出立の間に、不可解な出来事が起こった。
「何」
陛下がにわかに顔色を変えられる。
「まことか、コーマック」
「は」
「なぜ、城下のもっと安全な場所におかくまいしなかった。
アレス王子が行方不明となれば、事と次第によれば、ヘズルの血脈が断絶の危機に陥ることを、分かっているのだろうな」
「とは申されましても、陛下」
「まあよい、その仔細を報告せよ」
「は」
コーマック卿は、淡々と、ことの次第を報告される。
アレス王子は、コーマック卿が城外にお持ちの領地に隠されておいでだったらしい。グラーニェ様は一度他王家に嫁がれた身、威儀正しく王宮に近い場所にお住まいされていたが、アレス王子とご一緒ではご病状は一向に回復されない、母子は離しておくがよろしいという医師の見立てからであった。
しかし、グラーニェ様は手厚い看護のかいもなくお亡くなりになり、王子だけが、その、離された領地にひとり置かれる形となっていたのだ。
もちろん、コーマック卿も、王子がヘズルの継承者であることを重々承知して、それに見合う扱いをし、その領地もしかるべく、厳重に管理していたと言われる。
それなのに、だ。
「行きずりの傭兵団がお隠しになっている場所を襲い、略奪の限りを尽くして、混乱から気がつけばアレス王子が行方不明? 出来すぎて、にわかには信じられない話だな」
陛下のお言葉は、まだ、コーマック卿の報告を、完全に納得されたようではおられなかった。
「もちろん、向こうは、そこに王子がお隠れになっていることなど、全く知りません、その上、グランベルのフリージ家がこのマンスターに進出するという話に、どこもおびえております」
「それは私も分かっている。
だが、それがみすみすアレス王子を行方不明にさせた理由にはならん」
「陛下、陛下は私を、わざとアレス王子を行方不明にさせたと、お疑いなので?」
「コーマック、わかっておろうな。
アレス王子にかんしては、私情を挟んではならぬと、グラーニェが帰ってきたときに、私は言ったはずだ。
加えて」
陛下はちらと私をご覧になり
「王子の叔母になる王妹殿下も、シレジアから先の行方が分からぬ。良人があり、お子を得られているのなら、望みもまだあろうが」
「陛下」
コーマック卿が、つと膝をついた。
「何故あの時、ノディオンの求めに応じて、グラーニェをお遣わしになることを決定されましたか、何故、グラーニェを王太子に差し上げるという私の望みをお聞き届けにならなかったのですか。
そうであれば、グラーニェも心を壊すこともありませなんだ、かの王子にはノヴァのみしるしがついたことでしょう、そしてのちのちまでレンスターは安泰でありましたのに」
陛下は
「もうよい」
コーマック卿のお言葉を、それ以上お聞きになろうとしなかった。
「国賓ともなすべきアレス王子の受難について、お前の差配がまずかったことは認めるのだな?
