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 司祭殿は、私が尋ねるより早く
「市長が参りまして」
と仰った。
「アルスターが近隣の自由都市にまで、とある人物の捜索を依頼してきたのです」
「とある人物?」
といわれて、一瞬頭をよぎったのは、誰でもない、リーフ様のことだ。
「はい。
 その人物を見つけたら、生死にかかわらず届出よ、さすればその都市は自由都市としてアルスターも相応に扱おうと、そういうことらしいのです」
「その、アルスターが探している人物、とは」
と尋ねても、司祭殿はなかなか口を開かれない。私にそれをつたえるのが、おそらく、負担なのであろう。しかし、司祭殿はしばらくして、吹っ切れたように
「亡国レンスターの王子、リーフ殿下です」
「リーフ様が」
「私めの老いた目で見た限りですが、あなたがお連れしている小さな方は…」
わかっているならば、話は早い。
「口外は無用に願えますか」
「とんでもありません。私は、窮状にあるものを救うことで、神の御心を得ようと試みるものです。神のみもとに参ったとき、一言なりともおほめのお言葉がいただきたい、それだけです」
「わかりました、疑ってしまって、申し訳ありません」
私は司祭殿に頭を下げた。
「おもてを上げてくだされ、その上私は、アスベルをお任せしようとまで言ってしまったのですから」
「アスベルのことは、ご心配なく。きっと司祭殿の仰るとおりにいたしましょう」
「ありがとうございます…」
司祭殿は、目頭を押さえられた。

 そして、この町を発つ…発たねばならぬ日が来た。私がその日に限って、武器や馬具の点検しようかと思ったのは、虫の知らせだったのかもしれない。
 王女は、リーフ様をつれて、剣の練習に行かれた。ただナンナだけは、私の側を離れない。
「おとうさま、こわい顔」
といわれて、私は反応のしようを失う。
「怖そうかな」
「うん…」
「気のせいだろう。装備の点検は、少しも間違いがあってはいけないからつい真面目になるものだ」
私は、それでも心配そうに私を見上げるはしばみ色のひとみをいじましく思いながら、その頭を軽く撫でた。
「アスベルのところで、本でも借りて読んでいなさい」
「はい」
 安息日の礼拝があって、教会の中はまだ、帰らない人たちでそこそこににぎわしかった。そこに、
「アルスターよりの使者である、司祭はおられるか」
という声があり、中は、水を打ったように静まった。やがて出てきた司祭殿に、
「アルスターで手配中の旧レンスター王国王子を隠匿した嫌疑がかかっている。速やかに市長の下に同行され、事情の聴取を…」
その言葉を待たずに、私は飛び出していた。厩からサブリナを引き出し、鞍をつける。槍だけを一本とった。教会の中のざわめきの中から、恐る恐ると言う体で出てきたシスターに、
「妻が、墓地の向こうの草原にいるはずです、呼び寄せてください」
という、そして、飛び出してきたアスベルたちに、
「旅の準備をしなさい。アスベル、申し訳ないが、ナンナを手伝って欲しい」
と言って、私はゆっくりと、サブリナを歩かせた。

 「何かの間違いではございませんか、私はそんな大それたことを」
司祭殿は数騎の騎兵隊を前に、そう説明をしている。
「言い逃れは虚言であって、神の定めに背きませぬかな」
「虚言もなにも、私はそんな疑いをかけられることなど全く心当たりがございません」
「誰ならぬ市長殿からの情報である。この教会にレンスター王子を隠匿していることは、すでにわかっている。
 いずれ成長すれば、我らが国を相手に立ち上がろう。根のうちに絶たねばならぬ」
「神を主君とするものに、浮世の争いごとは無縁でございます。市長が何を申し上げたは知りませんが、私の身は潔白でございます」
騎兵達の顔は、明らかに疑わしそうな顔をしていた。
「司祭殿のお言葉は真実ですよ」
私は、その騎兵達にそう言った。
「誰だ」
「この教会で世話になっているものです。
 神に仕えるものの集まる場所に、物々しい訪問ですね」
と言いながら、私は周囲の気配を探る。ここに来た騎兵はほんの一握りで、おそらく市長なる人物のもとに、大部分がいるだろう。
 私は槍を構えなおした。その気配に、騎兵達も殺気立つ。
「いけません、いさかいはいけません」
司祭殿が声を上げる。
「司祭殿、懺悔は後でいくらでもいたします。神にはしばらくお目を閉じていただくよう、祈ってください」

 たった数騎の騎兵を倒すのは訳ないことだった。槍以外の武装はしていなかったから、余計な傷を負うことだけは避けたいばかりに、力の限りに振りまわした後は、騎兵と馬の屍が、教会の前に転がっていた。私は槍の血を払い、その屍たちに向かって、聖印を切る。
 血塗れた道行きが続くのだろうか。そんなことを思ったとき、
「はやく、お逃げなされ!」
と司祭殿の声がして、私は我に帰る。
「私のことは心配なさらず!
 ただアスベルを…お頼みします!」
やがて集まったアルスターの本隊に、司祭殿が縛されて、そのお声だけが、遠ざかっていた。

