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 「カン、よ」
私がいまだに区別の付けられない双子の従騎士の区別を、王女はもうすでに付けられていると仰る。秘訣をと尋ねたら、一言あれだけ仰った。
「三つ子の区別をつけていた私に、双子の区別がつかないと思って?
 区別を付けたいのなら、どこかに目印をつけてもらって、動き方やしゃべり方をよく観察することよ」
「そんなものですか」
「それと」
王女は、私が城で片手間に決裁する書類の箱をさして、
「随分、無駄な書類が入ってるわよ」
「無駄?」
「あなたの署名が必要ない書類。署名だけですむような書類は、王宮で片手間に済ませればいいことで、一族との話し合いでも、あなたが口を出すのは、意見が出尽くした後の最終的な決定だけ。
 あなたがそれは嫌だというなら、今までどおりで全然構わないけれども、執務室の机の上は、誰が見ても恥ずかしくない程度には片付けておくことね」
「ああ、すみません」
執務室の傍らの椅子に腰をかけられて、王女はとうとうと仰る。ノディオンで内政をされていた間は、こんな毅然としたお顔だったのか。今まで見たことのないお姿で、私はそれに正直気圧されている。さもありなん、短い期間とはいえ、一国の王の右腕であったのだから。領土の経営という部分では、私は、王女のはるか下にも及ばない。
「でも、一所懸命なのね、お城でも、ここでも」
その王女が、ふふ、と笑いを含まれた。
「私はいつでも全力ですよ」
「でしょうね」
そして、するすると、机をはさんだ向かいに立たれる。
「でも、休むことも必要よ。ここと私は、休むためにあるのではなくて?
 それとも、私じゃ休まらない?」
「とんでもない」
どんな紆余曲折があったにせよ、王女がここにいらっしゃることが、何より今は安心している。
「私に出来ることなら、何でも命令していいのよ、そうできる人なんだから」
「それこそとんでもない、王女に命令などと」
「ほら」
王女は私の唇をさして
「『王女』はなしよ」
「ですが」
「…二人だけのときなら、好きなようにして構わないけれど、誰かいるときはそれはだめ」
「わかってます」
とはいえ、誰かが介在するときも「慣性」で出てしまいそうな気がしてならない。
 王女は一度椅子の上でくっと体をそらし、
「あなたがまだ見分けのつかない、ブランとシュコランはここにいるの?」
と仰る。
「はい、いると思いますが」
「あなたのかわりに、私が教練してあげる」
「え」
「ダメ?」
王女はもうその気でおられる様で、もう金色の髪をくるりと纏め上げておられる。
「いいなら、するわよ」
「…ご自由に」
お止めしても、もう無駄な気がした。あの二人はきっと油断しよう。私は、今度ばかりは王女より、ブランとシュコランのほうが心配だった。

 王宮から王女への正式な招待状が届いたのは、間もなくのことだ。アルフィオナ様には、まだまだかげひなたのご支援を仰ぐことにもなるだろう。王女にその招待状をお渡しすると、
「まあ、アルフィオナ様が私を?」
と、いささか驚かれたようだった。
「どうしても、一度、両陛下への目通りは形式として行わなければいけませんが、それとは別に招待状など、私は初めてです」
私はそういった。
「ただ心配が。王女のご出自が、両陛下にはともかく、ほかの廷臣や諸侯にわかってしまいはしないでしょうか
王女は読まれた招待状をまたしまわれて。
「ありがとう。でも、失敗はしないわ。アルフィオナ様はもちろん国王陛下だって、もう私が誰かご存知だと思うの。アルフィオナ様は、この間のお式もそっとご覧になっておられたわ」
「そうでしたか」
私は緊張していたので、周りをゆっくり観察することもできなかったが、王女が仰るのが本当だとしたら、アルフィオナ様は私がご存じなかっただけで、ずいぶんいたずらの好きな方なのだと、あらためて気づかされる。
「キュアン様の人となりは、アルフィオナ様に似られたのかも知れないわね」
王女はそう呟やかれた。それには同感だったが、まだ両陛下の中では、そのキュアンさまを失われた傷が癒えておられるわけではない。王女はふ、と息をついて、
「さ、急がなくちゃ」
と立ち上がられた。
「いかがされました」
その突然さに、私はつい伺ってしまう。王女は当然、というお顔で、
「アルフィオナさまにご招待されてしまったのですもの、準備をしないと」
そう仰る。
「ああ、そうですね」
といっても、にわかにはその場所が動けない私をを、王女ははくす、と笑ってご覧になる。
「あなたが背筋を伸ばすことは何もないのよ。それとも、私が明日の服を選ぶのを、このまま見ているつもりなの?」

