<申し訳ありません、止められませんでした。>
と、ブランの文字がいつになくあせりを帯びている。
<ブルーム王の暗殺と、旧アルスター王と王女のご開放の日取りは決定されたようで、今はその日に向けて、いらぬいさかいを起こさないよう、活動家それぞれが示し合わせている状況です。>
「こりゃ、当局にももう知られてるな」
手紙の中を聞いたベオウルフが言った。
<ご主人様は、アルスターとほどない、旧アルスター王妃様の下に身を寄せられている由、確認いたしました。引き続き、こちらからの無用な接触は致しませんが、異変があればすぐお助けに上がる準備を整えております>
「本当にいい子ね、ブランもシュコランも」
王女がしみじみ仰った。しかし、この手紙に書かれている決行の日付は、この手紙を読み終えて一息つくほどの時間しか、われわれには与えてくれなかった。
決行ののろしは、時計台への放火だという。その煙と炎が、ぼんやりと、暗闇に浮いた。
「我々は先行いたします。出来れば、王を助けたいものですが…アルスターの民への被害が最小限になるよう、出来る限りのことは致します。
王女、後をよろしくお願いします」
「わかったわ。行ってらっしゃい」
私とベオウルフの二騎が先行する。近づくほどに、喧騒が耳をふさぎたくなるほどで、城下のあちこちで挙がる煙の中、稲光のように雷魔法が走っている。
「大人気ねぇなぁ、一般民衆に雷魔法かよ」
「ただの牽制であればよいのですが」
城下町に入ると、フリージの勢と民衆とがすでに競り合っていた。その中の一塊の中に、ブランらしき人影があった。絡み付いているフリージ兵をないで、
「ブラン、無事か」
と言うと、
「ブランは向こうです、ご領主様」
と答えた。
「なんだ、シュコランのほうだったか。
まあいい、あとをついてきなさい」
事を荒立てるつもりはさらさらなかった、私は槍の穂先を使わず、石突きだけで道を作る。
「わぁ」
シュコランが声を出す。
「やっちまわねぇでいいのか?」
「無駄な戦闘はするつもりはありません」
やがてブランも見つけ出し、状況を確認すると、
「どうにもこうにも」
とブランは息をついた。
「動きがてんでんばらばらで、情報も錯綜してて… ブランと一緒に来たアレンの騎士たちも、あちこちに散らばってしまいました」
「この混乱状態では仕方あるまい…」
私は四方を見回した。市街戦というよりも、これは破壊に近い。
「アルスター王と姫はどうされている?」
「それすらも…」
ブランの声はげんなりとしている。
「これはもう、フリージからすでに援軍を呼び込んで、一度市街地を完全に破壊するつもりだったとおもうしかありません」
「ともかく、この混乱ではアルスター王が心配だ。二人とも、はぐれないようについてきなさい」
とにかく、私達は王宮のほうに行こうとした。
しかし、王宮に近づくにしたがって、刺激を孕んだ静けさが伝わってくる。
「ああ」
ブランか、シュコランか、つい声を上げた。ブルーム暗殺を企てた人物らしき市民が二三人、そしてそれと違って見えるのはアルスター国王か。すでにことは終わりを告げようとしていた。
活動家と国王の首はすでに落とされ、赤黒い血はもう、ほとばしるほどの量もない。その光景を目の当たりにしたのだろう、小さなアルスターの姫は気を失い、魔導師たちにかこまれていた。
それを、一段高いところから眺めているものがあった。処断の現場まで玉座を運ばせて、一部始終をみていたものだろうか、玉座にも衣装にも血しぶきがはね、しかし、本人はそれを顧みもしない。
「小さいお姫様は幸せなことだよ。
何も聞こえず見えずのうちに、天国に行ってしまえるのだからね」
と、その玉座の上の陰が言った。
「恨むなら、あたしの夫を殺そうとそもそも企てた、お前のお父様を恨むのだね」
気を失って、ぐったりとした姫を処刑台に乗せさせながら、くく、と笑う姿が陰惨際なりなかった。
「アレがヒルダだな」
ベオウルフが言った。ヒルダが、囲んでいる民衆をねめつけて
「さあ、まだなの? エスニャをここにおだし。こないと、お腹を痛めたこの子の首まで、ちっちゃい体から泣き別れだよ」
という。誰も動くものはない。活動家と王の処刑は、よほどむごたらしく行われたのだろう、少しでも動けば、自分がその役をさせられると、周りのものがことごとく思っているのだ。
私はサブリナから降りた。手綱を持っているようにいい、私は人の山をかきわける。その動きがヒルダの目にもはっきり見えたのだろう、
「おや、奇特な男が一人来るよ」
と言った。私はヒルダには一瞥もくれず、処刑台に括りつけられていた姫を解きはなち、追ってきたブランに渡す。
「サブリナに乗せていきなさい。サブリナなら、行くべきところに案内してくれる」
そして、ヒルダに向き直る。
「グランベル式とは思えない、物騒なお振る舞いですね、ヒルダ王妃」
「無礼な、名乗りもせずにわたしに語りかけるなど。名乗れ」
「名乗るほどの名はありません」