 罠に追い込まれてゆく獲物のように、私達の後先をじりじりと、距離を狭めているものがあるような気がしてならなかった。
 ターラに向かう道、木立の陰で露営をする間にも、ターラに先回りはされていないだろうかと思うと、こうして立ち止まっていることさえ、惜しい気がする。
「眠れてないの?」
とお声がした。見張りを自ら言い出してくださった王女が、火のわきにいらっしゃる。
「ちゃんと眠って。もうすぐ朝になるから」
「王女はよろしいのですか」
「あなたが見張りしている間、ちゃんと眠ったから大丈夫よ」
私が火の側に寄ると、子供達は王女の脇に、寄り合うように眠っていた。
「…先回りして、悪い予感ばかり働かせるのは、よくないわよ」
王女はそう仰る。私が考えていたことを、すべてお見通しと言うお顔だった。
「それがあなたの悪い癖だと、キュアン様が仰ったって、前に自分で言っていたでしょう」
「はぁ」
「私にいくらでも相談していいのに」
「しかし」
私がそれにつと返そうとするのを、王女は白湯のマグで遮って、
「それじゃ、私達、二人でいる理由がないじゃない」
と仰る。
「ターラに入るのが怖い?」
「怖くないといえば嘘になります。私があの町に対して持っている印象は数年前のもの、今はアルスターに恭順している可能性も、無きにしもあらずです」
「逆に、十数年も自衛自治をしているのなら、アルスターも手が出せないと、考えることは出来なくて?」
王女は楽しそうにそう仰る。
「ここまで来るまでに、ターラに行くらしい人たちを一杯見たわ。苦しい顔をしている人は、ほとんどいなかった」
「そうですか」
「ターラはきっと、私達の味方担ってくれる。私はそう信じているわ」
そう仰って、王女はあくびをひとつなさる。
「やっぱり眠くなっちゃった…見張りの続き、お願い」
「わかりました」
私が答えると、王女はそのまま、投げ出した私の脚を枕に、横になってしまわれる。すぐ、寝息が聞こえた。
 お疲れなのだ。この道行きの間、私と同じほどに周囲に気を配られながら、子供たちのことまでお気にかけていらっしゃる。
 ターラが平和な町でありますように。そう見上げた木立の合間が、鮮やかに青く染まる。王女が一番お好きだというこの青を、残してそのままお見せすることが出来ないのが惜しい。

 ターラは、商業都市というのは知っていた。しかし、私はまるで、それに飲み込まれたような錯覚をうけた。
 これらすべてがただの善良な商人や市民で、アルスターからの密偵や暗殺者が紛れ込んでいないことを、私はいやがうえにも案じなければならなかった。
 子供達は、すでに、あれこれと道端に広げられている露天に興味津々なのを、
「だめよ、お宿が見つかってからね」
と王女がたしなめられている。その間に、私はふと、片付けなければ問題を思い出していた。
「アスベル」
「はい」
「私は司祭殿から、ターラまでを頼むと君を預けられたのだが、君はこのターラでどうするのだね?」
「たぶん…」
アスベルは考えながら言う。
「おじい様は、この町の教会の司祭様と、友達だったと聞いています。その方のところを尋ねれば、そのあとは神様が道を示してくださるでしょう」
「なるほど」
「でも、こんな道端でお別れは味気ないわね」
と王女が仰って、
「宿を決めましょう。そのことは明日にすればいいわ」
となり、私達はまず、宿を決めることになった。
 翌日、アスベルを送り出して、私達はターラの市長の邸をたずねると、案内を乞う間もなく、執事らしい男がやって来て、市長に会えるという。私達は顔を見合わせ、一抹の展開の速さに不安を覚えつつも、市長の部屋を訪ねることになっていた。
 市長は、
「いつかはここにおいでになると思っていましたよ」
と仰る。
「ようこそ、商業都市に」
手放しの歓迎が、むしろ恐ろしかった。私の顔色を見て取ったのか、
「やましいことは何も考えておりませんからご心配なく。私の力の及ぶ限りは、皆様をお守りしましょう」
市長は何もかもをご存知のようだった。
「ひとつ、お尋ねしたいのですが」
「何でしょう」
「…私達のことをすでにご存知と言うことは、他の自由都市も…」
「残念ながら、そういうことになりますな。ですが、私は、最近物騒な折から傭兵を家族ごと雇い入れたということにしました。
 少ないながら、雇用費として、自由に使っていただける資金も用意してあります」
「何故、ここまでしていただけるのですか」
と問うと、市長は
「いけませんかな」
と、唇を緩ませた。
「あえて申し上げれば、反骨精神というやつですよ」

