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 前線に戻ると、キュアン様がさも私を出迎えるような風情で立っておられた。その前で下馬した私に
「任務ご苦労。今日帰ってこなければ、二人とも戻ってくるように使いを出すところだった」
と仰る。
「何か、ありましたか」
「きてもらったほうが早い。ついて来い」
「はい」
何も分からないままキュアン様の後に続いて軍議の席に混ざると、この頃あまり表側に出られなくなっていたシグルド様もいらっしゃって、
「お帰り」
と、少し安心したようなお顔で声をかけてくださった。みれば、主だった方はほとんどそこにいらっしゃって、その上で、見慣れない人影があった。
「皆様、おそろいですか?」
という声には、少し聞き覚えがあるような気がした。
「話が途中になってしまってすまないねマーニャ殿、続けて結構だよ」
シグルド様が仰り、マーニャと言う、シレジア風の女性は話を続ける。
「事情はお話したとおりです。
 シレジアではすでに、皆様方の逗留なされる拠点を用意して、王后陛下も、グランベル本国との関係改善について、助言を差し上げることにやぶさかではないと、そのように申されています」
「確認をするが、マーニャ殿」
と、シグルド様が仰る。
「本当にそれで、シレジアの迷惑にはならないのかな?」
「シレジアは、建国以来、どこともいさかいを起こさぬ中立を保ってまいりました。それが風と、風に乗る言葉をつかさどる賢者フォルセティの意志を守る、シレジアの柱石であり、誇りでもございます。
 窮地にある皆様方をお迎えするのは人道的なこと。どうぞ心置きなくシレジアにいらしてほしいというのが、王后陛下の意向と承ってまいりました」
「そう。ありがとう」
シグルド様はゆっくりと息をつかれ、立ち上がられる。
「聞いたとおりだ。シレジアが救いの手を差し伸べてくださる。これ以上の戦いを望まないものは、シレジアに入り、期が熟するのを待って、本国に戻る算段などを考えてほしい」
「ちょっとまてシグルド」
そこで、キュアン様が声を上げられた。
「お前はどうするんだ」
「私はシレジアには行かない。このままマディノの包囲網を突破して、本国に戻って、アズムール陛下に直訴申し上げる」
「いまさらそんなこと出来るか。帰れば、お前…」
「後を心配することはない、もうセリスがいる」
「馬鹿野郎」
キュアン様が、今にも拳を振り上げたいのを、堪えるように震えられている。
「セリスのために生きるのがお前の今の仕事だ!」
「そうですよ、シグルド様」
マーニャ卿が静かに言う。
「シグルド様がまずご安全なところにいらして、奥様とお父上の捜索をされる、その拠点をシレジアは提供したいと申し上げているのです」
「…」
シグルド様は、まだ何か仰りたいようだったが、
「わかった。今はシレジアのご好意に甘えることにしよう。
 このご恩は一生かけてでも、返すつもりだと、王后陛下には申し上げてほしい」
「かしこまりました」
マーニャ卿は毅然と、宮廷風の一礼をして、颯爽と、その場を離れて行った。
 その場が解散になってから、私は、そういえば一緒に戻られたはずの王女のお姿が、あの場所になかったことを思い出した。シルベールの予備交渉の件に、まだこだわっておられるのだろうか。
 あてもなくマディノの城を徘徊していると、廊下の曲がり角で
「あ」
アゼル公子と鉢合わせになった。
「どうしたの、そんなあわてた顔をして」
と仰る公子に、王女を探していると言ったら、
「たぶん、ティルテュと一緒じゃないかな。シルヴィアが楽しそうになにかしていたから。
 一緒に行こう。僕も、探し物してるところなんだ」
こっちだよ。アゼル公子のあとをついて部屋の一つに入ると、確かにそこにティルテュ公女と一緒に王女がいらした。
