よんどころなくして物資が必要となった場合は、私かナンナが調達することにした。王女がおられぬでは、もう手持ちの資金はあるだけだ、なるべくつましく使ってゆかねばならない。
とまれ、買い物に出たナンナが返ってきて、
「お店に、ルー様のお顔が」
と言う。
「また? 参ったなぁ。 また街に入れないのか」
当局の目を避け、盗賊から隠れるように進む逃避行は、もう一年以上になんなんとしている。ナンナも、最初はあれこれと難儀もしたようだが、辛抱強くついてきた。
「マンスターが見えたから、山を迂回して、海沿いに南下するんだよね」
「そうです」
マンスターに近い、小さな街であった。しかし、雰囲気は暗い。
「前は『なになに、首がすげ変わっただけですよ』なんて冗談なんか言う人がいたくらいなのに」
ナンナが調達してきた食事をとりながら言う。
「だんだん、活気がなくなってくるんです。ものすごく、おびえた感じで…」
そうナンナがつぶやいたとき、街の中からおびえたどよめきのようなものが上がった。
「どうしたんだろう」
見てくる。リーフ様が下馬されて、そっと中を伺う、私もその後をついていった。
広場に、黒衣の魔導師が数人、兵を連れて立っていた。村の町らしい男が、その内の一人に取りすがっている。
「もう、勘弁してください、この街には、もう、お望みの子供は、もう一人も残っちゃいないんです」
しかし、魔導師は、男をひと蹴りにし、
「半年もあれば、這う子も歩くわ」
と言い、家という家を兵士に探らせはじめた。
「なんだ、これ…」
リーフ様の声が震えている。ナンナが、小さく
「子供狩り、というものかもしれません」
と行った。
「子供狩り?」
「理由はわからないのですが、やっと歩ける子供まで、みんなつかまえて、ああやってつれていってしまうんだそうです。
どこかの街で買い物をしたとき、気をつけろって言われました…」
そういう間にも、小さな子供が数人集められる。隠し育ててあったのだろう。少々大きい子供たちもいる。
「ひどいな、つれていかれた子供たちはどうなるんだ?」
「私は…知りません」
ナンナはかくかくと震えていた。私は、何も言わなかったが、あれが暗黒教団だとわかっていた、とらえられた子供たちは、暗黒神へのいけにえにされるという。子供たちの悲しみ、子を失った親の嘆きをえさにして、暗黒神は育つと…
「ルー様、先を急ぎましょう、この街に長居は危険です」
私は、リーフ様の手をひいた、その手を、リーフ様はぱん、とはじかれる。
「!」
「僕の剣を」
「ですが」
「早く! 子供たちが連れ去られる」
「…わかりました」
お荷物の中から剣をとって差し上げると、リーフ様は街の中に躍り込んで行かれた。
「ルー様!」
思わずナンナが声を上げるのを、私は馬に乗せあげて、私は槍をとり、その後を追う。
「…暗黒神の、いけにえ?」
私がいない間に、リーフ様はことのあらましをご存知になったらしい。
「そんな小さな子供たちをか?」
「そうだ、暗黒神様の復活には、子供たちの血肉と断末魔が何よりの捧げ物…」
暗黒魔導師がふふふふふ、と暗い笑いをもらす。
「そんなことは許さない、子供たちをおいて、街から出てゆくんだ」
「ほお、どう許すというのだ、街の子供ではないようだが…」
「そんなことは関係ない。困っている人を助けるのは、人として当然の振る舞いだ」
そう仰って、ルー様は暗黒魔導師達を見据える。その内、兵士の一人がなににかに気がついたように、耳打ちをする。
「ほおお、それは面白いことを聞いた。手柄も倍になろうというもの」
感づかれた! 私はリーフ様を抱え上げ、馬に乗せると、そのまま南に走る。
「待て、なぜ逃げる必要がある!」
「ルー様、あなたが帝国の賞金首であることがわかったのですよ、いずれ追っ手が」
「お父様、後ろから、馬に乗った兵隊が!」
「やはりか!」
私は、ナンナと馬を並ばせた。
「鞍袋を外して、しっかり持っていなさい」
「は、はい!」
そうしたのを確認して、私は馬からナンナを抱え上げた。
「ルー様、ナンナと一緒に先行されてください」
馬を並べて、ナンナをリーフ様の馬に乗せあげる。
「お前はどうするんだ」
「援護を致します、どうか、出来るだけ先に!」
