ノディオンの近くまで来ると、近衛騎士団の三騎が、私達を出迎えてくれていた。あの三つ子の騎士だった。
「アグスティより、ご苦労様です」
と、一人が言った。そして、数騎ついてきた私の馬の後先に展開し、静かに、半旗の掲げられたノディオン城に入っていった。
私達は、直接葬礼に参加することはなかった。
王の死去というのは、同時に、新しい王、そして、新しい神器継承者を指名するという裏腹の事態を起こす。
神器を預けられたアレス王子はまだ三つにもならないお年頃、その剣にこめられた歴代の継承者の喜怒哀楽を感じ取るまでには、まだ相応の時間が必要だろう。
もう帰るという日。
最後に王女が、廷臣を集めてお言葉をと言うので、私たちはいつでも出発できる用意をして待っていた。そこに三騎士の一人が駆けて来る。
「どうか、なされましたか」
「わかりません、お話の途中で、急に姫がお取り乱しになって」
私は、馬から飛び降りて、騎士の後ろを付いて行った。
謁見の間の、空の玉座の真下で、王女はこっとりと気を失っておられた。
「姫は、陛下を生きてお連れできなかったことを諸膝をついて私達に謝っておられました」
「それから、何か取り付かれたように『私がいけない』と仰られて…お持ちの剣で…」
手の施しようがなくて、身当てでお静かになってもらった、と言うわけだ。
「姫はどうなされたのでしょうか」
「お言葉の通りです。陛下をお助けできなかったことで、ずっとご自分を責めておられるのでしょう」
しかし、このままに王女をしておくにもいかないだろう。一部始終を見ていた廷臣は、みながみな、あっけに取られたままだ。
私は、やおら王女を抱きかかえ、
「お部屋に案内してください」
と言っていた。
王女の介抱を侍女達にまかせて、私は部屋を出る。出てから、はたと気がつき、体が震えているのが自分でもわかった。
自分から手指に触れることさえなかったのに、ここまでお運びしてしまった。私などが触れてよいお方ではないのに。
複雑な気持ちで、そこに立っていると、廷臣の何人かと三騎士がいた。すかざず、
「本来ならこちらの方に任せるべきところを、出すぎたマネをいたしました」
と、背中を見せるほど腰を折った。
「いえいえ、そんなことはいいのです」
廷臣の一人が私をなだめるように手を出された。
「ノディオンのために、ここまでしてくださった、二人のご友人の恩は、ノディオン、一生わすれません。
姫様が今まで、どんなお気持ちでおられたのか…先刻の一件で重々思い知らされました。
どうか、二人のご友人に、ノディオンのことはもうご心配なさらず、思いのままにお進みくださいと、お伝えください。
王妃と王子様は、陛下の仰られたように安全なレンスターに是非にもお移りいただくよう、こちらで何とかいたします」
「分かりました。使者として、皆様のお言葉をお伝えいたします」
私は、今度は正式に立礼をした。
一日待ったが、王女は起き上がられる気配がない。
「姫様は、前線にお戻りになるのですか」
と廷臣に尋ねられ
「いえ、現在の戦線はマディノ奥の海賊討伐になっていまして…」
そう答えかけると、
「よかった、マディノは姫様がお生まれの地が近い、むしろそちらでご養生いただければと思っているのですが」
と廷臣が先回りする。
「はい、そのように言われているので、直接向かうことになっています。
ですが、王女が目を覚まされないことには」
「そのことなのですが」
三騎士の一人が声を潜めるように言った。
「お目覚めでなくてもお連れしたほうがよいと思われます」
「え?」
「陛下がなくなられて、グランベルのアズムール王が言い渡されていたノディオンへの配慮は、ほとんどあってないようなものとなりました。
我々は、お妃と王子の脱出の準備を早めます。
そちらはもうご準備は整っているでしょう、出るならば、早いほうが」
「そうですな、お早くここを離れるがよろしい」
その夜、出発することになった。
侍女の一人が、王女のお世話についてゆくことになり、王女は馬車の中で、その侍女にもたれかかって眠っておられた。
