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ジャムカ王子は、果たして、エーディン様の説得に応じてくださり、この頃のヴェルダン王宮の不穏さについて語ってくださった。
「兄たちも父上も、サンディマの言いなりなんだ。
 突然現れて、宮廷魔導師として取り上げてほしいと言い出してきたときから、変な感じはしていたが…
 そのサンディマの言うとおりに、兄達は進出して倒され、父上も今は傀儡になった」
「兄上達二人については、申し訳ないことをした」
キュアン様がそういたわりのお言葉をかける。
「そんなことになっていたとは」
「失ってしまったものついては仕方ない。不可侵条約をこちらから破棄してしまった以上、グランベルからの報復は十分予想できたから」
「しかし、その、サンディマという魔導師が気になるな、出自などはわかるのか?」
「いや、全く」
ジャム王子はかぶりを振った。
「ただ、魔導師にしては怪しいと、俺が勝手に思っているだけなのだが…へんな魔法を使う」
「へんな魔法?」
「遠距離から、何の外傷も与えずに、生命だけを削り取る…」
しん、と、部屋が静まる。ややあって、アゼル公子が
「ヨツムンガンド…」
と仰った。
「ヨツムンガンド?」
「はい、ロプト帝国が作り出した魔法の一つです。
 先の聖戦のあと、ヨツムンガンド・フェンリル・ヘルといった『暗黒魔法』は、ほとんど処分されたと、士官学校では聞いたのですが、一部…暗黒神をあがめつつける暗黒教団には、隠され、残っている可能性が」
「暗黒教団!?」
場が、どよ、とどよめいた。
「暗黒教団に染まったものは、異端として処刑されるはずですが…」
「頼む」
ジャムカ王子が、諸膝をつかれた。
「サンディマを、ヴェルダンから排斥してくれ。命をとっても構わない。
 籠絡されていく父上の姿をこのまま見てはいられない」
「手を上げてくれ、王子」
遠くでお声がした。
「シグルド!」
「お兄様」
「バトゥ王の命はとらない。それは約束しよう。私達はヴェルダンを攻め落とすつもりは、元からなかったんだからね。
 その途中、確かめたいこともある」
シグルド様は、ご自分の椅子に座られた。キュアン様は腑抜けたようだと仰っていたが、今のシグルド様を見る限り、そんな印象は、私には感じられない。
「そのサンディマとやらは、どうせ私達がウェルダン城まで来ることを予想して、兵を配備してくるだろう。
 しかも、この先の森は、なれたものでも迷いかねない天然の要害となっている、そうだったね、ジャムカ王子」
「…ああ」
「暗黒魔法がどんなものか、お手並み拝見といこうじゃないか」

 精霊の森と言う。
「深いとは聞いたが、まさか、日の光もなかなか差さないような深さだとは」
キュアン様が木立を見上げ、呟かれた。
「シグルドの奴、はぐれやしないだろうな、自分からしんがりなんか言い出したのはいいが」
「お兄様にも、何かお考えのことがおありなんでしょ」
というエスリンさまのお声は、行き当たりばったりにも見えるシグルドさまの作戦に、少々辟易されておられるようにも見えた。
「足元に気をつけて、木の根が密集しているから」
「はい」
こういうときはむしろ歩いたほうが早そうな気がした。シャムカ王子だけは、確かに、ご自分の庭のように知り尽くしておられるようで、エーディンさまの手をとって進んでおられる。

 やっと開けた場所に出て、主だったものが集まって、地図を広げた。
「人を行かせて見たのですが…兵が展開されていますね、進みやすい海岸を来ると予想されたようです」
とオイフェが言った。
「おそらく、ヨツムンガンドの影響下に我々が入るようになっているはずだ。
 さて、どうしたものか」
キュアン様が首をひねられた。相手の所在の確認できないほどの遠距離から飛んでくる得体の知れない魔法で、あたら命をこんなところで落としたいと、言い出すものなどいるはずがない。
「心配は要らないよ」
そのときに、自らしんがりを申し出られたシグルド様が到着された。
「切り札が見つかったから」
と仰る馬の後ろに、隠れるように、ひらひらとゆれるドレスの裾が見えた。