「ティルテュ、また僕のチェス盤黙って持ち出したね」
「だってぇ」
「まだそんなに上手でもないのに、誰にでも相手を頼むんだから」
と仰りながら、公子は盤を覗き込まれる。
「ふぅん」
そして、何か納得されたように、盤の駒をひとつ動かされた。
「今、シレジアから使者の方が来てね」
と仰り始めたので、私もするはずの仕事を思い出した。
「我々は、シレジアに移動することになりそうです」
そして、盤を観る。お二人の腕は、相応に伯仲というところだ。が、アゼル公子の動かした駒が、まっすぐに王女のクイーンを狙っている。それを防ぐように、私は盤の駒を一つ動かした。
「いるところも、向こうの方が用意してくださるっていうんだ」
「そこで期を見られながら、グランベルとの関係改善を試みるというお話でした」
「…あ、そんなところに」
公子が盤を見て、またティルテュ公女側の駒を動かされた。それにあわせて、私も王女の駒を動かす。
「あのさぁ、アゼル…」
「チェスなら、ちゃんとアゼル様とお相手なさい」

 渋る公女をなだめるようにしてチェス盤を取り戻されたアゼル公子は、
「みんなのところにいこうか。
 君が帰ってきたら、一度相手してほしくてね。君ぐらいの腕が、僕にちょうどいいんだ」
と部屋を出てゆかれる。
「大丈夫だよ。ティルテュは彼女にひどく当たるような子じゃないから」
「はぁ」
「むしろ、ティルテュのほうが大変なんじゃないかなぁ… フリージとドズルの先遣隊がこの城を包囲している。
 レックスは長くここにいて、みんな彼のこと分かってるから何も言わないけれど、ティルテュはほとんど同時にここに来た。
 そのせいで、もしかしたらフリージとつながってるんじゃないかと思っている人がまだいる。
 説明して分からない人には、もうあきらめてるけどね」
「はぁ」
「ティルテュと僕とレックスは、年が近いからバーハラ宮廷でよく遊んだけど、どの家にも、少しは家庭の問題っていうものがあるんだよ。
 彼女はその家庭の問題の被害者だから、人の気持ちをちゃんと分かってあげられる子なんだ」
部屋を移動し、盤に駒を並べなおされながら、アゼル公子はぽつぽつと仰った。
「君のプリンセスが帰ってきてくれて、実は僕も安心してる」
「お、王女のことですか」
「そう。彼女は、たぶんティルテュに対して先入観がないだろう? 今シルヴィアぐらいしか、話し相手がいないから、彼女がいい友達になれればいいなと、少しだけ僕は期待してる」
公子が小さく笑われた。そこに
「ああ、こんなところにいたのか」
とキュアン様がおいでになった。立ち上がった私を
「そのまま続けてくれ」
と仰って、
「アゼル公子の相手をしながらでいい、少ししゃべらせてくれ」
盤のそばに椅子を寄せられて、そこに腰を下ろされた。
「クロード神父が戻られた後で、神託の全容をうかがった。
 神父は、バーハラ関係で起きたとある一大事に関係して、神託を伺いにこられたそうなんだが…」
「一大事?」
「…イザーク遠征から期間中に、バーハラのクルト王太子が暗殺された。容疑者の嫌疑が、…シアルフィ公にかかっている。反王子勢力だったはずの両公爵が、今回に限っては鬼の首をとったようにその追捕に躍起になっている。
 神父は、その真実と、立て続けに起こる大陸での憂慮すべき事態の理由について、神託を受けにこられたそうなのだが」
「…はい」
「…バカ、そこにナイト置くな」
キュアン様は盤の面をつい、と指差されながら、話を続けられる。
「受けられたご神託は、公の受難、急にキナくさくなり始めた大陸、すべてに何かの意志が絡んでいると。しかし、その黒幕については、黒幕の文字通り真っ黒で、伺うことはどうしても出来なかったと」
「…そうでしたか」
「マディノ以南のアグストリアへの封鎖は知っているだろう。
