今、もっとも近い帝国の拠点といえば、マンスターの手前に作られたとりで、通称「ケルベスの門」だ。近辺の「子供狩り」の拠点であり、集められた子供たちが、マンスターに送られて行くという。
最初、ナンナとマリータは子供狩りに遭ったのではないかという話しもあったが、二人は、子供狩りにあうには、ぎりぎり助かる年であったから、その線はない。しかし、いまだ、二人の身柄がここにあることは、十分に考えられた。子供狩りの対象ではなくても、リーフ様のお身柄との交換には、十分な人質であろうからだ。
とにかく、このケルベスの門を通らないことには、マンスターに近づくことすら出来ない。
リーフ様は、この砦に吶喊し、場内に収容されている子供たちを同時に解放する方向をとられた。
私は、馬の機動力をかわれて、解放された子供たちをそれぞれの家に返す。
しかしその中で、急が告げられていた。
マンスター地方で、子供がりの陣頭指揮に当たっていたのはレイドリックと言う男である。先に、ナンナ達をフィアナから連れ去ったのも、この男らしい。
皮肉にも、そのレイドリックが、ケルベスの門に立ち寄っていた。リーフ様はレイドリックと遭遇し、ナンナの命と引き換えに、ケルベスの門の中にすすんで捕らわれたというのだ!レイドリックはナンナを伴って、マンスターへと去っていったという。
しかし、これ以上の吶喊は、自分の命もさりながら、リーフ様のお命も縮めてしまう可能性があった。エーヴェルだけが後を追うことになり、私達はそれぞれ、退却を余儀なくされた。
「必ず、必ずお迎えに参ります!」
私は、ケルベスの門にむかって、声を上げた。しかしその声はリーフ様に届いたろうか、ただ堅い石組みの壁に当たって砕けるだけだった。
私達は、進路の変更を考えることにした。
ケルベスの門を通過しないとなると、山脈を一つ越えて、トラキア領内からマンスターに接近する必要がある。その方向に、抵抗がなかったといえば嘘になる。しかし、それ以上の方法もなかった。
私達はなるべく身をやつして、ミーズの城下町に入った。しかし、マンスターのこの頃の動きがミーズの街を殺気ただせていたのか、私達はやすやすとその正体を見破られることになる。
わたしは、ここまでの途中、盗賊団に捕らわれていたシスター・サフィを馬の後ろに乗せていたが、
「お前はサフィを連れて、そのまま逃げるんだ!」
という声に、反射的に反応し、そのまま、ミーズの街から飛び出していた。
そして、ミーズから少しはなれた山あいで隠れるように一息つく。ミーズの中のただならなさ、それがマンスターの動きに呼応しているとなれば、それは私達にとって吉と出るか凶とでるか…
「早くお迎えに上がらねば」
つい一人ごちたのを、シスター・サフィは聞いたらしく、
「はい、ご無事であればよろしいのですが」
と聖印をきった。
「シスター、あなた一人なら危ぶまれることはあるまい、ミーズにもどって、教会に身を寄せることが出来れば、いずれとらえられた仲間と再会もかないましょう」
私はそういって、シスターをミーズに戻るよう促したつもりだった。しかしシスターはかぶりをふる。
「やはり、私は足手まといになりましょうか、これから単騎リーフ様をお迎えに行かれる騎士様におけががあれば、私のライブも必要になりましょうのに」
「あなたのご協力があれば正直心強い」
しかし、私は、このシスターにかける言葉が見つからない。
「…だが私は、シスターを守りおおせるか、その自信がない」
するとシスターは意外なことをいいはじめた。
「騎士様、私は騎士様を見知っております。まだ公爵様がご存命であった頃、私はリノアン様のお遊び相手としてターラの領主館におりました。そして騎士様がご家族と一緒にリーフ様をお守りするために、領主のお屋敷においでだったことを存じ上げています。
ターラは今、かつての栄華のかけらもなく、命運は風前の灯火…
そして私は、リノアン様のご指示により、尼僧の身ながら旅をして参りました。
ターラを出るとき、私は聖ヘイムに誓ったのです。いずれ出でたまうターラを救う勇者を見いだし、ターラにおつれすることが出来るのなら、死もいとわないと。
私には、その勇者が、リーフ様であるような気がしてならないのです。
ですから騎士様、私のことならお気遣いなく。お役に立たぬとお思いならば、この場にてお別れし、私はもう一度、ミーズに入ることを試みようと思います」
