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 王女は、剣を少々使われるほかに、治癒の杖にも心得がおありらしい。しかし、どちらも、馬の上でご使用なされるほど熟練もされていない。
「治癒の手が足りない、後方で控えて、手伝ってほしい」
というシグルド様のお言葉で、私達は、前線から離れた後方で待機する。時々、傷ついた兵士が運ばれて、王女が治癒の杖を振る。
 つまるところ私達は、後衛の守護部隊のようなものだった。
「…申し訳ありません」
治癒の手がたまたますいたときに、王女が、誰にとでもなく仰った。
「一緒に来られた方は前線で手柄をどんどん立てておられるのに、ここで待機では…つまらないでしょう?」
「…」
「ね?」
「…あ、いえ」
それが私に向けられたと気がつくまで、少しかかった。
「そんなことはありません、部隊の他のものは確かに、時間をもてあましているようですが。
 補給や回復を行える後衛あってこその前線です、その後衛が襲われたら、前線が崩壊する以上の衝撃があると教えられました」
「戦っている方にとって、後衛は安らげる場所なんですね」
「そう思います」
シアルフィに上陸して、休憩と露営があるたびに、休める場所があることがどんなにありがたいか、私は私なりに実感していた。
「思いつつくままについてきた私も、少しは役に立っているみたいですね。
 よかった」
王女は口の端でほんのりと笑みを作られた。そして、運ばれてきた兵士のもとに駆け寄って、
「すぐによくなりますからね」
と、治癒の杖を振られていた。

 王女にとって、兄王陛下は、自らアグスティに出向いて助け出さなければならない、それだけ大切なお方なのだ。
「お兄様だけじゃないわ、お姉様も」
と、何かの折に、王女はそう仰った。
「アグスティにお兄様がとらわれて以来、お姉さまはすっかり元気をなくしてしまわれたわ。この間、キュアン様がお見舞いに来てくださったけれど、お姉様はお兄様が無事に帰ってくるかどうか、それだけをお尋ねになっていた。
 最初ここにいらしたころは、本当に明るくて、私にも優しくしてくださったお姉様なの。あんなお心弱くなった姿が、不憫で」
そう仰る王女のお姿も、少し寂しそうでおられた。
「私をここまで育んでくれたノディオンのために、私はできるだけのことをしなくちゃ」
私は、言葉をかけにくかった。私とは、はるかに違う次元にあって、この方はこの方のお悩みを抱えている。それはとても崇高なもので、私のような一騎士が口を挟んで良いようなものではない。
「私達は、王女のご本懐のために、無事アグスティまでお守りするのが使命です」
「はい、キュアン様もシグルド様も、少ない部隊から私のために分けていただいて、心苦しく思います。
 それなりの、結果を出さなくてはいけませんね」
王女は、つい出されてしまったのだろう、さっきの、寂しそうな気配をすぐどこかに隠されて、優雅な微笑みで
「自分からこんな場所まで出てきて、変な王女と思っているでしょうけど…よろしくお願いしますね」
と仰った。変に思うことなどあるものか。私は
「変なことなどありません、王女が自らお出ましになって事態の収拾に当たられようとは、なかなかできないことです。感服しております」
と答える。しかし王女は
「本当に、そうかしら」
怪訝そうなお声を出された。
「変な姫だと思っていない?」
「とんでもない」
「王女らしくないでしょう?」
「滅相もない」
しばらく王女は私をご覧になり、「ぷっ」と噴き出された。
「本当に、エスリンさまの仰るとおりだわ。困らせると、面白い人」
「…はぁ」
エスリンさまは、いったい、何を王女に教えられたのだろうか。

 アンフォニーを攻略していた、その最中のことだったかと思う。
 後衛の状況を報告して帰る途中に、エスリン様が、騎兵を一人伴っておられた。
「エスリン様、どうかなさいましたか」
と尋ねると、
「新規編入よ」
と仰った。ちょうど、レンスターからの部隊の一人が重傷で戦線離脱したところだったから、補充兵があるのはありがたい。
 しかし、その騎兵は、どこの国の紋章を背負っているわけでもなく、素行も必ずしもよくなさそうだった。
「傭兵、ですか」
「ええ、ひょんなことで、私が雇ったの。
 事情のほうはあの方のほうがよくご存知だわ」
「左様ですか」
 傭兵は、自分をベオウルフと名乗った。つい先刻まで、アンフォニー側で戦っていたらしい。
