back

 アルテナ様を、そのまま王太子宮殿にお返しする。
「中から見ていたが、なかなかおとなしそうにしていたじゃないか」
とキュアン様が仰った。
「どうも、私を客分の騎士と思われているご様子で…」
と、私はアルテナ様とのことを一部始終報告する。
「なんだ、アルテナの騎士になると誓約させられたのか」
キュアン様は一度目を丸くされて、すぐ、にんまりと
「この浮気者」
と仰った。
「え」
「冗談だ。
 だが、いずれアルテナと…リーフの扶育は誰かに依頼せねばと思っている。
 やはり、お前しか、適任はいなさそうだな」
「お気持ちはありがたいのですが、私に勤まるのでしょうか」
「勤まるのか、じゃない、勤めてもらわねばならない。
 私は父上がお持ちの家臣をすべて、譲位の暁には譲られることになるだろう。
 だが、お前は、純粋に私の右腕になって、俺のところに新しい風を送ってもらわないといけない。アルテナが政治を任されるころになったら、父上の家臣は大勢が隠居をするだろう。そんなときにも、お前が残っていてくれないと困る」
「はぁ」
「はぁ、じゃない」
「…はぁ」
「お前が、俺の言っていることに関して、全然実感がないのは見て分かっている。しかし、それがお前の将来だ。…今のところはな」
 しかし、私がここで何事かがあって気がまぎれる瞬間があったとしても、シレジアでいまだ王女がお一人「奮闘」されていることに変わりはない。
 あのお手紙きりで、おさびしくないだろうか。もう一通と思ったが、気の利いた言葉も浮かばず、誰かに代筆を依頼するのもはばかられる。
 お迎えに上がりますから…そのときまで…
 また、涙に枕を浮かべるような、私一人きりの夜が始まる。

 私は、随分とアルテナ様に気に入られてしまったらしい。
「なんとかしてくれ」
と、ご機嫌を伺いに来た私に、キュアン様がいきなり仰る。
「アルテナが邪魔して書類がかけない」
アルテナ様が、どうやってそうされたのか、執務室のお机のうえで、楽しそうに何かしておられる。顔にインクがはねておられるのも、全くお気になさっているご様子ではない。
「お預かりいたしましょうか」
と私が言うと、アルテナ様は、わたしをじっとごらんになり、あわてて机から飛び降りられた。そして、私の前で、
「ごきげんよう、きしさま」
と膝を折られる。
「?」
「可愛いだろう、エスリンが教えたそうだ」
書記官に、新しい書類を持ってこさせるようにいいながら、すでに反古になった紙をまとめられ、キュアン様が仰る。
「エスリン様はどうされました」
「リーフが熱を出したらしくてな、つきっきりだ」
「大丈夫なのですか」
「なに、小さい子供にはたびたびあることさ。
 彼女の手のあくまでとおもってアルテナを見ようとしたが、これでは仕事にならない。
 小一時間ばかりでいいから、アルテナをどこかに連れて行ってくれないか」
「わかりました」
私は、アルテナ様の前にかがみこみ、頬にはねたインクを指でぬぐう。
「アルテナ様、馬に乗りましょうか」
と言うと、アルテナ様は「うん」と、こっくりとうなずかれた。