シスターの、強い意志のこもった言葉に、私はずん、と胸を痛めた。懐かしい、言葉の激しさを感じた。
「わかりました。あなたがそこまで言うのなら…
マンスター方面に急ぎましょう。日があるうちに、少しでも先に進まないと…」
トラキアと帝国は、同盟関係にあるとは言う、その同盟ははなはだ帝国に有利に締結されたものであった。
手を組む水面下で、いつお互いの手に爪を立てようか、そんな微妙な均衡の上にあった。
マンスター…すなわち帝国を敵とした私達が、敵の敵は味方とミーズの懐に入ったのは、ある意味正解であったやもしれない。なんとなれば、ミーズを預かるのは誰あろう、トラキアの中でも武勇の誉れ高く、義理に厚いハンニバル将軍であったのだから。そのハンニバル将軍のかげながらの尽力で、後々私達は得がたき仲間に出会えることになる。
「あれは」
マンスターに近づきながらいたとき、後ろから、シスター・サフィが何かを指差した。
「リーフ様ではありませんか? あの真っ白い鎧と輝く剣は…」
「えっ」
私は、シスターの指差したほうをみやった。確かに、戦闘で舞い上がる砂埃の中に、鋭い光があった。
「リーフ様!」
私は、後ろにシスターを乗せていることも忘れてリーフ様に駆け寄っていた。
「ご無事でしたか!」
「この通りだ、心配をかけたな」
馬を下り、膝をつく。ケルベスの門を脱出してこられたリーフ様には、そうすべき威厳があった。
「喜び合うのはあとでいい、援護をしてくれ」
「はい」
戦いながら、リーフ様は、ここまで逃れられてきた顛末をお話くださる。マンスターを帝国から開放しようと活動している一団があり、その彼らと合流し、新しい仲間としてともに戦うため、力を合わせてケルベスの門を脱出してこられたのだ。
「では、ここにいるのは、その『マギ団』の面々、ですか」
私が訪ねると、
「それだけじゃない、ナンナもいるよ」
「ナンナも!?」
「詳しい事情は後で話すけど、マリータはまだ助けられなかった。エーヴェルも…
でも、ナンナだけは助け出せた、後の二人も、きっと何とかなる」
「わかりました」
「ナンナはまだ無事だと思うよ。でも、まだ戦闘慣れをしていないんだ。助けてあげて」
「はい」
ナンナは、本当にすぐそこにいた。兵士が二三人、よこしまな表情で彼女を見ている中、ナンナは道沿いの岩を背にして、闇雲に剣を振っていた。
それを真上から助け上げ、馬の後ろに乗せる。
「…お父様!」
「怪我はないか?」
一応問うてみる。ナンナは
「はい、どこにも」
と答えた。
「マンスターにいる間はエーヴェルが、ずっと私を守ってくれたのです。でも、エーヴェルは、マリータを守って…石にされてしまいました」
「石!?」
「はい。暗黒魔法のようですが、何がどうなってしまったのかわからなくて…そのうちに、リーフ様が助けに来てくださって…」
「ともあれ、お前が無事でよかった」
ナンナを後衛に下げるべく馬を走らせながら、私はついと本音を言った
「お前に何かがあったら、私はあの方に何と言ってお詫びすればよいものか分からない」
「…」
「お前は後方で、シスター・サフィと一緒に杖で癒していてほしい。まだ戦うには慣れていないだろう」
「はい…剣を握るのは、怖いです…」
出来れば、そんなことには慣れさせたくないものだ。私はそう思いながら、シスターの傍らにナンナを降ろす。回頭しようとして
「あ、お父様」
とナンナが声を上げた。
「どうした?」
「いえ、何でもありません…お気をつけて」
いつ似ないあわてたような口ぶりだったので、何か困ったことでもあったのかと思ったが、そうでもなかったようだ。「おかしい子だ」私はつい口の中で笑ってしまう。
「気をつけなければいけないことは、わかっている。お前はお前で、精一杯をすればいい」
「はい」
ナンナは小さくうなずいて、早速、運ばれてきたけが人にライブをかけようとしていた。
「ナンナ様、落ち着いて、神に祈りをささげないと、ただのライブでさえ、失敗いたしますわよ」
というシスター・サフィの声が、小さく聞こえる。
「ちょっと寄り道をしてしまったけれども、いよいよターラだよ」
と、リーフ様が仰る。ハンニバル将軍との対面の後だった。
「『マギ団』もサフィも、ターラのために、ここまで戦ってきたんだ。そのターラが、次の子供狩りの標的になっている。拒否をしたら、街を火にかけるって…