 包囲しているグランベル軍は、クロード神父とティルテュ公女についても、他のグランベル諸公子同様、シグルドが取引の手札として監禁、ないしはシグルドに懐柔されて本国への反逆者になったと、そういう声明を出したらしい」
「え」
私はつい裏返った声を上げて、アゼル公子を見てしまった。アゼル公子は少し笑われただけだった。
「それだけなら、俺もまだ落ち込むシグルドを笑ってなぐさめられるんだが…話がシアルフィ公に及んだと知って、エスリンまでなんだか元気がない」
「それは…ご実家のことですから」
「おまけに、運が悪い。クルト王太子の暗殺とほぼ同時に、公の行方が分からなくなっている。それが何よりの材料になって、本国では公に叛意ありとまで言われているそうだ。
「と、いいますと」
「クロード神父のご神託に沿って言えば、公の「叛意」がバーハラ動乱のそもそもの理由で、シグルドはその手駒になって、俺とエルトに見返りを約束させた上で、三人で本国を撹乱するように、アグストリアで暴れさせたということになっている」
「そんな馬鹿な」
「その馬鹿がまかり通っているんだ。神託に言う「黒幕」にしてみれば、面白いことこの上ないだろう」
キュアン様はそこまで仰って、ふう、と長いため息をついた。
「正直、お前が元気な顔で帰ってきてくれて、俺はほっとしている」
「はぁ」
「お前はすぐ事態を悪いほう悪いほうに考える癖があるからな。お前まで悪い方向にいろいろ考えをめぐらされると困るんだ。
 お前が悪い方向に考えを回さないうちに言っておく。
 シアルフィの親父殿の『叛意』は冤罪だ、それは神父の神託によって確実に分かっている。だから、それについては、これ以上お前は考える必要はない」
「…はぁ」
素直に喜んでいいものか、そんな気分でいると、
「デュークナイトの制服、着る気になったんだな」
と、キュアン様はにんまりとして仰った。
「その徽章を一度付けた以上は、お前はもうただの騎士じゃないんだぞ。一将校として、そして俺の側近として、本格的にいろいろ叩き込んでゆくからな、覚悟しておけ」
「はい」
「よかったね、たよりにしてもらって」
アゼル公子が仰った。
「ありがとうございます」
「僕もがんばらないと。今、マージナイトになる訓練中なんだ」
「マージナイト、ですか」
「剣と馬が使えないとダメなんだ。今、みんなに頼んで練習をしてるよ。
 だから、君のプリンセスの魔法の練習も手伝ってあげられるよ。彼女、マスターナイトになるんだよね。僕よりすごいよ」
君のプリンセス、といわれると、どうも冷静になっていられない。お二人が固まってしまった私を笑っておられる。
「マディノではしかるべく仲良く出来たんだろう? それだけの時間も機会もあったはずだ」
とキュアン様がお尋ねになるが、私は言葉を詰まらせることしか出来なかった。
「なんだ、何もなしか。エスリンなんか、いつ『朗報』が来るか楽しみにしていたのに」
「なしと言うか、なんというか」
奥歯に物が挟まったようなことしかいえない私を慮られてか、
「僕は、いないほうがいいですか?」
と少し笑いながらアゼル公子がお尋ねになる。しかしキュアン様はにんまりという顔をされたままで
「いや、いても構わないよ、まだチェックメイトしてないだろう」
「でも、あんなに綺麗なプリンセスの側にいて『チェックメイト』してないなんて、僕はそのほうが気になります」
アゼル公子は、くすくすと笑っておられる。この方は、見た目以上に私よりいろいろご存知のようだ。
「じゃあ、『物分かり』がよさそうなのを二三人ほど呼んで、『チェックメイト』の仕方でも教えてやるか」
「そうですね」
「え」
私は反射的に椅子から立ち上がってしまった。
「アゼル君、レックスとか、ベオウルフとか、食いつきがよさそうなのを頼むよ。
 俺はここでこいつを見張っておく」
逃げることは不可能そうだった。
