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 そのうち、僕の教練に、馬と槍の練習と合わせて、地図を使った机上の演習が加わった。
「お前は、俺と、アルテナの、二代にわたってがんばってもらわなくてはいけないからな」
と言うのが、アルテナ様をもうけられてからのキュアン様の口癖だった。
 キュアン様の側近には、主だったところではドリアス卿、そして、ゼーベイア卿がおられる。このお二方は、逆に陛下から、キュアン様をお育てするように託された方々で、そのキュアン様に育てられた僕は、ゆくゆくはアルテナ様をお育てするのだ。僕の立場の重さと言うものを、このごろはひしひしと感じる。

 「知っていてもいい話だろうから、お前には話しておこう。だが、これはあまり喜ばしい話ではないから、ここだけの話にする」
ある日キュアン様が、机上の演習を一段落なされてから仰った。
「イード砂漠に有る自由都市ダーナは、二百年に及ぶロプト帝国の支配に抵抗した自由解放軍の選ばれた戦士達に、十二の神器が下された奇跡を伝えている。
 それは知っているな」
「はい」
「そのダーナに、突然イザーク王国が侵攻し、住民を虐殺したという知らせが入った」
「え?」
僕は、思わず顔を上げた。
「何かの間違いではないのですか? イザーク王国は、理由もなく武力行使などする国ではないと、キュアン様は以前仰っておられましたよね」
「ああ。父上は個人的に、かの国の国王と王子と友誼を通じている。その人となりもよくご存知だ。全く、何かの間違いとしか言いようがない」
キュアン様が、いらだつように、指の先で机を鳴らされる音が、しんとした部屋に響く。
「そのイザーク王国に対して、グランベル王国が粛清を決定した。ダーナの街は、グランベルのみならず、すべての神器を預かる国にとって聖地も同然だ。
 そして、なぜかグランベルはイザークを、神剣バルムンクを預かる聖戦士の末裔であるのに「東の蛮族」と見下している。
 それはそれとしてだ。今グランベルは、王太子を総指揮官とした制圧軍を形成し、イザークと交戦する気満々らしい。各公爵家に有る精鋭騎士団を集めて北上中だ」
「ということは、グランベル国内は、軍事力に関してはほとんど空、ということになりますね」
と僕が言うと、キュアン様はうなずかれた。
「大分頭が回るようになったな。
 グランベルは、アグストリアとヴェルダンとの間にそれぞれ交わした不可侵条約を頼みにして空にしたのだ。
 この状態で何かあったら、おそらく、各公爵家の残存兵力では太刀打ちできない状況にもなりかねない」
あとはもう、大体分かった。いざとなれば、レンスターが、エスリン様のご縁で動くことにもなるかもしれないということだ。
「ランスリッターを用意されるのですか?」
と伺うと、
「いや、ランスリッターを持ち出したら、今度はこっちが空き巣扱いされる。地槍ゲイボルグをもって、マンスター地方を不文律的にまとめているレンスターが、ゲイボルグに並ぶ兵器を持ち出すのは、遠征中の各公爵家の心象も悪かろう。
 特別に部隊を編成する。ランスリッター予備軍、あるいは正規軍入り待ちの騎兵の若いのあたりかな。
 もちろん、そんなことがないことを祈っているが」
キュアン様はそこまで仰って、ひとつ大きなため息をつかれた。
「もしそういうことになったら、お前も一緒に来るんだ」
「僕が、ですか」
「そうだ、『僕』もだ。ドリアスやゼーベイアには、逆に俺がいないときに正規軍をまとめてもらわないといけないしな」
僕の泡を食った言葉を、軽く混ぜ返されて、
「いつまでも机上の演習では身につくまい。実戦にまさる教練なし、だ」
いままで、トラキア軍との衝突があるたびに、キュアン様は出陣されるが、僕はあぶないからと城に残されていたのだ。それが物足りなくなっていたところにこのお言葉があって、僕は不謹慎にも、そういう事態があったら僕も実戦に出られるんだという高揚感に包まれていた。
「僕がどこまでできるかわかりませんが、キュアン様の邪魔はいたしませんから」
「邪魔になんて思わないよ。部隊を持って動かすことも、少しずつ覚えたほうがいい。
 時にお前、いくつだ」
「はい、十六になりました」
「もう四年か。母上からお前を預かって早いのか遅いのか」
キュアン様はまた息をつかれた。
 その、すぐ後だった。
「キュアン、大変!」
エスリン様が飛び込んでこられる。キュアンさまはその剣幕に顔を少しゆるませて、
「君の大変、はあまりあてにならないが、どうした?」
「さしものあなたも今度はあわてるわよ。
 今、シアルフィから急ぎの知らせがあって」
ここまで走ってこられたのか、肩で息をされるエスリンさまをいたわるように歩み寄り、持っておられた小さな文面を、キュアン様はじっと見られた。
「編成を急ぐ必要があるな。出発も一両日の間にしないと、間に合わないかもしれない」
と、神妙に仰る。
「どうか、されたのですか」
と伺うと、
「案の定だよ、空き巣だ」
キュアン様は仰った。

