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 礼拝堂に、朝焼けの、なつかしいばかりの赤がはいってきて、私はその夜が明けようとしていることを知った。
 鮮烈な赤だった。それが、私の前にある聖女ノヴァの像を照らしている。レンスターの守護聖女であり、またすべての槍騎士を守護したまう、荘厳な聖女のお顔に朝の光がかかり、血の通ったようなそのまなざしが、私を穏やかに見下ろして居られる。
 レンスターは、すでに春の盛りだった。しかし、朝夕はまだ、冷える。数人の足音がした。
「騎士殿、王宮へ」
声がかかって、私は立ち上がる。出ようとして、振り返ると、光の加減か、聖女のお顔は、わずかに微笑んでおられるように見えた。

 夢のようなあのシレジアでの時間からさめぬまま、私は、かつてアグストリアでうけた仮のデュークナイト叙勲を、改めてレンスターで受けようとしているところだった。
 叙勲を受けるものは、一晩を礼拝堂で過ごし、それまでのあらゆる罪に許しを請う潔斎にはいる。その後王宮にて、改めて、国と主君に使える誓いを立てるのだ。その潔斎の間、私が何を思い考えていたか、ことさらに言い立てることではあるまい。
「あまりすがすがしいとはいえない顔だな」
礼拝堂から出てきた私に、キュアン様が仰る。
「そうでしょうか」
「そう見えるだけだ」
キュアン様はそれだけ仰った。でも、私が何を考えていたか、それはお分かりになるらしい。返答に詰まる私を、それは楽しそうにごらんになって、しかし、少しはぐらかすようなことを仰った。
「これで、俺も少しは肩の荷が下りるというものだ。お前の親父殿には、よく鍛えられたからな」
「ありがとうございます…キュアン様のお手で私が騎士となれたことを、父も草葉の陰で喜んでおりましょう」
「そうだといいな」
キュアン様はそう仰る。その時、物陰から
「殿下、お時間が」
と、遠巻きに催促がかかる。
「…やれやれ、ゆっくり話しもできない。
 しっかりしろよ。今日の主役」
私の肩を、ばん、と大きくたたかれて、
「あとで、母上に会って差し上げるように。お前のその制服姿を、一番見たがっておられるのは母上だからな」
「はい」
 アルフィオナ様とは、帰還したときには、ご不例があり対面が叶わなかった。こうして私が前に立っていても、アルフィオナ様は私がここを離れる前より、心なしか、少し小さくなられたような気がする。
「無事の帰りで何よりでした」
アルフィオナ様のお声は、旅立つ以前に比べ、いささかお力のないように聞こえた。
「キュアンがあなたをつれてゆくと言い出したときは、いささか心もとなく思っていましたが…あの子の目のほうが、確かだったと見えますね」
「格別のお計らいをもって供を許されはしましたが…はたして、お役に立てたかどうかは」
「いらぬ謙遜はおやめなさい、なにより、その騎士の正装が、キュアンがお前に下した評価だと、私も思います。
 私がいらぬ世話を焼いても、時期でなければ、あなたにそれを見せることもなかったでしょうからね、あの子は」
「もったいないお言葉です」
アルフィオナ様は、予後のお体を椅子に預けられて、私がいなかった間の話を、何くれとなくしてくださる。私には、これから身につけなくてはならない宮廷の話だ。私は、出きるだけ聞き漏らさないように、そのお話に耳を傾けた。
 しかし、途中でお話をさえぎられて、
「あなたには、こんな話、退屈なだけでしょう」
アルフィオナ様はお笑いになる。
「昔話でも、しましょうか」
「昔話、ですか」
突然アルフィオナ様がそう仰るので、私はどうしたのかと思う。
「私がまだ娘だったころに聞いた話ですよ」
「はい」
「…ヘズル様のお子様の代に、姫様に継承のみしるしが出て、それは大騒ぎだったとか」
私の胸の中を探るようなお話に、ずきりと、その胸が痛くなる。
「誰もが、その方はアグスティにとどまられて、アグストリア諸侯のどなたかを王宮に迎えられるものとばかり思っていたそうです。
 ところが、その姫君は、バーハラの士官学校で出会われたノディオンの方のそばがどうしてもいいと仰り、とうとう、周りの大反対を押し切って、ノディオンにお嫁入りをされたのですよ。