 シグルド様が見つけてこられた女性…それがすなわちこの方の「運命の人」でもあるわけだったが…は、暗黒魔法に対して、遠距離から術者を黙らせるという杖魔法で対抗するという荒業を難なく成し遂げた。術の唱えられない魔導士など物の数ではなく、私達はヴェルダンを、暗黒魔法から救うことに成功した。
 しかし、バトゥ王については、すでにヴェルダンにはいられないと察したサンディマにより深手をおわれ、暗黒教団が再び力を得て、大陸を席巻しようと企てている由、シグルド様に示唆されて逝かれた。
 暗黒教団。すでに伝説になってしまったものが、再び台頭してきた。その理由が、私たちにはまだはかりかねた。
 追って、グランベル本国から指令が下る。ヴェルダンはグランベルの一領土とし、エバンスを本拠としてシグルド様にその管理をせよと命じたのだ。
 しかしシグルド様は、表向きそれを受けながら、実際にはエバンス一帯のみを預かると仰った。
「ジャムカ王子、形としては私の指示ということになるが、後のヴェルダンは君が治めなければならないだろう。
 私がしゃしゃり出ても、ヴェルダンが落ち着くとは到底考えられない。」
そう仰る。しかしジャムカ王子は
「その計らい、感謝します。
 しかしシグルド公子、あなたにはヴェルダンを救い、父を安らかに眠らせていただいた恩が有る。
 この弓に誓って、あなたの指揮下にありたいと思うが、それは構わないだろうか」
と仰った。
「君がそれでいいと思うなら、そうしてくれてもいい」
シグルド様は、文字通り、来るものは拒まず、その申し出を受けられた。

 シグルド様にどういう思惑がおありになっても、形として、グランベルがヴェルダン全土を制圧し、その占領下においたという、その事実は変わらない。
 それに一番敏感に反応したのは、エバンスによって地続きになったアグストリアだった。
 次はわが国か。浮き足立つアグストリア諸侯を、シグルド様にこれ以上進軍するつもりはないとノディオンの陛下は重ねて説明して回られているという。
 しかし。その混乱の中、アグストリアの諸侯を束ねる盟主が暗殺されたという。
 その後に、盟主となったのは、前の盟主の息子であるシャガール王子。これで、最もグランベルのアグストリア侵略を危惧している派閥が、かの国の中で大勢を占めたことになる。いや、ノディオン以外のすべての諸侯が、グランベルとの戦いを是とし、ノディオンが孤立したのだ。

 「シグルド様、ノディオンから急使です」
オイフェが転がるような勢いで部屋に入ってきた。書状を確認して、シグルド様の顔色が変わる。
「何てこった」
その書状を回されて、読まれたキュアン様も、つい声をあげられた。
「シャガールめ、今までの意趣返しに出たな」
 ヴェルダン侵略を命じたシャガール王に対し、ノディオンの陛下はそれを止めるよう諫言された。しかし、水と油のようにそりの合わぬ陛下に対し、シャガール王は、陛下を投獄することでその返答とした。
「ノディオンに残っているのは、あの三つ子の率いる近衛騎士団、それを指揮するのは、例の妹姫か」
「シャガールはヴェルダン侵略の前に、ノディオンの粛清を決定したのだな、例のエリオットがふたたび進軍、か」
「シグルド様、いかがしましょう、ノディオンは、援軍を要請されていますが」
「援軍に出ない理由はどこにもないよ。みんなも早速ですまないが、準備を始めてくれ。
 妹姫は、自慢話をしないエルトがクロスナイツと一緒に自慢できるもう一つの宝なんだ」
シグルド様は、これ以上の話し合いは必要ない、と仰りたいように、ぱん、とひとつ手をたたかれた。