 レンスターを離れることになった。しかも、そう遅くならないうちに。
「突然なんだなぁ」
と、グレイドが言った。
「ああ。事態は一刻を争うらしい」
「話は大体ドリアス卿から伺っていたけど、部隊まで出すなんて、よほどなことだな」
「でも、あくまでもご友誼だから、ランスリッターは出せない」
「グランベルの政局は二分化されてるからなぁ、ランスリッターが出てきたら、シアルフィ公が痛くもない腹を探られるんだろうしな」
「そういうことなんだ。
 実は僕にも、あまり時間がない。遠征の準備もしなくちゃいけないし、ご挨拶にいくところが残ってる」
僕が言うと、グレイドはいやにしんみりと
「真っ先に俺のところに来てくれたのか」
と言った。
「ああ。君に挨拶できないのが、一番気になったから。
 あまり人付き合いのうまくない僕にも、辛抱して付き合ってくれたし」
「参ったなぁ、そう言われると、もう会えないような感じに聞こえるじゃないか」
グレイドは、引きつった笑いをした。
「偉くなって帰ってくる、ぐらい言ってみろ。
 俺の心配はするな、俺は俺で、宮廷の荒波にもまれて一旗あげるしさ」
「そうだな。せめて、正騎士の資格が認められるぐらいにはなりたいよ」
「お前、夢小さいなぁ」
グレイドが、僕の頭をわきに抱えて、がくがくとゆすった
「うわわわ」
「どうせなるならデュークナイトとか、大陸一の美女を連れて帰るとか、はったりでもいいからそういうこと言えよ」
腕から開放されて、僕の視界がぐらぐら揺れる。
「とにかく」
その僕に、グレイドは神妙に言った。
「生きて帰ってきてくれないと、土産話も聞けないわけだから、命と体は大事にしてくれよ」
「…わかった」

 アルフィオナ様にもご挨拶を、と取次を頼んだら、「挨拶より遠征の準備を優先させなさい」の一言で終わってしまった。
「分かりました。帰還のときには改めてご挨拶に参りますと、お伝えください」
僕はそういって、アルフィオナ様のお部屋の前を去ろうとした。
 帰る道で、いつかのあの子に出会ったけど、彼女は、僕を知らない顔で通り過ぎて、誰か、一緒に遠征に行く騎兵に呼びかけられて、小走りにそのほうに走っていった。
 いつかの僕の態度は冷たすぎたのかな、そんなことを思ったけれども、延性の準備に追われて、そんなことも考えなくなった。

 特別に編成された部隊は、数十騎ほどだった。これが、できるだけ早く、シアルフィからの救援に対応できるぎりぎりの人数らしい。
 メルゲン近くの港から船が出る。グランベルとミレトスの間の海を船で走ったほうが、ずっと速く移動できるのだそうだ。
「今のうちに、状況を説明しておこうか」
船の中で何個かの小部隊に分けられ、部隊長が呼ばれた。僕は、キュアン様の直下の従騎士隊に回された。周りは、僕よりずっと槍捌きが上手い騎兵達ばかりで、正直、少し気後れさえしている。
 僕達の前で、キュアン様は地図を広げられた。
「エスリンが受け取った情報によると、グランベルの南西に接する同盟国であったヴェルダン王国が、国境を接するユングヴィ公領に侵攻し、留守部隊を預かっていたエーディン公女を拉致した。その急報を受けて、隣接するシアルフィを守るシグルドが、侵攻しているヴェルダン軍を排斥するため、ユングヴィに向けて兵を進めている途中だ。
 しかし、シアルフィの兵力も、お世辞にも完全とはいえない。精鋭騎士団のグリューンリッターは現在イザークで交戦中、残っているのはその予備隊と、シグルド直下の騎兵隊だけだ。
 我々は、シアルフィに到着しだい、シアルフィ城の守備と、シグルド隊の援護をする」

