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 間もなく、マンスター地方の諸王国が、トラキアに併合されたらしいという情報が流れ始める。しかし、その一方で、トラキアに実行させて混乱したマンスター地方を、グランベルが進出して奪取したという話もある。
 はじめ、どちらを信用してよいものか計りかねたが、レンスターに南接するアルスターに、グランベル・フリージ公爵家の嗣子ブルーム公子が、マンスター地方を「フリージ連合王国」と号し、アルスターを拠点に国王として即位したという触れが回り、まず最初に所属国に出された命令が、「旧レンスター王国の王子リーフを探し出し、反乱分子の首魁となる前にこれを抹殺せよ」というものだった。
 私は、代々伝わる紋章から、レンスターに忠誠を誓い続けた証であるゲイボルグの加増紋(本来持つ紋章に対し、名誉的に追加される意匠)を削除させた。仕える王家を持たぬ流浪の騎士となり、いつでもリーフ様を守り旅に出られるように、そして、アレンの街が代々この地を治めて来たことを主張するためでもあった。
 こういうアレンの街に、アルスターから役人が来るという話があった。レンスターはおそらく、修復もしくは再建に多大な時間と経費が必要だろう。この街が恭順して、アルスターに税を納めるようになれば、少しはその役に立つかもしれない。
 この街が、どこの国に属そうとも、レンスターのためになるということを喜ぶのにやぶさかではない。ただ問題は、もう一つ、フリージの監察官は探らなければならない事項があるということだ。すなわち、リーフ様をかくまっていはしないかと。
 そのアルスターの監査をどうやりすごすか。その手はずの打ち合わせをした後、
「アルスターと言えば」
と、王女が仰る。
「ブルームがアルスターで即位したのは、納得できるわね。アルスターとフリージは、まあ、身内みたいなものだから」
「そうなのか?」
ベオウルフが怪訝な声を上げる。王女はそれをごらんになって
「まあ、知らなかったのも仕方ないでしょうね」
と前置きされて、
「旧アルスター王国には、ブルームのお姉さん…必然的にティルテュのお姉さんが嫁いでいるのよ、お名前は確か、エスニャ様」
「あれ、エスニャって、あのカミナリ娘の妹じゃなく?」
「世継ぎに関係ない、どうせ他国に嫁がせる娘の名前なんて、結構適当につけるものよ。たぶんあの家では、女の子にはとりあえずエスニャとつける伝統でもあったのでしょ。ティルテュはきっと運がいいんだわ。お祖母様に可愛がられていたっていうから、レプトールも手が出しにくかったのね、きっと。
 それはとにかく、エスニャ様にはお姫様が一人いらっしゃって、ブルームの身内と言う関係で、少々ご不自由だけど城下町の外の別宅にお住まいなんですって」
「まあいいや、それとこれとどういう関係が」
「推測だけど…エスニャ様が嫁がれている関係で、一番混乱させにくい…もっと簡単に言うと、エスニャ様の命を盾にある程度の言うことを聞かせられるから、よ」
「ひでえな、自分の姉ちゃんなのにか」
「自分のお姉様でも、さらに上がある狭苦しい公爵なんて身分から一国の主になるのだもの、利用しない術はないでしょう」
王女はいとも冷静だ。そのうち先達があって、
「アルスターから監査官のご一行、参られます」
と言う声がしたので、王女は
「いけないいけない、隠れないと。
 打ち合わせどおりによろしくね」
と仰って、するっと執務室から出て行かれた。

 監査官の質問に、私はのらくらと返答した。
「『レンスターの青き槍騎士』の二つ名を持つと前から伺っておりましたが」
と監査官がいぶかしげな顔を投げるが、
「いや、あれは吟遊詩人の物語の上のこと、私の名前はこの辺では比較的ありますし、その槍騎士が実在していたら、今頃、炎上したレンスター城と心中していましょう。
 ご覧の通り、私は平々凡々とした、戦い方など忘れた騎士、仕える主君もありません」
「左様ですか、戦い方の代わりに、領土の経営にはご熱心だったようですな。土地の質もよく、大層な収穫が見込めそうです。
 しかし、この地が連合王国の中にあります限りは、この地をこのまま保ちたいなら、相応に納めていただくことになりますぞ」
「造作もないことです」
私は一族のものを呼び、毎年アルスターに納める税の額について、これこれと指示を出した。
 監査官はまずまずの首尾だったという顔で帰っていった。
