市長殿はどうやら、その場凌ぎの冗談や子供だまし出はなく、本気で、リーフ様に君主の…しかも中興の名君の…才があるとお思いのようだった。ご自身で教えるのみならず、つてをたずねしかるべき学者など呼び、本格的に君主となるためのご学問をお授けになるようだ。
本来なら、私がその時期を見切って、そうして差し上げるべきだったのだろうが、ただお身柄をお守りするのが精いっぱいで、至らなさばかりがさいなむ。
市長殿にそう申し上げたら、
「なになに、半分私の道楽のようなものですから、お気になさらず。むしろ、この年まで、あの尊き人を守ってこられた、その心意気をこそ、たたえられてしかるべきと私は思います」
「もったいないお言葉です」
私がそう頭を下げる。すると市長殿はふふ、と含むような笑いをされた。
「巡り合わせというのは、面白いものでございますね」
「巡り合わせ、ですか」
「はい。
ターラの街は、ご覧になったような有り様で、あちこちからいろいろ人やモノと言ったものが行き来します。
中は、あれこれこと多きご時世ゆえに、行き場をなくされた者とか」
私は、ぐっと息をつめた。我々のことを暗に仰っておられるのか、そして、揶揄もしておられまいかと。
「小さなご主君を外にお連れするときは、くれぐれもご注意なされたがよろしいでしょう」
「それは、第一に考えなければいけませんし、私もそう出来るよう心がけています」
「あと、奥方」
「…妻が?」
「グランベル帝国が、その建国の基の一つとしてうたう『シグルドの叛乱』、それにかかわったものは、身分の高低を問わず戦犯となっているのはご存知でしょうか」
「なんと」
私は思わずその場を立ち上がりそうになった。
「その大部分を皇帝自らが制圧したが、討ち漏らしたものが若干ある。生死にかかわらず差し出せば、相応に褒賞あるべし、と」
と、市長殿がおしめしになる書類には、確かに、その戦犯として、王女のお名前も挙がっていた。
「ご安心なされよ、私は、自分の目の黒いうちはあなた方のことは、拷問にかけられても申し上げる気はありません」
しかし、私は愕然とするよりなかった。自分知らない場所で運命の歯車はその勢いに拍車がかかっている。
「あなたはたた、ご主君と奥方、娘御をお守りする、それだけを考えればよろしいのです。
グランベル帝国からも、トラキアからも、いまだターラは自由です」
市長殿は仰るが、その双方からの自由を認められるために、相応の見返りに応じられておられることは察された。
「市長殿、我が主君について、フリージが目を付けられた暁には、このターラも、相応の…いえ、ややもすればそれ以上の被害を被られるかもしれません。
それがわかっておられるのに」
「ではひとつお伺い致しましょう」
下町殿が、そう改まられた。
「騎士という者は、その身分を得るときに、誓約というものをするそうですね」
「あ…はい」
その話の方向が全く予想外で、私はつい虚をつかれた返答をしてしまう。
「忠誠と敬愛、そして常に自分を磨き、徳高くあるよう、神と主君に誓います」
「こういう言い方をすると、本物の騎士であるあなたは少々お気に触るかもしれない。
私は、このターラを我が子のように思い、かつ、ターラを主君とした騎士のように、この街のためなら身命も惜しまないと常々思っているのですよ」
私は返す言葉をなくして、市長殿のお言葉の次を待つ。
「…世は刻々と、変化していきます。その変化に、ターラもそってゆかねばならない…
私は古い人間です。古い人間は、新しい世界の礎にならなければならないのですよ」
「市長殿…」
「娘にも、常々言い聞かせているのですよ。
この街を預かったからには、その行く末を見守り、時と場合によればこの身を投げ出して、ターラを守るのが私の使命であると」
私の体が、がくがくと震えていた。
「し、市長殿…あなたは…まさか…」
「いけませんかな?