 役割を分けられ、解散を告げられて、部隊長達は部隊に同じことを伝えようと帰ってゆく。
「大丈夫か、体が震えてるぞ」
地図をたたまれながら、キュアンさまがお声をかけてくださる。いわれてみれば、手足が、なんだか自分のものじゃないような、浮いているような心持ちだ。
「たぶん、大丈夫だと思います」
「いきなり実戦だからな。俺も少々手荒かと思ったが、何、お前ならすぐ慣れる」
「…穂先を保護していない、本物の槍で戦うのですよね」
「そうだ」
つまり、人を傷つけなきゃいけないってことだ。最悪、その人の命を絶ってしまうんだ。そう思い始めると、体の震えがますますひどくなってくるような気がする。
「キュアン様」
「何だね」
「僕は、人を殺さなければならないのですか」
「…最悪な」
「怖い、ですね」
「その怖さを、乗り越えてくれ。
 俺も、初めてトラキアの竜騎士と戦うときに、同じことを思った」
「どうしたら、乗り越えられますか」
「俺の場合は、いつの間にか吹っ切れた」
「僕は…」
「実際に経験していないうちから弱音吐くのはやめろ。お前はいつも、先回りして最悪の事態を考える。
 その慎重さは必要だが、度が過ぎるとただの臆病者だ」
キュアン様は、僕の言葉をそれ以上、お聞きにならないようだった。
「休んでおけ。船旅は、長いようで短いぞ」
「…はい」
「それから」
「何でしょう」
「もう十六なんだ、そろそろ『僕』は卒業しろ」

 シアルフィに近い港で船から下りると、もうすぐに、シアルフィの城が見えた。
「懐かしいな、士官学校が長い休みに入ると、よく遊びに来たもんだが」
キュアン様は一見のんきそうに仰って、
「部隊の役割わけはわかっているな? 守備に回るものは直接シアルフィ城に入れ。
 援護隊は、俺の後をついて来い」
すぐに厳しいお顔で、馬を回頭された。
「シグルドがどこまで進んだか、現況は全くわからん。
 合流できるまで、ヴェルダン兵を各自撃破しつつ、西に走れ」
僕…いや、私は、ヴェルダン兵の影を探すように、視線を左右させながらその後に続いていた。乗り手の感情が伝わっているのだろうか、サブリナの機嫌もよくない。
 周りは開けた海沿いの街道で、敵の姿はほとんどない。蹄の音がして、エスリン様が横に馬を並べられた。
「大丈夫。殺すだけが実戦じゃないわ。
 殺すより難しいけれども、命はそのままに戦闘力をそぐ方法は、ちゃんとあるはずよ。
 キュアンはあなたに経験をつんでほしいから、それを教えないだけ」
そう仰る。
「あなたになら、できるわよ」
 エスリン様はああ仰った。でも、私は、出くわしたヴェルダン兵との戦闘で、ただ槍を振り回すことしかできなかった。断末魔の声が耳を焼いて、私の槍の穂先が血に濡れ光る。
「慣れたか?」
と、尋ねてこられるキュアン様だが、私はそれに返す言葉もなくて、ただかぶりを振るだけだった。
「まあいい、そのうち、体が自然に慣れる」
戦場でのキュアン様は、非情にも見えるほど冷静だった。
「槍は、柄を斧にへし折られたら終わりだ。距離をとれ」
それだけ仰って、また別のヴェルダン兵部隊の中に踊りこんでゆく。僕は、その後に続こうとして、一度馬を止めた。
 倒れて、動かなくて、もう別の何かになってしまったヴェルダン兵達に、エッダの聖印をきった。せめて天にて、やすらかにあれと。

