間違いなく、リーフ様は、レンスター中興の英雄、正当な王位を継ぐ資格のある「プリンス」になられたのだ。その名声は、やがて、波のように、大陸に伝わって行くだろう。新しい敵も出来るだろうが、これに呼応して、新しい仲間が増えることを祈るばかりだ。
なにより、リーフ様が無事プリンスになられたのを、信じられない私がここにいる。この手で、小さいリーフ様をお預かりしたとき、この時間を、予想しえたであろうか。しかし私の不安をよそにして、雌伏の時間を、この方は見事に耐えられてこられたのだ。
「…レンスターは、まだその名前のみ復活したに過ぎない」
戦闘の後を払わせ、日を改めて、解放軍とレンスター遺臣が呼び集められ、リーフ様の手でレンスター復活の宣言がなされていた。
「でも、レンスターを取り戻したことは、他の、マンスターの諸拠点について、帝国への抵抗を決起させる、いいきっかけになったと思う。
現に僕達の、本来行くべき道は、マンスターだった。レンスターの遺臣たちはおそらく知らないだろうけれども、僕は、ここに至るまでの間に、フィアナという開拓村で過ごしていた時間がある。
その村で、僕が母のように慕った村長エーヴェルは、僕のかわりに暗黒魔法に縛られて、今も苦しんでいる。僕は彼女を助けなければならない。
今後僕達は…」
そこまで仰られたとき、
「リーフ様!」
高い声がし、かつかつかつ、と靴のなる音がする。アルスターのミランダ姫がそこにおられた。
「マンスター攻略についてはごもっとも、私に何の異議もございません。
ですが王子、マンスターより近いアルスターは、今に至ってもないがしろにされるおつもりですか?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ミランダ」
リーフ様が、突如おろおろとなられる。まだ、こういう状況にはお慣れではないのだ。
「お控え下され、ミランダ王女」
ドリアス卿が、そのリーフ様をご覧になって、助け舟を出された。
「今は殿下の再興の宣言の途中です、もうしばらく、ご辛抱を」
「では、こう申し上げれば、ご納得なさいますか」
ミランダ姫は、つと膝を引かれた、
「物見より報告でございます。
アルスターより、部隊の出撃された模様との報告がありました。
目的地はこちら、レンスター城と思われます」
座が一瞬にして、中興の歓喜から引き戻される。
「ミランダ、そういう報告は、回りくどくなく言ってほしい」
宣言の書かれた羊皮紙を丸めなおしながら、リーフ様が苦笑いをされる。
「おいでミランダ、レンスターとアルスターは昔から双子みたいな付き合いじゃないか。
軍議を始めよう。他のみんなは、いつでも戦えるようにして、準備して!」
レンスターが復活し、フリージに抗うということは、レンスターより西側のマンスター、コノートへの道が事実上の封鎖をされるに等しい。アルスターが、開放されたばかりで、兵力といえば文字通り解放軍のみと言うレンスターを奪回に来ることは、十分に予想された。
しかしドリアス卿は、アルスターに向けて出陣されようと意気高いリーフ様に、あえて諫言めいて仰る。
「今は、アルスター攻略のために出陣より、兵を城に集め、兵力を養うときと心得ます。
どうか、お考え直しを」
「じゃあドリアス、お前は今目の前で、兵を出すためにつらい思いをしているアルスターの民を放っておけとでも言うの? アルスターから出る兵士は、アルスターの民かもしれないんだよ?