当日。ご盛装ではいつものように馬で気楽に、というわけにもいくまい、馬車を仕立てて、王女のお出ましを待っていると、
「どう?」
と仰りながら、王女がいらっしゃる。
「アルフィオ様の招待状にかかれてあったの。式のドレスのほかにあつらえさせてくださったものが、似合っているか見たいって」
はやりすたりもないドレスだが、やはり、人の物を借りているよりは、ご本人のためにあつらえられたものの方が、なじんで見えた。
「きっと、お喜びになりますよ」
私は言って、馬車に乗せて差し上げる。
「今日は、サブリナはお留守番なのね」
その後乗ってきた私に、王女はそう仰った。
「しかたありません、王女お一人残して帰ることは、今日はできませんから」
といいながらふと見ると、王女の傍らに「祈りの剣」がおかれていた。
「それも、お持ちになるのですか?」
「ええ。必要だと思ったから」
「必要、ですか」
「ええ。
 私はこれから、私でなくなるの」
仰ることの真意が図りかねた。しかし、この方は、一見朗らかそうにしておられて、何かを考えておられる。王女ご本人を境地に追い込むようなことが起こらなければ良いが。私がそう思っているうちに、馬車ははやも、城下町の門を過ぎていて、王宮の敷地に入ろうとしていた。

 王女はここでも、サブリナの名前を使った。ノディオンの王女は、バーハラの事件で行方不明だったことにして、ご自身はその下で仕えていた騎士と、両陛下の前で仰る。ここでは、ずっとその仮のご素性ですごすおつもりで、身分を偽っているつもりはないという意味での剣であることを、私はやっと納得した。
「王女様は、私と夫のことを喜んでくださいました。そして、最後までご心配でいらしたアレス王子の探索と保護を私に託してくださいました。
 残念なお話は伺っています。ですが、あきらめずに探索を続け、王女様がお伝えできなかったさまざまなことを、私はお話して差し上げようと思うのです」
アルフィオナ様は、大きくうなずかれて、
「レンスターとノディオンははや他人ではありません、二国をつなげる架け橋のアレス王子は、手落ちがあって行方の知れない身となってしまいましたが、どうかあきらめず、使命をまっとうされますよう」
「ありがとうございます」
王女は深く一礼をした後、
「陛下」
と、壇上のお二人に声をかけた。
「アレス王子は、最後、どの場所においでだったのでしょうか」
「…アレス王子は」
今度は、カルフ王陛下自らがお答えくださる。
「最後、王子の母となったグラーニェとは別に、彼女の実家コーマック家の預かりになっていた。
 失踪に際して、コーマックに落ち度がないのは私も承知している。しかし、罰を何も与えないことはできぬ。許しのあるまで、王宮への立ち入りを禁じている」
「では国王陛下、この国のことを何も知らない私が申し上げるのはスジが違うとは承知しておりますが、コーマック様に、一度王宮へのお出入りを許されるよう、お願いをいたしたく思います」
「うむ…」
「あれこれと不安定な時勢の中、コーマック様にとっても不測の事態と察します。ここは、お心を広くもたれて、どうか、お許しをいただけますよう」
「…」
陛下は、何もおっしゃらない。しばらくして、
「それは、貴女にすべてを託されたという、ノディオン王女のご意向と受け取ればよいのか」
と仰る。王女は
「一言お言葉があれば、陛下のご宥恕のお心広きこと、近隣にさらに響きましょう」
と仰り、アルフィオナ様にも小声で何かを促され、
「よかろう。コーマックを赦す」
陛下は仰って、書記官に、その旨を急ぎの書類に仕立て、届けさせるよう指示された。
「これでよいかな、伯夫人」
「ありがとうございます」
陛下は、隣の私を見て、
「思いもがけず、なかなかしっかりとした性根の妻を娶ったものだな」
と仰る。彼は
「は」
と膝を引いた。王女がされることにひとつの食い違いのないよう、私も振るわねばならない。
「王女が結んでくださったふたつとない縁とおもい、これからもいつくしんでいきたいと、そう思っています」
「キュアンたちのように不幸せなことには、どうかならないでね」
アルフィオナ様にもそう言葉をいただいて、私達は、これ以上はなく、お二人の前でかしこまった。