 それからです。ノディオンに魔剣が伝えられるようになったのは」
「…」
「どうです、面白い昔話でしょう?」
私は唖然とした。何を仰ろうとしているのか、私はすぐには悟れなかった。
「血やご気性というものは、確かに伝えられてゆくものなのですね」
「…はぁ」
「プリンセスのことは、キュアンとエスリンから聞いていますよ」
と仰られるに至って、やっと私は、アルフィオナ様が暗に王女とのことをご存知であると私に仰りたかったのを知った。
「グラーニェがあんなことになって、私も陛下も、その後をどうしようと案じていたところなのです。
 プリンセスをこちらにお迎えできれば、アレス王子のことを、安心してお任せできるのだけれど」
しかし、アルフィオナ様のお顔はすぐれない。
「コーマックが騒いでいる間は、無理そうですね」
「アルフィオナ様、その…」
「安心なさい、プリンセスとあなたのことは、陛下の他にはまだ誰にも話してはいませんよ。二人に口止めされていますからね。知られれば、きっとここでのプリンセスのご印象にきっと陰をさすことになってしまうでしょう、それはあなたの本意ではないでしょうし、あなたはまだ、宮廷のつまらない争いに巻き込まれるのには早すぎます」
アルフィオナ様は毅然と仰る。そして、私に封された書類をひとつ手渡された。
「まだ、アレンにも帰っていないでしょう」
「はい」
「一度、きちんとお戻りなさい。もうあなたは、あの街の正当な領主なのですからね」

 デュークナイトに正式に叙任されて、私の周辺は急速に変わり始める。
 まず驚いたのは、私に従者がつくということだ。つまり、私がキュアン様のもとで騎士を目指したように、私の元で騎士を目指す少年を、今度は私が育てるということだ。
「お前、いつまで俺の下の見習いでいるつもりだ。
 ドリアスとグレイドのことを考えろ、それと同じだ」
キュアン様は、うろたえるばかりの私に、そう仰る。
「しかも、だ。お前がだった三年四年でデュークナイトになったのを見込んで、子供を従者にしてくれと言う申し込みが殺到しているんだ。
 さすがに、お前一人が決めるには荷が重いだろう。見所がありそうなのを見繕っておくから、あとはお前が直接会って決めなさい」
命じられる立場が、命じる立場になる。その責任は、重いどころの話ではない。私ひとりの問題ではなくなってしまうのだから。
「私には、少し早いお話のような気がしないでもないのですが」
「確かに早いな。しかし、年ではない。功績がお前をそうさせるんだ。
 恨むなら、功績を挙げてしまった自分を恨むんだな」
キュアン様はにんまりとされた。
 そして私は、取り立てた従騎士たちと一緒に、迎えられてアレンの街に入る。
 十数年も前に離れたアレンは、私にとっては、初めて訪れるのも同然の街だった。しかし、アルフィオナ様からのお達しで街を守ってきた一族は、
「ご領主がこうもお早く立身されると最初から分かっていれば、係争などいたしませんでしたのに」
と、おだてるようなことを言う。しかし、レンスター城から南東にしばらくいったところにあるこの街は、実に落ち着いていた。一族達の管理能力の確かさを実感する。
「不肖の私がいない間、街を守っていただいて、感謝します。
 これからも、私は王宮詰めがしばしばになるかもしれません、引き続き、皆さんには、この街のことをお任せすることになるかもしれませんが」
「いやいや、ご領主のお立場を考えれば当然のこと、そのことはお気になさらず」
母と一族が係争していたことを、私は詳しくは知らない。ただ分かっているのは、守ってきた一族は、…私の目の前にいる限りの人物達に限れば…今の私になら、この街の領主たる資格があると認めているということだ。
 取り立てた従騎士たち、そしてこの街と、一族。
 私が盾となって、守らなければならないものが急に増えて、正直私はまだ戸惑っている。
 シレジアにいたころは、私がお守りするのは王女お一人だけだったのに。
 しかし、そのお守りすべき王女を、私は帰国に際してお一人にしてしまった。挨拶もなく消えてしまった私を、あの方はどんなにか恨んでいることだろう。でも私は、あの安らかな寝顔に、何も言うことができなかったのだ。