「姫様をどうかよろしくお願いします」
廷臣と三騎士が頭を下げた。私も頭を下げ返し、
「わかりました。皆様もご壮健で」
隊列はゆっくりと、マディノに向かって進み始めた。
マディノまでの途上、ノディオン城が、待ち構えていたようにグランベルに制圧されたと聞いた。マディノの前線に戻れば、もっと詳しい話を聞くことはできるだろうが。
王女は、そんなことなど露知らぬご様子で、まだ眠り続けておられる。どんな顔でこの報告をしたものか、私はそれを考えると、この道行きが、たまらなく億劫だった。
マディノの城のすぐ南東に、森に抱かれるような街があり、そこにある領主の館に、馬車は付けられる。王女をお預けして、私はすぐ、報告のため前線に走った。
「任務ご苦労」
と、キュアン様が出迎えてくださる。
「途中で聞いたと思うが、ノディオンが制圧された」
「はい」
「グラーニェとアレス王子は、無事脱出したが、その脱出を助けて、近衛騎士団はほぼ壊滅したそうだ」
「では、イーヴ卿らは?」
という私の問いに、キュアン様は一度うなずいただけだった。
「お前に先行して使者が来て、彼女が目を覚ましたようなら、これを預けてほしいと」
私の前に細長いビロードの包みと手紙の束が置かれる。
「しばらくここで待機してほしい、お前についてとある依頼ごとをしているのでね。それが終わったら、お前は彼女のところに行って、しばらく様子を見てあげてほしい」
「私が、ですか」
「ああ。護衛隊は規模を縮小させる。彼女の特に気に入りだけを残して、お前は引き続き、それをまとめてほしい」
「私でよろしいのですか。ノディオンよりの部隊がまだ残っています、彼らに任せるべきだと…」
「前にも言ったはずだ、お前でないといけない理由が、彼女の中にある。
それに、俺の目は節穴じゃないぞ」
キュアン様がニヤリと笑まれた。こういうお顔をなさったときは、たいてい、私が困るような何かをお隠しになっているものだ。つい身構えると、
「キュアン殿、遅くなりました」
と声がかかる。
「彼ですか?」
「はい」
キュアン様が、その入ってきた人物に、立ち上がって礼をする。棒のように突っ立つ私に、
「エッダ教の最高司祭、クロード神父だ」
とキュアン様が仰る。私は反射的にひざまずいた。私達が聖戦士とならべてあがめるエッダの神、それを信じるものすべてを束ねるお立場の方、本来なら、こんな戦場になどいてはいけないようなお方だ。
「大陸に不穏な動きがあまりに頻発するので、この先にあるブラギの塔まで神託を伺いにいらしたのだ。
お時間のない中、お前のために時間を割いてもらっている」
「は?」
私がぽかん、とすると、キュアン様は机の上にある箱を指された。
「母上がお前のためにと、新しくお仕着せを届けてくれてな」
「アルフィオナ様が」
「これと一緒にな」
その中から、キュアン様が何かを取り出した。
「こ、これは」
同じものが今まさに、キュアン様の胸でも輝いている。
「正騎士までは主人の権限で与えられるが、上級騎士はそうはいかん。エッダ教会での審査が必要だ。
本当なら、一度レンスターに帰るべきなのだが、それも難しい。
つまり、なんだ…仮叙勲だが、お前をデュークナイトに推挙しようと思う。シグルドやエスリンも、他の騎士たちも、異存はないそうだ」
「そのお若さの推挙を受けられるのは、私も初めてです。ですが、お話を聞く限り、あなたの騎士としての徳は推挙されてしかるべきところにあります、叙勲に値すると判断いたしました」
クロード神父は、聖職者然とした穏やかな顔で仰った。
儀式の支度が整うまでの間に、アルフィオナ様が送ってきて下さった荷物の中の手紙を読む。
<先日初めて、あなたが吟遊詩人に歌い継がれていることを知りました。目覚ましい活躍、短い間ながら、あなたをキュアンの弟のように育ててきた私にとって、これほどの喜びはありません。体に気をつけて、いっそうの精進と忠勤に励まれますように。『レンスターの青き槍騎士』殿に敬意を表して>
いつの間にか、自分にこんな二つ名がついていることさえ知らなかった。とにかくクロード神父の前で、改めて私は騎士の誓約を述べて、デュークナイト徽章を受けた。
