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「お久しぶりです、アレン伯」
そういう声にも、あまり覚えはなかった。
「セルフィナ…といわれたな」
「まあ、そんな他人行儀に。
 ドリアスの娘です。アルスターまではご一緒でしたのに」
「…ああ、あのセルフィナか!」
やっと私は、この若い女騎士の身元に心当たりが出来た。
「確かにそうだ、無事でよかった」
まさか、勝ち気で、髪を可愛らしげに結っていた子が、妙齢となればこんなにも変わるものか。
「いや…余り雰囲気が違うので、知らぬ者かと思った、すまない」
「アルスターのエスニャ様のところでお別れして、もう十年になりますもの」
「十年か…
 そういえば、あの時ドリアス卿は重症を負われたはずだ、お体に変わりは?」
セルフィナは、本人のいらっしゃるだろう奥を少し見やって、
「片腕の切断は余儀ないことでしたが、予後は何もなく…
 あの後私は…グレイドから望まれて、また父にも勧められて、あの人の妻になりました。
 十年というのは、そういう時間なのですよ」
セルフィナが語る中に、懐かしい名前があった。
「グレイド、彼もここにいるのか」
つい声が高くなってしまうのを、セルフィナは少し切なげに笑って答えた。
「ターラの救援に、別働隊を立てて向かいました、今は不在です」
「そうか…」
私は、もたれていた壁に、改めて身を預けた。
「それであればやむをえまいか…いればあれこれと話すこともあったものだが」
セルフィナがつと、ため息をついた。
「卿は本当に相変わらずでいらっしゃいますね、私より夫のほうがお気にかかるなんて」
「いや、別に、君を邪険にしたわけではないのだが」
私は、セルフィナの言葉の中に、皮肉が隠れていることを感づきはした。だが、私のどこに対してなのか、それが全然分からない。それをセルフィナが言う。
「ご自分は誰彼と人を心配なさっていらっしゃるのに、ご自分に向けられている心配には無頓着でらっしゃるのですね」
「そうかな」
「そうですよ、奥様はそれで涙されていたこともありましたのに」
話は、とんでもない方向に飛んでいきそうになっていた。セルフィナは左右を見めぐらす。
「奥様はどちらに? 卿がいらっしゃるなら、きっと奥様もと思って、探しているのですが」
「あの方はあの方で、よんどころなくして別働中だ」
私はそういって、まだ何か言いたそうなセルフィナの視線を手でさえぎった。
「悪いが、少し眠らせてほしい。戦いは、今日で終わったわけではないのだから」
「そう、ですね」
私にくいかかろうとしている雰囲気の顔を、ふと改めて、
「すみません、久しぶりにお会いしたのに、こんな話をしてしまって」
「いや、構わないよ。またそのことは、後でゆっくり話そう」
「…はい」
セルフィナは、音もなく、私の側を離れて行った。

 山の上を旋回していた竜騎士団は、上官からの命令があったものか、退却をしてゆく。
「命拾いをしたな…」
と、ドリアス卿が仰った。かつてアルスターで傷を負われ、切断された右腕が痛々しく見えるが、ご本人はさして気にしてもおられないようだ。
「さあ、グレイドのもとに行ってやらねばならん」
と仰った。
「ターラを開放して、新生レンスター王国のここにあることを知らしめようではないか」
「…はい」
「…ん?」
ドリアス卿がふとけげんな声を上げられて、私の手の中を見た。
「お前、その槍は」
「はい、アルスターでグレイドと一時別れるときに、私の方が使うべきだと渡されました。
 …カルフ陛下がドリアス卿にお遣わしになった勇者の槍、僭越ながらここまで使って参りました」
「豪儀ぶる割りには小心者だな、あいつは」
ドリアス卿は体をゆするように笑われた。
「…さっきはセルフィナがずいぶんお前を難儀させたようで、すまんな」
「とんでもありません」
「お前にセルフィナを、と思ったこともあったが、ああいう事情があれば致し方もあるまい、今は逆に、グレイドであってよかったと思っている。奴の足並みの方が、セルフィナにはちょうどよかったようだ」
「もったいないお話です」
「とにかく、だ」
ドリアス卿が改まれた。
「守り抜いたノヴァの御旗のもとに、リーフ様が戻られ、新生レンスター王国はここに形を持った。
 われらの意気高きことを、ターラで存分に見せつけようではないか。グレイドからの便りでは、帝国の総攻撃も間もなくだそうだ」
「は」
「頼むぞ、『青き槍騎士』」
「…はぁ」

