私は半死半生のていで、アレンの館に連れ戻された。そこであったしばらくのことは、おぼろげとしか覚えていない。ぼんやりと、中空を眺めていたらしい。
私がしなければならないご遺志の数々は、レンスター王宮で誰彼となく集まって、話し合いつつ進んでいるらしいと、やっと意識がはっきりし始めたころに聞いた。
「ご領主、あなた様はすこしお忙しすぎたのですよ」
と、一族のものが来て言う。
「王妃様からご使者が参りまして、陛下のお許しのあるまでアレンにおられるようにと」
「そんなこと、出来ません」
私は起き上がろうとした。が、体の均衡がとれず、寝台に吸い付くようにまた仰向けになってしまう。
「王宮でやり残した仕事は、たくさんあるのです、持ってこられるものだけでも、持ってきていただけるように、計らっていただけませんか」
「ですからご領主、王妃様は一切の職務から一時手を引かれるよう仰っているのですよ」
「無理です…私でないと、立ち回らないことも…」
「それをご承知で仰っているのです、どうか、ご養生なさってください、それが王宮のため、ご自身のためなのですから」
「一国も早く、レンスターの国体を復活させないと、マンスターはこのまま、グランベルに吸い取られるだけだ!」
私は、動かない上半身をしいて起こし、吐く息の勢いに任せて言った。
「ゲイボルグがなくとも、ランスリッターは聖ノヴァの嘉したまう大陸屈指の槍騎士団…それを強化して、陛下とアルフィオナ様、リーフ様はもちろん、レンスターの民を守らなければならない、それが、私に示されたご遺志」
言葉を出すものは誰もいなかった。
「ご領主…」
私をどう扱っていいものか、困惑がその声に滲んでいた。身を粉にして、何かに集中していたかった。そうでないと、私はまた、腑抜けのままになってしまう。それだけは、自分が許さない。
「王宮に従士を遣って、わかる限りの書類を運ばせてください」
そう言いながら、私は壁伝いに歩き始める。着替えて、この嫌な汗から逃げたかった。
そこに
「ご領主様?」
と、行儀見習いの娘が中をうかがうように顔を出している。
「どうした?」
「お客様です」
「私に客?」
「はい」
最初私は、王宮の勢力地図が塗り替えられてゆくさまを敏感に感じ取って、私に取り入ろうとした誰かが来たのではないかと思った。だがあいにく、私は王宮のどんな派閥に入るつもりも、自分の派閥も作るつもりもなかった。
「王宮からの客なら、私はまだ人の前に出られる状態ではないと断りなさい」
「いいえ、お客様は王宮の人ではありません。商人の方とも違うようなのですが…
お名前を伺おうとしたら、『当たり年のワインはいかがですか?』と逆に言われてしまって」
その一言で、思い当たる人物がいた。
「どこにおられる? その方は」
「入り口で待っていただいています」
「執務室にお通ししなさい。その方にはすぐ行くと」
「はい」
娘は、ひとつ膝を折って、ぱたぱたと廊下を小走りに走っていった。
とにかく着替えて、執務室に入る。やはりみなれたお顔が、私の前にあった
「お久しぶりです、領主殿」
と言うと、
「少しおやつれになりましたかな」
と、領主殿は眉を曇らせられる。
「何分に、一時にいろいろありまして」
領主殿に椅子を勧めながら、ふと心配になった。
「領主殿、マディノの…あの町は、大丈夫なのですか」
「いや、心配には及びませんよ。グランベルの役人に金色の鼻薬をかがせるのも、大切な仕事ですからな」
領主殿はそう仰って、にやりと笑われた。
「抵抗をしない代わりに、手を出せないのが、一番微妙な勘所でしてね」
「…はぁ」
「それにしても、この街はよい場所ですな。
こちらに伺う二三日前から逗留していましたが、人はみな笑顔でいる。そして、領主のお人柄もよい、と」
領主殿はそうやって、少し笑まれてから
「ですが、このしばらくは悲報が続いてお体の様子が芳しくないと町の中でも心配する声があったものですから、実は今日の訪問も、門前払いを食らうかとおもいました」
「領主殿がおいでと伺っては、お通ししないわけにはいけません…」
そういう私の視界が、急にゆがんでくる。
「申し訳ありません…私は…」
「…」
「領主殿から、王女をお預かりすると一人前のことを言っておきながら、守り続けることが出来ませんでした…」
「確かに」
領主殿はもっともそうな顔をされる。
「ノディオンの王女はバーハラの悲劇において、その行方のわからぬお方になりましたな」
「はい…」
机の上の、決済を待つ書類の上に、涙が落ちる。それをよけ、
「私が至らないばかりに…シレジアにお残ししてしまい…」
と、いまさら悔いても始まらない話をしてしまう。それをさえぎるように