 「コーマック卿へのご勘気を赦すよう仰られて、どうされるおつもりですか」
帰り道、私は尋ねてみた。アレス王子が行方知れずになられているのを、蟄居の間、探そうともしていないと私は聞いていたからなおさらだった。王女は
「お姉様のご両親という、コーマック夫妻を見たかっただけ。
と仰る。
「あとは、向こうの出方しだいだわ」
「どうされるのですか」
「アレスがいなくなったことを、いまさらどうこう言っても始まらないのはわかってる。
 でも、お兄様が良かれと思ってされたことを、シグルドさまや私の陰謀みたいに言っていることだけは、どうしても赦せない。
 剣を使わない敵討ちよ。お姉様からいただいたご恩を、今私はここで返すの」
そのお顔がにわかに厳しくなられた。何にかのお考えが、王女の中にあるのは間違いない。それが、裏目に出ないことを、私は信じるよりない。
「どうか、早まったことはされませんよう」
そう、心配が言葉になる。
「わかってる。
 それが終わったら、私は剣をおくの。」
「?」
「剣をぶら下げた奥様なんて、あなたもつれて歩きたくないでしょう?」

 まったく知らないところにおいでになっても、ご自分の位置を確保されることについては、王女はとても上手でおられる。
 こと、このレンスターでは、アルフィオナ様から格別のご鍾愛をいただいて、サロンで隣にお座りになることを許されたというので、私はしばらく、空いた口がふさがらなかった。
「伊達や酔狂で、あなたのお母様からあなたを預かったのではありませんよ」
とアルフィオナさまは仰る。
「もしご出自が公になってお身柄が危うくなっても、多少のことはねじ伏せるだけの権力を、まだレンスターは持っていますよ」
「…はぁ」
「それに、前にも言ったでしょう。
 プリンセスがご出自そのままにここにいらしていたとしても、アレス王子のことを考えれば当然というもの。レンスターでお身柄をおあずかりして、探索の指揮をとられることだって、できますのに」
ねぇプリンセス。アルフィオナ様にそう促され、王女は
「魔剣がともに行方不明で、今は良かったと思っています。そうでなければ、私はもっとあわてていたかも知れません。
 本人が知らないままに、魔剣がアレスを守っているとおもいます」
「ええ、アルテナもそうならよいけど」
アルフィオナ様は、こぼすように仰った。
「どうか、お気を落とされないでください、王妃様。アルテナさまもきっと、地槍が守ってくださっているはずですわ」
「ええ、そうでしょうね。
 …これではあべこべですわ、プリンセスを安心させようとしているのに、逆に私が励まされてしまうなんて」
王女がアルフィオナ様のお手にそっと自分のお手を重ねられる。アルフィオナ様が
「どうか、遠慮なく、いつでも王宮にいらしてくださいね。貴女のお席は私の隣。それほどの方なのですよ」
と仰って、王女はそれに「はい」と返された。

 それからまた招待状があり、何かの悶着が、アルフィオナ様のサロンであったということしか、私の耳には届いていない。王女も多くは語りたくないようだったし、私も、話す必要がなさそうだった。
 しかし当日、控え室に戻られた戻られた王女は、最初ひどく激昂されておいでで、コーマック卿ご夫妻へ、言葉の及ぶ範囲でのうらみとののしりを吐き出されて、その後は、
「お姉さまがかわいそう、戻っても、少しも優しく迎えられなくて、アレスとも引き離されて、一人でお亡くなりになったなんて、かわいそう過ぎる」
と、泣き崩れられた。
「悔しいわ」
そうとも仰った。
「私があの人に意見できる立場でいられるなら、私はコーマックのことを絶対赦さない。アレスを見つけてくるまで、帰ってくるなといいたい。でも、今の私にはそれは無理…」
私は王女のそばでひざをつき、お言葉が終わるのを待った。その私に気がつかれたのか、王女は
「…ごめんなさい。あなたを困らせるつもりは全然ないの」
と仰る。
「ただ、お姉様があまりお心の綺麗な方だったから…」
「仰りたいことはわかります。そうでなければ、王女がかたくなにご出自を隠されながら、王宮においでになってご両親に会われたいと仰るはずもなく」
「…」
「もう王女がみずからお手を下されることはありません、安心されてください」
「…ええ」
王女は、ゆっくりと立ち上がられた。
「心配をかけて、ごめんなさい。
 今の私は、ただのサブリナ。これからも、ずっと。
 あなたのサブリナでいますから…」

 あらためて、コーマック夫人に、王宮への出入り差し止めのお達しがあった。社交術で多少の揶揄は聞き流すことでおできになるはずの王女がそうなされなかった、それだけのことが、あったということだろう。
 王女は何も仰らない。


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