教会の中での刃傷沙汰は、もとより神の欲するところではない。ゆえに、一度入ってしまえば、また出るまでは安全を確保できるというわけだ。
「おや、礼拝ですか」
と出てこられた司祭らしい風体の人物に、道行きの途中にに盗賊に襲われたと方便を使い、とにかく子供達が休める場所を、と頼む。
「ああ、人のものを掠め取り糊口をしのぐ哀れなものにお慈悲を」
司祭はそう聖印を切られた。私も同様に聖印を切る。ここに逃げ込んだ理由に方便を使ってしまったことを神が許したまうように。
それよりも。
「王女は…」
ただ落馬して、川に落ちられただけならよいのだが。
「生きてるさ、心配すんじゃねぇ。それより、奴ら、まだこの辺をうろついてるようだな」
「アルスターの影響力は、思ったより強かったようですね…安心できる状況ではありません、今出れば、私達も危ない」
「よし、ちょっとその状況をかえてくら」
ベオウルフが簡単に言って、礼拝堂をたち、裏につないである馬のところに歩く。私はそれを追いながら
「いい状況に…って、まさか、卿は」
「卿って呼ばれるのも、今度ばかりは悪い気はしねぇな。
少年、槍と外套を借りるぜ。ああ、槍は粗末なんでかまわねぇ、どうせ俺にゃつかえねぇから」
「何をするつもりですか、王女が見つかったとして、卿がいないとなれば、それが王女の意にかなうと思っているのですか!」
「少年、見くびっちゃねぇか、俺を。
何年傭兵で食ってると思う?
傭兵の仕事にゃな、トカゲのシッポになる、こういう仕事もあるのさ。
ちょっとあのうるさいのを巻いて帰ってくるだけだ。心配するな」
ベオウルフは、自分の馬を引き出して来る。
「ごめんなぁ、ドナ、やっと休めたのになぁ…
もう一頑張りしてくれ」
私が何を言っても、もうこの人物は何も聞かないだろう。私は、黙って槍と外套を渡した。ベオウルフは
「すまねぇな…本当なら、最後の最後まで、お前達についていきたかったがよ…」
そういいながら、どこかから、私の手に何を握らせる。
「姫さんは無事だ。ちゃんと見つかるように、俺がない頭絞ってちゃんとお祈りしといた。
姫さんにコレを渡してくれ。コレを渡してくれれば、姫さんは俺がどうなったか、すぐわかってくれる」
金貨が一枚。まったく使われた形跡のない、夜目にも輝く金貨だった。
蹄の音が近づいてくる。
「中に入っときな」
ベオウルフが言って、近づいてくる蹄の音にあわせるように、教会の敷地から飛び出していった。
わずかな時間、私は眠りに落ちていたらしい、
「もし…」
と掛けられる声で、意識をとりもどした。
「ああ、司祭殿…子供達の様子は」
「はい、ぐっすりと…
ですが、私はあなたの方が心配で…
うなされておいででしたよ、どなたかの名前を呼んでおられました。
いらしたときに鞍のあいた馬が一頭おりましたが、そのかたのことですか」
そこまで言われて、そうだ、と、私は我を取り戻した。
「あの川を渡るときに、ちょうどおそわれて…妻が…落馬したのです」
「なんてこと」
司祭殿は聖印を切られた。
「早速探さなくては」
「私も…」
立ち上がろうとしたが、私の体は動かない。
「おやすみなさい」
司祭殿はそう仰って、
「みんな、みんなあつまっておくれ、アスベルも…!」
と、神官たちを集め始めたようだった。私の傍らには、子供が二人、なにも知らぬ有様に眠っている。
私は、やっと歩ける脚で、礼拝堂中心の、聖像のある場所まで来た。脚の力を失うままに跪き、そのまま祈った。
「すべてのものが、無事でありますように…
どうか…」
程なかった。
「動かさずに、そっとお連れなされよ…シスターたちはぬれた服を全部脱がせて…ほかのものはライブの準備を」
そういう声と一緒に、神官ともつかぬ、リーフさまと同じ年頃か、小さな少年が私のそばにいて、
「見つかったよ、女の人」
と言うので、私はそのほうに向かう。シスターたちが一様に怪訝そうな顔をしたが、
「ご主人様であるから、入れて差し上げてもよいよ」
との司祭殿の声に、すうと目の前が開ける。血の気を失った王女が、うつ伏せで寝かされていた。
「この傷は槍傷ですな」
と司祭殿が傷の跡を指す。王女のもつヘズルの聖痕の中心に、槍の生々しい刺し傷があった、
「鎧で助かったのでしょうなあ。生身でこの場所に傷を負えば、致命傷でしたぞ」
「本当に、助かりますか」
「神がまだそのエーギル尽きておらぬとご判断なされるなら」
司祭殿は聖印を切られる。そこに
「ライブの杖です」
と、シスターが杖を抱えてくる。司祭殿はそれを受け取り、
「自由都市とは名ばかり、小さな町です。回復手段といってもこんなものしかなく」
と言いながら、聖典の一説を唱えながらライブの杖をかざす。王女の槍傷は、跡形もなくふさがったが、それがこのライブの限界でもあるようだった。
「部屋を用意させます、せめて奥様が全快されるまでは、安静にするべきです。