 私達は、これまでついてきたほかの面々も集め、「北トラキア解放軍」として旗を揚げた。
 ターラの総攻撃は、まだ何とか実行に移されずに住んでいた。しかし私達は、出来るだけ急いでミーズからターラへの道を突破しようとしていた。その行く手には、多くのフリージ兵が控えていたことは言うまでもない。しかし私達は、その障壁をたたきやぶって前進するしか、方法はないのである。
そして、ターラ東方のダキアの森を駈け抜け、そこで思いもかけずマリータと再会した。レイドリックの渡した剣の魔力のに惑わされていたのを、いずこかの奇特な司祭が解呪してくれたのだという。
「よかった…でも、エーヴェルが助けられなくて」
リーフ様は、マリータに、いかにも申し訳なさそうに仰る。
「いえ、今度は私がお母様を助ける番です。
 強くなります。私もお供させてください」
「いいよ、いつかマンスターに戻って、エーヴェルを助けないとね」
「はい!」

 しかし、無邪気に笑いあっている時間はなかった、ダキアの森を抜け、夜が明けて目の前に広がる光景に、私は唖然とさせられた。
 城塞都市と呼ばれ、自由都市のなかでも屈指の堅牢さを謳っていたターラの街は、帝国軍の陣に四方八方から監視され、まさに孤立、という状況であった。
「グレイド…大丈夫かしら」
セルフィナが苦しそうにつぶやく。
「騎兵しかまだ森を抜けきっていませんな、もう少し後続を待ちましょうか」
というドリアス卿の言葉に、
「いや、ターラはもう耐えられる限界に来ているはずだ、中のグレイドやリノアンも心配だし…
 今の人数でも構わない、後続は後から加わればいい。
 行くぞ!」
リーフ様は、出撃の檄を飛ばされた。

 しかし、数の問題はいかんともしがたい。
 領主館の中に隠されていたリノアン嬢を見つけ出されたリーフ様だったが、我々の軍勢すべてがターラに入ったことで、事実上の篭城となっていた。
 情報に寄れば、ターラに入るまでのフリージ軍には、主力が欠けていたらしいとの情報で、その主力が投入された後のことは、想像するだに、厳しいとしかいいようがなかった。
「リノアンは、随分苦労をしたらしいよ」
と、リノアン嬢との会見を終えられたリーフ様が仰る。
「公爵はあの後処刑されて、新しくこの館に入った監視官は、僕の居場所を知らないか、何度もリノアンを問い詰めたらしい。リノアンは、僕がどこに言ったか最初から知らなかったから、とてもつらかったそうだよ。
 そのリノアンを、陰からずっと元気付けてくれていた人がいるというんだ」
と仰るその顔は、いささか、いぶかしげな雰囲気を含んでおられた。
「誰だと思う?」
「…さあ」
「トラキアの、アリオーン王子だって。王子は、リノアンを自分の許婚という形にして、部下を傭兵にして彼女を守らせたり、相当な骨折りをしているそうだ」
「…はぁ」
「僕は、トラキアなんて、みんな帝国軍と同じぐらい物をわかってくれなくて、僕達の後を追い立てることだけしかしない国だと思っていた。
 僕の考え方が間違っていたのかな? それとも、アリオーン王子が特別なだけ?」
私は返答に窮する。私も、リノアン嬢が今まで無事であった影にトラキア王子の差配があったと、今リーフ様から伺ったばかりなのだから。しかし、それと同じようなことを、現に私達は受けてきたばかりだったではないか。
「しかし、リーフ様、ハンニバル将軍のこともお考えください。将軍は、ドリアス卿の一団を傭兵団としてかくまってくださいました、そして、リノアン嬢のことも、アリオーン王子がかげながら手を差し伸ばしてくださる。
 憎むのは、人ではありません。それを、わかっていただけますね」
「…うん」
「人にも良心があるように、国にも良心があります。今リーフ様が触れられたのはその良心の部分。
 あなたはトラキアびとと戦うのではありません、レンスターを壊した、トラキアという国と戦うのです」
「わかった」
リーフ様はすっと立ち上がられ、
「でも、そのアリオーン王子の部下って人、リノアンをとても大事にしてくれるらしいよ。
 僕は少し当てられた気分だった」
と、ゆるく笑まれた。
「左様ですか」
「ナンナに、ごめんっていっといて。
 リノアンのことは、急がなくちゃいけないことだったからって」

