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 その相手がトラキアという、マンスター地方諸国の共通の敵であったことにより、皮肉なことに、レンスターへの信頼は、わずかながらでも取り戻された。次にトラキアと対峙するようなことがあれば、それはキュアン様への弔い合戦になる。信義を貫いて砂漠に散ったそのご最期のようすは、誰が見聞したものか、美談として吟遊詩人が語り始めているという。
「天と地と、二つの槍の悲劇はなかなか、その終焉をみせぬな」
「そうですね」
「聖女ノヴァが、今のわれわれの様を見ていたら、どうのたまうであろうな。
 存外にキュアンは、みもとにあまりに若く参って、小言の一つでもうけているかもしれんな」
と、陛下は笑いながら仰った。
「冗談はひとまず置いておこう。
 お前を呼んだのはほかでもない、リーフの処遇だ。
 相手がトラキアでも、フリージでも、レンスターに何かが起きたら、お前は真っ先に、リーフの身をお前の領地に隠すのだ」
「承知しました」
と、私は答える。リーフ様はまだ三歳の頑是無いお子様、このまま、お父上お母上のお顔も覚えておられずに育ってゆくかと、王宮の貴婦人には、その行く末を案じて、涙される方も多いとか。
「ですが…」
「不満か?」
「いえ。私の領地では、感づかれはしないでしょうか」
「木を隠すのは森の中に決まっているだろう。それに、普通の街の暮らしを覚えることは、リーフにとってよい経験となるだろう。これからはたびたび、練習のつもりでつれてようにしなさい。
 …それから」
「はい」
「シレジアの若き国王がお前の館にお出ましになっていたそうではないか、何故引き止めなんだ」
「は、申し訳ありません」
陛下は私に、下げた頭を戻すよう仰り、
「いや、謝ることはない。一介の吟遊詩人としてお前の館に滞在されていたのだろうから、私はあずかりしらなんだことにしておこう」
「…ありがとうございます」
「さて、」
陛下が改めて仰る。
「ランスリッターのほうはどうだね」
「はい、ドリアス卿とグレイドが中心になって、能力のあるものをより抜き、訓練を受けさせている最中です」
「減員した分が回復するまでに、どれだけかかりそうだ」
「あと数ヶ月かと」
「数ヶ月か。最短でその時間なら、より騎士らしい騎士団をと、ドリアスには計らってほしい」
「わかりました、伝えておきます」
「しかし、キュアンはたいした仕込み方をしたな」
陛下が私をみて、そう仰る。
「いかがされましたか」
「キュアンがおらなんだようになってまだ日も浅いというのに、お前はそれをしっかり補ってくれる。決して出張らず、任せるべきは任せるさじ加減は、もしかしたら、キュアンより深いかもしれんな」
「もったいないお言葉です。
 私は、ただキュアン様の後ろを追っていただけです。
 現に、ランスリッターの育成はドリアス卿に任せきりで」
「ドリアスはキュアンを騎士に育てた立派な男だ。私が言うのは、お前のそうした判断も含めてのことだ」
「…はぁ」
褒められ放しで我ながら気味が悪い。
「ですが、私はよく、キュアン様からは『お前はすぐものを悪いほうに考える』とお叱りを受けていました」
「ははは、お前の年頃で人生を達観したような態度では、そういいたくもなるだろう」
最悪のことを常に考えておくことは、決して悪いことではない。陛下はそう仰った。
「この凪の時間…いつまで続くかの」
「できるだけ長くと、期待しております」
「トラキアの出方次第であろうな。ゲイボルグのないマンスター地方は、早晩相互の信頼関係に影をさすだろう。そのときが、労せずしてトラキアが侵攻する好機になる」
「はい」
「リーフは、ゲイボルグを伝えうる可能性を持つ、ただひとりの子だ。
 キュアンがその扶育をお前を託した以上、お前はリーフを主と思って、万一のときにも、リーフのためにたち動いてもらいたい」
「…はい」
私は、すこし面を伏せがちに答えた。その万一の時に、トラキアに向けて一矢でも報えたらという私の希望は、かなえられそうにない。私は、生きねばならないのか。
「死に急ぐが騎士の忠義ではないぞ」
私の考えを読まれたように、陛下が仰る。そして、同時にキュアン様のことも思い出されていたに違いなかった。レンスターの王太子は、ランスリッターの旗頭であり、国王を主君とした、レンスター随一の騎士でなければならないのだから。
「私達のような、残されるものがある者は、死んではならぬのだ」
「…はい」
私は退室の礼をとった。そこで、陛下のお声がかかる。
「アルフィオナのところにリーフもいる。様子をみてあげてほしい」
「はい」