 何度か、休憩と露営をして、私達はやっと、シグルド様の部隊との合流に成功した。
「遅くなってすまない」
と仰るキュアン様に、
「いや、突然の救援の養成に、こんなに速く対応してくれるなんて、さすがキュアンだ」
とシグルド様は、手放しで仰った。
「エスリンにも大変な思いをさせるね。アルテナが小さいのに」
「グリューンリッターのいないシアルフィで、お兄様が指揮官なんて話を聞いたら、来ずにはいられませんでした」
エスリンさまは、きぱきぱと仰る。
「とっぴな行動はなさらないでくださいね。今は非常時ですから仕方がありませんけれども」
「分かっているよ、私にもそれなりに自制心は有る」
その勢いに、シグルド様はたじたじのご様子だった。レンスターではおとなしやかなエスリン様の、これが本当のお姿なのだろうか。だとしたら、女性というものは、…不思議としか言いようがない。
「ただ、急いでいたから、正規兵は連れてこられなかった。それだけは勘弁してほしい」
「なに、ヴェルダン兵の先鋒は、ほとんど系統だった動きをしていない。もし若いのをつれてきたのだったら、実戦の経験にはちょうどいいぐらいだろう」
シグルド様は、キュアン様の後ろの私達をちらりと見て仰った。
「国境になるエバンス川の端が落とされて、川の向こうにはいけなくなっている。その間に、ヴェルダン兵に襲われた村の救済をさせている途中だ」
「お兄様、そんな悠長なことを仰って… エーディン様はどうなさったの?」
「同時に捜索させているよ。でも、芳しい返事は返ってこない。おそらく、すでにヴェルダン側に身柄を移されたな」
「おそらくじゃなくて絶対そうですってば」
全く、のんきなんだから。エスリン様はつくづくあきれた様子で仰った。

 私は、従騎士隊の中で、一人だけ浮いてる気がした。
 みんな、ここに来るまでに、ヴェルダン兵を何人倒したとか、そんな話を飄々とやっている。でも、私は、まだそれができる気分では到底なく、天幕の端で、ぽつんと、その話を聞いているだけだった。
 その私の肩を、天幕の下から伸びた手がぽん、と叩く。
「!」
「俺だ」
「キュアン様」
「こっちの天幕に来い。そのほうが良いだろう」
 シグルド様の天幕だった。キュアン様の後を、隠れるように入ってきた私に、
「新進気鋭の従騎士様のお出ましだね」
と、シグルド様の声がかかる。よく見れば、エスリン様もいらっしゃるし、昼間お目にかかった、グランベルの方々のお顔もある。
「まあ、ここまでをずっと見てきたけど、こいつが一番見込みがありそうかな」
と、キュアン様は、昼間とは違った相好を崩されたご様子で仰った。その言葉に、私は思わず
「本当ですか?」
と聞き返していた。
「俺が今までに嘘を言ったか?」
と聞き返されて、私はかぶりを振る。
「お前は十分にスジがあるよ。だが、慢心もするなよ。本当に『吹っ切れた』時が、一番あぶない」
「はい」
私を座らせ、改めて、天幕の中の方々を紹介されて、私は別の意味で背筋が寒くなった。グランベルの公子様たちが、ご友誼で援軍に来られているのだ。
「ご友誼、ねぇ、聞こえはいいけど」
と、ご紹介くださった中の、レックス公子が笑いながら仰る。
「超個人的感情につき合わされてるだけだぜ」
「レックス、それは人前では言わないって」
と、隣のアゼル公子が顔色を変えられた。
「?」
私がそのご真意をはかりかねていると、
「この、アゼルの奴は…」
とレックス公子はいかにもそれを聞かせるのが楽しそうに何かを仰ろうとした。だがすぐ、
「わ、わ、わああっ」
という、アゼル公子の声に消されて、私には、その後何を仰ったのか分からなかった。
「…邪魔するなよ」
「レックス、頼むから、人の感情をおもちゃにしないでくれ。
 今度やったら、友達の縁を切るからな」
アゼル公子は半分涙目で仰る。よほど人に聞かせたくない何かがあるのだろう。だから私は、聞こえなかった部分は聞こえないままで、それ以上聞こうとは思わなかった。シグルド様は、お二人のやり取りを、実に楽しそうにごらんになっていた。

 私は、この天幕の中でも、やっぱり浮いているような気がしてならなかった。誰彼という高貴な方の中で、一人従騎士である自分はやっぱり不釣合いだ。でも、キュアン様は、
「いいか、従騎士隊のほかのやつらと違って、お前はそのうちここに、俺と並んで堂々と座るんだ。ドリアスやゼーベイアと同じようにな」
私に小声で仰った。
「彼らの、戦闘経験や人生経験は、これからも俺の助けになるだろうが、騎士としての実力は、盛りを過ぎている。
 お前は戦場で俺の背中を守れる男に、なってくれ」
「は、はい」


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