 こうして、退屈な方々に弄ばれた私は、なんともいえない複雑な心境のまま、当てられた部屋の床につく。
 マディノのあの部屋で、薄明かりの中拝見したあのあえかなお姿を、余計な情報で自ら汚しはしないかと心配で、なかなか目が閉じられない。
 寝返りを打ったとき、部屋の戸が小さく叩かれた音がした。
「どなたですか」
戸口で小さく誰何すると、
「私」
と王女の声。扉をあけると、その隙間からするりと入ってこられて、
「ここにいて、いい?」
とおっしゃる。
「それはかまいませんが」
と返してみるが、頭の中はまだ動揺したままだ。
「どうか、なさいましたか」
と、寝台にぽつんと座られる王女に尋ねると、王女はまず、私を指で招かれた。
 といっても、王女のご様子は、それ以上のことを求めておられるようではなかったので、私は狭いながら、包むようにその隣に横になる。王女は、私の胸にお顔をすりつけられるようになさいつつ、
「シレジアにどうしても、行かないとダメなの?」
と仰った。
「とは?」
「だって、私はおじい様のところがあるから」
と、王女は私にそう仰った。
「私だけは、マディノにとどまるというのはだめなの?
 おじい様も、私が戻ってくるなら喜んで迎えて下さるのに」
「無理でしょう」
私はそう言うしかなかった。
「シレジアに退避場所を確保されたということは、もうここにいられるのも時間の問題、と言うことだと思われます」
グランベルはおそらく、この前線に我々を固定させるようにマディノを包囲させておきながら、別にシアルフィ公の追捕を各地で行わせているだろう。もし、何かの拍子に、公がこちらに合流されることがあり、それが向こうに知られたら、それこそ向こうには好機到来である。
 のみならず。
「包囲されているにもかかわらず、こちらの疲弊が少ないのは、ひとえに領主殿の支援あればこそです。
 この状態が長く続くと、あの町があぶなくなるのです。私達への協力者として、攻撃されるかもしれません。
 おわかりいただけますね」
「でも」
「ここは聞き分けていただかないといけません。王女には、是非にもレンスターのグラーニェ様とアレス王子を助けて、ノディオンを再興なさらなければ…」
「そんなこと、今は考えたくない」
王女は私に背を向けられた。
「今は国がどうとか、そんなこと考えたくない」
言ってから私は、は、と、その浅慮さを悔やんだ。ノディオンのなくなったことが、今王女の一番の重荷だというのに。
「…わかりました」
私はその話はしないことにした。
「ここにいる主だった皆様は、みなシレジアに行かれることを検討されている模様です。ですがまだ間がありますから、よくお考えください。ここに残られるにしても、シレジアに行かれるにしても、私は一緒におりますから」
「…」
王女は、ひとつこくん、とうなずかれ、
「…ごめんなさい、わがまま言って」
と、それだけ私に仰った。

 マディノで少々ご気力を取り戻されたといっても、アグストリアの動乱でこうむられた王女の傷は、一朝一夕に治るものではないように見受けられた。
 どこまで、私は王女の支えになって差し上げられるだろうか。マスターナイトに必要な技術を、公子様方より受けられる王女を、私は少しはなれて見やっていた。そのあと、休憩に戻ってこられた王女は、
「私、やっぱりシレジアに行く」
と仰った。
「そうなさいますか」
「だって、私一人きりじゃ、マスターナイトになれないもの。推薦してくださる方が必要なのよ」
王女は、いつかのしおらしさはどこに隠されたのか、朗らかにそうおっしゃる。
「みんなが行くから、私もいくとか、そんな簡単な考えじゃないのよ」
「分かっていますよ」
「それに」
「はい」
「あなたが行くなら、私どこにでも行く」
「…ありがとうございます」


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