「卿、すこし勘違いをされておられないでしょうか」
「勘違い?」
「私が卿にお預けすると申し上げたのは、私の孫であって、ノディオンの王女ではありません」
「詭弁を仰らないでください、同じことではないですか」
「ちがいますな」
領主殿がにやりと笑まれた。
「それを証拠に、『私の孫』は生きていますよ」
「え」
「尤も、彼女の現在地は私も分からないのですが」
「ですが、…生きておられるというのは」
「確かですよ。何度か、手紙をやりとりしました。
まあ、長くなりますが、お話しましょう」
王女…その御名を呼ぶのが面映ゆくて、ついこう呼んでしまうが…が、シレジア内乱の間に一度セイレーンにお入りになり、長くお側にしていた乳母殿を、領主殿のところにお返しされたのだそうだ。
「そのとき、マグダレナが『旦那様、姫様がご懐妊されましたよ』と、涙を流して報告してきたのです。
まだ、嫁にも行かない娘がいてもおかしくない年の私が、曾孫まで持つということに、最初はただ驚くばかりでした」
「そこまでは、私も伺っています、ですが、そのあとが…」
「そうですな」
そこまで、どんなご苦労が、王女のお身の上に会ったのか、私には、考えの及ぶはずもない。領主どのは一息つかれてから、
「その、夏の半ばすぎでしたかな。私のところにザクソンの彼女から手紙がありまして」
「夏?」
「にわかにその兆しがあって、生まれてしまったと」
ラーナ様のお見立ては秋とあった。それより早く生まれてしまったとなると、子供の安否が気になる。
「…それは、朗報と受け取ってよいのでしょうか」
「朗報でしょう、卿とおなじ瞳の色をした男の子だったと、嬉しそうに書いてありましたからな」
「…よかった」
私は執務室の椅子に思わず身を預けてしまった。王女の無事とご安産が分かったのもさりながら、ヘズルの血脈を持つものがもう一人世に出たということも、私を余計に安堵させていた。
「そのうち、シグルド殿がグランベルへの活路を開かれる事態となり…イード砂漠での事件もあり…」
「はい」
「最も過酷ながら最もの近道として、シグルド殿は砂漠の南下を決定された。
そしてあの子は、生まれた子…なんといいましたかな、卿がお預けなさった名前をつけたと、あの子は言っていましたが」
「…デルムッド、ですね」
「親子で、戦場を離れ、落ち延びることを勧められ、そのようにします、落ち着いたら、何とかつてを作り、居場所を連絡します、と。
それが彼女の、今のところ最後の手紙です。だからあの子は生きていると、私は自信を持って卿にこうしてお伝えできるのですよ」
「…ありがとうございます」
止めようとしても、涙が出てしまう。しかし、これは、今まで流してきた、悲しみと悔しさの苦い涙ではない。それをなんとかとどめて、
「では、今あの方はどちらに」
と聞いてみるが
「てっきり卿のもとに向かったと思っていたのですが、アテがはずれましてね。いっぺんにあてをなくして途方にくれていますよ、正直」
領主殿が肩を竦められた。
「本当に、どこに行ったものやら」
私と領主殿とが、思案投げ首をした、そのときである。従者が
「あのう、ご主人様」
と入ってきた。
「ああ、早かったな、書類は持ってきてくれたか?」
「はい」
書類の箱を私に差し出しつつ、従者が
「ここまで帰る道に、へんな人と出会いまして」
「へんな人?」
「はい。レンスターのお城を出たときからずっと自分の後をついてきまして、この先に宿のあるような街はないかと言うので、この街をおしえました。
そうしたら、どうせ行き先は同じだろうからと、同道することになってしまって」
「それで?」
「自分の身なりで判断されたらしく、誰に使えている従騎士なのだと聞かれて、ご主人様のことを言いましたら」
と言う後ろから
「話が長そうだから、勝手に入らせてもらうぞ」
と言う声があって、一陣の風のように入ってこられた方があった。
「レヴィン様!」
私は思わず立ち上がり、その勢いで立ちくらみさえした。
「ご主人様、急に立たれたら危ないです」
「へえ、まさかこの街がお前の領地で、しかもお前が従騎士つきか。やはり正式叙勲は羽振りもいいな」
「ご無事だったのですか」
「ああ、幸か不幸かぴんぴんしてるよ」
レヴィン様は手足を振って飄々と答える。領主殿が
「この方は」
と言う顔をなさるので
「この方は、シレジアの」
「シレジア生まれのただの吟遊詩人ですよ、風使いの芸もしますがね」
レヴィン様はそう自らを名乗られた。領主殿は
「では、吟遊詩人殿と見知っておきましょう」
と仰った。しかし、レヴィン様のご正体は、とうに見抜かれているようだった。ただならない気配に部屋を覗きに来たメイドに、
「客間をふたつ、使えるようにしつらえてください」