「傭兵ってな、そんなもんですよ坊ちゃん」
ベオウルフは、後衛に戻るまでの道、尋ねられるでもなくいう。
「ただ、今回はちょっと事情があってね、姫さんのとこにいてやらにゃならねぇんでさ」
「…卿は」
私は、なるべく前を見ながら言った。
「あの王女のご友人かなにかですか?」
「卿って呼び方は勘弁してくれねぇかな、俺ぁただの傭兵だ」
「…ただの傭兵が、何故あの王女のもとにいてやらなくてはならないのか、私にはその理由が分かりません」
「まあ、ちっとしたご縁ってものがあってよ」
ベオウルフはけだるそうに言った。そのうち、後営が見えてきた。入り口のあたりに、王女が立っていらっしゃる。
「いけません王女、もっと中にお入りください」
と私が言うのを、
「ええ、でも」
とためらうように仰って、
「ベオウルフ、聞きたいことが一杯あるの。いいかしら?」
ともおっしゃる。そのお顔は、さながら眠る前の御伽噺をねだる子供のように、無邪気な笑顔でおられた。ベオウルフは私の後ろから馬を進めて、
「ご指名らしいから、ちょっと行ってくら。
 これからよろしく頼むぜ、坊ちゃん」
と、唇の端に笑みを浮かべて言った。

 二人を見送ってから、ずき、と体のどこかが痛んだ。
「…あれ?」
ほとんど前線にも出なくて、怪我の一つもしていないのに。
 でも、合流この方みていなかった、あれが王女の本当の笑顔なのだと思うと、痛いけど、嬉しくなくもない。
「隊長ぉ」
そこに、騎兵が一人かけてきた。
「どうした」
「いや、取り立ててのことはないのですが、手がすいているものが模擬戦をしているのですよ、よかったら隊長もいかがかと」
「…わかった。行ってみよう」
このままでは腕がなまる。いつ前線に前線に放り込まれてもいいように、私も士気の維持は必要だと思っていたところだ。

 王女とベオウルフの「縁」というものは、どうやらノディオン王陛下に関係するものらしい。陛下は即位当初、アグストリア国内を、身分をやつして外遊されていたこともあったらしく、ベオウルフとはその途上で知り合ったものなのだろう。兄王陛下のことになると、王女は、妹姫らしく現在のご境遇を憂いつつ、
「でも、お兄様みたいな人は理想なの。お兄様のような方でなければどこにも嫁ぎませんといったら、困りながらでも喜んでくださったわ」
と仰って、またさびしそうな笑顔になってしまわれた。どうも私は、話題の振り方が上手くない。ただわかるのは、王女の理想はとても高いところにあって、なまなかの人物では王女は袖にもされないだろう、ということだ。いつか、エバンスでお見受けした陛下のお姿を思い出せば、それも仕方がないかと思う。私もなれるならああいう騎士になりたいと、思えてしまうのだから。

 そして、事態は動いた。
 シャガール王はアグスティ城を包囲した我々の前で、逃亡した。アグストリアのほぼすべての拠点をおさえられた王の、行く先はひとつしかない。アグスティの西にある、要塞シルベール。
「エルトが王を逃がした?」
キュアン様が、シグルド様のお言葉に、らしくない、裏返った声を上げた。
「ああ。
 アグストリアの王族を守るのは、かの王に忠誠を誓った騎士の勤めなんだ、と」
「あんな王にも忠誠を誓うのか」
「キュアン、君だって知ってるだろう、奴がどういう性格かを」
「それは…知ってるが…」
「事態修復の時間として、一年もらってきた。私はこれから、アグストリアがなるべく早く、元の形になるべく戻して返せるように本国に掛け合ってみる」
シグルド様が、あれこれと書類を用意されながら、
「それから、グラーニェ殿のことについて、何か頼みがあるらしい、そのうち君に相談が行くだろうから、相手してあげてくれ」
「ああ、わかった」
 王女は、結局兄上との再会はおできにならなかったのだ。すでに、アグスティは王不在の城になっていた。王女の望みであった再会と、陛下のノディオンへのご帰還は、ますます遠いお話になった模様だ。王女も、それについては、焦燥の色を隠されない。
「変な話だわ」
そう王女は仰った。
「つかめそうなところで、するりとすり抜けてゆかれるの。
シャガールは、お兄様を大事にしてくださったイムカ様とは全く正反対の人なのに。
 王の間違ったやり方に、その前を去ってゆくことで諫言の代わりにした例はいくらでもあるのに、そういうことを知らないお兄様じゃないのに、なんで…」
そう思いつめるようにされてから、
「ねぇ」
と、私に向き直られる。
「あなたなら、こういうとき、どうする?