 エバンスとノディオンの間の街道は、その途中極端に狭く、私達は進軍に難儀した。
「キュアン、エスリン、私と一緒に出てくれ。まずノディオンに行って、援軍にきたことを彼女に知らせて、それからハイラインに向かおう、エリオット隊の補給路を断つ。
 残る騎兵達は、エリオット隊をしりぞけ、その後に続くように」
シグルド様は事前にそう仰った。そしてキュアン様が、私のそばに寄られた。
「今度は騎兵が相手だ。
 騎兵は落馬さえさせてしまえば、後は兵が始末する。悩む必要はない。
 いいか、お前の相手は誰でもない、エリオット王子本人だ」
「え」
「今のお前になら、できる。奴は士官学校でも劣等生で通っていてな、ボルドー王が相当額積んで、やっと卒業したいわくつきだ。実戦経験もほとんどない。
 首をあげる必要はない。身柄を確保できれば、使い道は俺達が考える」
「は、はい」
「成功を信じてるぞ、紋章をよく見て、余計な戦闘はするなよ」
キュアン様はそう仰って、シグルド様の後を行かれるために、馬を進ませて行ってしまわれる。

 いきなり指揮官と対戦しろといわれても、私はどうしたものか、馬を進ませながら困ってしまった。
 そのうち、狭い街道が急に開け、平野の中で貴婦人のようにたたずむ城が見えた。あれがノディオン城か。しかし、その直下では、ノディオンの近衛騎士団と、エリオット王子の隊とが立てる砂埃らしきものが見えた。
「よし、いっちょもんでやるか」
レックス公子が、楽しそうにそう仰って、斧の刃の保護をはずされた。私は、エリオット王子の姿を確認するために、城を迂回して西に進もうとした。そして、大勢の騎兵達に守られてる、その姿を確認した。私は、その陰を見失わないように注視しながら、
「ハイライン王子エリオット殿下とお見受けいたします、ぜひお手合わせを!」
と声を上げた。

 結果はあっけなかった。槍の上級騎士デュークナイトの徽章が見えたから、少しはてこずるかと思っていたけど、エリオット王子はすぐに落馬され、歩兵達に捕縛された。あまりにあっけなくて、これでいいのかと思ったほどだった。
 エリオット王子が捕縛されたと聞いて、シグルド様たちは一度、ノディオン近くの露営まで戻ってこられた。
 シグルド様は、迅速な進軍を理由に、エリオット王子は処断せず、そのまま身柄を城に帰すことを決定された。身柄と交換にハイラインとの余計な戦闘を避けたいというおつもりらしい。
「で、そのエリオット王子の返還にあたっては」
と、そこでキュアン様がにやりと笑われる。そして、私をずいと一歩前に押し出して
「彼を撃破したこいつに任せよう」
「なるほど」
シグルド様も、それにあっさり同意された。
 「本当に、私でいいのですか」
と言う私に、キュアン様は
「いいか、こういうことだ。
 敵将を捕縛して、処断してしまうのは、当たり前のことだ。
 だが、お前は、処断しようとした俺やシグルドの意見に反対して、王子を生きたままにして、その交換条件としてハイラインを通ることを提案したということにする。。
 そして、撃破したお前が責任持って、身柄をハイラインを返して帰ってくると、そういう筋書きだ」
「何のために、そんな筋書きを?
 王子を無血開城の手段としてそのまま身柄をお返しすると決めたのはシグルド様ではないですか、他の方もいらっしゃってそれはご存知のはず」
「何のためって、それは、お前に箔をつけるためだ、他に何の理由がある」
「箔?」
「とにかくだ、余計なことを考えずに、行って来い。
 で、その後を楽しみにして帰って来い」
キュアン様はそう仰って、私を送り出された。