領地におれ、しばらく王宮への出入りを禁ずる」
そう仰って、陛下は玉座を離れられた。
コーマック卿は、平伏したまま、やがて、こぶしを握られ、その口から忌まわしい言葉が漏れた。
「逆賊と…雌狐が…」
出立の日が来た。
「どうか、私も」
と仰るエスリン様に、
「ダメだ」
とキュアン様はにべもなくておられる。
「今度ばかりは、君を連れてはいけない。何かあったら、レンスターを守り立ててゆくのは君なのだからな」
「はい、重々わかっています。でも」
「…」
「お見送りは、いけませんか」
そう仰り合うお二人のおひざの辺りで、アルテナ様がお二人をくるくると見上げておられる。やがて、私が来たのに気がつかれたらしい、私の姿を見るや
「ばあや、ばあや、アルテナにもっとかわいいドレス、きせて」
と、控えていた侍女にかけて行かれる。
「?」
アルテナ様の反応に、どう反応し返していいものか考えると、エスリン様は私をつと振り返られて
「わかってあげて、あの子なりの女心よ」
と仰る。
「まだ、作らせた服で着せてないものがあったわね、出してあげて」
そう指示を出されて
「ねぇ、キュアン」
と、もう一度、手を合わせるように頼み込まれる。後は出陣するばかりの王太子の正装に身を包まれたキュアン様は、苦い顔をされていた。
「…もう少しもう少しと言いながら、結局リューベックまでついてくるような気がする。
そこまで君を守れる自身はない。
砂漠を縦断する進路をとるのだ、なおさら君は連れて行けない」
「大丈夫です。アルテナとリーフをおいて、そんなことはいたしません」
「…仕方ないな」
キュアン様は苦い顔を苦笑いに変えられて
「ただ、これだけは守ってほしい。
俺が戻れといったところで、必ず戻ってほしい」
「はい」
エスリン様は素直に返事をされて、お着替えを済まされたアルテナ様と一緒に出てきた侍女に抱かれたリーフ様をご覧になる。
「なかなか骨太いやつだな。
こんな時なのに眠っている」
キュアン様がくすりと笑われた。アルテナ様は私にむかって、
「きしさま、アルテナもリーフのかお、みるぅ」
と手をさしのべてこられる。抱き上げて差し上げて、リーフ様のところに寄せて差し上げると
「リーフ、かわいい」
と、頬をつつかれたりなさる。キュアン様が
「アルテナ、お父様のところにおいで」
と仰るので、私はそのままアルテナ様をキュアン様にお預けした。
「アルテナ、リーフのことをたのんだぞ。お母様のお手伝いをしなさい」
「はい」
そして私を向き直り
「頼むぞ」
と仰る。
「…はい」
私はそう答えることしかできなかった。
ところが、出立のときになって、
「アルテナもゆくぅ」
と、アルテナ様が泣き始められる。
「アルテナもゆくのぉ」
私の腕に抱えられているアルテナ様が、精一杯に身を乗り出され、お二人の手を求めておられる。お二人は、顔を見合わされた。そして
「わかりました、いらっしゃいアルテナ」
と、エスリン様がアルテナ様を受け取られる。私は数歩はなれて、用意された出立の号令がなるのを、なにやら胸騒ぎを覚えながら待っていた。
アルテナ様は、エスリン様のひざの上で
「きしさまは、こないの?」
と首を傾げられる。
「私は、お父上に命じられて、ここに残らねばなりません」
「でもでも」
「アルテナ様」
差し出してこられる手をそっとなでて差し上げて
「お姉上なのですから、わがままはほどほどになさいませ。
私はこの城でお待ちしております。お健やかにお戻りになられますように」
そのとき、出立の号令と、ラッパが華やかに鳴り響く。アルテナ様は身をすくまれて、出立するランスリッターたちを称える歓声を見上げておられた。
やがて、隊列はゆっくりと、レンスターの城門を出てゆく。
いつまでも、ゲイボルグの神々しい輝きが、私の目には見えていた。厳かな行軍であった。しかし、一片の悲壮さが、そのとき隠れていたとは、神ならぬ私には、わかりようもない。
その知らせが来たとき、私はアレンの館にいた。
従者達に教練をしていたときに、
「ご領主様」
と行儀見習いの娘が近寄ってくる。
「どうした?」
「レンスターのお城からお呼び寄せがありました。とにかく一刻も早く、お城に向かわれるようにと」
「わかった」