あの小さなご主君がこの街においでになったときから、私は覚悟を決めているのですよ」
市長殿はまるでご自分をあざ笑うかのような笑いを漏らされた。
数日後。街に出られた王女が
「これ、みてくれる?」
と、一枚の紙を差し出された。
<旧レンスター王国王子リーフ 上、グランベル帝国に親しき北トラキア王国にあだなすものとならん。情報をもたらしたものには、その信用度に応じて褒賞のあるべきこと。また、身柄について、生死を問わず差し出したものには…>
私の私の全身が怖気たった。
おそれていたものが、きた。
王女は、動けなくなった私を慰めてくださる。
あの紙のリーフ様はまだ顔が幼いから、リーフ様の現況はまだ当局につかまれていないから大丈夫。
リーフ様は運がつよい方だから、なによりも、私が今までここまで守ってきたのだから。
そう仰って慰めてくださるけれども、私は今度こそ、終わりを感じていた。
市長殿は、話をすでにご存知らしく、
「自由都市の悲しいところです」
と仰る。
「自由ゆえに、このような文言を封じることが出来ない」
もとより私に、なぜ、こんなことが許される自由都市になどなったのだと、市長殿を責めるつもりはない。ただ、リーフ様は今後どうなられようか、それだけが、私を完膚無きまでにさいなんだ。
「どうなりましょうか」
「ご安心なさい、私はあなた達を当局に差し出そうなど、毛頭思っていませんから。
ただ、うすうすお察しの通り、自由都市には自由都市のしがらみがございます。
ですが、この年が帝国軍に包囲されるようなことがあっても、逃げ道はきっと確保いたしますから、どうか、ここにおられる間は安心していただきたい」
寝もやらず、ただわななくことしかできない私を、王女はずっと、その腕の中にしてくださっていた。子供をなつかせるように髪をなでてくださいながら、
「どの血にも、一度は継承断絶の危機はあるもの」
と仰る。
「あなたが守るノヴァと、私の持つヘズル。正当な継承者はどれも行方不明。
…ほかの血も、ただ、早いか遅いかの違いではなくて?」
「私のような力不足が負うには、この危機は大任に過ぎます」
「だからといって、リーフ様をここで帝国に渡してしまうの?」
と仰るのに、私はついと顔を上げた。
「そんなことは致しません。それが私の…使命…の…はず…」
だが、口では簡単に、何度でも言うことが出来る。私は、口に出した言葉を、勢いかき消すようにしか言い終えられなかった。
「あなたでないとだめなのよ。理由は聞いているでしょう」
「…はい」
「多分、リーフ様がご成長し、レンスター奪還のために兵をあげる、その時が来るまでともに待てるのは、若いあなたにしか出来ないこと、と」
「…ご明察です、一字一句、間違いありません」
「今のあなたから」
王女が、また髪をなでつつ仰る。
「滅びを予兆する気配は感じられません。リーフ様にもね」
「…本当ですか」
「私が今までに、この予兆でうそを言ったことはあって?」
「…ございません」
「でしょう? だから、あまり気にしないで」
母のぬくもりとは、こういうものなのだろうか。暖かさと、ほんのすこしの潤いと、鼓動が、私のほほを伝って、染み込んでくる。
「怖いことは、何もないわ。
だから、眠って」
私の頭の中は、いつしか風のない海のように凪いで、意識はその深淵の中に落ちていった。
リーフ様に、今ご自分のおかれている状況を説明して差し上げたほうがいいというのが、私と王女との、一致した意見であった。
「どうしたの、二人とも、そんなまじめな顔して」
と、私達が改まってリーフ様の前に立つと、リーフ様は少しそれがおかしそうな顔をされた。
「リーフ様、どうしても、今説明してければならないことがあります。
お聞き戴けますか」
「うん。何?」
興味深そうに向き直られるリーフ様に、言葉を選びながら、私達は、リーフ様は将来、レンスター王家をもう一度立ち上げるために必要な方だと思われていて、実際そうであること、しかしフリージ王国やグランベル帝国はそうされては困ること、そのために、リーフ様を子供のうちに捕まえて、抵抗できないようにする必要があることなどを話した。
「そうか、だから、僕はずっと旅を続けないといけないんだね」
「そうです。本当ならば、安心できる場所、もしくは敵の目のすぐには及ばないところで落ち着いていただきたいのが最上の策なのですが、何分にも私も五里霧中の中進んでいるも同様で」
「でも、今まで捕まってないよね? それはすごいことだと、僕は思うけどな」
「もったいないお言葉です。
ですが、今回ばかりはそうお楽にしていい事態でなくなるかもしれません。
ルー様のお身柄を帝国に差し出せというふれが出回っており、すでにこのターラでも、ひそかにその捜索が始まっております。
ご外出などは、どうか控えてくださるよう」
「…わかった。僕がいないと、レンスターはもとに戻らないんだからね。
ぼくも、自分の井用をみんなの苦労を、無駄にすることはしないよ」
リーフ様は、いつになく神妙に、そう仰った。
「リーフ様はもういくつにおなりでしたっけ」
と、気がついたように王女が仰る。
「十二、三歳のはずです、セリス公子と一ヶ月程しか違わないはずですから」
そう返答すると
「私は男の子を真剣に育てたことはないから良くはわからないけれど、その年は子供なの?大人なの?」
と例の問答のようなご質問が返ってくる。