 エリオット王子をハイラインにお送りして帰ってきて、私は「城の礼拝堂に来るように」という案内を受けた。
 ほとんど人的被害のなかったこの攻防で、礼拝の必要があるのだろうか。そんなことを思いながら、礼拝堂に到着する。キュアン様とエーディン様がそこに待っておられて、
「お帰りなさい」
と、エーディン様が声をかけてくださった。そのあとキュアン様が
「さて、お前には、これから一晩この礼拝堂で過ごしてもらわなければならない」
と仰った。
「それがどういう意味か、わかるな」
「…」
意味は分かった。でも、口は開くが何の声にもならなくて、私は水から引き上げられた魚のようにぱくぱくするだけだ。
「明日、お前を正騎士に任ずる」
「光栄ですわ、こんな席に私もご一緒できるなんて」
 正直、この叙任は早すぎるのではないかとさえ思った。だからこそ、私に箔とかいう物をつける必要があるのだろうとも思った。
 深夜、一人だけしかいない礼拝堂の中で、神に向かって、私は過去におかしてきたいくばくかの罪を懺悔した。槍が人の肉に食い込むあの鈍い感覚は、一生忘れまいと思った。殺さずして敵を撃破する騎士になりたいと、心底から思った。
 翌日、正騎士の資格のある方が見守ってくださる中で、私は正騎士の叙任を受けた。
「私の言うことを、復唱してくださいませね」
法服をまとわれたエーディン様が、そう私におっしゃる。
「我はわが主君に忠実なる者なり」
「我はわが主君に忠実なる者なり」
「主君には名誉を、貴婦人には敬愛を」
「主君には名誉を、貴婦人には敬愛を」
「弱き者は守り、邪なる者は許さず」
「弱き者は守り、邪なる者は許さず」
「心・技・体を保ち、徳を求む」
「心・技・体を保ち、徳を求む」
「神よ願わくば、この志を守りたまえ」
「神よ願わくば、この志を守りたまえ」
最後に、エッダの聖印をきる。かわってすすまれたキュアン様が、お手持ちの槍で、私の肩を叩いた。
「これをもって、お前をレンスター王国騎士と任ずる。誓約にたがわず、これからも、己を磨け。いいな」
「…はい」
「さて、堅苦しい儀式はこれで終わりだ」
私を立たせ、キュアン様が相好をにわかに崩された。
「こういうことがあるだろうと思って、持ってきたんだ、お前に預ける。大切に使え」
そう仰って、手に持っていた先ほどの槍を、私の手に握らせた。私は、そのつくりをまじまじと見て、言葉を失う。この槍は…
「勇者の槍ではありませんか、私にはもったいない」
「もったいないことがあるものか。それでなきゃできない使命をお前に任せるんだから」
「使命?」
「まあなんだ、説明するより、きてもらったほうが早いかな」
 分からないままに、引きずられてきた部屋で、私を待っていたのは、レンスターから来た騎兵隊の一部と、シアルフィの騎兵隊、そして、ノディオンの聖騎士団の一部とがいた。叙任式のときにもいらしたシグルド様が少し遅れて入ってきて、
「全員そろったね」
と仰った。そして、私達の前に向き直り、
「ノディオンのものはすでに承知と思うが、王女殿下が兄王を助けられるために、この軍に加わることになった。
 貴君らは、その王女殿下の守護をして、かの方のご本懐が遂げられるための、精一杯の援護をしなければならない」
シアルフィ隊の面々が、ざわ、とざわめく。王女ご本人が従軍されるなど、にわかには信じられないようだった。ノディオン隊はすでに情報を持っているからだろうし、我々も、エスリン様の例があるから、大して驚きはしなかったが、それでも、いるところにはいたりするものだという、多少の揶揄に似たさざめきが聞こえる。
 それをシグルド様が静められて、
「じゃあ、本人に入ってもらおうかな」
と仰った。キュアン様が扉を開け、出てきた手をとられる。
 部屋が、しん、と静まった。
 入ってこられるだけで、その場の空気を一新させるだけの何かをその方は持っておられた。
 私には、まだ女性の美醜について、何も分からない。ただ、周りの顔は一様に唖然としている。ノティオン隊の者たちが比較的落ち着いた雰囲気でいるのは、おそらくは、そのお姿を見慣れているからだろう。
 とまれ王女は、揃えられた私達を、憂いの残る目でご覧になって、
「このひとたちは?」
と仰った。
「ノディオンからの部隊じゃ、まだ手の回らないところがありそうだったからね」
と、シグルド様が仰った。
「キュアンと相談して、部隊を少しずつ、君を守るように振り分けた」
「まあ」
王女は、顔を手で押さえられ、
「申し訳ありません、こんなことまでしていただけるなんて」
と仰る。
「君に何かあったら、エルトに怒られるからなぁ」
キュアン様が短く笑われた。
「まあ、こき使ってやってくれ」


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