 しかし、私達がアレンで落ち着いていられる時間もないようだった。
私は、一族のものを集めた。
「私は、なき主君の使命を全うするために旅に出ます」
そういう私に、一族からどよめきが上がる。
「ありがとうございます。
 子供のうちにこの家から離れ、ほんの一、二年の滞在ではありましたが、私は一族の持つ絆に励まされました。
 どうかこれからも、その絆を大切に、皆さんでこの街をよろしくお願いします」
私はその偽らざる気持ちに頭をさげた。年かさのものが
「ご領主、どちらにおいでになるのですか」
と言う。
「それは、わけあって話すことが出来ません。もし次に、アルスターの監査官が来るようなことがあれば、私は主を求める旅に出て、妻はそのために実家に帰らせたといってください。もしそれが上策であると皆さんが判断するのなら、アルスターの庇護下になってもかまいません」
「領主…」
啜り泣きが始まる。
「私は何もしていません。ただ、妻に感謝を。自治機能を強化させ、自衛手段を確立できたのは、あの方のご助力あったればこそです」
「よきご伴侶を得たとばかり思っていたのに…奥様お嬢様をおいてゆかれるのですか」
「あの方は、おそらく私についてくると仰るでしょう。もちろん、ナンナも一緒に。
 そういう方です」
「乳飲み子を抱えてご領主についてゆくとは…奥様は一体…」
そんな声がする。
「そういえば、あの方のご出自を説明するのを忘れていました」
私は、館の外にサブリナが引き出される気配を感じ取って言った。
「グラーニェ様が嫁がれた先で、本当のお妹のようにお慈しみくださった王女です。
 回りまわって、私がグラーニェ様の義弟となるとは、考えもしませんでしたが」
時間が来ました。私は立ち上がる。
「ノヴァのご加護を」

 私はすべての従者を街に残し、街を出る。旅装の出すかすかな金属音と馬の足音で、お互いの位置を確認しあいながら進む。王女がおもちの松明が、ぼんやりと、ほの赤く道を照らしていた。
 しかし、星明かりとはよく言ったものだ。澄んだ空に広がる星の光が、地上まで降り注ぐようで、空の明るさのおかげで、私たちはアルスターへの街道に出たことを知ることができた。サブリナが、教えられたように、アルスターの方角へと首を向ける。
「そうだ、そっちだ」
そういうと、サブリナはまた歩き始める。
「すげぇな、少年の馬は」
と、後ろでベオウルフの声がした。
「ドナ、おまえも見習え」
「あら、この子はドナっていうの、可愛い名前ね」
「まぁな、名前があると呼びやすいからな」
「私のはなかったはずだわ、どうしようかしら」
「少年の名前でもつけといたらどうだ?」
「面白そうね」
後ろの悠然とした声も、右から左に抜けていた。私は全身の神経を研いで、この逃避行を感づいたフリージの手の者がどこかにいないか、それだけを感じ取ろうとしていた。
 そして気がつくと、ベオウルフが馬を並べている。小声で
「そんなかりかりした雰囲気出してると、訳ありって看板出して歩いてるのと同じだぜ」
と言われた。
「散歩だと思って、気楽に歩きな。
 姫さんと話してたおかげで、手を出せなかった追いはぎが二三人いたよ」
「え」
「だから、殺気を立てるな」
「どうしたの?」
王女が少し後ろから馬を駆けておいでになる。
「いや、あんまり少年がかりかりしてるんでな、落ち着けっていってただけさ」
「そう、何かあったのかとおもった。
 ねえ、アルスターまであとどれくらい?」
王女の問いに、
「そうですね、歩いた感じでは、遠くもなく近くもなく」
と答える。そのまま、馬を歩くままにさせながら、王女はしばらくお考えになっていたものらしく、
「一度、城下町に入りましょう」
そう仰る。
「まず、私があちらに赴いて、お話をするの。うまく言ったら、あなた達を呼べるよう手配をするわ」
「そうだな、ただちょいとご機嫌伺いにしちゃ、人数も多いし、物々しすぎるわな…」
私も王女の仰ることが何となく推し量れて、
「わかりました。城下でしばらく待機致しましょう」
と言った。
 城下町でとった宿で、最終的な方向を決定した。王女はセルフィナと子供たちを連れて、エスニャ王妃の別邸まで向かい、受け入れられると確認できれば、私たちが入ってゆくと言う算段だ。
「うまくいきゃあいいがな」
というベオウルフの声に、王女は
「上手くさせるのよ」
とお答えになり、二三日身支度を整える時間をとった後、出かけて行かれた。

「物騒だな」