いま、あの街は、リノアンがたった一人で守ろうとしている。救援がむかってるっていう話しも聞いてる。でも、もう限界なんだ。
ターラはぼくにとっても、思い出深い街なんだ。お前にだってそうだろう」
「は、はい」
私は、リーフ様の勢いに押されて、つい言葉が詰まる。
「だから、ターラとリノアンは、必ず助けないと。
ぐずぐずしている時間はないんだよ」
「出立は急ぎますか」
「その必要がありそうだ。将軍が、紫竜山まで案内をつけてくれるっていうから、道に迷うことはないと思う。
紫竜山まで出られたら、後はわかるだろう? 盗賊征伐によく行っていたはずだから」
「そうですね」
「それにしても、こんな偶然ってないよね。昔、僕たちが怖い思いをして通った紫竜山が、まさかダグダのまとめていた土地だったなんて」
リーフ様はそう仰って、軽く笑まれた。
その紫竜山までに至る、ある野営の夜だった。
「…お父様」
小さくナンナの声がする。武器の手入れをしているところであったから、
「入ってもよろしいですか」
の問いに、簡単に許可の返答をすると、ナンナはするりと天幕の中に入ってきた。
「当面の目的地は、ターラなのですね」
「そうだな」
「お母様のことがあれこれと思い出されて」
しんみりと、ナンナが言う。ことさらに彼女には印象深い土地であるに違いなかった。しかし、今はその思い話をするような雰囲気ではなかった。ナンナは、そう言ったきり、黙っている。
「どうした?」
私が先を促すと、ナンナの目がかすかに潤んでいる。
「リーフ様、もうお心がターラに飛んでるみたいで…リノアンを助けるんだって…」
「…」
「リノアン様を助けたいのは私も同じです。でも…その…」
「どうした?」
「リーフ様は、旧知の間柄だからこそ、リノアン様がご心配なのもわかってます。それなのに、私…」
私はつい、笑いそうになってしまった。始めターラにあった頃、年ごろの近いリーフ様とリノアン嬢とが遊びやすいのか、ともすればナンナがほうって置かれがちなことがたびたびあった。そうなると、彼女はすねて、今のように、私か王女のもとにやって来る。
私は武器を片隅によけ、隣まで来るよう招くと、ナンナはついとなんのためらいもなく座る。
「リーフ様が今抱かれているのは、義憤というものだよ」
「義憤、ですか?」
「リノアン嬢が目的ではなく、ターラが子供狩りの標的になり、かつ帝国に包囲されていることに、憤られているのだ」
「そう、なんですか」
「あの街には、リーフ様には、たくさんの思い出とともに、恩もある。リノアン嬢の父上のターラ公爵には、君主として必要な、たくさんの知識を授けて戴いたのだ」
「…」
「ターラのために戦うことでそのご恩を返したい、それが今のリーフ様のご心境なのだと思うよ」
「…はい」
ナンナは、とりあえずは納得したようだった。私は、そのナンナを、自分の膝の上に乗せ上げる。
「きゃ」
まだまだ華奢なその体に手を回して、私は説くようにナンナに言う。
「お前が戻ってくるまで、気が気でなかったのは、私の方だ。リーフ様のご無事を喜ぶものはたくさんあっても、お前が無事で一番安堵しているのは私だということを、忘れないでくれ」
「…はい」
ほのかに熱くなったナンナの声がする。まだこの子は、私一人の腕の中で守れる場所にある。もちろん、いつかは心身ともに完全に熟して、誰かを容れることに間違いはあるまい。
もちろん、それを誰かにするかは、最後は彼女が決めることだ、しかしその誰かにこの子を渡すまで、私はこの小さな、かけがえのない宝を守ってゆかねばならないのだ。
紫竜山まで、私達を案内してきた騎士カリオンは、自分もレンスターの遺臣の一人だと言い出し、近くにあるハンニバル将軍の持つ山荘には、同じように遺臣が集い、リーフ様のおいでをなるのを待っているという。
「リーフ王子生存の噂は、すでに半島に行き渡っています。…反帝国の勢力を纏め上げ、その旗頭になられると」
「僕が?」
リーフ様はいささか、ご不審の表情で、そう返された。
「そんなこと、できる?…僕に」
「出来るかではありません、そうなっていただかなければならないのです。現に、件の山荘には、ドリアス伯が若い騎士を育てつつ、その時を千秋の思いで…」
「ドリアス卿が?」
私がつい声を上げる。
「ドリアス卿って…お前がよく話してくれた…父上の…」