しかし、目立つところに立った私の姿を見て、ざわめきが立っていた。ややあって、側近らしきものが耳打ちをして
「へえ、お前が『レンスターの青き槍騎士』」
「今は主なき身です」
「アルスターの肩を持つのも騎士道とやらかい?」
「そう受け取られても結構ですよ。
これで十分わかりました。少なくとも、貴女は、主として仰ぐに値しないことは」
「いつまで、その大口をたたいていられるかねぇ… エスニャの屋敷を、伊達に見張らせいてたんじゃないのだよ?」
「とは?」
「とぼけるのもいい加減におし。
エスニャが、お前のほかにも、『誰』と『誰』をかくまっていたのか、こちらはすでに把握しているのだよ?」
表面に出ないのがと幸いだった。わたしは、ぎくりとした顔で、ヒルダを見ることしかできなかった。
その時間がどれだけ過ぎただろうか。民衆の奥のほうで、どよりと動く気配があった。
「アルスター王妃エスニャ様のおなりです」
と、さざめきの中とおるお声は、王女のものに他ならなかった。なよやかに馬から降りられるエスニャ王妃を支えるようにし、王女も一緒に壇上に上がってくる。
「ありがとうございます、あとは、私が」
とエスニャ王妃は仰ったが、ヒルダにとっては、王女のほうがよほど珍しかったようだ。
いや、珍しかったというよりも、ヒルダには好事家的に確認したいことがあったのだ。
すなわち、兄王とのご関係のことである。ちまたで、王女にとっては不名誉極まりない噂があり、それが定説となっていることを、私も知らないわけではなかったが、私がそんな噂に左右される人間ではないことは、私が一番よく知っている。
しかし、このヒルダという女は、何度厚顔で居丈高にものを話す女だろうか。答えられないとわかっても、なお聞き出そうとするその浅ましい顔に向かって、私はほぼ無意識に、槍の穂先を突きつけていた。
「…貴婦人に槍を突きつけるのが、レンスターの騎士道なのかい?」
ヒルダが忌々しそうに私を見る。
「言ったはずです、あなたは敬愛するに値しない」
私はそれだけ言って、王女の一歩前に進んで、
「それ以上近づいたり勘ぐられたりされれば、この槍、いかようにも動きます。何分、槍を持たぬ時間が長く、手元定まらず」
「ふふ」
ヒルダが、淫猥な唇から笑いを漏らす。
「あははは、なるほど、『レンスターの青き槍騎士』とやらも、破廉恥な姫の色香にはかなわないの。これは傑作だわ、あはははは…
…とにかく、王妃に向かって、物騒なものを向けているのだから、それなりのお仕置きは覚悟なんだろうねぇ」
そういうヒルダの手が赤く染まってゆく。
「炎魔法の簡易詠唱よ」
「ご心配なく、こんなものにあたるほど、体はなまっていません」
その指先が少しでも我々に向けられるのであれば、相手がヒルダだろうが誰であろうが、一槍で討ち取ってしまうこともできる。そして私にはそれが可能だった。
しかし。ヒルダの魔法を、エスニャ王妃が身を挺して止めてくださった。
「お逃げなさい!」
そのお顔に現れた、悲壮なご決心。
「とにかく、遠いところに!」
民衆とフリージ兵がどよめく中、私達は壇上をおりて、王妃の別邸に戻ることにした。
王女は、まるで敵前逃亡したようだと、承服しかねているご様子だった。
「王妃のお心を組んで差し上げなければいけません。あの方にとって、このアルスターは、政略的に嫁がされたとしても、いまやわが子と同じなのです。
わが子が危険にさらされているときに、母親はただ手をこまねくものですか?」
と言うと、王女はそれ以上何も仰らなかった。
アルスターの小さな王女は、あのあとシュコランに受け渡され、彼がベオウルフと一緒に別邸までお連れしたという。
「この事件以降は、アレンはアルスターに対しては一切の反抗をしないように。そう伝えておきなさい」
そうブランに言ったとき、横道から騎兵の一団が、別邸に向かって走るのが見えた。
「なに、あれ?」
「さあ」
何かの大事だろうか。私達は馬の足をはやめた。そして、お屋敷の敷地まで入ってくる。一度身構えたが、私はすぐに構えをといた。馬具にあしらわれた紋章で、入ってきた一団が誰のものか、すぐにわかったからである。
その騎兵達は、グレイドをはじめとした、ドリアス卿配下の騎士たちだった。
「よかった、お前、ここにいたのか。レンスターの陥落以来完全に行方がわからなくなって、案じていたんだぞ」
「よんどころなくして居場所を知らせることが出来なかった。
ついでに、また行方を告げずにここを去ることになりそうだ」
「やはり、アルスターの件でか」
小さな姫の姿はすでに見当たらなく、聞けば移動魔法でどこかに移されたらしい。そうなるともう、私達には手出しは出来ない。
「アルスターは、すでに、リーフ様がこちらにおいでなのを察知している」
そういうと、グレイドたちの顔色が変わる。
「だから、この混乱のうちに、アルスターの手が伸ばせない場所にまで離れないといけない」
「わかった」
