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 お仕着せでもなく、教練着でもない、普段着を着るなんて、めったにないことだ。王女は、取り立てて飾りもない服は初めてでおられるようで、
「おかしくない?」
とお尋ねになる。
「普通ですよ」
思ったままに返答すると、王女は少し膨れたようお顔をなさって、
「そういう時は、お世辞でも綺麗とか可愛いとか言うものよ」
と仰った。
「申し訳ありません、気が回らなくて」
「それと、町の中では『王女』はなしよ」
「え?」
「だって、そんな風に呼ばれて、変な事件に巻き込まれたらいやだもの」
そういえばそうだ。グランベルの刺客がいるかもしれないからと、セイレーンの方々はあまりお出歩きをなさらないし、何かの折にシレジアに行かれるときも、しっかり護衛をたてる。
「わかりました。…気をつけます」
 城を出て、少し歩かれてから、王女はため息をつくように仰った。
「背、ずいぶん大きくなったのね」
「私、ですか」
「ええ。最初会った頃は、あなたがほんの少し高いだけだったのに、今は」
王女は私の前で二三度跳ねられる。金色の髪が、ふわふわと私の目の前で踊る。
「飛び上がらないと、顔が見えない」
「あまりはしゃがれると、お怪我なさいますよ」
私はつい苦笑いをした。
「まだ、街に着いていないのですから」
「はぁい」
王女は子供のように一つ返事をされて、私の手を引かれた。
「じゃあ、早く行きましょう。夕方にならないうちに」

 素朴に、この年の実りを感謝する街の祭りは、賑やかで、喜びに満ちている。王女は、小さなエナメルのお靴の音をかつかつ、と立てたかと思うと、その人ごみの中に飛び込んでゆかれる。
「おまちください、お」
王女、とつい呼びそうになったのを、私は無理に飲み込んだ。かといって、どうあの方をお呼びすればいい?
 そんな考えは、する必要はなかった。王女は、大道芸人が器用に空中に球を投げ上げるのを、子供達に混ざって、唖然とした顔で眺めておられた。
「あまり突飛に動かれないでください。心配しますから」
「すごいわね、手は二つしかないのに、この人、三つも四つも操ってるのよ」
「私の話を聞いておられますか」
「聞いてるわよ」
しかしおそらく、またどこかに飛び出してゆかれるだろう。私は王女の手を取った。案の定、王女はふいっと、別の方向に向かれる。目指すところは、街の別の一角で、フィドルを奏でている吟遊詩人のところだ。
「さぁさぁ、何か聞きたい物語はないかな、何でも語るよ、古今東西の英雄の話、おとぎばなし」
と売り文句を言いながら、フィドルを弾く吟遊詩人に向かって、王女が「はいっ」と手を上げられた。
「おや、これは美しい、お人形のようなお嬢さん、どんな歌がお好みですかな」
「あのね」
と耳打ちをされる。吟遊詩人は
「はいはい、『レンスターの青き槍騎士』の物語、結構結構」
と大仰にうなずき、
「さあさあ、今から話すはウソじゃあないよ、大陸の西、聖女ノヴァ様の嘉したまうレンスターから、一人の騎士様がおいでだそうな…」
と、語り始めた。
「目指すは一路東に東に、隣国の王子の求婚を断ったばかりに城を軍で囲まれ、ひとりさびしい薔薇のようなお姫様、兄上をとらわれ援軍もなく…」
今度は私が唖然とする番だ。聴衆はまさか、この主役に模されている本人がここにいることを、誰一人として知るまい。
 いや、一人、知っておられる方がいる。王女が、私の手を、ことさらに強く握られた。
「これからがいいところ、お聞きなされよ、青き槍騎士、王子の護衛をなぎ倒し、穂先を突きつけこう言った。
『さあ王子、ご神妙になされるがよい、弱みにつけこみ姫を我が物にしようとは非道の振る舞い、騎士道に照らして、許されるものではない』
 その王子、騎士の気迫にすっかりしおれ、馬にも愛想を尽かされて、ずっこけぐるぐるしばられた」
王女が横でくす、と笑われた。
「…さて、姫を助けた青き槍騎士、不届きなやつとご主君が、首を切ろうとされるのを、つとひざまずき赦しを乞うた。その慈悲深さにはご主君も恥じ入るばかり。ついには隣国に送り届け、その徳の高さを知らしめた。