 アルフィオナ様は、リーフ様のお相手をしていらっしゃる。他愛ない手遊びの唄が聞こえて来る中、入室の許可を請うと、
「いれて差し上げなさい」
という声の後、扉が開いた。あまり見たことのない、髪を二つに分けて結った、侍女ともつかない若い娘が、私の顔を見上げている。その後ろから、リーフ様を抱かれたアルフィオナ様がいらっしゃる。
「セルフィナ、怪しい人ではないから、通して差し上げなさい」
「はい」
セルフィナという名前には、聞き覚えがあった。
「どなたかのご息女でしたね、確か」
「まあ、どなたか、だなんて。
 ドリアスの娘ですよ」
「ああ、そうでしたか」
「リーフに遊び相手がほしいといったら、ドリアスが、行儀見習いもかねてと、私のところに」
「そうですか」
セルフィナは、遠巻きに私を見ている。
「セルフィナ、どうしたの。さっきまで、あんなにおしゃべりだったのに」
しかし彼女はそのお言葉には返さず、
「お茶の用意をしてまいります」
と、ついと膝を折って、部屋を出て行ってしまった。
「気恥ずかしいのかしら」
アルフィオナ様が微笑んで仰った。
「本当は、あんな無愛想な子ではないのよ。まあ、お年頃と思って、なれるのを待ってあげて」
「はぁ」
私にはよくわからない話だった。館で預かっている行儀見習いの娘と、少し視線から受ける印象が似ているような気はしたが。
「もしかしたら、さっき、あなたのことで話したことが気になったのかしら」
「私の何をお話しに?」
「ドリアスの前ですると、いつも彼が怒るからしないのだけど」
アルフィオナさまはくす、と笑われてから
「お嫁に行くなら、どういう方がいいのと聞いたのですよ。そうしたらセルフィナはほとんど考える時間もなくて、あなたのような人と答えて」
「…はぁ」
どこかで聞いたような話だ。
「私がそれに、ドリアスは喜ぶかもしれないけれど、ご本人のお気持ちはどうでしょうね、と」
「…はぁ」
「王妃様!」
そこに、セルフィナが帰ってきた。どうやらしばらく前からそこにいたらしく、顔を染めて、半分涙目になっている。
「誰にもお話なさらないって、約束だったではありませんか」
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、うっかりしてたわ」
アルフィオナ様は仏頂面でテーブルのセットを始めるセルフィナを、私はどう見ていいものかわからない。
「今の話、忘れてくださいませ」
セルフィナは見掛けに似合わない気丈な言葉で言う。
「自分から望んでどこかに嫁ぐことはできないのですから」
「あら、あきらめるのは早いわよ。自分から望んでどこかに嫁く話は、今も昔もあることでもの」
とアルフィオナさまが仰る。
「ねぇ」
と私に同意を求められても、答えようがない。気まずい雰囲気になってきたのをご存知なのかそうでないのか、
「そうそう」
アルフィオナさまはぽん、と手をうたれ、そばの侍女に何かを指図される。
「ちょうどいいところに来てくれたわね。
 見せたいものがあったのよ」
指図されたものが来るまでの間、アルフィオナさまが仰る。
「陛下からもう聞いたかしら」
「陛下から、ですか? 取り立てて、特別なことは何も」
「あら、陛下もお忘れになってしまったようね」
アルフィオナ様がくすくすと笑われる。
「シレジアの国王陛下が、先日あなたのところをお訪ねになられたでしょう」
「え」
私は思わず、椅子からずり落ちそうになった。
「ど、どちらからそれを」
「数日前、陛下がお庭を散策されていたとき、不意に目の前に現れられたそうよ」
「そうでしたか…レヴィン様はこちらにも」
「そして、あなたにこれを、と」
と、封筒がわたされた。
「あなたが余りに忙しそうで、渡しそびれてしまったの、ごめんなさいね」
「とんでもありません」
「シレジア王は、『こちらでお預かりされていたヘズルの血には、まだ望みがございますよ』と、そう仰って、またどこか、風に乗っていかれてしまったそうなの」
「…はぁ」
レヴィン様は、お忙しい方なのだ。これからもああして、身を風の随にされて、残された悲劇の跡を訪ねてゆかれるのだろうか。
 アルフィオナ様が、改まって私にお尋ねになる。
「あなたのプリンセスは、ご無事なのね」
「はい」
それはまがうことのない事実だったから、私はほぼ即答した。
「ああよかった」
アルフィオナさまはほう、と胸を押さえられた。
「そうならいいと思って、急いで用意をさせたのですよ」
そして、私の前に、そろえられたものを見せてくださる。
「あなたのことでしょうから、きっとそこまで気が回らないと思ったの」
セルフィナは、リーフ様をつれて庭にでも出てしまったものか、もう姿はない。