僕はアルスターにも恩があるし、ミランダのためにアルスターを取り戻す責任がある」
お二人の考えが真っ向から激突する。
「お前はどうなんだ!」
と同時に意見を求められても、私はすぐには意見を出せなかった。いずれにせよ、解放軍と少ないレンスター兵と、それだけしかいないレンスター城を空同然にするのは危険であると、それだけはわかっておられれぱよいのだが。
ドリアス卿は、ひとしきりの思案の果てに、一つの提案をだされた。
「兵を、半分に割りましょう。
二手に分けるのです。先陣が出陣し、敵の足止めをしている間に、本隊が先方の油断を突く。これより、この少ない手勢でアルスターの深部に入れる可能性のある作戦はございません」
「…そうみたいだね」
リーフ様も、それには納得されたようだった。そこでドリアス卿のお声がずっと低くなられる。
「先陣を私にお任せ願えますか。レンスターの騎士はかく戦うものと、殿下に示しとうございます」
「そんなことできるの? 右腕がないのに、どうやって戦うの」
「腕の有無など、もはや関係ございません」
リーフ様の目が複雑に光られる。
「ドリアス…もしかして、お前」
「余計なことは何も仰られますな。
今まで殿下のもとで戦い続けてきた解放軍には、一兵の損もださせません」
ドリアス卿のお声は、低く地を揺らすようで、それでいて、揺らぎがない。リーフ様は、その卿のご様子に、言葉をお出しになることさえ、出来ずにおられた。
「アルスターを、よろしくたのむよ」
出陣のとき、リーフ様がかけられたお言葉は、たった、これだけであった。セルフィナとグレイドさえも、リーフ様にお預けなさったドリアス卿が、どういう選択肢を、どういうつもりでおとりになったのか、私にはすぐ分かる。おそらく、二人もわかっているだろう
「…進軍、はじめ」
ドリアス卿のこの一言で、兵達が動き始める。静かで、厳かで…有無を言わせない進軍だった。
「僕達は、第二陣以降の準備をしなくちゃいけない。
編成を考え直そう」
リーフ様は、部隊が城を完全に出るまで見送られず、中に入ってゆかれる。
「手伝ってよ。
今の僕には、お前がいないとダメだ」
編成を考えながら、一日、ドリアス卿からの何らかの報告を待った。
リーフ様は、目の前に広げられた地図をご覧になったまま、何時間も、そこを動かれない。
「何の連絡がなくても、一日たてば二陣を出すって、そういう話だったよね」
「はい」
「夜が明けたら一日だよ、準備だけはしておこう」
リーフ様が仰って、立ち上がられようとしたとき、
「報告!」
と兵が入ってくる。
「ドリアスからだね、戦況はどう!?」
兵につかみかからん勢いのリーフ様に、兵はたじろぎつつ、
「では、報告いたします…
お望みの報告でないことは、どうかお許しを…」
「…」
リーフ様をはじめ、場の諸将が兵を注視する。
「フリージ軍は、数、力ともわが軍をはるかにしのぎ…先陣はほぼ壊滅状態、かろうじて生き残ったものが、レンスターに向け逃亡している最中であります」
「ドリアスは? ドリアスはどうしたの!」
兵達にすべて逃げるように命じられた後、自ら敵陣に飛び込まれ…ご最期を…『リーフ様にこの様を必ず知らせよ』直前にそう仰ったそうです」
「…そんな…」
リーフ様はへたりと床に座りこまれた。ドリアス卿に育てられ、ここまで来た騎士たちの間から、低く、押し殺した呻きが、途切れ途切れに聞こえてくる。それをかき消すように、
「グレイド、グレイド、いる?」
リーフ様は小さな子供のように声を上げられた。グレイドが、傍らに膝をつく。
「はい」
「ドリアス…もう、いないんだね…」
「はい、残念ですが…
しかし、こうして最期の様子をお聞かせできたことを、何よりの冥利として…
「僕は、ドリアスに、敵軍に切り込んで、死ぬまで戦えなんて、言わなかったよ!」
リーフ様は、床をがつっ、と拳で打たれた。
「僕は、守りたいものがあるなら、むしろ生きろって、そういわれて来た。
僕はレンスターを助けなくちゃいけない。レンスターの民を助けなくちゃ、守らなくちゃいけない。解放軍のみんなを守らなきゃいけない。そう思ってきたから、どんなに大変でも、死ぬことだけは考えなかった。
ドリアスだけ、守るもののために死んでいいなんて、そんなこと言った覚えはない!」
「殿下」
セルフィナが、リーフ様の背中に回り、なだめるように言う。
「父は古い人間ですから、こういう形でしか、生まれ育って、お仕えしてきたレンスターとリーフ様に、いかに忠心篤いことかを示すことが出来なかったのです。
父のように思っている騎士は、きっとまだ大勢おられると思いますよ」
「普通騎士は」
グレイドがその後を受ける。
「主君のために命を惜しむなと誓います。しかし、その誓いの文言を変えて、忠義のために生きろとされるのは、殿下をもってしか、できるお方はおられません」
リーフ様は、それに力なく返される。
「でも、もうドリアスはいないんだよね…ゼーベイアと一緒に、父上の小さいころの話や、父上と母上の話を、楽しそうにしてくれるドリアスは」
「殿下にそこまで慕われて、父は幸せ者です」
セルフィナはそう言って、せきかねる涙をおさえた。リーフ様は立ち上がり、場にいる騎士に言う。
「プリンスとして、最初の命令をする。
生きろ! レンスターのために、僕のために、生きてくれ!
僕のことを、レンスターのことを、大切に思うなら、その分生きてくれ!