 キュアン様がどうしようもないお方で、このままあの方の下にいると自分の身も滅びかねない。
 そういう時、どうする?」
「私、ですか」
突然話を振られても、すぐに返答はできなかった。第一、キュアン様がシャガール王のようであったらという想像ができない。
「…すぐには、答えかねます」
「キュアン様に聞こえるのが怖い? 大丈夫よ、そんなことしないわ」
「いえ、そうではなく」
王女は、ふと眉根を寄せられてから、少し肩をすくめられた。
「答えられないのも分かるわよ。だって、キュアン様はシャガールなんかと比べるのがもったいないほどのいい方ですもの」
「はぁ…」
「ごめんなさいね、困らせるつもりなんか全然ないの。
 シグルド様とお兄様が約束しあった一年、私も、それを待つしかないのよ。
 しばらく、戦もなくて、つまらないかもしれないけど…」
王女は、やはり、さびしそうに笑まれた。そのお顔を差し向けられて、また、原因不明の痛みを、ずき、と刺さるように感じた。
 アグストリアの情勢が、いっそうキナくささをましてゆく。反抗するすべをほとんど奪われたアグストリアの各諸侯の領地は、グランベルからの官吏によって管理されている。もっとも、それを取り仕切っているのはシグルド様であり、あの方は、その官吏に必要を超えた過剰な締め付けはされないようにきつく言い渡しておられる。
 それだからと言って、王女のご心配が解消されたわけではなく、時々誰も寄せられずにお一人である場合も多い。何か、一時でもその憂いが取り除けるようなお話ができればいいのだけれど、生憎、というか相変わらずその辺の機微は全く分からない。
 今になってやっと気がついたことなのだが、「美しい人」というのは、王女のような方をこそいうのだと、私は思い知らされている。それはお顔やお姿だけの話ではなくて、ご気性やお振る舞いも含めたすべてがあいまって、その形容をあらわしているのだと。そして、選ばれてついてきた護衛隊のかなりの人数が、その高嶺の花ぶりにあきらめているのだ。ほぼ一人の例外もなく。
 アグスティ城の大食堂で、部隊が融けたように寄り集まって、ぼそぼそと話している。
 シルベールとの約束から、そろそろ半年にもなんなんとしていた。
「隊長、こんな話しってます?」
「何の話だ?」
「あのお姫様のことなんですが、あんまりいいうわさじゃないんですけどね」
「…」
「シルベールの兄上に固執してる理由っていうのが…その…」
「はっきり言え、気持ちが悪いから」
「落ち込んでも知りませんよ…
 その理由っていうのが出すね、どうも、兄妹以上の感情からきてるんじゃないかって」
私は思わず、傾けながら座っていた椅子から転げそうになった。
「だ、誰だ、そんな変なうわさ流してるのは」
「町で聞いたんで、誰が発生源か、なんて、わかりっこないです」
「そんな馬鹿なことあるか」
私は思わず机に突っ伏した。隊のほかのものは知るまいが、陛下に対する王女の思いというのを、一番そばで聞いているのは誰でもない、私なのだ。それだけは自信を持っていえる。お二人の間にそんなやましい感情など、あるはずがない。
「ホラ落ち込んだ」
「だから隊長には話すなって」
騎兵達の混ぜ返しなんか、聞く余裕もなかった。「兄上のような方でなければ嫁がない」と言うのを、私は何度も聞かされて、一度陛下を拝見した時の気迫と美々しさを思い出して、そう仰りたくなるのもやむを得まいと、私はあきらめた上で、公私混同はしまいと自制をしているのだ。そうでもしていないと、折角いただいた今の使命を飛び越えて、何かしら無礼を働きそうで、自分で自分が怖かった。
 そのとき、ぼそぼそというあちこちの会話の中から、飛びぬけてはっきり、聞こえてきた声があった。
「え、姫さんのうわさ? ああ、知ってるよ。
 本当のところを、って言われてもなぁ、俺ぁ家族のことまでは知らねぇよ。
 でもまあ、大切にしすぎたっていうのは、少しあるかも知れねぇな、嫁入りの年頃がそろそろ過ぎようって言うのに、なんで今まで誰にも縁付けねぇで…
 …ああ、そりゃ無理な話だよ、奴以上、いや、同等の男だって、大陸どこ探してもいないのと違うか?