その馬の尻を槍でしたたかに打つと、馬はぐんと速さをまして、木立の間に消えた。
それを追おうした騎兵の馬を槍で突き、私は馬を止め回頭させた。
「ここから先は進ません。
『レンスターの青き槍騎士』の槍を、受けたいものはあるか!」
寄せてくる数騎を払うように薙ぐ。わざと後退しながら、倒れた馬と人とを越えてやってきた敵を相手する。
私は死んではいけない。敵の数が少なくなったら、隙をみて後退するつもりであった。
その作戦は成功した。折から日が陰ってきて、暗さに紛れて逃げ出せそうな暗さになってきた。
足音を当てずに後退し、やがて、進むべき方向に馬を向ける。私も馬もだいぶ疲労はしていたが、生きているだけ幸いというものだ。どこまで先行されただろうか、私は二人の影を探しながら進む。
が。
急に、体が重くなる。馬も姿勢を保てず、私ももろともに転倒する。
「毒…か」
受けたかすり傷の中に、毒でも仕掛けられていたのか、最初はそれを疑った。
しかし、すぐそうではないと確信した。
ウェルダンの…暗黒魔導師…遠くから索敵し…傷をつけず生命力を…奪う…
ちらりと明かりが見えた。
「おとうさま…!」
小さな声が聞こえる。
ナンナか…無事でよかった… 安堵の脱力が、私の最後の活力を使いはたし、私は目を閉じた。もう手足の指一本、動かすことも出来なかった。
あれから、もう数年の月日が経とうとしている。
私は、トラキア半島の東部沿岸の奥になる、フィアナという開拓村にいた。
暗黒魔法によって瀕死に陥った私と、子供が二人、そんな奇妙な一行を受け入れてくれたのが、この村だったのだ。
私は村で手厚い療養を受け、そして、子供たちにはそれぞれ、同じ年ごろの友人もいくたりかできた。
フィアナは開拓の傍ら、義勇軍と称して、付近に出没する海賊や盗賊と戦っていた。床を払い、問題もなく動けるようになった私が、その義勇軍に加わることで恩を返すことに、全く抵抗はなかった。子供たちは、村の大人たちが守ってくれている。それを頼もしくも思いながら。
ある日。海賊の討伐が決定し、私はその準備をしていた。
フィアナまで私を助けてくれた物言わぬ友サブリナは、この村を最期にして逝ってしまったが、彼女の娘が、母親と同じ賢さで私を助けてくれる。私は、この仔にもサブリナと名付け、今ではもう、私のたなごころを指すように動いてくれる。
とにかく、その準備を、リーフ様がずっとご覧になっていた。
「どうか、されましたか」
と尋ねると、
「僕はまだ、ここで留守番?」
と仰った。死地をかいくぐってこられたとは言え、まだ完全に成人はしておられない。そう考えていた私は、私に、暗に連れてゆけと仰るその目の輝きに、いつにない鋭さを感じた。
その時が、来たのだ。私は、身震いをした。
「…いらっしゃいますか?」
「いいの?」
と立ち上がるリーフ様に、
「ただ、時間がありません、準備はお早く」
「わかってる」
リーフ様はばねのように素早く、その支度に取り掛かる。物音に気がついたのか、小さな子供たちの相手をしていたらしきナンナが、いつのまにか、私のそばにいた。記憶にあるわすられぬお顔を、そのまま、やや憂いがちにした表情で、
「今日はリーフ様も一緒なの?」
と聞く。
「ああ、ついてこられると仰るのでおつれすることにした」
「リーフ様、初めてですよね、海賊の討伐は」
「そうなるな」
「お父様も、リーフ様も、どうかご無事で」
「わかっている。お前は村で、おとなしくしていなさい」
「はい」
そう答える娘がついいじましくなって、私はその娘の頭をなでる。金色の髪は豊かに伸び始めて、はしばみの瞳がじっと私を見上げていた。
「準備、出来たよ」
そう仰りながら、リーフ様が出てこられる。軽々と、馬の背に乗り、
「ナンナ、行ってくるからね」
そう声をかけられる。
「はい、ご無事で」
それが、新しい戦いの始まりだとは、神ならぬ私には、知る由もなかった。
帰り道、わたしは何にかへの胸騒ぎを起こしていた。今日に限りリーフ様をこうしてお連れしたはいいが、それはかえって誤った判断ではなかったか。そして、こういうときの胸騒ぎは、えてして現実になるものなのだ。