 市長は、表向きは傭兵と私を仰った。しかし、使用人たちにとっては、そうとは知らされていないらしく、おそらくはリーフ様のために、敷地にある離れが用意されていた。
「こんなにきちんとしたところで眠れるなんて、嬉しいわ」
と王女が仰った。
「フレストからここまで、ずっと外だったから…」
「そうでしたね。無理をすれば道々の宿を取ることも出来たのですが」
「足取りを握られると大変だといって、そうしなかったのはあなたじゃない」
「そうですよ」
「…ここが、最後の落ち着き場所になってくれればいいわね」
「できれば」
私はそう申し上げはしたが、まだここは通過点の一つであり、その先はひと波乱もふた波乱もありそうな気がした。
 しん、と、部屋が静まる。その静けさを文字通り破くようにして
「町に行こうよ、町に」
「お父様も一緒よ!」
リーフ様とナンナが部屋の中に飛び込んできた。私達は思わず顔を合わせる。
「行きましょうか?」
と仰るので、
「そうしましょうか、必要なものもあるでしょうから」
私も腰を上げた。

 雇われたからには、それなりのことをして返さねばなるまい。私は、屋敷の護衛を二三人ずつ交代で稽古をつけることを市長に進言し、許された。
 ありがたいことに、市長のご息女が子供達の相手をしてくださるともおっしゃる。
 その日も、稽古を終えて、部屋に帰ってくると、王女が唇に指をあてて、静かにするように合図される。
 何があったのかと振り向くと、ナンナが金色の髪の上に本を一冊載せて、ゆっくりと歩いている。そのうち、私に気がついたのか、ナンナが私のほうを振り向いた。ことん、と本が落ちて、駆け寄ろうとするナンナに王女が一言仰る。
「プリンセスのお出迎えはそうではないでしょう」
ナンナは私の前を二、三歩後ずさりして、着ている服の裾を少しつまんで、
「おかえりなさい、お父様」
とする。今までナンナといえば、私の顔が見えるなり駆け寄ってきたものだから、私はこのかわりように唖然とするより無かった。
「上手に出来たでしょう、誉めてあげて」
と王女が仰るのに、私ははと我にかえり、
「びっくりしてすまなかった。練習したんだね」
とナンナの頭を撫でた。
「うん」
「返事が違います」
「あ…はい」
「まだ多少の間違いは大目に見て差し上げませんか」
「そうしたいけれど、ナンナには目標があるんですものね」
「あ、お母様、それは言っちゃいや」
「そうね、秘密ね」
王女はそう笑まれて、ナンナをリーフ様の部屋に送り出される。
「お行儀よくよ」
「はぁい」
 娘を送り出された後に、王女は椅子の、ご自分の隣を勧められる。
「市長様と、何かお話したのでしょう? リーフ様もご一緒で」
「はい」
私は、その当日の市長殿との話を反復していた。

 市長殿は、リーフ様に対面される。リーフ様が不安そうに
「この人は誰?」
と私に聞くが、その小声は市長殿に届いたようで、
「この町を預かるものですよ」
と仰る。
「それでは、リノアンの父上ですか?」
「いかにも。
 あまりに娘がルー様を褒めちぎりますのでな、そのお顔を一度拝したかったというわけで」
市長殿はそう仰って、いよいよまじまじと、リーフ様の顔を見入られる。
「…ふむ、ルー様はよいお顔をなさっていますな」
「?」
リーフ様がその言葉をわかりかねた雰囲気でいらっしゃると、
「ルー様は将来、王様になりますぞ」
と仰った。
「僕が、王様?」
「いかにも。
 とてもとても大きな…そうですな、トラキア半島一つを丸ごとお手にされるような、そんな王様になるかもしれませんぞ」
呆気に取られたリーフ様の顔をごらんになって、市長殿は豪放に笑われた。
「今はまだ、偏屈のざれ言で結構。
 しかし時には、私のところを訪ねてくだされ。私が持っているすべてかけて、ルー様に必要なご学問をお授け致しましょう」

 「お話によれば、市長殿は政治学と帝王学に造詣がおありで、それをリーフ様にすべてお授けするのだと」
「…あなた、リーフ様のご素性を」
「まさか、お話していませんよ。
 もっとも、情報量では私たちなどはるか及ばないものを市長殿はおもちです。いずれ、私たちの素性も仰らないだけですでにお分かりかもしれません。
 それが、市長殿の弱り目にならなければよいのですが」
私はそう言いながら、来た道を思い返していた。アルスターのエスニャ王妃しかり、フレストの司祭殿しかり、私たちがとどまり、通り過ぎることで傷ついた方は、私が知らないだけで、実は何十人といるのではないのか、そして、そのすべてが、リーフ様を生き永らえさせるためと知って命を落としたのではあるまいか、と。
「我々は、多大な期待と、犠牲の上に生きているのですね」
ふと漏らすと
「そうよ。だから私たちは、その犠牲の上で、多大な期待に応えて行かなければならない」
王女はそう仰って、私に静かに身を寄せられる。
「あなただけの仕事にはしないわ。結ばれるときに、私たちはお互いの心を預かったのよ」
「…そうですね」
私は、雰囲気がそう誘うままに、王女の方に手を回して、しっかりと、自分の身にからめとった。
 そのまま、次の行為に移ろうとして、顔を寄せたとき、王女の瞳が私の向こう側の何かをとらえられたようだ。
「ナンナ、ルー様!
 こっちを見ないで!」
ぱたん、と、背後で扉の閉まる音がした。
「本当に…油断出来ないわね」
「…全くです」


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