「よかったな、おい」
「大出世だぞ」
その場の騎士達や公子の方々にもみくちゃにされて、その中で私は、一番伝えたい人の顔を思い出していた。あのうっすらとかげるまぶたの下のハシバミの瞳は、これをご覧になって、どんなお顔をなさるか、と。
しかしまだ、デュークナイトの制服と徽章は、私には早いような気がして、私はそれらをそのまま自分の荷物の中に入れた。だいぶ着慣れて、みすぼらしいところもあるが、今までの服のほうがまだ体になじむ。
命じられるままに、マディノ近郊にある街に入る。先に任務に入っていた騎兵達が、
「おかえりなさい、隊長」
と軽く挨拶してくれる。それに手を上げて応えた。
王女がおられるはずの領主の館に着き、案内をされるままに入った部屋には、思慮深い目を持たれた壮年の男性がひとり、私を出迎えるかのように立っていた。王女のお父上のはずはない、しかし、祖父殿にしては若すぎる。いずれお身内ではあろうと思ったが、
「孫のわがままに付き合ってくださって、ありがとうございます」
と仰るので、私は、領主殿が王女の祖父殿だということに、まず驚いた。
「はは、卿のようにあからさまに驚かれたのは初めてですよ」
領主殿は私の反応が面白く感じられたようだった。
「申し訳ありません、お身内とは思いましたが、まさか」
「仕方ありません、私は先代ノディオン王と同年代、遅くできた娘と言っても疑われることはありますまい」
領主殿は「あの子は」と、まるでご自分のお子様のように呼びながら、
「母親が若くてですな…」
と、すこし遠くを見やるような視線で仰った。そういえば、そんな話を、王女はしておられたような気がする。あの方は昔のことはあまりお話にならなかったし、私から聞くような無粋などできようはずもないから、断片的にしか知らないが。
「その話は、時間があればいたしましょう」
領主殿はそこで一度話をとぎられ、
「今は、あの子の容態が一番お気にかかっておられるでしょうからな」
反射的に「はい」と答えていて、私は思わず、視線のやり場をなくした。領主殿はそれを少しだけ笑われて、
「残念ながら、まだ目が覚めていませんよ」
と仰った。
「まだ、ですか。
何故でしょう」
「さあ… ただ、医者の見立てでは、体には何の異常もないそうです。
動乱の最中、極度の緊張が続いていたのでしょう。ノディオンで少々錯乱した挙動もあったことを、部下の方々より伺っています」
「いつお目覚めになるか、そのお見立ては?」
「さあ」
領主殿はかぶりを振られた。
「眠り姫のように、簡単に目が覚めるような方法があれば、私達もこんなに案じたりはいたしませんよ」
そしてそう仰ったとき、メイドのものらしい、かつかつかつ、と小走りの足音が近づいてきて、扉から飛び出すように
「ご主人様、お姫様がお目を…」
と言いかけて、私を客人かと思ったのだろう、立ち止まって膝を折って礼をした。しかし、そのメイドのあわてぶりで、大体何が起こったのかは分かった。領主殿は私をご覧になり、
「期待を裏切らないお方だ」
と仰った。
入室を許されて、入ってきた私に、
「私が眠っていた間に、何があったの?」
と王女がお尋ねになる。
「シグルド様たちは今オーガヒルの海賊を平定している途中のはずよ。こんなとこでのんびりしてられないの」
「いけません王女」
私はそれを押しやるように答えた。しかし王女はまだ起き出されたい様子で、部屋付きのメイドがそれを抑えている。
「だって、まだお兄様のご葬礼も済ませてないし、ミストルティンも」
「…」
王女の記憶は、シルベールの時点で止まっているのだ。ご自分でご葬礼を取り仕切られたことも、アレス王子に魔剣を継承されたことも、お覚えでないのだ。
私は、その事実を、一通り並べて、王女に申し上げた。そして、
「王女はそこでひどく消耗されて、お倒れになったのですよ。ですから、前線ではなく、ここにお連れしたのです」
「信じられない…私、記憶が何もないの。
でも、動いていたの?」
「そうですよ」