いつもなら、討伐後の高揚感とともに見えてくるはずの村が、不穏な雰囲気を醸し出していた。この物々しい雰囲気に、私は何度も出会ったことがある。それは、海賊や盗賊などといった甘い輩ではない、軍隊のにおいだ。
「…帝国軍?」
私は一人ごちた。しかし、フィアナの村長にして義勇軍の頭目エーヴェルは、私の独り言を聞き逃さなかった。
「帝国軍?」
「そのようです…とうとうここにも…」
「あきらめるには早くありませんか」
エーヴェルはそう行って、私の後ろのリーフ様にいう。
「リーフ様、私どもフィアナの村人は、ここでリーフ様とお別れということになりそうです」
「え?」
「帝国軍が村に入っていますわ。おそらく、リーフ様の捜索を…
私達が引きつけている間に、どうかお逃げください」
そして、左右の若い戦士に
「準備はよくて?」
と声をかける。しかしリーフ様は、私の馬の背から飛び降りられた。
「エーヴェル、まだ村にはナンナがいるんだ、あの子をおいて僕は逃げられない」
「それは、私達が何とか致しますから」
そういうエーヴェルを振り払うように
「僕は決めた。もう逃げない。これからも逃げっぱなしなんて、ごめんだ」
エーヴェルは少しくため息をついて
「ご主人様はああ仰っておられるけれども?」
と私を見た。私は、
「今回の海賊との討伐に当たっても、リーフ様は勇敢に戦われました。むしろ、今まで大切にしすぎたかもしれません。
主君が戦うというならば、臣はそれに従うのみです」
と言う。エーヴェルは納得したようだった。
「そうですか、ならば私にも異存はありません」
左右の戦士達にもう一度確認を取り、私達は村の門をくぐった。
しかし、私達の到着は入れ違いに等しく、私達はリーフ様を捜索している残存部隊を処理したに過ぎなかった。残った村人の話しによれば、リーフ様が見つからぬかわりに、ナンナと、エーヴェルの娘・マリータが、将軍らしい風体の男に連れ去られていったという。しかしエーヴェルは、気丈に、
「二人以外に被害はないのね」
と言う。リーフ様の所在を聞き出すために詰問にあった村人はいたが、死者はいないようだった。
「ナンナも、マリータも、僕の身代わりになったんだ」
リーフ様は唇を震わせておられた。
「もういやだ、誰かの犠牲の上になって生きるのは! よりによって、なぜナンナが…」
「落ち着かれてください、リーフ様」
隣でエーヴェルが言う。
「私の娘はともかくとして、ナンナ様はリーフ様と同様に聖戦士を血脈をお持ちの方、帝国とてそうぞんざいには…」
「とにかく」
そのエーヴェルの言葉を、リーフ様は振り払うように仰る。
「僕は二人を取り戻しに行く。いいよね、エーヴェル」
エーヴェルは、あきらめたように一息ついた。
「それならば、明日にでも発ちましょう。
今夜はゆっくり、お休みになってください」
夜が明けたら、私達はフィアナの村を発つ。隣の寝台で静かにお休みだと思っていたリーフ様が、
「ナンナがいなくなっていて、辛かっただろう?」
そう仰った。たしかに、何とも思わなかったといえば嘘になる。生まれた日から十四年という長い間、一日として側から話さなかった娘なのだ。もっとも、年月の経つほどに、彼女がいる意味というのは、娘というより、もっと大きなものになりつつあるが…
「…少しは」
私は、そういうもろもろの思いを一口に飲み込んで、そう返した。
「しかし彼女は芯が強く出てきていますから、多少の苦境には十分耐えられると思っていますよ」
「そうかな」
するとリーフ様は、私を探るように仰る。
「お前が、海賊や盗賊を討伐に行くたびに、帰ってくるまでナンナはすごく心配そうな顔をしていんだぞ」
「…そうでしたか」
「お前はわからないよ、だって、お前が帰ってくると、ナンナはとびきりの笑顔になってしまったもの。
僕はそれを何度も見てきて、二人が離れ離れになったのは、辛いだろうなって」
「ご心配くださいますか、ありがとうございます」
「お前の心配だけじゃない」
リーフ様は、私に背を向けられた。
「ナンナが心配なんだ。僕は」
それきり、何も仰らなかった。
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