 城の裏手に回ると、すぐ、小さな港と集落がいくつかと、そして、広大な水の輝きがあった。
「アルテナ、しってるよ、うみだよ」
と、アルテナ様が指を指される。
「アルテナ様は海をご存知でしたか」
「おさかながとれたり、おふねのったりするところ」
「そうです」
かすかに潮風が漂う。
「おふねにのって、ずーっといったら、なにがあるの?」
私は、大陸の地図を思い出した。この大陸は、広大な海にひとつぽかりと浮かんでいる。その海を渡って、はるか遠くにある見知らぬ土地を見たと言う伝説もあるが、今のこの大陸では、船は普通、陸づたいに走るものだ。
「他の国に行くことができますよ」
と私は答える。
「ほかのくにって、どこ?」
「一番近いところなら、イザークという国があります。ほかにも、南にはトラキア、ミレトスをこえて西にゆけばアグストリア。アグストリアから北にまわっていけば、シレジア…」
「うぅ…アルテナ、わかんない」
「いずれお勉強されればわかります」
「きしさまは、ぜんぶいってきたの?」
「私は、その中のいくつかに、お父上のお供をしました」
「ふぅん」
アルテナ様には、まだこの大陸の広大なことを、ご理解するのは難しいようだった。
「きしさま、なにか、おはなしして」
と、アルテナ様が不意におっしゃるので、私は
「では、…シレジアの話でもいたしましょうか」
と言った。
「シレジアには、空を飛ぶ馬がいるのですよ」
「ドラゴン?」
「ドラゴンではありません。ペガサスという動物です。鳥のような翼を持って、空を飛ぶのです」
「こわくない? ひとをたべたり、しない?」
「そんな事はありません、普通の馬のように、草を食べ、馴らせば大変大人しく、人をのせるようになります」
「アルテナ、ぺがさすにのりたい」
「レンスターにはペガサスはおりませんよ。シレジアにおいでにならないと」
「じゃあ、アルテナ、シレジアにいく。
 きしさま、シレジアにつれてって」
「今すぐはいけません、お父上とお母上がお許しにならないでしょう」
「どうして?」
「レンスターからシレジアまでは、とても遠いのです。
 今お父上は、そのシレジアからお帰りになって、とてもお忙しい」
「うぅ…」
「リーフ様もまだお小さくていらっしゃる。アルテナ様は、リーフ様を置いて、シレジアにおいでになりますか?」
「いやよ、おとうさまとおかあさまと、リーフといっしょじゃないとだめ」
「では、お父上がお忙しくなくなるまで、よい子でお待ちしましょう」
「うん」
アルテナさまは、しばらく鞍の上でもじもじと動かれたあと、やおら、その上に立たれる。
「いけませんアルテナ様、危のうございます」
と、その体を支えるように抱きとめると、アルテナ様は私の顔をじっとご覧になって
「あのね、あのね」
と仰る。
「はい」
「アルテナ、きしさまのおよめさんになるの」
「は?」
「それで、ふたりはいつまでも、しあわせにくらしました、めでたしめでたし。するの」
「どうかなさいましたか、アルテナ様」
突然の仰りように、私はアルテナ様の髪をかき撫でて差し上げることしか出来ない。
「だって、おとうさまはおしごとで、おかあさまはリーフばっかりで、だれもあそんでくれないんだもん」
「それで私、ですか」
「うん。きしさまのおよめさんになったら、ずっとふたりでなかよしできるもん」
「ありがとうございます」
そう聞きはしたものの、私はふと、その海の向こうを思いやっていた。
「アルテナ様」
「なぁに?」
「今のお言葉は、アルテナ様がもっと大きくなられて、私より大切な方が出来たとき、その方に仰ったほうがよろしいと思いますよ」
「どうして? アルテナ、まだちっちゃいからだめ?」
「そうではありません」
すこし強くなった海風から、アルテナ様を守るように、ローブで包んで差し上げつつ、私は
「アルテナ様と同じ約束を、私はもう、別の方としてしまったのです」
と正直に言った。
「きしさま、だれかのおよめさんになるの?」
「そ、そうではなくて、ですね。
 アルテナ様と同じ事を、私に仰ってくださった方がいるのですよ」
「だれ?」
とお尋ねになるアルテナ様の顔は、あまりご機嫌がよいようには見えない。でも私は、その場しのぎの返答で、アルテナさまにへんな認識をされてほしくなかった。
「海の向こうに」
私は、それだけ言った。
「私は、その方を、アルテナ様が仰ったように、いつまでも幸せにして差し上げなければいけません」
「きしさま、アルテナきらいになっちゃった?」
「そんなことはありませんよ。
 わたしはアルテナ様の騎士として、ずっとおそばにいます」
「ほんとうね、やくそくよ」
「はい」
海風はさらに強くなってきた。
「戻りましょうか」
「うん」

