王女からのご連絡は、思ったより早く来た。
素性がわかりそうなものは全て隠し、現地まで向かうと、王女自ら、私達を待っておられた。
「私も、こんなに上手くいくとは思わなかったわ」
と仰る王女のお顔は、久しぶりに、笑みの中の瞳に、鋭い光をたたえて見えた。
「アグストリアにいたころと、同じ顔してるな、姫さん」
「そうですね」
私達はそう言い合いながら、エスニャ王妃に面会する。エスニャ王妃は
「私はただ、主を探す騎士と、そのご一党に滞在場所を提供するだけです、余計な気兼ねは要りません」
と仰る。
「私一人だったところに、急に小さな子供が来て、とても楽しいですわ。
小さな子供は、いつまで見ていても、飽きることはありませんのね…」
城下に残された姫がよほどにご心配なのだろう、エスニャ王妃のお顔には、言葉のような穏やかさはない。
「しかもただのお子様ではなく、未来を握るお子様を預かれるということは、とてもうれしいことですわ。
私が守れる限り、守りましょう。ここから出ない限り、ブルームは手を出すことが出来ないでしょうから」
「もったいない仰せです」
「それと、プリンセスをねぎらって差し上げてくださいな。
あなた方を無事ここに入れるように、骨を折ってくださったのは、誰でもない、あの方なのですからね」
「は」
私を無事にここに入れるまで、気を張り詰めておいでだったのだろう、王女はご自分のお部屋でお休みであるらしい。しかしセルフィナは、中の様子をうかがいしつつ
「起きてはいらっしゃるのですけど…」
と言う。その向こう側で
「入れてあげて」
と言う。
「は、はい」
中のお声に、セルフィナは戸惑いながら、私に道を開ける。後ろのベオウルフに、
「卿は?」
と訪ねると、彼はにやりとして
「俺はいいわ、後で」
と言う。卿と呼ぶとやめろと言い返すはずの彼が何も言わないのを少しだけ不思議に思いながら、中に入る。
「作戦、大成功だったわよ」
と王女は、窓の外を見やりながら仰った。
「そのようですね。
私のために、危険なことをさせてしまいました」
「危険だなんて、そんな」
王女はくす、と笑われて
「私はいつまでも、あなたと一緒にいたいだけよ」
と仰る。
「はぁ」
その率直なお言葉に、私は返す言葉がなかった。
「エスニャ様がよい方で、本当によかった。しばらく、ゆっくり出来そうよ」
「そうですね。そうだとよいのですが。
実は王女」
「何?」
城下で聞いた話を、詳しく王女に説明しようと、近づいて私は、硬直した。
王女は、お衣装の胸を大きくくつろげて、その片方に、…ナンナが顔を寄せている。
「ごめんなさい、こんな格好で…
さっきまでナンナがお腹すかせて泣いていたものだから」
と王女が仰るのに、私はそれへの返答も出来ないまま、部屋を飛び出していた。
扉を閉めて、その扉に寄りかかるようにしてへたり込むと、一部始終を見ていたらしきベオウルフが、爆笑していた。
「だから俺は後でいいといったんだ」
「城下で…乳母を雇っておけばよかった。まさか王女がお手ずから」
「はいそうですかとみつかるもんか、ばあやなんか。
俺はティルナノグでさんざ見てきたから別になんとも感じないがな」
まあ、話したいことは後でゆっくりしようや。ベオウルフは言って、自分に当てられる部屋に案内されるままに行ってしまった。
「だから、私もためらったのです」
セルフィナが隣で言った。
少し前まではどうとも思わなかった「待つ」という行動が、ここまでもどかしく思ったのは初めてだった。
そして、「待たなければならぬ」身になってしまっていた自分を、もてあましてさえいた。そういう私の事情を知ってか知らずか、時折、リーフ様を城下町に連れて行きながら、アルスターの動きを軽く探ってくるベオウルフには、感謝のしようがない。
アルスターは、すでに安住の地ではない。遠からず、私達はここを辞して、新しい拠点を探す必要があった。
北トラキア王国に服従するを是とせず、自由都市を名乗った領地がだいぶあるらしい。その地を転々としながら、安全が確保できる場所を探すしかないのだろうか。王女や子供達がやすらっているのをみるにつけても、一層早くと言う焦りと、機を見よという自制がない混ぜになってくる。その焦りと自制が、呪縛のように絡み付いて、私は何にも手がつかない。
書庫で時間をつぶしていると、
「いるな、本の虫」
と声がかかった。王女と一緒に、ベオウルフが立っている。
「ナマっ白くなったなぁ、王子さんのほうがよっぽど健康的だぜ」