 しばらくは、領土の視察と言う形での道行きが続く。
 まだ私が領主となることに、あまりよくない印象を持つ者がいるという。そう思われるのも致し方ない。それを説き伏せるための道行きでもあった。
 その中の、とある集落を守っていた一族の家に逗留した夜のことだった。
 どうも、部屋の外に、誰かの気配があるような気がして、頭はなかなか眠りに入ろうとしなかった。
 いぶかしさのほうが先にたち、部屋の戸を開けて
「誰か…」
といおうとして、側の壁に、人影がうずくまっているのが見えた。
「どうしましたか」
と尋ねて、立たせて部屋に入れる。明かりをかきたてて部屋を明るくすると、
「君は」
つい声に出た。
「昼間、見た顔だね」
「はい…この家の、娘です」
彼女はそういった。
「どうしてこんな時間に、あんなところに…」
「…」
娘は、何も言わず、薄明かりにも映えるほどに、顔を紅潮させた。
 訪ねはしたが、私はなんとなく、事情を察した。家の主人が気を利かせたのだ。娘は長く黙ったあと、
「…お父様が…」
と、細い声で言った。
「ご領主様は一人でおさびしそうだから、…って…」
娘はそれだけですべてを察して、覚悟して私のところに来たわけだ。見ればまだ、十二、三の、体の線には妙齢の女性の丸みなどない、華奢なばかりの娘だ。そんな娘が私の慰みに提供されていると思うと、不憫としか言いようがなかった。もちろん私は、彼女をこれ以上どうこうしようなど、毛頭も思っていない。
「君の父上には、明日、話をしよう。今夜はもう、戻りなさい」
「でも、お父様は…明日、私が本当にご領主様の…お気に召していただけたのか、調べる、って」
その上に、娘の破瓜が確実に行われたか調べるというのか。
「やれやれ」
私は長くため息をついた。どんな因果を含まれてきたのやら、かくかくと、歯を鳴らすほどに震える娘を、私は側にかけていたローブで覆って、横抱きに抱き上げた。
「やはり君は帰りなさい。落ちないように、私の首につかまって…
 これで、君は父上の指示に従ったことにして、私も、父上のご好意を受け取ったことにしよう」
 私は、娘を、部屋の前までそのまま運んだ。おろした娘からローブをはずし、
「君の素直で綺麗な心は、いつか出会う大切な人のために守りなさい。いいね」
と言い、そのまま部屋に戻った。
 翌日、私の前に出てきた一族から、家の主人を見つけた私は、
「あなたのご好意は受け取りました」
と言った。主人は
「では、娘を側においていただけますか」
と、相好を崩す。娘を私にあてがうことで、一族のより高い位置を狙ってでもいたのだろうか。しかし私はかぶりを振った。
「私は、あのようないたいけな娘に無理を強いるようなことは出来ません、騎士の道理にもとります」
「そんな」
「いい機会だから、皆さんにもお話しておきましょう。
 私は、故あって、妻帯の出来ぬ身なのです」
一族がざわめく。
「領主、申し上げにくいことですが、もしや遠征の間にお怪我でも?」
と、誰かが言う。遠征の間に重篤な身体的機能の欠損があって子を作れぬ体になったのかと、暗に問われたのだ。
「そうではありません。
 正式に誓ってはいませんが、遠征した先に、待たせている方がいます」
一族が、別の意味でざわめいた。それは、喜びのようにも聞こえ、落胆のようにも聞こえた。
「恥ずかしい話ですが、私が帰ってきたのは、その方を迎える準備のためもあるのです。
 ですから、私に縁談は無用です。一族にも、そのように伝えてください」

 成り行きで口に出してしまった。しかし口に出してしまった以上、その記憶を封じることは出来ない。
 視察から戻り、私は父が使っていた領主の館に改めて入る。とはいえ、数日のうちには、また王宮に戻ることになるだろう。召還の要請がきていた。
 父が使っていた領主の寝台は、「独り身」の私には持て余すほど広かった。手を差し伸べても、どこまでも、冷たい布の感触が触れるだけだ。眠れない夜もたまにあり、眠れた夜も、シレジアの夢ばかり見る。はかなげなお姿を抱きしめたら、そのまま散り散りになってゆく陰だけになってしまわれて、涙を流して目を覚ましたこともある。
 シレジアに戻りたい。でもそれは、今してはならないことなのだ。