 マンスター諸王国との関係は、なかなか回復の兆しを見せない。明らかに、キュアン様がいらだっておられるのがわかる。マンスター地方のまとめ役というのは、神器がそこにあるからこそで、マンスターの守護のために用いられるのが道理、その神器をわたくしごとに振り回すというのことに、所持者の自覚を疑わざるを得ないのというのが、もっぱらの改善に至らない理由であった。
 シレジアの内乱は、静まっていた。それが、キュアン様をいっそうにあせらせる。
 カルフ陛下は、長らくのお患いにより、ご自身に限界を感じられていたようだ。遠征に際し、エスリン様に、後々こうなることをご覚悟の上でゲイボルグを託されていたのは、私と同様に、キュアン様ご自身にも成長を期待されていたのか、それとも。
 とにかく、ゲイボルグを譲渡された時点で、何の手続きはなくとも、実質の譲位は行われていたことになる。マンスター諸国は、まだ若い新しい神器継承者の力量を、測れずにいるのだろう。そう信じたい。
 シレジアの辺境を、グランベルの軍勢が制圧した。それに対して、シグルド様はシレジアへの報恩とともに、本国帰還への、文字通りの血路を切り開こうとしていた。
「父上」
国王の執務室に、私を伴って陛下のもとを尋ねられたキュアン様は、開口されるなり
「ランスリッターの出動許可をいただきたい」
と仰る。
「シアルフィとレンスターは、もはや他人ではないのです。グランベル諸公爵家の中で、シアルフィが一方的に壊滅と、継承断絶の危機に差し掛かっている。
 私は、盟友として、義弟として、シグルドの窮状を、このレンスターから見ているのには耐えられません」
「…」
陛下は、しばしお考えのあと、
「一年二年前なら、喜んで許可を出したところだが」
と仰る。
「何のために、私がお前をここに召還したのか、わかっているのかね?
 ゲイボルグを私事に使用した、その贖罪周りをさせるためだけではない。
 マンスター地方も、グランベルから忍び寄る暗雲におびえ始めているのだ。そして、我々が結束を失い、弱体化すれば、何よりトラキアを慢心させる好機になるだろう。
 私では、もうその盾になることは出来ない。
 キュアン、これからのレンスターをにない、マンスターの盾となる役割は、お前でならないとならぬのだよ」
「しかし」
「バイロンの冤罪が明らかであるなら、そしてシグルド殿が無実であるなら、神は相応にあの二人に何らかの手を差し伸べてくださるだろう。
 お前が出るのは、それからでもおそくはない」
「悠長なことは言っていられないのです」
キュアン様は、執務室の机をたたかれるような勢いで返される。
「その冤罪の主張も、無実の主張も、グランベル本国には届いていないのです。すでにあの国は内部から何にかの影響を受けて今までの機能を失い始めています。
 なにより、私は、シグルドに、援軍を出すと約束しました。盟友と交わした約束を反古にすることは、騎士以前に、人間としてしてはならぬことだと、父上は、私に教えてくださったではありませんか」
「キュアン、お前は何におびえているのだ、どうしてそう急ぐのだ」
陛下がゆっくりと仰る。キュアンさまは、ぐっと息をつめられた。私など、口を開いてもならないような時間が、重く流れる。そこに
「それが、時代の流れと言うものだからですよ、陛下」
と、アルフィオナ様がおいでになった。
「一度燃え上がってしまった山は、燃えつくさぬ限り、どんな手を施しても燃え続けます。
 今の時の流れはグランベルのもの。
 お考えになっても御覧なさいな、陛下。聖戦士様たちが作ってくださった、強大な一勢力に抑えられることのない平和が百年続いた、それだけでも私には奇跡と思いますわ」
「キュアンの頑固さはお前に似たな、アルフィオナ」
「信義と盟約を破ってはならぬと、お教えなさったのは陛下ですよ」
「まあいい。お前がここまで来るのだ、何か言いたい事があるのだろう、言いなさい」
「はい陛下。
 …キュアン、シグルド殿をお助けなさい」
アルフィオナさまは、にこやかにそう仰った。
「そんなことだろうと思った」
陛下が苦い顔をなさる。
「ただし、条件があります」
「何でしょう」
「ランスリッターを持ってゆくことも、ゲイボルグを持っていくことも、それはあなたの自由です。
 ですが、レンスターがトラキアの盾だということを忘れぬよう。こちらの有事への備えは怠らぬように」
「はい、わかっております」
「それから…行くならば、あなたひとりで行きなさい。
 理由は、分かりますね」
「…はい」
「私が言いたいのは、それだけです。
 陛下、ご自身の息子なのですから、信じて差し上げてくださいな」
「…」
陛下は、アルフィオナ様をすこくしあきれたようなお顔でご覧になり、
「あれに本性を見抜かれたようだ。
 出撃許可を与えよう。できるだけのことをしてきなさい」
と仰った。
 不遜にも、まず私が思ったのは、
「これで王女のもとにもどれるかもしれない」
ということだった。ご出産は秋と、件のお手紙にあった。それまでに一度、お目にかかることが出来るかもしれない、と。
 しかし、その私の淡い期待は、瓦解することになる。
「ランスリッターの半分は、お前にあずけてゆく。
 ドリアスやゼーベイアの助けを借りて、俺が帰ってくるまでの間、マンスターを守ってくれ。
 エスリン、アルテナ、リーフ…彼女らも、守ってあげてほしい。」
「…」
「期待しているところ悪いが、お前をつれてゆくことは出来ない。わかるな」
分かりたいような、分かりたくないような、そんな思いがぐるぐるとめぐる。
「やはり、私がまだ力不足だからですか」
「違う。
 守らねばならない存在のない人間は、生還率が低いからだ。
 おまえは、まだ自分の身に起きたことが、自分のことに思えていない。
 そんな状態のお前を、連れてゆくことは出来ない」
俺は必ず生きて帰る。キュアン様はそう仰った。
「母上は、お前を、俺の弟と思って育てたと仰っていたが…
 …お前が、本当に俺の弟ならばよかったんだがな…」


next
home