「さあ…どうなのでしょう。私はその年ごろには、すでにレンスターの王宮でキュアン様の従者をしておりましたが」
「そういえば、グレイド様が面白い話をしてくださったことがありましたっけ」
何気なく返答をしていると、王女の顔が、急に探るような笑みに変わられる。
「か、彼が何か話しをしましたか」
「交際の申し込みをしてきたお城づきのメイドの女の子に向かって、大勢の前でお断り宣言を…」
「あのおしゃべり」
私はがくりとうなだれた。
「私にそのあたりの機微の全くないことは、王女が一番ご存知ではないですか」
と、つい不遜な口答えの一つもしたくなってくる。
「そうだったかしら? まあ、そういうことにしておくわ。
その方向で行くと、リーフ様はもう大人に近いところにいらっしゃるようね」
「は?」
私は王女の突拍子もない方向に飛躍されるお言葉についていくことが出来ない。
「ナンナの相手をしてくださっているリーフ様のお目がね…ときどきとてもせつなげでらっしゃるのよ」
「はぁ」
「恋されてるのね、きっと」
私はその場で声もなく動揺した。
「な、ナンナはまだ八つの何もわからない子供ですよ?」
と返すと
「あら、この秋には九つになるわ。それに、こういうことに年は関係がないの」
「…はぁ」
「ナンナがお行儀よくなりたいって自分で言い出したのも、そのせいよ」
未来の国王にぴったりじゃない。王女はころころと笑われた。
今になって、ナンナが生まれたときの、アレンでの一族の騒ぎようがわかった気がする。
男子なら、私の跡継ぎとなるから慶事である。それは私にもわかる。
しかし女子でああまで大騒ぎになるかとけげんに思ったのは、実は私だけがしていた勘違いで、女子ならば、ちょうど年の差もよい王子に、長じれば娶っていただけるという希望が生まれた、ということだ。
「では王女は、将来リーフ様が、ナンナをお選びになると?」
「可能性は十分にあるわね。もっとも、この先、ナンナ以上の子が出てくれば、話は別でしょうけれども」
「…はぁ」
その結末を見守るのに十年はかかる、遠大な賭けのようだった。いやその賭けさえ、成立するのだろうか。王女に、おどけているご様子は全くなかったけれども、私は、今はそこまでを考える余裕は、全くなかった。
しかし、子供たちの成長というものをまじまじと見せつけられるような事態になってくる。
衛兵に稽古をつけようと、庭に出ようとした私を、
「ちょっと待って、ここに座って」
と王女が引き止められる。その顔はおどけた雰囲気などいっさいなく、ひどく真剣だった。
「今朝のことで、あなたに話しておかなくてはならない、重要なことがあります」
その勢いに、私は吸い込まれるように、差し向いに座った。
今朝といえば、いつもの時間より早く、リーフ様が私達を起こしに来られた。ナンナの調子が悪いと。王女はナンナの調子を見るために、リーフ様を私に任せられて、しばらく部屋から出てこられなかったのだが…
「ナンナの具合は、悪いのですか」
「いえ、いたって健康よ」
私の問いに、王女はさらりと答えられる。そして、複雑さを秘めた薄い笑顔で、
「あの子は、今日からオトナになったの。だいぶ早いけれど、一度始まってしまえば、早いか遅いかなんて全く関係ないわ」
と仰った。その意味をはかりかねて、少々の問答の末に、王女が時々私をことさらに避けられるあの数日が、ナンナにもあるようになったのだと言うことは納得した。
「当座の手当ては、私が教えました。私はともかくとして、あなたが騒ぎ立てると、傷つくかもしれないから、見守ってあげて」
「それは造作も無いことですが…なぜ私にそのような」
「自覚がないの? あなたの娘の話よ」
私の反応が、あまりに薄すぎて、王女にはそれがいささかご不満なのだろう、ふと声を高く上げられた。
「オトナになっておめでたいとか、それで済む話じゃないの。
把握してほしいことがあるの。父親として」
「はぁ」
ここまで来ると気圧されて、この方のお話を聞くよりない。
「あの子はね、産めるどうかは別にして、もう受胎が出来る体なの。
それが何を意味してるか、わかる?」
「…いえ」
まだ、王女がお話してくださることをすべて咀嚼しきれずにいた。まだあどけないナンナの顔と、受胎…子が作れるという言葉がなじまなくて、違和感ばかりが先に立つ。
その私の正気を促すように、王女が机をこん、と指でたたかれた。
「…ナンナがこれからもし、何か、悪意のあるものにかどわかされて、傷でもついたら、即受胎する可能性があるってことよ。
たとえば、あのままノディオンが陥落したら、エリオットなりシャガールなりによって、私もそうなっていたかもしれない。ナンナはその危機に立たされたことと同じよ。
ここまで大げさに言えばわかるかしら?」
そこで、やっと私の頭の中の回路が、事実を咀嚼する。
「ナンナは、私の娘とはいえ、ヘズルの血脈を持つ聖戦士の裔ですからね…」
「私がリーフ様とのことを気にしていた理由も、わかってもらえるわね」
「なんとなくは」
「二人にはかわいそうだけれど、そろそろ別々にしないとだめね…リーフ様なら、きっとわかっていただけるわ」
そして王女はまた居住まいを正された。
「この話を前提として、あなたに話さなければならないことがあります」
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