私は、従者達に、そのまま館にとどまるよう言い置き、単騎城に入ることにした。
遠めに見える城に、私は思わずサブリナの足を止めて、見入った。
城に掲げられているレンスターの旗は、半旗となり、塀に掛けられるタペストリーも、黒一色だ。
私の全身が、怖気だつ。
「急がねば」
一人ごちて、サブリナに一鞭いれる。往来のことなどまったく目に入らず、私は城門の中に飛び込んだ。
そのまま、聖堂に案内される。炊かれている香にまじってかすかに、覚えのあるにおいがした。
そして、私の前に、エッダの聖印がさぎまれた棺が、並べられていた。廷臣や騎士のすすり泣きが聞こえ始め、やっと私は、この覚えのあるにおいが、死臭であると認識した。
「ああ、やっときてくれたのですね」
と、アルフィオナ様が、倒れそうな勢いで私に近寄ってこられる。
「いったい、これはどういうことですか、ランスリッターが、こんなに戦死するなんて」
「ランスリッターだけならいいのだけど…」
アルフィオナ様は、一段高いところに置かれた棺の一つに私を導き、神官たちにその蓋をあけさせる。
在りし日の面影は、もうほとんど失っていたが、アルフィオナ様から譲られた栗色の髪と、服の襟についている徽章で、私は、それがキュアン様であることに、いやがうえにも気づかされる。
「では、そちらは」
と言う私にアルフィオナさまが頷かれる。
「でも、顔は見ないであげて…女ですから」
そのうち、出征したランスリッターの身内らしいものが三々五々とあつまり、嘆きの声が聖堂に満ちる。
多分その場所には、ドリアス卿も、グレイドも、いたとおもう。だが、私は、それにも気がついていなかった。
「う、」
キュアン様が、エスリン様が、
「う、」
私を今のところまで導いてくださった方が、
「うわああああああああ!」
なぜ、死なねばならないのですか!
そして、不思議なことが引き続く。私は、主君の悲劇に、うなだれている場合ではなかった。
搬送されてきた遺体と一緒に届けられたリューベックからの手紙には、収容できたのはご夫婦以下十数名で、それ以上の捜索は突然のトラキア軍の襲撃で出来なかったことなどがあったが、アルテナ様とゲイボルグについては何もかかれていなかったのだ。
「アルテナ様は、どうなされたのでしょうか」
と言うと、
「ゲイボルグとともにあるすとするならば、心配するには及びません。何らかの方法で、あの子の命は助けられているはずです」
「はい、それは承知していますが」
「継承は、当代が次代への継承をなした場合、あるいしは、当代が何らかの事情で死亡したときに次代へと発生します。
もし、アルテナより先に…キュアンが死んでいたら」
アルフィオナ様はすこしくくぐもったお声になられて
「自動的にアルテナに継承が発生します。そうすれば、ゲイボルグがアルテナに活路を与えていることでしょう」
「…もし、あの現場にアルテナ様がおられて、…先に万一のことがあったら」
「…ゲイボルグは、リーフに来るでしょう。あの子が扱えないとしても、いつか来る次の継承者のために、あの子の元に帰ろうとすると思います」
「アレス王子といい、アルテナといい…奇妙なことが続くな」
陛下が、静かに仰った。
「シグルド殿のお子が心配だ」
「そうですね」
あの方は、片時もセリス様を離さず、戦場までお連れしていた。危険といえば、それほどの危険もまたとあるまい。しかし、セリス様の身の上には何もおこらない、それがあの方の強運なのかもしれない。
「神器は、はやその役目を失いつつあるのか…」
陛下は、ガックリと肩をおとされた。そして、アルフィオナ様と私とに、お部屋を出るよう指示された。
「グラーニェも、エスリンも、私には本当の娘のようなものでしたよ」
と、アルフィオナ様が仰る。
「あれは、キュアンが士官学校に行って何年目のことだったかしら」
突然、エスリン様をお妃にしたいと、そう仰ってこられたそうだ。
「士官学校で出会われたシグルド殿と、あの子は最初から意気投合したようで、長い休みがあると、シアルフィで過ごすことがよくありました。
最初のころは、エスリンも、ふたりと一緒に馬に乗ったり、よく遊んだようだけれども」
ふふ、とアルフィオナ様はお笑いになる。