お願いだから…」
傍らで涙ぐみながら、リーフ様を見あげていたナンナを、リーフ様は手繰り寄せるように抱きすくめて、初めて、声を上げて泣き崩れられた。
その知らせをお聞きになられたのだろう、ミランダ姫が、部屋に飛び込んでこられる。
「リーフ様!」
「ああ、ミランダ」
涙を押しぬぐって、リーフ様は、改めてミランダ姫に対峙される。
「先刻は、差し出がましいことを言って、申し訳ありませんでした。
私がわがままを通そうとするばかりに、大切なご側近を…」
「ドリアスのことは、もういいんだ」
リーフ様は、それに返される。
「どっちにしても、これから、逃げてくるレンスター兵を助けに行かなくちゃ行けない。フリージから、追撃の部隊が来ているはずだからね」
「わかっています。そのときは、私も、できることはいたします。
…フリージは、アルスターの軍部を丸ごと吸収したと聞いています。そのころの将が一人でも残っていれば、なくなられたご側近のいくらかの代わりになりましょうか」
「ミランダ、本当に、気負わなくていいんだよ。君は、アルスターに対して、僕と同じ気持ちを持っている。僕はたどり着けたけれど、君はまだ、道の途中なだけなんだよね」
「…はい」
「夜明けと一緒に出陣だよ。ゆっくり休んで」
「…はい」
ミランダ姫はゆっくりと、踵を返された。何かと進路をアルスターに変えたがり、マンスターに行くことが主眼であった解放軍では、我が強すぎると後ろ指を差されることもあったミランダ姫も、ドリアス卿が失われたことは、相当に身にしみられたのだろう。
ミランダ姫の仰る将が見つかることを、私はささやかに期待した。
帝国の勢いは、容赦がなかった。
私達の抵抗など、いまや遊ばせているのはトラキア半島だけといわれる帝国にすれば、児戯にも及ばないのだ。
解放軍の面々を、アレンや他の街に少しずつ分けて英気を養わせ、レンスターの騎兵隊で、城門を閉ざし、篭城を試みた。しかし、その城門も突破され、私達は、玉座を守り続けた。
そうしながら、半年がたった。
兵士の血のりに白い大理石の床が見る影もなく汚れ、それは玉座への階まで、じゅうたんの色を変えながら続いている。
夕刻近くなって、灯りのない城内はいやに暗い。
疲れた騎兵達はすべてよそにさらせ、私はその階の半ばにどろりと座り込み、ぼんやりと、今日の防戦をしのげたことを、一人喜んでいた。
今はドリアス卿のお形見となってしまった勇者の槍も、兵馬の血のりが凝り固まり、穂先が輝くこともない。
リーフ様は、レンスターの城の中で、奇跡的に燃え残っていた王太子宮殿におられる。中の意匠など、フリージ向けにかえられてしまっていたが、騎兵達も、かわるがわるに、そこで休むことが出来た。
極端な話、玉座はとられてもどうと言うことはない。しかし、王宮までで、フリージの隊をとどめておかなければ、直接リーフ様に危害が及ぶ。リーフ様はこの防戦に参加されたがっておられるが、もう、プリンスとなられた以上、これまで以上にそのお命は大切にされなければいけないのだ。
「なんて顔だ、自慢の髪まで血のりで真っ赤じゃあないか」
そこにこんなお声がして、私は顔をあげた。
「…あ!」
私は声を上げていた
「レヴィン様…」
紛うことなく、かつてアレンに王女の無事を報告してくださった、あのレヴィン様だった。それが年月なのだろうか、瞳に不思議な趣が宿るほかは、全く、あのころのままだった
「レンスターへの波状攻撃が続いていたようだから、心配していたんだ」
レヴィン様はそう仰る。
「リーフは無事か?」
「はい、敷地の中の安全な場所に。
お会いになりますか?」
「やめておこう」
レヴィン様はそう仰った。
「俺が出ると話がややこしくなる。それより、朗報だ」
「朗報?」
「アルスターが作戦を変えたんだ。メルゲンにセリス軍が到達したんでな」
レヴィン様は仰って、にやりと笑まれた。暗がりの中に、その瞳が、ぼんやりと輝いて見えるのは、気のせいだろうか。しかし。聞いたことがあるような名前が、私の中で不思議にめぐる。
「…セリス?」
「知らんことはないだろう。シグルドの息子だよ。今年に入ってから旗揚げして、イザークをあっという間に平らげて、こういう段階になっている。そろそろ、アルスターをどう攻略しようか、考えているところじゃないかな?」
レヴィン様のお言葉が、私の頭に隅々まで回って、それがどういうことなのか、考えることが出来るまで時間がかかった。
「では、フリージ王国は…」
「ああ、セリスたちが猛攻撃を仕掛けている。アルスターが、先にたかづけるべきはセリス軍だとわかれば、レンスターなど放って置くさ。その間に、兵をやすませろ」
「そうなのですか、あのお小さかったセリス様が…」
「ああ。ここで従兄弟になるリーフが苦戦をしていると聞いたら、早く行って助けてあげよう、だ。余裕綽々だよ」
レヴィン様は仰る。
「よくしのいでくれた。あとはセリス達が何とかするだろう。リーフには、もうアルスターからの襲撃はないと言って、安心させてやってくれ」
「ありがとうございます」
「俺からの情報だというなよ、ややこしくなるからな」
「はい」
「それでよし」
レヴィン様は、いつかのような、いたずらそうな笑みを浮かべられて、また風に乗っていかれてしまった。
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