 姫は徳高き騎士に何を持ってお返ししたか、それは方々のご推文字…」

 「はじめて聞いた?」
「はぁ…」
「私は、全部聞いたのは初めて。レヴィンが作っている途中、さわりを聞かせてくれたことはあるけど」
「れ、レヴィン王子がお作りになったのですか?」
「そぉよ。だいぶ、私が聞いたのとは違っていたけど」
きっと、聞いて覚えるから、間違ったり、大げさになったりするのねぇ。王女は仰って、ぱた、と足を止められた。
「どうされました」
街の中には、この人手に乗じた物売りが、そこかしこで品物を並べている。王女は、その中の一つの前にうずくまって、じっと何かをごらんになっているようだった。
「いかがです、可愛いお嬢さん、みんなお嬢さんにお似合いのものばかり」
小さな店の主人は、ここぞとばかりに売り込みに入っている。ささやかな飾り物の一つ一つを、眺めたり、手に取ったりして、王女は何か真剣に考え込んでおられる。
 私の存在に、主人が気がついた。
「これは失礼、お二人連れでしたか。いかがですか、これを機会にあなた様も、何か一つお持ちになられては」
「いや、私はそのほうにはあまり興味がないので」
「それはあまりな仰りよう、お嬢さんの左手のお指が、ずいぶんおさびしそうではないですか」
主人の言わんとすることがそのときの私には分からなかった。私は、主人を無視して、王女の側により、
「お決まりになりましたか」
と聞いた。日が傾いて、そろそろ夕刻に近くなりそうだった。王女は「ええ」と小さく仰って
「これ」
と私にそれを見せられた。耳飾りが一対。淡い色の水晶のかけらを、丸く磨いて、金の針金でつないだだけの、素朴な一対。
「それだけで、よろしいのですか」
とお尋ねすると、一つうなずかれる。
「ご主人、いかほどになりますか」
言われるままの代金を渡すと、主人は
「お納めになる箱などもいかがですか」
と言い出す。しかし王女のほうが、それを断られた。
「いいの。すぐつけるから」
そう仰って、王女はその耳飾りを慣れた風に付けられる。傾きがちの陽に、ちら、と輝いた。
「ありがとう」
王女は主人にそうお言葉をかけられて、跳ねるようにその場を離れられる。危なかしいかぎりだ。私はそれを小走りに追う。そして、この方はくるりと、踊るように私に向き直られて、
「初めて、贈り物されちゃった」
と仰った。私ははた、と、足を止める。そうか、そういうことになるか。
「大事にするから」
と目を細められた王女が、何かに気づかれたように目を丸くされた。
「あら、エスリン様?」
「え?」
私も釣られて、視線を動かした。私には、何も見えない。
「エスリン様がいらしたわよ。ベオウルフも」
王女はたたっと小走りになられた。
「エスリンさまぁ」
近づけば本当に、曲がり角にエスリン様たちがおられた。
 結局、セイレーンへは四人で戻った。そして、その夜、王女はベオウルフが言ったとおりに、私の部屋までおいでになる。
「どうしても、言いたいことがあって」
と仰る。
「何をでしょう」
「でも、そのまえに…
王女はにわかに頬を染められた。その前に、王女がここまでおいでになったその目的を察して差し上げねばならない。
 お顔を寄せてくださる王女のお耳に、あの耳飾りがまだついているのを見た。
「はずされなくて大丈夫ですか」
「はずしたくないの。だって、なくしたりしたら怖いもの」
「はぁ」
「あのね、言いたいことね…
 もし、これから私達に女の子が生まれたら」
「え」
私の胸が、久しくなかったあの痛みを思い出す。
「あの、もしかして」
王女は頭を振られた。
「まだよ。最後まで話を聞いて。
 生まれて、大きくなったら、見せびらかそうかなって、思うの。『お父様から初めての贈り物よ』って」
ふふ、とお笑いになられる。私はがっくりと、寝台にへたり込んだ。

 やがてシレジアに、再び雪の季節がやってきて、あれこれとあった悶着も笑い話ですむようになったころ、その知らせは突然もたらされた。
