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 結局、エバンス城を接収したが、当の目的であるはずのエーディン公女のお姿は、どこにもない。
「奥に入るしかないな」
と、シグルド様が仰った。
「ミデェールの目撃情報が確かなら、ガンドルフのいるマーファ城まで、進んでしまったほうが良いだろう。
 戦闘はなるべく避けたいが、弟キンボイスの守るジェノア城の軍勢が、そう簡単に通してくれないだろうな」
初めて見る、ヴェルダンの地図は、真ん中に大きな湖をたたえ、その周囲を森が取り囲む、神秘的で穏やかそうな雰囲気を思わせた。森と水に守られた平和そうな国が、一体どうして、不可侵条約を破棄するだなんて、そんなことを考えたのだろう?
 キュアン様との教練の間に、そんなことを考えていたとき、シグルド様の従騎士オイフェが、キュアン様を呼んだ。
「キュアン様、至急お戻りください、お客様ですよ」
キュアン様が、構えを解かれた。
「来るとは思っていたが、やっぱり来たな。
 すぐ行く。
 お前も来い」
「え?」
「いいから来い」
私は、小走りのキュアン様の後をついていきながら、オイフェに聞いた。
「お客様って、一体誰なんです?」
「アグストリア諸侯連合の、ノディオン王陛下ですよ」
オイフェが返すのを聞いて、「ああ」と私は、少し前を思い出した。
「グラーニェ様がお輿入れになった先の」
「ああ、グラーニェの旦那だ」
キュアン様が、お部屋の前で仰った。
「国王陛下だぞ、正装で来い」

 執務室に仕立てられた部屋の、椅子の一脚に、その陛下は腕と脚を組んで、静かに、お二人を待っておられた。到底、話しかけられる雰囲気ではなかった。殺気にも似た激されている感情が、びしびしと突き刺さってくるようで、私は隣のオイフェと、時々顔を見合わせて、その気迫の強さを、目で確認しあうことしかできなかった。
 シグルド様とキュアン様がほとんど同時に入ってこられると、物言わず立ち上がり、
「単刀直入に聞こう。
 お前達、このままヴェルダンを攻め落とす気か?」
と、仰る。そのお言葉にこもる気迫たるや、他のお二人の比ではない。明らかに、今回の事態に、腑に落ちないものを感じられているご様子だった。
「おいおい、折角三人そろったのに、堅苦しい話は後にしようじゃないか」
シグルド様はおおように仰るが、
「とにかく、この一点だけは、聞いておかねば気がすまない。俺のいるノディオンも、ヴェルダンとつながってるのを忘れてもらっては困る」
「そうか。
 攻め落とすつもりはないんだが…不可侵条約を無視してユングヴィに侵攻し、エーディンを連れ去ってしまった。
 彼女が、この国のどこにいるのかわからない。
 交渉の使者が、何人か言ったが、帰ってこない。
 このままでは、武力衝突を重ねることもしかたないと思っている」
「わかった。しかし、聞いた話では、お前達二人が預かっているそれぞれの部隊と、少々の加勢だそうではないか。
 出払うのか」
「多少の守備は残すが、ほとんど出払うことになるだろう」
「シグルド、あいかわらず行き当たりばったりだな」
陛下が相好を崩される。
「戦略の成績の芳しからずと教官が嘆いていたのがよく分かる」
「エルト、混ぜ返すヒマはないんだろう?」
「ああ、そうだ。
 エバンスが空同然になるのはあぶないな。
 アグストリアは太平楽の中で、イザークの件とここの件と、二つの事件を岡目八目で眺めているつもりらしいが、混乱に乗じてバカなことを考える奴の、一人二人ででもおかしくない。
 アグストリア側の国境は俺が見張っておくから、とりあえず、やるだけやって来い」
「ありがとう」
シグルド様とキュアン様は、それぞれ陛下とがっしりと手を握りあわれた。
「君ならそういってくれると思った」
「なに、見張るだけなら造作もないことだよ」
邪魔をしたな。陛下は本当にそれだけで、すぐにお帰りになるようだった。
 部屋を出る前に、オイフェと一緒に並んでお三方の話を聞いていた私の前で、陛下が立ち止まられた。
「…キュアン、この少年か? グラーニェが言っていた、最近目をかけてる部下というのは」
「ああ、まだまだ甘いところもあるが、鍛えれば化けそうに思ってな」
「なるほど」
「今から妹姫の相手探しか」
「バカを言え。グラーニェがあまり面白そうに話すから、その顔を見たかっただけだ」
「いっそシグルドに嫁がせてみるか?」
「それこそバカも休み休み言え、あんな猪突猛進にやれるか」
陛下はそう仰りながら、部屋を出て行かれた。
 私は、陛下の視線に射すくめられて…蛇に睨まれた蛙と言うのはまさにこういう状態かと思うほど…動けなかった。
「猪突猛進とは、私も大した言われようだ」
と、シグルド様が苦笑いされた。
「しかし、エルトの妹のことだが、一二度会ったが、たしかに美しい姫だよ」
「俺は奴の式以来あってはいないし、おとなしくしているところしか見てはいないが…奴の妹だしな、グラーニェとは上手くやっているらしいが、いざ嫁ぐとなったらどうだろう」
「しばらくそのつもりはなさそうらしいぞ。
 それに、私は他人に紹介されて結婚されるなんて真っ平ごめんだ」
「…頼むから、エスリンの心配のタネを増やしてくれるなよ、兄上様よ」
「わかってる」