グレイドは、しばらく思案した顔をして、
「セルフィナを、呼んでくれないか。さっき、奥方と一緒に中に入って行っただろう」
出てきたセルフィナに、グレイドが
「よかった、君もここにいてくれたのか」
と言う。
「はい、リーフ様をお守りして」
「しかし、もっと厄介な…いや、厄介と言っては失礼か。
アルスターの中を見ようと微行されていたドリアス卿がこの市街戦に巻き込まれて、重症をおわれた」
「え」
セルフィナの顔が青くなる。
「雷魔法をよけきれず…片腕をひどく痛められた。あの具合では、もう一生動かせぬかもわからない。
セルフィナ、…戻ってきてほしい。戻って、ドリアス卿を助けてあげなければ」
「でも、私は、リーフ様の」
セルフィナがおどおどと言うのを、ベオウルフが
「全く、このあたりの奴らは」
と、頭をかいた。
「素直にモノを言いやしねぇんだから」
そして、側のセルフィナをひょいと抱え上げ、グレイドの馬に乗せてしまう。
「こういうことだろ? グレイドさんよ」
グレイドは突然のことに、ぽかんとしたが、すぐに
「…痛み入る」
と言った。しかしセルフィナは、その馬から下りて
「わかりました。お父様のところに帰ります。でもその前に、奥様にご挨拶して、いいですか?」
私がうなずくと、セルフィナは小走りに、荷物を整理している王女の後ろ姿に向かって、小走りにかけていった。
「結構、いい子だぜ…あのお嬢さんは」
そう、ベオウルフが言った。。
「がんばってるんだよ…姫さんみたいになるんだってな…
下手に大切にすると、逆にご機嫌斜めになるからな、そこんところ、上手くあしらってやれば、円満間違いなしだぜ」
グレイドは、照れ隠しでもするように、私に
「どのほうに行くんだ?」
と話しかけてくる。
「わからない。とにかく、アルスターから離れたところとは、考えているのだが」
「今一番安定しているのがターラだな。少し遠いが、上手く道行きを考えれば、そう時間もかからずつくだろう」
「なるほど…」
「今はそこより選択肢もあるまい。ターラを目標にするといいだろう」
グレイドは言って、帰ってきたセルフィナを、今度は抵抗なく自分の馬の背に乗せた。
「ノヴァのご加護を」
「お前にも」
出ようとして、馬の向きを変えたとき、
「ちょっと待て」
と、グレイドが言う。
「どうした」
「いや、何だ、餞別だ」
と言って、グレイドが持っていた槍を渡してくれる。多少古びてはいたが、私がアグストリアにあったころ拝領した勇者の槍とおなじものに違いなかった。
「何故、君がこれを」
「ドリアス卿は、騎士を引退されると仰って、お手持ちの武器を分けてくださった。私はこの槍をいただいたが、その槍はもっとふさわしいものが持つべきだろう。
その槍で、リーフ様を守りきってくれ」
「…わかった」
「無事を祈る」
グレイドたちは、自分達の領地に戻るのだろう、馬の首を返した。私も行くべき方向に向いて、それ以上は振り返らなかった。
ターラまでの道は、確かに遠い。しかし、必要以上の疲労を馬に与えなければ、急いでも十日前後という場所だ。
しかしそれは、成人が連れ立っての旅にこそ当てはまることで、子供達をつれて、かつ全速力の旅に当てはまるとは限らない。
アルスターに入るときは、リーフ様を包んでいたローブは、今はナンナを包んでいる。包み方に緩みはないか、もう一度確認していると、ナンナは隙間から私をのぞきあげて、
「…おとしゃま…」
と言う。少なからず、事態のただならないことは、彼女も察しているらしい
「いい子にしていなさい。怖いことは何もないから」
私は、さし伸べてくるナンナの手をローブの中によくしまいこんで、
「サブリナ、行こう」
と走り出した。
その途中で、王女が
「荷物に矢が!」
と仰る。矢には紙が巻きつけられてあり、<ブルーム王暗殺の主犯格として追走の決定あり、逃亡は急がれたく>とある。知らない字だ。
「金積まれてもご遠慮してぇ女だ」
「同感です」
とにかく、急ぐに越したことはないようだった。今のサブリナの速さなら、日暮れまでには、アルスターの国境になる川にたどり着けるはずだ。その先までアルスターの勢力圏でないことを祈るばかりだが。
それぞれの乗る馬は、泡を吹くほどに疲労していた。上手く逗留場所が見つかっても、数日は休憩させないと、旅は難しいだろう。
夕暮れが近くなって、その川が見える。橋はかかっていないが、わたるよりないだろう。
わたりながら、私は周囲を見た。教会がある。教会なら、喜捨があれば泊まることはできる。安堵した瞬間
「あ」
と王女の声が上がる。大きい水音のあと、王女の馬だけが川をわたって、私達の後をついていた。
「振り向くな少年、振り向いたら、俺たちも姫さんと同じ運命だぜ」
ベオウルフが言う。私はとにかく、王女の馬の手綱も一緒にとって、教会の敷地の中に飛び込んだ。
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