小さなお子様二人つれての道行き…わけありと察しました」
「わけありは確かにそうなのですが…くわしいことは」
「わかっております。聞かぬが花と言うものでしょう。
部屋に案内させましょう、ゆっくりお休みなさい」
それから何日待っても、ベオウルフは帰ってこなかった。
お気がつかれた王女に、彼から託された金貨を一枚渡した。王女は、それだけですべてをわかったご様子で、金貨を胸に当て、静かに聖印を切られた。
この町の名前は、フレストと言う。
アルスターへの併合を拒否して、自由都市の名乗りをあげたはいいが、勢い盛んなアルスターに恐々としているもろい一面を併せ持った街であった。
王女は、落馬の後数時間して、司祭殿のお孫様に発見されたのだ。そして治療を施されは下が、表面的な傷は押さえられても、もう一度、腕を元のように動かせるようになるには、相応の時間が必要との司祭のご判断であった。
私は、そういう王女とナンナを、いかに安全圏に落ち着いていただくか、それを考え始めていた。
先刻も、ターラに先行することを口実に、フレストで落ち着かれてほしいようさりげなくきり出したのだが、王女は勘よく先回りをされ、
「そんなのいや」
と、おびえるような目ですがられてしまった。そういう時、私は、自分の身がただの一騎士ではなく、家族のある男であることを思い知らされる。
家族というが負担なわけではない。どちらを優先すべきか、たまにその判断が揺らぐだけなのだ。
ベオウルフなら、こんなとき、私になんといってくれるだろうか。
王女には申し上げなったが、この教会に来て程なく、川に投げ捨てられていた身元不明の遺体を収容したと聞く。司祭殿は、ほんの少し見ただけでも、彼の顔を覚えていたらしく、
「最初、あなたと一緒にこの教会に入ってこられた方でしたな」
そう仰る。
「報酬は二の次に、妻を案じて、ここまで随行してきた傭兵なのです。事情はよく分からないのですが」
「報酬なしに、ですか。
見返りを求めぬ徳の高さを神が感じて、より高みに導いてくださるよう」
司祭殿は聖印を切られた。その司祭殿に教えられて、真新しい土盛りと、無銘の墓標に向き合ってみる。
もとより、墓標は何も語らない。
彼は以前、私を、「家族しか国民のいない、小さな国の王だ」と言った。王ならば、家族と言う国民を、いかに安全に守りながら道行きを続けるか、それを考えねばならない。彼がいれば、私は安心して、先の案を実行に移しただろう。しかし今、ことは慎重でなければならない。
この「国」に、「宰相」はいなくなった。私は、墓標に聖印を切った。
当てられた部屋に戻ると、王女が弱りきったお顔でいらっしゃる。
「どうされました?」
「ナンナが、リーフ様についていってしまって…」
「はい」
「司祭様のお孫様…アスベルといっていたわね、あの子と一緒に、川に行くと」
「川、ですか」
「この季節、川の水が冷たいことは、嫌と言うほど思い知らされてるわ。
子供達を迎えに行ってあげて、司祭様たちはこれから夕方の礼拝なんですって」
「わかりました」
「つまらないことを頼んで、ごめんなさい」
後ろから、こんな言葉が聞こえた、つまらないことなどあるものか。大事な主君と娘のことではないか。
「ルー様、ナンナ!」
川岸で声を上げる。すぐに、リーフ様と、アスベルらしき少年の頭が動いた。
「川の水はもうだいぶ冷たいのですよ、風邪を引かぬうちに戻りましょう。間に合えば、夕方の礼拝にも参加しましょう」
ナンナを抱いて川岸から近づかれるリーフ様にそういう。
「うん。わかってる。
ぼくも、かえろうとおもってたんだ。
「いかがされました」
「ナンナが、落ちちゃって」
「え」
私は改めて、二人の姿を見た。上から下まで水も滴るほどだ。
「いけません、早く中に入りましょう」
「ごめんなさい、ぼくが、川にいこうっていったから」
アスベルが、べそをかいているのを
「気にすることはない。大事は何もなかったのだし」
と私はなだめる。
「ナンナちゃんは、大丈夫?」
「彼女も大事ないでしょう、ルー様が早く助けてくださいましたし」
「ごめん、ナンナがどうしてもついてくるって。ダメって言ったら泣きそうになっちゃって」
「ナンナはルー様しか遊び相手を知りませんから…」
「かぜひいたら、ぼくのせいにする?」
と、リーフ様が仰る。
「いたしませんよ」
私はそう答える。答えながら、ここにしばらくとどまるのも悪くないと、手前勝手に思ってみたりした。初めて出来たリーフ様のご友人と、すぐに引き離すのは、さすがに大人の事情過ぎる。私はローブをとり、濡れ鼠のナンナをくるんで抱え上げた。
「ターラまでの道行きと仰っておりましたな」
と、司祭殿が仰る。
「はい、そのつもりですが」
と答えると、
「手前勝手な頼みで申し訳ないのですが…
迫る年波には勝てず、心配なのは孫のアスベルのことで」