と言いながら、椅子を寄せて鼎談の形になる。
「実は、今日、その王子さんをつれてアルスターの城下町までいってきたんだが、その途中で」
そうベオウルフは言って、手紙のようなものをひとつ私の前においた。
「こんなものを渡された」
「何ですかこれは」
「手紙だろ」
「代読ですか?」
「違うと思うぜ。俺の顔と名前を知ってて、『きっとご領主に』といわれて渡されたからな」
「アレンからの手紙ではないかしら、別人の筆跡を真似ているみたいだけれども、これはブランの字よ」
王女が封筒を、蝋燭の明かりに照らすようにされて仰る。そのお手から手紙を受け取り、私は封を開けた。
<きっとこうしてお手紙をお届けすることも危険とは思うのですが、何分に非常の事態ゆえ、お許しをくださいますよう。
ご主人様の現在のおられる場所は、現在持ってわかりません、しかし、アルスターに出入りしている何人から、ベオウルフ卿らしい姿を見たという話を聞き、せめて奥様にでも届けばと思い、この手紙をしたためております。
アルスター城下でひそかに勧められている危険な動きについては、もうご存知でしょうか。
現王ブルームを排斥し、これまでおられた国王様ご一家にアルスターをお返しするのだという話です。
アレンは、あの後にも何度かアルスターからの監査を受けました。王子をおかくまいしている疑いが一番にかかっていたようです。一族の総意をもって、フリージからの領主を迎え、傘下に入ってからは、監査はなくなりましたが…
心配なのは、旧アルスター王家の遺臣や、レンスターから落ち延びた廷臣達が、アルスターの民衆をあおりはしないかということです。
アレンの街は、この悶着には一切手を出さないことに決めておりますが、アルスター城下では、民衆をあおろうとする動きと、逆に民衆を落ち着け、しかるべき時までの忍従を解く動きと、双方がない交ぜになって、物騒にもなっているとか。
どうか、アルスター城下にいらっしゃるときにはお気をつけください。ご主人様はアルスター遺臣にも、レンスター遺臣にも、顔とご出自を知られておいでですから…>
「わかってはいたけれど、やっぱりお忙しい人はどこにでもいるものね」
と、王女がため息をつかれた。
「でも、アルスターがそんな状態では、もうリーフ様をアルスターに遊びに行かせるわけには行かないわね」
「そうだなぁ、ある意味、俺が今日に限ってこの手紙を受け取ったのは、なんかのお告げみたいなもんかなぁ」
そういうベオウルフに、私はは尋ねる。
「まさかとは思いますが、エスニャ王妃には、このことを?」
「とんでもねぇ」
彼は両手で押しやるようにしてそれを否定した。
「手紙なんぞ渡されても、俺には読めねぇ。わかってたとしてもそんな王妃様卒倒請け合いのネタ、お前達に話さんで話せるか」
「それも、そうですね。
ありがとうございます。
王妃には、私からお話をいたします」
私はついと立ち上がり、書庫を足早に離れた。
「そうですか、城下はとうとうそんな動きまで」
エスニャ王妃は、ふかくため息をつかれた。
「申し訳ありません、私達がここにいなければ、王妃にこんなお話を致すこともなかったのでしょうが」
「何をおっしゃいますやら、アレン伯」
エスニャ様はそうかえされて、
「嫁いだからには、アルスターも可愛い私の子供。悶着を起こすのは誰であれ、許すことは出来ません」
「そうは仰られますが、王妃は今微妙なお立場です。旧アルスター王妃でありつつ、ご出自はグランベル・フリージ家でおられます。
王妃がアルスターをなお、こよなく愛しておられているのも、私は存じ上げてます。しかし、むやみに民衆を後ろ盾することが、もしブルーム王…いや、ヒルダ女王に知られたら」
「ヒルダが何ほどのものだというの。
ヴェルトマーの名前がないと、何も出来ない浅ましい女が」
穏やかなお顔から想像できない厳しい言葉が発せられる。
「きっとあの女は、従わなければグランベルに残した残存兵力を投入して粛清をするでしょうね」
「アルスターの城下を灰燼に帰すようなことは、できれば避けたいのですが…
聞いて耳によい意見がもてはやされるのは世の常でございますから」
「アレン伯、あなたの手で止められないのですか」
そう仰られても、私は低頭してその「要望」を辞さねばならなかった。
「私一人が出て、ことがおさまるというのならそうも致しましょう。しかし、私が出るということは、リーフ様を世に出してしまうのと同じことになります。