 私を含めて、レンスターに属する兵士達が全員集められて、その前でキュアン様が神妙な顔をしておられる。その手には、地槍ゲイボルグが輝き、これから告げられるであろう事態のただならなさを、いやがうえにも煽っていた。
「レンスター国王陛下からの緊急の召還指示が下された。雪解け前にも、この地を離れることになるだろう。
 身の回りの整理などして、いつでも帰れるよう、準備・待機を、各人急ぐように。
 以上」
 突然の、カルフ陛下からの召還指示。
 キュアン様は、シグルド様に深く頭を下げられる。
「すまん、シグルド」
「謝りたいのは、私のほうだ」
シグルド様が、カルフ陛下からのご親書を眺められながら仰る。
「私のせいで、君をここにとどめて、レンスターに不面目をかぶせてしまった」
「お兄様が心配で、なかなか帰れなかったのがいけないのだわ」
と、エスリン様も神妙なご様子だ。
「兄妹してそんな顔するな。俺がここまでついてきて、レンスターの威光に傷をつけたのは、誰でもない、俺の責任だ」
 レンスターを含む、トラキア半島北部は、マンスター地方と呼ばれ、小国が点在し、相互に盟友関係にある。ただ、似たような形式のアグストリアと違うところは、各王国は完全な独立性を保っているところで、ゲイボルグを預かるレンスターが、神器ゆえにその盟友関係において、一つ頭だけ優位性を持っている。
 しかし、そのレンスターの王太子であるキュアン様が長く国を離れられ、シグルド様が起こす形になってしまった大陸の動乱にご友誼であっても深くかかわってしまったのが、マンスター地方の各王国の猜疑心を起こす引き金となってしまった。それだけではない。レンスターの政治的な弱体は、半島北部へ進出をたくらむトラキア王国の野心をもあおりかねない。レンスターは、「マンスターの盾」でなければならないのだ。
「きっと戻ってくる」
キュアン様はそう仰った。
「レンスターを落ち着けたら、きっと戻る。お前を一人になんかしておけるか」
「その心意気はありがたいが…レンスターが危なくなると、アレス王子が同時に危なくなるのを、忘れてもらっては困る。
 エルトが残してくれたたった一人の子供なんだ、しかし私にはもう、彼を守る資格はない。君のレンスターが彼を守っていかなければ」
「…」
キュアン様は唇をかみ締められた。
 キュアン様は、うなだれたままで何も仰らない。エスリン様は、その肩に手をおかれ、まるで母親が子供をあやすように、キュアン様の髪を撫でられる。そして、そのままで、私に、王女をここまでお連れするよう仰った。
 王女にどんな御用があるのだろう。アレス王子のご縁でレンスターに行かれることになるだろうか? 王女はその話を避けられているが、ノディオンの再興に、アレス王子の存在は不可欠だ。
 とまれ、王女をお連れする。王女は、私の顔色がおかしいと仰る。たしかに、変わっているかもしれない。物を悲観的に考えるのは、確かに私の悪い癖だ。しかし、今度ばかりは、今私が考えている中でも、最悪の結果が待っているような気がして、胸が激しく痛むのだ。
 カルフ陛下からのお手紙には、私の予想をはるかに超える悲報が入っていた。
「お姉様が…」
王女の唇がかたかたと震えられる。グラーニェ様の訃報もそれには含まれていたのだ。
「アレス王子は、コーマック…グラーニェの実家だ、あそこが預かっている。
 まあ、その続きを読んでくれ」
キュアン様が仰るままに、王女はその手紙を読み続けられる。
「…そんな」
グラーニェ様は、失意の中に亡くなられたらしい。最期の床の中で、ノディオンでご夫君を待ち続けたかったとシグルド様を恨み、…兄上を見殺しにしたと、王女を責めておられたと。コーマック卿のご一家は、それを宮廷で喧伝し、それがレンスターの信用の失墜に、拍車をかけている可能性もあろうと、陛下のお手紙にはある。
「お兄様は…誰も傷つかない方法を、探していただけなのに…」
目に一杯の涙を押さえられて、王女が仰る。
「私は…そのお兄様を助けたかっただけなのに…」
キュアン様が、顔を上げられた。
「単刀直入に言う。
 レンスターからの援軍は、準備が整い次第、帰国する。戻ることは今、シグルドと確約した。しかし、それがいつになるかは分からない。
