれは、一つだけ、はっきりとした違いがあった。
青年の背中の文様は精巧に施された刺青のようなはっきりとした輪郭を持ち、持っていた剣と、全く同じ形をしていた。そして、青年の顔は…
遠い、少年の日に、わずかに見たのみが、いまだに忘れられないそのお顔と、全く同じだったのだ。
人員を追加してきた傭兵隊と戦うのは集まってきた戦士達に任せて、私はその方を馬に乗せ上げて、後方に退る。
治療が出来る人間をとにかく集めて、血が止まり、傷がふさがるまで、ライブを当て続けてもらう。
「何だ、偉い大騒ぎな」
と、レヴィン様がいらっしゃるところで、私がいきさつを話す。
「なるほど」
「腑に落ちません、何故アレス王子がこんなところに…」
「傭兵としてダーナに雇われている可能性は大いにありうるが…他の傭兵達と別行動をとっているような雰囲気だったというのが気になるな。
気がついたら、しばらく氏素性は追求せずに、さりげなく話でも聞いてやるといい」
「わかりました」
行きかけて、しかし足を止められて、レヴィン様が不意に私に話しかけられる。
「野暮なことを聞くが」
「はぁ」
「彼女はどうした?」
しばらく、それが誰のことだかわからなかった。
「…彼女?」
「お前のプリンセスだ。小さいデルムッドをおいてレンスターに行ったとは聞いたが」
「そのことですか」
私は、もしかしたら、あまり気乗りのしていなさそうな顔でもしていたかもしれない。
「言いにくいなら後でもいいが?」
とレヴィン様は仰ったが、私は頭を振って、
「いえ、レヴィン様にはご存知でいてほしいので、お話します」
王女のことを話すことにした。
場を変え、あらかたを語り終えて、
「腑に落ちないことが、もう一つあるのです」
「何だ?」
「何故子供達には、王女がご存命だとご説明に?」
「…普通子供達には希望を持たせるものと違うか?」
レヴィン様はにやりと笑まれたが、その笑みは、私が知っているレヴィン様とは少し違っていた。
「人の生死を取りざたにして、『生きているだろうから会えるまでがんばれ』と?」
「そんな人非人なことは言わんよ」
「では」
「ああ、生きてるさ。場所まではわからん。だが、エーギルの波動は感じる」
満足したか? レヴィン様は、例のぼんやりと輝く目でそう仰った。
と、治癒をしていたものたちの間で声が上がる。
「何かあったな、いってやれ」
「はい」
アレス王子に、私が負わせてしまった傷は、全くと言っていいほどなくなっていた。私が来たのがお分かりになったらしい、
「何故助けた」
と仰る。
「私は君の邪魔をするつもりはない」
「ダーナの領主に雇われて、お前達をつぶすためにやって来た俺を助けるのか。騎士ってのは、そんな酔狂なものなのか」
「『こんなところで死ねるか』と、君は言った」
私は、助けられたのに虚をつかれたのか、自棄ぎみの王子に言う。
「死ねない理由がある限り、君は生きなければいけない。それは傭兵でも騎士でも変わらないはずだ」
そのとき、
「ああ、こちらにいらっしゃった」
と、亜麻色の巻き毛の愛らしいシスターが駆け込んでくる。
「ナンナさんが、ライブの途中で急に倒れて…いらしてください」
「何?」
ではあの上がった声は、ナンナが倒れたときに上がった声だったか。
「軍の方がよろしくご裁量して下さろうが、私は、ここにとどまるのを勧める」
私は王子にそういいおいて、ナンナがいるらしき天幕へと走った。
|