 まあ、奴にもいろいろあるんだよ。いろいろの中身? さぁて、それは、俺の口からは話せねぇな…」
ベオウルフの声だった。
「奥方が隠れ蓑か、それはどうだろうねぇ。でもな、子供作るだけなら何も考えねぇでもできるときゃできるしな。
 この辺は王様も下々もかわらねぇよ、頭と体は別々に働いてるのさ」
彼のいい振りは、ともすれば、うわさを肯定しているようにも、私には聞こえた。共通の話題である陛下のことで、急速に王女の覚えを得た彼を、苦々しく思っているものも多い。
「まったく、言いたい放題だな」
「あれじゃあ、まるで姫様が兄上離れできてないみたいな言い方じゃないか」
と言う周りの声に、私は何の態度も示さなかったが同意していた。感情が動いたのではない。これ以上ベオウルフに、憶測でも王女のことを語られたら、王女のご名誉にかかわる気がしたからだ。
 私は立ち上がった。これ以上彼にしゃべらせると危険だと、何かの虫が、私の中でうごめいた。
「ベオウルフ卿」
「だから卿はやめてくれてよ、隊長さんよ」
「それはどうでもいい。
 それよりも、先ほどの話、少し言葉が過ぎているのではないか?
 かの王女の護衛隊を預かるものとして、これ以上の発言は看過できないと判断した。
 王女と卿が浅からぬ因縁があるのは私も承知している。
 だからこそ、王女をいたわって差し上げるようなことを言うことはできないものだろうか」
ベオウルフは、私の言葉に、しばらく目を丸くしていた。しかし、すぐににやりと笑い、
「うわさなら、なおさら、ほっときゃあいい話じゃないのかい、ほら、七十五日ってやつだ」
と言った。
「そのうわさの真偽が分からないから、余計な憶測は口をしないようにと…」
私がそれに返そうとしていると、ベオウルフはニヤリとした顔のままで、
「ムキになるなよ、本音が顔に出てくるぜ。
 うわさどおりなら、一国の王が目に入れても痛くない妹だぜ、高嶺の花もいいとこだ。
 それを超える自信がないなら、今から町でも行って、たまったウサを抜くだけ抜いてきな」
周りにいたに三人が、その言葉の真意を理解したのか、軽く吹き出した。しかし、私は、こういうときは、そういう俗な言葉が分からなくてよかったと思う。
「それともなんだ?坊っちゃんよ、俺と姫さんが仲いいのがそんなにご不満か?」
「そうじゃない、私は護衛隊の隊長として
「バカタレ、本気なら、そんな大義名分なんて捨てちまえ。
そんなこと言って手ぇこまねいてると、とっちまうぜ、俺みたいなのがな」
私の中で何かが、ぷつん、と切れた。
「とるのとらぬの、モノみたいに言うな!」
気がついたら、私のこぶしは硬く握られていて、しかも、ベオウルフの片頬に食い込んでいた。ベオウルフはそれによろめいて、姿勢を直した。
「つうう」
切れた唇を押さえながら、ベオウルフがニヤリと笑った。
「みかけに因らず、たいした力だ、この少年は。
 まあいいや、そうこなくちゃ面白くねぇ」
胸の前で拳を握る。それまでそこそこに賑わしかったアグスティ城の大食堂は、しん、と静まり返った。だが、その静けさは、すぐに何かにどっと沸いた。ベオウルフの重い拳が私の顔に炸裂していた。
「一人の女を巡って男二人が拳をかわす、いい構図じゃねーか!」
私は背中のローブを取り放り投げ、服の襟を開けた。賑わしくなったのは、デューを胴元に賭けでも始まったのだろう。
「おら来い少年、女相手に本気になるやり方ってのを、教えてやる」
ベオウルフが、余裕綽々と、私に手招きをする。私はこぶしをもう一回握りなおして、そのすきだらけの胴にこぶしを叩き込んだ。


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