 …あとは、分かるね」
 「あなたも、行くのね」
王女は、お部屋への道、私にそう仰った。胸の痛みが、すっとなくなる。こういう時、お聡い方でよかったとおもう。
「…はい」
「そうよね、仮叙勲ですむわけがないし。お父様の領地を、ちゃんと継承しないといけないものね」
王女は、静かに仰った。帰らないでとすがってこられるのを、期待していたわけではない。おそらくこの方も、突然のことで、まだ現実のことでないように思っているのかもしれなかった。
「準備には、どれくらいかかりそう?」
「さあ…わかりません。ですが、時間をかけることはないでしょう」
「そう」
王女が、少し私を見返られた。耳飾りがちらりと光る。私の手を取られる。その手が、暖かい。
「王女、お風邪でも召されましたか?」
「どうして?」
「いえ、その、…お手が、暖かいので」
「そう? 気がつかなかった。
 平気よ、もしかしたら、さっきのことでびっくりしているだけかもしれないし」
「ならばよろしいのですが」
王女は、その暖かいお手で私の手のひらを開き、「合図」のしるしを、桜色の爪で描かれた。
「出来るだけ、一緒にいたいけれど…帰国の準備が先ね」

 やはり、私が帰国しなければならないのは、王女にとって相当の衝撃だったらしい。お風邪ともつかない微熱がつづいて、横になられるときもしばしばだとか。
 帰国の日が決まり、その日が近づいてくるほどに、慌ただしさはましてゆく。私は、王女のお言葉に甘えて、体調を心配しながら、時々、ご機嫌を伺う短い手紙を書く。
 私物を整理しているときに、カードがひとつ出てきた。王女に夜明けの青の美しさを教えていただいたとき、お貸ししたローブに隠されてきたものだ。
<あなたと一緒に、あの青を見ることが出来て、幸せでした>
あのころは、こんなことになるとは想像もできなかった、そんな苦笑いをして、それを道行きの荷物の中に忍ばせる。
 そして、日が迫っても、王女のご体調は戻られない。そんな状態で、帰らなければならないのは、何よりの後ろ髪だ。もしかしたら、いつかのご不安な気持ちが戻ってこられたかもしれない。そうならば、なおのこと、側にいて差し上げなければ。
 帰国を翌日に控えた、その夕方のことだった。王女の部屋についていたメイドが、私に小さな紙を握らせて、そっとすれ違っていった。紙を開ける。
<わがままを言ってはいけないと、ずっと思っていたけれど、今夜だけは>
と、耳飾りの片方をそえて、柔らかい、しかし少し震えた筆跡でそれだけ書いてあった。
 「あした、行くのね」
と、王女は一つともされた明かりの中、私の腕の下でそう仰る。まだ熱の引かれないお体がおいたわしくて、自然と控えめな態度になってしまうのを、王女は私の首に手を回され、
「優しくしないで、忘れてしまうから」
そう仰った。私は改めて王女をかき抱き、これが今生の別れにならないことをとつとつと説く。
「あ」
王女が小さく喘がれる。私の動きにあわせて浅い息をつかれ、やがて、感極まった艶めかしいお声を、細く、長く上げられた。
 このお姿を、私は忘れまいと思う。後にも先にも、この方以外を知るつもりは、私にはない。

 夜明け前に、目をさました。
 明かりは消えている。
 隣が、暖かい。暖炉の火がなくなっていたから、そのあたたかさが、いつもよりしみる様だった。
 …多少の、後ろめたさが、無い訳では無い。
 こんなに可憐で美しい人を、一人にしてしまうのか。そう自問する。
 これは成長するための別れなのだ。ただ待ってもらうだけだと、そう自答する。
 動こうとして、何かに、ひかれる感じがした。私の手を、白いお手が、握りしめてくださっている。
 規則正しい寝息。私はその手を、起こしてしまわないようにゆっくりと離した。
 もしこれきりになってしまうとしても、私の記憶がいつまでも、あの方のどこかにのこっているよう。
 セイレーンを建ち、朝もやの中に尖塔が消されて見えなくなるまで、それをただ、祈っていた。


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