 ノディオンに、背後については全幅の信頼を預けられて、シグルド様と一緒に南進する。
 その途中、意外な人物に遭遇した。…いや、正確には、保護した。
 接収したジェノア城の一室で、保護された二人にキュアン様が面会される。黒髪の小さな子供を、これも黒髪の、妙齢の女剣士が守るようにしている。子供の手には、似つかわしくない、曰くのありそうな剣が一振り握られていた。
「イザークの、アイラ王女と、シャナン王子だね。
 シグルドから話は聞いている。私はレンスターのキュアン。シグルドに加勢している」
「…よろしく頼む」
アイラ王女とおぼしき女性の方が、短く、それに返答した。
「つらいことかもしれないが、二三尋ねたいことがある」
「…尋問か?」
「まさか。
 仁智勇をそなえ、誠実な剣士であることを尊ぶイザークのマナナン王が、なぜ突然聖戦士にゆかりあるダーナを襲うことなど決定されたのか、そのご真意を知りたいだけだ」
「貴殿は父をご存知なのか」
アイラ王女のお顔が明らかに、何かの感情に動いた。
「直接ではないが、そのご長男のマリクル王子ともども、イザーク剣士の鑑であると私はわが父から聞かされている。
 コトをおこせば、グランベルとの戦は避けられない事態になろうことはわかっているはずなのに、何故、と思ってね」
「あれは、父上のご指示などではない。
 リボーの族長が、勝手に襲撃したのだ」
「リボー?」
「イザークの都市のひとつを任せていた、一族だ。襲撃した理由は、分からない。族長は、何の釈明もしなかった」
「しかし、グランベルには、潔白であればそのように説明をしなければならないはずだ」
「父上は、グランベルが侵攻をしてきていることを知り、そのリボーの族長を斬り、その首を持ってグランベルに釈明に出かけた。
 しかし、戻ってこなかったのだ」
「そんな…」
キュアン様が絶句された。おそらくその状況が、予想のはるか上を超えておられたからだろう。
「万一を考え、父上は兄上にバルムンクを預けられていた。
 兄上は、そのバルムンクの元に、グランベル軍との全面決戦を決意されて…」
「グランベル軍の総指揮官は、アズムール王と同じように慈悲深い賢者で知られるクルト王子のはずだ、国王自ら釈明の使者に出向いた、それなのに、和平の使者を…処断されるとは、考えられない」
「しかし、グランベル軍は実際にそれをしたのだ!」
アイラ王女の、宵闇のような瞳から、たまっていた涙があふれてくる。
「その全面決戦の前に、兄上は、このシャナンを…バルムンクと一緒に、私に託された。
 この子と神剣のあるところがイザーク、その成長と、国土の再興を見守ってほしいと…」
「バルムンクが今、シャナン王子の手にあるということは、マリクル王子も…」
キュアン様が尋ねられると、アイラ王女は、何も言わず、涙を落としながらかぶりを振られた。
「アイラ、まだかなしいの?」
シャナン王子が、そのアイラ王女を不思議そうに見ている。
「そうだったか。
 つらいことを語ってもらって、すまない、アイラ王女」
「…」
「シグルドには、話してないのかな?」
「いや…あの方には、これ以上負担をかけたくない。
 今はこうして助けられ、あの方に剣を預けはしたが、グランベルが私の敵であることは代わらない。これ以上の弱みは、見せたくないのだ。
 できればこの話も…貴殿の胸一つに収めていただければ、ありがたい」
「それがのぞみなら、そうしよう。真実は、いずれ明らかになるときが来る。
 私にできることがあれば言ってほしい、力になろう」
キュアン様はそれだけ仰って、
「戻るぞ」
と、私の前を、いささかはやい足取りであるいてゆかれた。