 軍議も果てて、領主館から見えるターラの街の門の上には、彫像のように竜が一頭、時折、翼を広げたりしつつ、その外をじっと見ている。
「竜?」
と私がふと声を上げると、後ろからグレイドが、
「アリオーン王子が苦心してよこさせたリノアン様の護衛役だ」
「ああ…」
言われて、私は先刻のリーフ様のお話を思い出す。
「竜騎士だったのか」
「トラキア生まれの傭兵なら、竜騎士だとしても誰も驚くまい」
グレイドはそう言って
「ほんとうは、レンスター奪還のときにと思ったが、お前と再会できたこともうれしさも変わらない」
と、どこからか、酒瓶を一本出してきた。
「飲めるんだろう?」
「年相応にはな」
軍議の席で再会したわれわれは、そのときは回りぬきで喜び合うことはできなかった。その分、誰もいない時間に、ゆっくりと酌み交わすことに、私も反対はしなかった。
 肴は、お互いの十年の話だった。レンスターの、ドリアス卿の領地に戻ったグレイドは、ランスリッターの練兵を隠して行ってきたそうだ。
「しかしそれもフリージ当局の知るところになって、俺たちは傭兵団を装って安住の地を求めることになったんだ。そして、敵の敵は味方とばかりに、ミーズのハンニバル将軍を頼っていたというわけだ」
「そこまでして…」
私は、グラスを運ぶ手が止まってしまった。
「ランスリッターの名前を、守ってくれたのか」
「お前が守ってきたものに比べれば、些細なことだ。全滅したら、また新兵をかき集めて立ち上げられるものだからな。
 …しかし、リーフ様もよくこの戦いをしのげるほどになられた。セルフィナと久しぶりに言い合ったよ、殿下とエスリン様、どちらに似ているかってな」
「お二人のお子だ、双方にそれぞれ似ていると思うが?」
「ああ、俺たちもそういう結論で終わったさ」
グレイドは短く笑った。
「すまない、グレイド」
わたしは、ついと彼に頭を下げた。
「キュアン様の御遺志は、二つながら私が守れとあった。
 でも、私には、二つながら守っていく自信がなく…結局お前まで」
「辛気臭いこというな。むしろ本望さ。
 お前と違って、上級騎士になったのも随分後の遅咲きだが、子供に自慢できることが、これで最低一つは出来た」
子供、と聞いて、私はまた顔を上げる。
「子供?
 まさか」
「いやいや、ランスリッターの子供達を育てるほうが先で、俺たちの子供なんて、まだ育てるどころの話じゃあない」
「…そうか」
「もう少し、夫らしいこともしてやりたいが、…後どれだけかかるものやら」
そういうグレイドは、年甲斐もなく、まるで私が十何年か前に抱いていたのと同じ、夫であることの不安をちらりとうかがわせた。
「アレンの街を離れるときに」
そういうグレイドに、私はこの言葉を指し示すことにした。
「王女は仰った。
『一と一は、単純に二ではない。時にしてその結果は、無限となることがある』」
「無限、か」
グレイドは、天を仰いで、途方もなさそうな顔をした。
「だからお前は、プリンセスが今どこにいるかもわからないのに、そんなに落ち着いた顔をしていられるのか?」
「たぶんな」

 意外な展開が、その後の私達を待っていた。
 リノアン嬢が軍議の席に来て、
「アリオーン様が、救いの手を差し伸べてくださることになりました」
と言う。
「救いの手?」
隣のリーフ様が尋ねられる。
「レンスターの騎士の方々、アリオーン様のこのご提案を聞いても、どうか、トラキアの情けを受けないなどと、仰ってくださいませんように」
そういうリノアン嬢は、祈るように組む手も体も震え、声さえ涙がちだ。
「ターラは…トラキアに占領されます。そうなることと引き換えに、市民の安全を確保し、『子供狩り』への抵抗をいたします」
「リノアンは?」
「私は、今回リーフ様がいらしたそのご恩に報いて、リーフ様に従ってこの町を出ます。市民を裏切るようですが、そのほうが、帝国もターラが完全にトラキアに落とされたと思いって、少しは追求を緩めてくれましょうから」
軍議の席は、やはりどよめいた。不倶戴天の敵トラキアの情けを受けておめおめと生き延びるのは騎士道にもとるというものも確かにあった。
「申し訳ありません」
リノアン嬢は、深く頭を下げられた。
「でも、こうしか、方法がないのです。トラキアは、皆様が脱出するに際して追捕はしないと言う約束をしてくださいました。
皆さんを安全にターラの外に出して差し上げて、かつ市民の安全を確保するには、アリオーン様のご提案をのむしか」
「リノアン、大丈夫だよ、君は精一杯がんばったんだよ」
リーフ様が、リノアン嬢の肩を軽く叩かれる。
「リノアンが一緒に来てくれるのも、僕はうれしい。だから、そんなに自分を追い詰めないで」

 気味が悪いほど、静かな脱出であった。遠巻きに、山の稜線に竜がずらりとならんで、帝国の方面をねめつけているのがわかった。
「また借りができたな」
ふと馬が並んで、グレイドが言う。
「借りられるものは、借りておけばいい」
私はそう返した。
「この借りは、今に何倍にもなって帰ってくるさ。
 これからの私達の進路に、間違いがなければ」


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