 王宮に戻ると、物騒な話を聞いた。
 シレジアで王位継承にからむ内紛がおこったらしい。
「レヴィンの決断が、少し遅かったようだ」
キュアン様が、急使の手紙を振りながら仰る。
「シグルドがラーナ殿の味方をして、王弟たちを鎮めようとしているらしい。ほとぼりも冷めそうだというときに、一体何をしているのやら」
そういうお言葉は、ひどく投げやりだ。
「それこそ、援軍など送ったら、また俺が痛くないハラを探られる」
と憮然そうに仰るのは、おそらく、マンスター諸王国との折衝がうまくいっていないからなのだろう。
「兄上は、困っている方は見捨てて置けない性格だから」
と、エスリン様も苦笑いされている。そして私を向き直り、
「あなたこそ、シレジアの話を聞かされたら、戻りたくなったのではなくて?」
と仰る。図星を貫かれた。しかし、その痛みを顔に出すのをすんでのところで堪えて、
「いえ、大丈夫です」
と答える。
「無理はしなくてもいいのよ。幸せの真ん中で、引き離してしまったのは私たちなんだもの」
「無理はしていません。叙勲と領地の相続が一番の目的でしたが、従者の育成と、新しい王宮の勢力の把握、しなければならないことは山とあります」
そう言うと、
「あなたがそう思っているのなら、そうなさい」
エスリン様は仰る。
「もうあなたは、何でも自分の力でしないといけないのだもの」
「はい、極力お二人の手を煩わせることのないように努力します」
「努力もいいが」
キュアン様が頬杖をついたままで仰る。
「いつまでも、彼女を放っておくなよ。そのうち、向こうに愛想をつかされるかも知れんぞ」
「…はい、それについても、努力します」

 能ある何とかはと言うが、と、数年ぶりにあったグレイドは私を見るなり、
「見事に大化けしたな」
と言った。そういうグレイドも、立派な騎士徽章で、マンスター諸国を見聞して回って帰ってきたところなのだが。
「お前が行って来たところに比べれば小さい小さい」
グレイドははあ、とため息をつく。
「私は、ただ運がよかっただけだ。功績を積めば、お前もなれる。そうでなければ、ドリアス卿が、ご自分の後にとお前を育てている意味がないだろう」
「それでも、確実に何年かは、お前より遅れるなぁ。
 ここを出るときは、実戦経験なんてまるでなかったのに」
グレイドはいかにも不満そうな顔をしたあと、急ににんまりとした。
「で、デュークナイトのほうはお前の姿を見てわかった。
 美女のほうはどうなった、ん?」
「そ、その話は勘弁してくれ」
私は、迫ってくるグレイドをぐいと押しやる。
「何もなかったとは言わせんぞ」
「その通りだ、何もなかったとは言わない」
この人物相手に、隠しても意味がない。しかし、王宮での動きを考えると、相手がグレイドでも、言う気にはなれなかった。
「だが、今はよんどころなくして、詳しいことを話すことはできない」
「何だそれは」
「だから、詳しいことは話せない、と」
「もしかして、行きずりでウサを晴らしてきただけとか言うなよ」
「そんなことあるか」
「…へんな奴」
グレイドは肩をすくめた。
「まのあ、お前がそこまで言うんだ、お前が話したくなったら、話すがいいさ」
「すまない、そうさせてほしい」
「でもな、話は聞いているんだぞ。帰る道、お前の領地に立ち寄ったものでな」
「な、何を」
「娘をすすめようとした父親をたしなめたらしいな」
「…そのことか」
あのあと彼女は、アレンの街の中に有る領主の館に、働かせてほしいと自分から言って来たらしい。そういうのも何かの縁だろう。行儀見習いとして預かることにした。
「その辺の勘所は鍛えてきたらしいな」
「勘所じゃない、いきなりそんなことをされた私の身にもなってくれ」
「色男ぶりやがって」
グレイドがはははははは、と高笑いをした、と、そこに
「ご主人様」
と従者が駆けて来る。
「どうした」
「お、王太子殿下がお呼びです、すぐいらしてください」
「わかった。
 すまんグレイド、またあとでゆっくり話そう」
「ああ。デュークナイト殿は忙しそうだな」
グレイドは軽く手を上げて、離れてゆく私を見送った。


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