 見せられたものは指輪が二つ。全く同じ意匠で、ただ大きさが違うだけ。
「あなたはともかくとして、あの方にあうかしら」
と、アルフィオナ様が眉根を寄せられる。私は、その意味がすぐにはわからず、不躾に伺っていた。
「こ、これは」
「これは、って、誓いの指輪に決まっているじゃない」
「…はぁ」
「あなたの左手がどうもさびしそうだと思って、よく考えたら、指輪がないことに気がついて…
 シレジアですでにお渡ししているなら、私のおせっかいでしょうけれど」
「とりたててそうして差し上げた記憶は… 王女はいろいろとお持ちでしょうが…私には、こういうものは似合いませんから」
「似合う似合わないの問題ではありません。ただの飾り物とは違うのです」
私の返答がよほど的外れだったのだろう、アルフィオナ様が毅然と仰る。
「…思いも及びませんでした」
「先が思いやられるわ」
アルフィオナ様が頭を抱えられた。

 ふらふらと、それをもって、館に戻る。執務室の、引き出しの中に、一度それをしまって、私は、封筒を取り出した。封蝋はない。中には、手紙と一緒に、今折り取ったばかりのような、みずみずしい若葉の小さな枝が入っていた。
<お愛しい私の騎士様
 シレジアのあの辛い時、あなたの手紙がなかったら、私は小さな命のかわりにに寂しさを身ごもって、そのままお母様のところに行ってしまうところでした。
 そして、また手紙を受け取って、あなたが無事でいることを確認して、私はあらゆるものに感謝したい思いでいっぱいです。
 大方のことは、あなたのことでしょうから、もうどこからか情報が入っていることでしょう。私も、詳しいことは言いません。

 あなたが最初に差し出してくれた手紙は、何かの予言だったのかしら。あなたが私に預けてくれたデルムッドは、今年の夏、一歳になります。
 あなたと同じ、真っ青な瞳で、見るほどに、あなたの眼差しが懐かしくなります。
 今、私の帰れる場所は、あなたのいるところ。
 お忙しくて、迎えにこられないようなら、待っていてください、私の方から伺いますから…>
柔らかな、かわいらしい文字をつとなぞり、私は、しばらく、何も手につかなかった。