王女からの連絡を待つ間、ベオウルフが城下を回ってきて言う。
「物騒ですか」
「表面上は何でもねぇように見えるが、もう動くヤツは動き始めている」
「動く?」
「ああ、王様はじき出しってやつだな」
つまり、最初からブルーム王の前に腰を折るつもりなどない輩が、王の排斥のための抵抗運動を始めようというのだ。
「しばらくおとなしくしててもらいてぇところだな…姫さんの苦労が水の泡になっちまう」
「全く同感です」
今のアルスターは、国王側も民衆側もエスニャ王妃の存在を一つのよすがにして、かろうじて均衡を保っているようだった。
「ずいぶん、その王妃様っていうのが慕われてるらしいぜ。まあ、城下の民衆にとっては、身内ってだけで命を取られはしなかったものの、軟禁よろしく屋敷に押し込められても、嫌な顔一つしないと」
あと、付け加えるならば。ベオウルフは、街中で購ったらしき酒瓶を開けて、
「この国には『国王』が二人…いや、三人いるな」
と言った。
「三人?」
「ああ」
ベオウルフは一回、それをあおった後、
「まず、古いアルスターの国王。くだんのお妃様との間にできたちっこい姫さんと二人で城下のどこかで幽閉中。
 で、今度の国王ブルーム。ご神器を扱えるらしいが、ふたを開ければ乳母日傘の総領息子さ。
 三人目は、その女房。これが、今のアルスターの全権を国王の名前だけ使って牛耳っている」
と言う。
「たしか、ブルームの妻はヴェルトマーの血を引くお方と、以前ティルテュ公女から伺ったことがあります」
「まあ、お前にすれば、マージに魔法の呪文教えるようなもんだがよ、アゼルの坊ンの兄上が、一族お勧めの嫁候補に押し立てられたのを、要らんと鼻であしらわれたのが、ブルームは断りきれなかったクチだそうだからよ」
「はぁ」
「城下の下々のものに、どうアメとムチをきかせてやるか、その塩梅だろうな。それを間違えれば、たやすくこの街は火を吹くぜ」
ベオウルフが得てきたこの情報が真実なら、アルスターがブルームを排斥するための壁は存外に薄そうな気がした。しかし、そのブルームの妻に難ありと言うことは、アルスター城下にとって真の敵は彼女と言うことになる。
「王女が向かわれているエスニャ王妃のもとが、物騒でなければいいのですが」
「そうだなぁ、もし、長くはおられんようなら、俺達は本気で『主探しの旅』に出にゃならんことになる」
「そうですね…」
「不安か?」
「少しだけ」
「らしくねぇ言葉だな」
つい本音が出てしまった私を、ベオウルフは笑い飛ばす。
「守るものが変わるだけさ。
 今までのお前は、城とご主君を守るためにその槍を振るって来た。
 これからのお前は、姫さんと子供達を守るために、同じことをする。
 姫さんと、お嬢ちゃんと、王子さんと、ついてきた跳ね返りの娘さんと…大盤振る舞いで俺もつけるか、お前含めた六人しかいない移動する小さな国の国王だ」
「私が、国王」
「ああ」
ベオウルフのセリフは判じ物のようで、私にはいまひとつ実感がなかった。ただ、私が、これまで以上に「守るもの」にならなければいけないということだけは、伝わって来た。
「ご主君やウィグラフは、その何百、何千倍の人間を守るために、ご神器を振り回してきたんだ、お前はそれを見てきた、そうだろう?
 たった数人を守れることが、お前ができねぇはずがねぇ」
「…はぁ」
「やれやれ」
ベオウルフは、煮え切らない言葉しか出ない私を見て、後ろ頭を困った風にかきやった。
「姫さんのほうがよっぽど覚悟が出来てるよ」
「それはそうでしょう、王女のほうが、直感的に動くことについては私より優れておいでです」
「そういう話じゃねぇ。
 お前は聞いてたか知らんが、アレンの街をたつ前に、姫さんはこんなことを言ってた。
『一つと一つは、単純に二にはならない。時に無限大になる』
 どういうことかわかるか?」
「…さぁ」
「野暮だねぇ」
ベオウルフはにんまり笑った。
「姫さんが受難覚悟でこの宿を出て行った…いや、もっとさかのぼって、坊ちゃんイザークに残してアレンまでやってきた。
 それが、姫さんのいう『一つと一つで出来る無限大』なんだよ。姫さんという一つは、お前という一つで初めて無限大になれるんだ。
 姫さんになれて、お前がなれないはずがねぇ」
無限大になれ。ベオウルフは言って、ゆっくりと酒瓶をひとつあけた。


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