「賢そうな少年ですね」
「痛みいります。
親を早くになくして、それからは私の手で育ててはきましたが、フレストの町で収まる器ではないとおもっております。ですから私は、特にアスベルには、神に仕えることを強制はしませんでした。
頼みと言うのは、ここからなのです。
フレストは名のみとはいえ自由都市のはずでした。ですが、よりによって市長がアルスターに迎合する態度を取るので、市民はみな、フレストはアルスターの一部になってしまうのかと、それを恐れております。
私は、市長にたびたび進言を申し上げて、市長の印象芳しくありません。何かことがあれば、私は真っ先に、当局に連行されるでしょう。そのときが、あなたがもここを離れる時かと…
そしてその際には、アスベルを伴っていただきたいのです。ターラまでで結構です。ターラの町で、進んだ学問を受けて、そうすれば、あとは自分で考えることが出来ましょう」
「フレストは、そこまで不安定なのですか」
そう訪ねると、司祭殿は深くうなずいた。
確かに、司祭殿がアスベルに対していかに期待しているのかは、よく分かった。子供らしく遊びもするが、司祭殿の私的な書斎から出されてきた本を読んでいる時間もよくあった。リーフ様もそれに触発されてか、司祭殿のお話を聞いたり、アスベルから本を借り受けられたりして、ナンナが遊びたがっているのも知らないふりだ。
ふくれてその辺にうずくまっているナンナをひょいと抱え上げる。
「おとうさま」
「馬に乗ろうか」
娘の好きそうな遊びなど、とんと思いつかない。リーフ様のために新しく来た馬を、もっと乗りやすくしなければならないのだ。
持っていたお衣装を売られて、必要な物資を買い足してくるといって協会を出られた王女が、馬をひきつれてお帰りになったのを、最初、私は一体どういうおつもりなのかと不遜にも疑ってしまった。しかし、リーフ様が乗られるためというなら、王女のお買い物にも納得できる。
しかも、この馬は、よく馴らされていた。調教の必要もない。後は乗り手と上手く心が通じるかどうかだ。教会の向こう側になる草原をあるいはゆっくり、あるいは小走りに走らせて見る。
「おとうさま、なにしてるの?」
とナンナが顔をあげた。
「この馬が人を乗せて走っても安全な馬かどうか確かめているのだよ」
「ふぅん。
あのね、このうまをかいに、いちばいったの。いちばのひと、みんな、おかあさまみてきれいっていったよ」
「それは嬉しいな」
娘の前で取り繕う必要はないだろう。私はつい、本音を漏らした。
「おとうさまも、そうおもう?」
「思うよ」
「おかあさまのこと、すき?」
「…言葉ではいえないほどにね」
「どういうとこが、すき?」
私は馬を止めて、少し考えていった。
「お姿だけではない、お心も綺麗なところがあるから、かな」
「ふぅん」
「ナンナ、私を誘導尋問にかけてどういうつもりだ?」
つい本音を言わされたしまった照れ隠しに、言ってみる。しかしナンナには、誘導尋問などという言葉はまだわかるまい。現にナンナは、つづいて、
「ナンナはね、おおきくなったら、おとうさまとけっこんしたいの。おかあさま、いいっていうかな」
と言う。私はそこでアルテナ様を思い出す。この年頃であれば、一度ならず通じる道なのだろうか。私はナンナの、金色の髪を撫でながら、
「私は、お前とは結婚できないな」
と言った。
「なんで?」
「母上を一人ぼっちにするつもりかな」
「あ、そうか」
「お前にもいずれわかるよ、もっと大きくなればね」
「…ナンナ、もっとはやくおおきくなりたいなぁ」
「急がなくていい。そのときがくれば、お前も、母上のように、誰もが振り返るほどに綺麗になる」
「ほんと?」
「私は嘘は言わないよ」
私は、手綱をさばいて、また馬を歩かせる。
「しっかりつかまっていなさい。速く走らせるよ」
そして、まさかと思うようなことが起きる。サブリナが仔を産んだ。ご覧になりに来た王女が、子馬の顔を見るなり
「私の馬にそっくり」
と仰る。馬にしても、それだけの時間があったのだろう。しかし、仔がありながら、アルスターからここまで随分と無茶をさせたと、身内同然にしてきただけに頭が差がる。
「守らなきゃいけない家族が増えたわね」
「…そうですね」
私は、そう答えるよりなかった。フレストとアルスターの微妙な距離を、王女にはすでにご説明してある。
子馬が他の馬と足並みが揃えられるまで半年はかかるだろう。それまで、ここが落ちついていればよいのだが。
司祭殿の声がして、私はつい礼拝堂の中をうかがう。司祭殿が相手にされていたのは数名の、官吏らしき風体の面々で、私が中をうかがっていたのに気がついたのか、
「ああ、ちょうどよかった。
私の部屋に…お話したいことが」
私を招かれた。
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