と言い、
「お二人とも、今日からこの館の賓客としてお迎えしたいのですが、よろしいですか」
と言った。二人とも、特に嫌そうな反応をなさらなかったので、私は従者に、領主殿のお荷物を宿から運ばせるように言い、客用の椅子を持ってこさせ、レヴィン様に執務室の椅子を勧めようとしたが、
「主はお前だ、そこにいればいいさ」
と、レヴィン様は仰って、そのまま、客用の椅子に腰をかけられた。そして、飄々とした薄ら笑いをにわかに控えられ、
「俺は今、逃げ延びられたみんなのところを、それぞれの安否を確認しながら回っている。
吟遊詩人の身分は、こういう時は楽でいい」
「それで、どうなりましたか」
レヴィン様は、逃げ延びられた方々の安否を、それぞれご存知の限り教えてくださり、
「で、お前の一番の心配だが」
「はい」
「イザークにいる。シグルドがバーハラに向けて出陣する日の夜明けに、子供たちのほとんどをイザーク方面に向けて逃がした。その中にいたはずだ。」
「イザーク、ですか。しかしあそこはドズル家が侵攻中だとか…大丈夫なのですか」
「今日侵攻して明日完全制圧できるとでも思っているのか?。
そう簡単には手の出ない場所にいるのさ。どんな耳目があるから、これ以上はいえないが」
「もし今後その方面にご出立となったら、私もお供できませんか」
領主殿が、レヴィン様に食い下がるように言う。レヴィン様は目を丸くして、領主殿の素性をお確かめになりたいような顔をなさった。
「マディノにある自治都市の管理をされている方です。王女のお祖父様で」
「え、じゃあ、マディノで補給を請け負ってくれたとかいう」
「そうです」
「孫娘が心配で、老体に鞭打って、まずここに伺ったのですが、手がかりがなく、途方にくれようとしていました」
「老体とはご謙遜、まだまだ丈夫そうじゃあないですか。曾孫もいる人には見えませんよ」
レヴィン様が、ばしばしと領主殿の肩を叩かれる。
「自らの数奇な運命も、語れば長い話で」
と領主殿が安堵されながら仰ったところで、メイドが、客間と食事の用意が出来たと告げにきた。
王女がご存命で、しかもいまはイザークに身を隠しておられる。不遜なまでの朗報が二重に舞いこんできて、私の足取りを見た一族は
「おやすみになっておられなくていいのですか」
と眉をひそめるほどだった。
だが。私は脚を止める。
今ここで、私が勇んでイザークまで王女をお迎えに向かって、その間にレンスターに何かあったらどうする?
まだ形だけの部分もある。だが、私の手の上は、守らなればならないものが零れ落ちそうなほどで、私がここを離れることは、すなわち、新しく守るべきものの居場所を作るために、何かを振り落とさなければならない、ということだ。
夕食のあと、今後についての話になった。
「私はひとまず、吟遊詩人殿についていき、孫と曾孫の顔を拝んでくることにいたします。
卿は、ここをお離れになってはいけない方のようですから」
領主殿が先に言い出されてくれたので、正直私はほっとした。
「お願いします。
まだ、迎えにはいけませんが、気にはかけていることをお伝えください」
「分かりました。
しかし、こちらのワインも、私のところのものとはまた違った味わいがありますな。すこし取引の相談でもしてからにしたいと思います」
領主殿がそう仰って、ひっそりとした笑いがもれた。レヴィン様も、
「俺も、少しここで路銀を稼いでおこうかな」
と仰る。
「彼女は、イードの事件でお前も死んだと思い込んでいるからな…
それが生きていると分かったら、どんな顔をするだろう。」
「そう、ですか」
私は、ついうなだれた。本当なら、そこで死んでいてもおかしくなかった。しかしキュアン様は…人知の越えた何かは…私に生きろと仰った。
「なにか、特別告げたいことがあるなら、一筆書いとけ。伝書鳩ぐらいの仕事なら出来るぞ」
とレヴィン様が仰るので、私はそのお言葉に甘えさせていただくことにする。とはいえ、筆が立たないタチなので、気の利いた言葉はなにも思いつかない。今の気持ちだけを、正直に書いた。
最後、自分の名前を署名する段になって、いつの間にたまっていたのか、名前の上に涙が落ちていた。
数日後、それぞれに目的を果たされたお二人は、私に別れを告げられて、街を離れて行かれた。
それからの私は、周りが目をむくほどの回復をみせた。体の中に一本、芯が入りなおされた心持ちだった。
騎士である私、男である私。そのどちらにも、守るものがあり、守られる支えが出来た。
キュアン様、あなたのお心持ちに、私は一歩でも近づきましたでしょうか。
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