「ある年から、突然大人びて、一緒に馬に乗りもせず、二人が教練をしている間も、加わることがなくなったそうなのよ。
その大人びた姿が、あの子の琴線に触れたのね、『決めました』と、手紙に」
「どうして突然そんな風に」
と、私がつい尋ねると、アルフィオナ様はくすりと笑われて
「女の子には、突然そうなる日が来るものなのよ」
とだけおっしゃられた。
「…グラーニェは、婚約した年から、私の側で行儀見習いをさせていたけれども、本当に優しくて、いつまでもあどけない子で…いただいたお手紙を、いつも私に見せてくれたのですよ」
士官学校の制服をお召しになったノディオンの陛下の絵を、宝物のように大切にされていたそうだ。
「ノディオン王のお手紙は、いつも優しくて、体の具合を伺い、士官学校での出来事をつづり、またノディオンのことなどお伝えくださって、あの子があちらに行ったときに、気おされることのないように、とても気を配っていました。
グラーニェを、あちらではとても大切にしてくれたことは私も知っています。邪険になど、するはずがないでしょうに。
あの子は、向こうに行っても、たびたび私に手紙をくれました。プリンセスのことを、とても賢くてかわいらしいと、妹が出来たことをとても喜んでいたわ」
アルフィオナ様は、ふう、とため息をつかれた。
「でも、もうみんな過去の話。
グラーニェもエスリンも…キュアンも逝ってしまって…親が子の思い出話をするなんて、私は思いませんでしたよ」
私は、何を返していいか分からなかった。私も、複雑な顔をご覧になったのか、
「キュアンが、旅先から送ってきた最後の手紙ですよ」
と、私に見せてくださる。
「大切なことが書いてあります…あの子は、覚悟していたのね」
<もしこの不肖の息子に万一があれば、心残りはただ妻と子供たちのこと、わけてエスリンとアルテナは、国境を越えても転進する様子がなく、最悪私と運命をともにするやもわかりません。
そのときは、レンスターの継嗣としてリーフをぜひにも守り立てて…>
そして、リーフ様の扶育を私に託する、とかかれてあった。残留ランスリッターの管理と教育は、軍部諸将と話し合い、減員分の増員も視野に入れてほしい、とも。
「レンスターの未来は、すべてあなたにゆだねられました」
「待ってください、私は」
「すべて一人でするのではありません。助けを借りるのです」
「それは分かっていますが、しかし」
「せねばならないのです。それがキュアンがあなたに下した、最後の使命なのですから」
不安で一杯だった。若輩の私がいきなり大事をあらかた任されるということは、光栄では確かにあるが、私よりふさわしいしかるべき方々がいるのに…
「マンスターの盾であるレンスターの時代は終わりました。
いずれ、グランベルからの侵略の手が、ここにも伸びるでしょう。
これからは、その侵略の手から、リーフを守り、レンスターに万一があったら、再興を視野に入れた行動を取らなければならないのです。
雌伏の時間が長くなればなるほど、あなたのような若さが必要なのです」
そして。
「一大事、バーハラにて一大事が…!!」
と、声高にその報告が出され、宮廷がどよりと動きを止める。
シグルド様は、叛徒の汚名をきせられたまま、バーハラにいたる手前で処断された。
シグルド様に従われていた、多くの方々も、炎魔法の雨の中、阿鼻叫喚のさなかに包まれたという。
どなたがそこにいたろうか。だれかれと言うお名前や顔が頭をよぎる。
もしや。
思った瞬間、私の体は動かなくなった。目の前が真っ暗になった。私の名を呼ぶ声は聞こえたが、それに返答できなかった。
自力で立つことが、出来なくなっていた。私は従者に支えられて、ようよう、あてられた部屋に入る。
折りしも秋の声が聞こえる頃合いであった。
王女。
私の王女。
私のこの声が聞こえるなら、どうかご返答をください。
貴女は、この空の下におられますか、それとも、天の聖ヘズルと兄上のもとに参られましたか。
これが、天が定めたまうた瞬間なのですか。
貴女のお身のうちの、私達のシレジアでの夢の名残も…同じき運命をたどったのでしょうか…
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