「そうです」
リーフ様の問いに私は、少しく浮き足立った声で答える。カリオンは、知ってる方がいるなら心強いというようなことを言い、
「いらっしゃっていただけますね?」
と確かめるように言う。そういうカリオンの問いに、リーフ様は一も二もない返答をされた。
もともと、この一帯を取りまとめていたのは、フィアナ村と手を取り、山賊からの立ち直りを率先して行ってきたダグダという男であった。
ケルベスの門で、リーフ様が相手の策中にすすんで入っていたれたことで、一時期別行動をとり、この紫竜山近辺を回り、仲間を募って合流する予定であったが、その仲間の一部が山賊に戻っていたらしい。それらを平定するために、私達は、少々の寄り道を余儀なくされた。
山賊に戻っていたダグダの手下は、口々に、食べていくにはそれしか方法がなかったという。
トラキア半島、わけても、半島南部のトラキア王国と帝国とは、トラキアに不利な約定で同盟を組んでいる。そして、その帝国の属国ともいえるフリージ家が作った北トラキア王国は、ひきつづき、トラキア王国を監視しつづけている。そして流通は限りなく無きに等しく、特に食料は厳しく統制化に置かれ、同盟国ではあるはずなのに、北の恵みは南に流れてゆかない。
これも、トラキアに伝えられた天地二振りの聖槍の悲劇の一端なのだろうか?だとしても、もし、かの聖兄妹がこの世におられたとして、この状況をどうご覧になるだろう。
例の山荘まで、いよいよ指呼の間というところで、カリオンが
「ああっ!」
と声を上げた。
「山荘が襲われている!」
「なに?」
リーフ様もそのほうを見やる。そして、声を上げられた。
「見ている場合じゃないよ、山荘を守るんだ!」
同じトラキア領内にあるはずなのに、ハンニバルの山荘が襲われた。つまりトラキア当局は、すでにあの場所に、トラキアに害なすものが隠されてあることに気がついていることになる。私達と山荘を隔てるような山の上では、竜騎士の部隊が不気味に旋回していた。
「カリオン、山荘の中の勢力はどんなものだかわかるか?」
と聞くと、
「…あまり、熟練者とは言えません。遺臣と言っても、そのほとんどはレンスター崩壊後に、ドリアス卿が集められた新兵たちで、少しでも戦力になりそうなものは、ターラのほうにすでに向かっています」
「なるほど」
「直進すると、おそらく竜騎士に襲われるでしょう、南に迂回も出来ますが、おそらく帝国軍が…」
そのとき、頭上で
「僕は先に山荘に行ってくる!」
とリーフ様の声がし、私たちはその上を見上げる。天馬騎士カリンの天馬に乗って、竜騎士の索敵の合間を縫おうという、そういうおつもりらしい。
「山荘のみんなを元気付けてあげたいし、必要な人間を送ってあげるといいと思うんだ」
「それはよろしいのですが、天馬から落ちられませんよう」
私が返すと、天馬の主・カリンが
「おまかせくださーい、無事リーフ様はあちらにおとどけいたしますからぁ」
陽気に言って、はたはたと翼をはためかせてゆく。
「やれやれ」
私はつい、ため息をついた。
「どちらが先に考えたのだか…突飛なことを」
しかし、密度の濃い戦闘の続く中で、リーフ様の才覚の片鱗が次々と見えてきた。ターラ公爵が見抜いた才能は、あながち間違いではないのだろう。
とまれ、我々も先に進むよりないか。私は
「騎馬は南進、山荘に進撃する部隊を背後より襲撃せよ!」
と声をあげ、自らその先頭に立った。
最後の一兵を倒したとき、私達は誰も、まともな言葉一つすら出すことも出来ず、その場にへたり込んでいた。山荘で育てられた新兵は、文字通り死んだように動かない。しかし、誰も死ななかった。犠牲のないこと、それが何よりのことだった。
しかし、これほどの戦いで手足とが言うことを聞かぬとは…そろそろ、騎士としては限界にあるのだろうか。つい自嘲したとき、リーフ様のお顔が私の視界全体に入ってこられる。
「リーフ様」
「セルフィナが、話をしたいって」
「セルフィナ?」
その名前は、聞いたことがあるような。女性の名前か。だとすれば、私はそれを忘れている可能性がある。
「とにかく、行ってあげてよ」
と仰ったとき、その後ろで、
「その必要はありません」
と声がして、女騎士が私の脇に、かしこまるように座った。
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