 そして、朗報がもたらされた。マーファにむかって、さらに南進を続けていた最中のことだった。
「エーディンがみつかった?」
シグルド様が、オイフェの報告に裏返ったような声をあげられた。
「はい。この近くの森をお歩きになっているところを…」
「え?」
「お話によれば、マーファ城に、ガンドルフ王子とともにいらっしゃった、ジャムカ王子が開放してくださったとかで…」
「だとすれば、まんざらヴェルダンも捨てたものではないな」
シグルド様が首をひねられる。
「ミデェール、ジャムカ王子と言う人物について、何か知っていることはあるか?」
というシグルド様の問いかけに、エーディン様の近衛騎士ミデェール卿は言葉少なに口を開く。
「もともとは、ガンドルフ・キンボイス両王子の甥でしたが、両親の相次ぐ早世によって、祖父であるバトゥ国王が養子となさったと。
 性格に難有る二王子に比べて比較的穏健で人望もあり、先年のヴェルダンとの不可侵条約の更新のときも、バトゥ王にともなってグランベルに来たことがあります」
「ああ、そんなこともあったね、ありがとう」
そのとき、兵士がひとり、駆け込んできた。
「エバンスより急報です!」
「どうした」
「エバンスに向かってアグストリア方面より、部隊の進出が確認されました、只今ノディオン軍と交戦状態にあり、ノディオン軍の圧倒的有利とのことです」
「へぇ、ほんとに食指動かしたバカがいたのか」
とレックス公子が感心した声を上げた。
「追って入った情報によりますと、進出した部隊はノディオンの隣国ハイライン、旗印の紋章より、嫡子エリオット王子のものだと」
「…エリオットか」
はははは、と、シグルド様とキュアン様が同時に大笑いをされた。
「これは傑作だ」
 傑作な理由も、私は聞かされるまで分からなかったわけだが、そのエリオット王子と、因縁浅からぬ身にもなるとは、神ならぬわが身にはまだ知る由もなかった。

 エーディン公女を保護して、もうこの国には用はない。
 接収したエバンス・ジェノア・マーファの三拠点についても、話し合い次第では相応の賠償で返還に応じようと、そんな話をしていたとき、例のジャムカ王子が部隊を編成し、ヴェルダン城とマーファ城の間の森を抜けてきているという情報が入った。
「おかしすぎる」
キュアン様が首を傾げられた。
「事態はもう収束したはずなのに、何故ヴェルダンはこんなに好戦的なんだ」
隣でオイフェが、
「ええ、情報によれば、どうやらバトゥ国王が、新しく雇い入れた宮廷魔術師に籠絡されてしまった模様で、グランベルが攻め込んでこないうちに先手を打つべしという進言のままに、今回のユングヴィ侵攻を決定されたようで。
 そのうえ、我々がここまで進軍してしまったとなると、いよいよ危機感をあおられてしまったのでしょう」
「宮廷魔術師に? 胡散臭い話だな」
「僕もそう思います。ご老齢でついそういうものに頼りたくなったのだと思いたいのですが、今までに聞くバトゥ王の言動からして、そこまで心弱い方になったとは考えにくくて」
「ジャムカ王子も、決してご本心からの進軍ではないと思いますの」
と、エーディン様が仰った。
「バトゥ王と兄上達のやり方に疑問を感じておられても、王は裏切ることはできないと、私を逃がしてくださるときにそう仰ったのを、私聞きましたわ、神かけてうそ偽りはありません」
「で、シグルドはそれに対してどう対処するつもりなんだ。
 話によれば、ジャムカ王子は名うての弓使いだそうじゃないか、自分の家の庭のような森の中で乱戦になったら、怪我人だけじゃすまんぞ」
キュアン様が仰ると、オイフェは実に言いにくそうに
「はい、そのシグルド様のことなのですが…」
と改まった。
「エスリン様にお聞きになるほうが、早いと思われます」
「エスリンに?」
キュアン様が顔向けられた先には、エーディン様のおとなりのエスリン様がおられる。キュアン様に尋ねられて、
「ああ、兄上のことね」
と、エスリン様は苦りきった声を上げられた。
「城下町でねぇ…あったらしいのよ、『運命の出会い』が」
「こんなときにか」
「ええ、もう、ほんとに、何を考えてるのか…」
シグルド様ご本人は、ご自分のお部屋で、何も手もつかないご様子らしい。エーディン様は、シグルド様の「運命の人」について、何かご存知のようだった。
「ほんとうに、お綺麗な方ですのよ。銀色の髪にすみれ色の瞳がとても可憐で、まるで森の中でひっそり咲いた花のよう」
「それはいいんだが…
 指揮官に士気なしはどうしようもないな」
キュアン様が処置なし、と言いたそうに肩をすくめられた。
「しょうがない、森の手前ぎりぎりまでひきつけて、相手のツボにはまらないように戦うよりないだろう。
 指揮官はいないと士気にかかわるから、とりあえず、馬に乗せて立たせとけ」
「そのことなのですが、キュアン様」
エーディン様が向き直られた。
「もしかしたら、ジャムカ様を説得できるかも知れません、私」
「戦場の真ん中でか?」
「ジャムカ様はこの戦いに必要性を感じていらっしゃらないのは明らかですもの。
 誠意を持ってお話すれば、最悪でも、私達を攻撃することをやめて、バトゥ王との話し合いのための架け橋になってくださるかもしれません」
「そうだな… やってみないとわからないな。
 でもエーディン殿、無茶だけはなさらないでほしい。君を助けに来たのにここで何かあったら、元の木阿弥だからな」
「はい」


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