 王女にそんなお手間は取らせられない。なんとしてもお迎えに行かねば。
 私は、何とかその時間を捻出するために、また身を削るように王宮と館の往復を繰り返す。
「あまり無理はしないものですよ」
と、アルフィオナ様が仰る。
「また倒れるようなことがあったら、元も子もないのですからね」
「はい、気をつけてはいますが」
「そうね、前と違って、忙しくするのが楽しそうだから、倒れたりはしないだろうと思います」
しかし、忙しい割には片付かない仕事が多く、王宮で寝泊りする夜もしばしばになる。いつ再会できるだろうかと、その時を考えると、目がさえてしまう。
 いつかの私が、寂しさを紛らすための激務だとすれば、今の私は、浮き足立つのをなんとか、地につなぎとめるための激務だった。
 往復に日にちはどれだけかかろうか、かといって、目立つ道行きはご時世柄はばかられる。何人連れてゆくべきか。そんなことを考えながら、片手間に書類を仕分けていると、どんどんどん、と扉が大仰に叩かれる音で、我に返った。
「ああ、グレイドか。開いているから入っていればいいのに
「入ったままでどれだけ待たせる。早く気づけ、手がしびれた」
グレイドは、渋い顔をして
「たまには、お前もランスリッターの教練をしてくれないか」
と言う。私は、書類の仕分けをしながら、それに答えた。
「そうだな」
「おまけに、お前の従騎士の世話まで何故俺がせねばいかんのだ、頼まれて請け負った俺も俺だが、どうも納得がいかない」
「そうだな」
「ドリアス卿のご息女の話では、リーフ様のことも、王妃陛下に預けっぱなしだと…
 聞いてるのかおい」
「聞いてるよ」
グレイドが、私の胸倉をつかんで、自分のほうに向き直らせる。私がどんな顔に見えるのだろうか、グレイドは大層なため息を一つついて、
「…そういえば、お前には、一度聞きかけで途中だった話があったな」
「あったかな」
「あった。今まで悲報続きで聞けるような雰囲気でなかったから手控えてきたが…
 今のお前のそのゆがんだにやけ笑いの口からなら聞きだせそうだな」
「何を」
「とぼけるな。
 さあ話せ、今すぐ話せ、お前遠征先でナニしてきた、いや、一体その相手はどこの誰なんだ」

 一時の私の話の後、グレイドはポカン、と、口を開けたまま、しばらく何も言えずにいるようだった。
「う、嘘だろう」
「嘘ではないよ」
彼にすべて話してしまったことで、私の足はまた、完全に地に着いた。
「信じられるか、回り回ってお前がグラーニェ様の義理の弟なんて」
「そんな事言ってない」
「馬鹿、お前が今話したことを整理すると、そういうことになるんだ」
グレイドの言うことは、まだ完全に飲み込んではいなかったが、私は、
「ただ、一つ約束してほしいことがある」
と念を押すように言った。
「約束?」
「かの方のご出自を、あまり喧伝するようなことは避けてほしい」
「できるか」
グレイドは腕組みをした。
「今の話だって、誰かに聞かれていれば最後、その方はお前のところにくるなり、ここの政争に巻き込まれるぞ」
「そんなことはさせない」
「お前がさせたくなくても、巻き込まれる。
 コーマック卿がその関係で王宮出入り差し止めを食らって、ますます恨み辛みをかもしているんだ、かぎまわられていやでもわかるぞ」
「損得抜きで、ただ私の領地でおあずかりするだけでもか?」
「巻き込まれるまでの時間が長くなるだけだ」
私は、グレイドがそこまで悲観的なことに、つい怪訝そうな声を出してしまう。
「もっと喜んでもらえると思っていたが」
「お前が洗いざらい話さなければ、手放しで喜んださ」
 グレイドの話しか聞いていないから、他の人がそれをどう思っているのか、私には到底計り知ることは出来ない。
 ただわかるのは、私が望んでいるほんの少々先の未来は、波乱を孕んでいることだ。


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