あの方はノヴァの継承権を持つ今やたった一人のお子様、マンスター最後の希望なのです」
「それは十分わかっています。ですが…」
「アルスター城下には、この動きを良しとせぬ勢もあり、私の郷里アレンからも、何人かが噴火せぬ前の沈静化を試みようと活動中と、報告を受けました。
王妃がお姿を出されるのは奥の手、リーフ様を出されるのはさらに奥の手です。
ここはどうか、お堪えいただきますように」
エスニャ王妃には、きっと、私の発言は生煮えで、逃げ腰にも聞こえたかもしれない。
しかし、私は必要以上に慎重にならざるを得なかった。私はもう、ただの一騎士ではない。ここに同じく身を寄せている家族と言うもののためにも、私は命を惜しまねばならないのだ。
「血を分けたわが子」ということばに、まだ幾分かの違和感かないのは否めない。お体をいためたのは私ではないのだからなおさらである。
それでも、王女が根気よくお教えなさったのか、ナンナは、私を余人以上の特別な存在であることを自覚はしているようだった。腕に抱きこむことが恐る恐るだった時期などとうに過ぎて、彼女は今自分の足で立ち歩こうとしている。
「ナンナ、いらっしゃい」
数歩はなれたところから王女が呼ばれると、ナンナは倒れそうな勢いで小走りに走りより、そのまま王女に抱きすくめられる。
「よくできました」
と仰ると、ナンナはそれが嬉しくてたまらないように、きゃらきゃらと笑う。すると王女は、そのままナンナを少し話して抱き下ろされる。そして、
「今度はあっち…お父様のほうよ」
と仰る。ナンナはしばらく、王女のお衣装のすそを小さな手でつかんで、歩きしぶるようにしていた。
「あなたも呼んであげて」
と仰るので、ついとその場に膝をつき、
「…おいで」
と呼んでみた。ナンナは、王女についと背中を押され、一、二歩と歩みだす。後一歩も踏み出せば、手が届きそうだ。その差し伸べた手に、ナンナの手が触れる。私は思わず、その手を引き抱き上げて、
「いい子だ」
と、声をかけずにはいられなかった。
「あらあら、ナンナには甘いこと」
王女がそう仰る。視線が高くなったのがものめずらしいのか、ナンナはあたりを見回している。そして、近づかれた王女に何か声を上げているが、
「怖がらなくていいのよ、お父様なんだから」
と笑っていらっしゃる。ナンナは私の顔を小さな両の手で形でも確認するようになでる。その真剣そうな顔は、王女にとてもよく似ていた。
「王女のお小さいころなど、私には想像もつきませんが、」
「何?」
「きっと、ナンナのようなお顔だったのでしょうね」
「あら、ありがとう」
そんなことを話していると、
「ずるーいっ」
と言うお声がする。
「ぼくもだっこぉ」
と、リーフ様が、私の前に両手を差し伸ばしていた。
「ナンナをこっちに」
と王女が仰るので、そうしようとすると、ナンナは私の服を捕まえて、すぐには離さない雰囲気である。すると王女は
「では、私がルー様を抱っこいたしましょうね」
と仰って、軽々と抱き上げてしまわれる。
「…」
リーフ様のお顔はなんとなく、ご自分の予想とは反して拍子ぬけた顔をされていた。
「やっぱりおりる。なんだか赤ちゃんみたいだ」
と、王女の腕から飛び降りられたリーフ様は
「セルフィナと馬乗っていい?」
と仰る。
「よろしいですよ、ただ、お屋敷の中だけで」
「わかった」
リーフ様はそういって、駆け出されてしまった。
「ナンナをうらやましく思っていらっしゃるのでしょうか」
ふと呟くと、王女は
「少しはそう思っていらっしゃるかもしれないわね。
あなたはリーフ様のお父様にもならなきゃいけないし、お兄様にもなってあげなきゃ」
と仰る。
「家臣がどうのと言って、まだ完全にわかる年頃ではないわ」
「そうでしょうね」
このまま無事でありますように。私達はそれを無言のうちで願っていた。ふと、私の視界の中に、ナンナの顔が入ってくる。
「わ」
「…おとしゃま?」
ナンナは確かにそういった。しかし、すぐ、私の体にもたれかかって、今までさほど感じなかった重みを感じるようになる。
「あら。初めてね、ナンナがあなたに抱っこでおねむなんて」
王女は唇をほころばせて
「起きるまでみててあげて」
と仰った。
今はまだ、両手で抱えきれるこの娘が、育ち成人するまでに、この騒乱は終わるだろうか、そんなことをふと考えていた。
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