納得された王女の様子を見た上で、私はそれからの話と、現況を説明する。
ノディオンが制圧され、グラーニェ様とアレス王子は脱出されたが、近衛騎士団が壊滅したことをご説明した。王女は
「そう」
と、分かっていたようなそぶりで仰った。
「あの三人は、お兄様のところに行ったのね」
「そう、なりますね」
「本人達はいいけど、残された人はかわいそうだわ…あなたには最後まで見分けがつかなかったでしょうけど、イーヴ…一番上のお兄さんね、あの人、子供がいるのよ。今頃、二人目が生まれるって、ノディオンから送られた手紙ですごく喜んでた」
「…そんなことが」
王女は少し黙られた。そして、
「前線の様子を教えて頂戴」
と仰る。
「…はい」
私は、前線で伺ってきた一通りのことを、なるべく忠実に説明した。
マディノの奥、オーガヒルの海賊は、アグストリアの動乱に合わせて沿岸で略奪などをしていたが、それはそもそもオーガヒルの海賊のすることではなかった。
オーガヒルの海賊は海賊と言うより義賊に近く、逆に仲間内でそんな非道なことをたくらんだら、その頭目が命を持って「粛清」するほど、厳しいものであったらしい。しかしその頭目が、何かの事情で手下より追われ、義賊はただの海賊と成り果てたのだ。
その頭目は一体どうしたか。話によればその追われた頭目は妙齢の女性で、弓を得意にしていたという。それだけの状況証拠ではあったが、身柄を保護してみたら、それがエーディン様がお探しの姉上だったことが分かり、聖弓は無事継承された。
しかし、よいことだけではない。むしろ、よくないことのほうが多かった。
後方の拠点として押さえていたはずのアグスティを、突如グランベルの大軍が包囲した。それを差し向けたのはほかでもない、グランベルの神器をあずかる六公爵家のうちのフリージ・ドズルの両家であることが、紋章で確認されたという。つまり前線であったマディノ城に、我々は事実上追い込まれたことになる。
しかし、それと、クロード神父がマディノにご来臨になった理由は全く関係なく、むしろ神父のご心中は、グランベル国内での派閥争いが他国にまで波及する、その浅ましさを憂いておられるご様子だった。
それでも、クロード神父に同行されていたフリージ公爵のご息女ティルテュ様は、やや警戒されてお迎えせざるを得なかったらしい。アイラ王女は、ティルテュ公女のご出自を知られた途端、持っていた剣で切りかかろうとまでなさったらしい。
「今は、クロード神父がブラギの塔までご神託を伺いに行かれたそのお帰りを待ちながら、オーガヒルの海賊を平定している途中です」
最後に、前線で預かったものをおわたしする。王女は中の封筒を開けられ、中を確認して
「これは後で読むわ」
と仰った。
「で、私は前線にいっていいの? いけないの?」
「急ぎご参加の必要はないとのことでした。私見ながら、ここでしばらくご養生されて、万全の状態で望まれたほうが」
「わかりました」
王女はすんなりと引き下がられた。
「あなたがそういうのだから、私は急ぐ必要はなさそうね」
「ご理解くださってありがとうございます」
その後、王女はご教練の相手を、と私に仰って、その準備をおはじめになるようだった。
一度、それでもご挨拶をと仰るので、マディノの前線までお連れしたことがある。
ご挨拶を終えて、出てこられた王女は、
「私、マスターナイトになることにしたの」
と、至極あっさり仰った。
「は?」
「マスターナイトになるの。お兄様はノディオンを治めるために、途中であきらめたられたのだけれど、私なら、きっとなれると、シグルド様もキュアンさまも熱心にお勧めくださって…」
マスターナイトの称号が、どんなに難しいものか、知らない私ではない。それを、なれると王女は一口で仰る。
「キュアン様が、槍はあなたが教えてくれるとも、仰ってたわ。
お願いしますね」
「…はぁ」
王女は、早速にサブリナに乗り、
「早く帰りましょう、時間がもったいないわ」
と声を上げられている。
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