レンスターに来て最初の夜を、私・いえ私達は「勇者の槍」亭で迎えていた。騎兵達が気を利かせて、少し豪華な夕食で私を迎えてくれた。
 先の衝突で命を失った仲間にエッダの祈りを捧げたあとは、あふれる陽光のもたらした恵みに心から酔う。彼はずいぶん酒が進むようになったようだ。そして、様々に話の尽きた跡は、騎兵達が、ともすれば私達のみっともない場面(彼がそういうことのまったく得意でないことも承知の上である)を見ようと画策したようだ。言葉の分からない私には、その気配しか察することしかできなかったが、女将は見とがめたらしく、やんわりと騎兵達を追い出す準備を始める。すると彼も立ち上がってしまった。
「王女、では私も一度城に戻ります。女将さん、ご迷惑をおかけしました』
すると、女将は『隊長さんまで追い出したいわけじゃないよ』というような声をあげた。
『もう少しゆっしりしなさいな。お疲れでしょうに』
『いえ、トラキアはああしながらこちらの様子を毎日のように偵察して、契機を狙っているのです。気は抜けません』
『はるばるアグストリアのお方が逢いに来たのに』
『…』
『やれやれ、どこまで真面目一辺倒なのやら』
女将は、レンスター語で、出て行きかける彼に大声で何かを言う。そこそこに込んでいる店内はどっと笑いに包まれた。彼はあまり気の進んでいなさそうな顔をした。彼の薄い表情から察するに、店内の客にもわかる様に、それらしい別れをしろということらしい。
「では王女。おそれながらお迎えに上がるのはもう少し先になります。…このたびのような無茶はもうなさいませんように」
「どうかしら。トルバドールもいないのに」
「司祭がおります」
戸口で騎兵が隊長をせかす。
「ちょっと待って」
私は、食事中から開きっぱなしになっていた彼の襟を閉じ、セイヨン(マント)のしわを整えた。
「ご武運を」
かつて出陣する兄に言うように、私は彼に言った。彼は、私の手をとり、その甲に口づける。社交界では挨拶同然の何でもない行為だが、それが、いまここで彼に出来る精一杯の「表現」であることはわかる気がした。
 それでも、「勇者の槍」亭の客には、十分な余興にはなったらしい。

 翌々日には当局の非常宣言は解除される。その間私は「勇者の槍」亭の宿で休息をとった。
 当局からの制限解除を受けて、沖で停泊していたらしい船が何隻も入港して、「勇者の槍」亭も活気を取り戻していた。女将も八面六臂の忙しさだったが、見かねて手伝うにも彼女らにはそれを言う隙もない。
 それでも女将は私をずいぶん気づかってくれた。その朝も、朝食の片づけを眺めていると、
「姫様、町に出ておいでよ。見物したかったんでしょ?」
と言う。
「お城の前には市が立っているよ」
「あの、でも」
平和な町を見たいという食指がふと動いたが、何となくそこを離れがたかった。虫の知らせ、とでもいうのだろうか、酒場のカウンターに張り付いていなければらならないような気がしてならなかったのだ。女将は私のそぶりを見て
「隊長さんをおまちなら、入れ違いになってもいいように伝言を聞いておこうかね?」
と言う。私はそれにうなずいて、女将から紙とペンを借り受けようとした時、入口の開く音がした。振り向くと、彼がいる。
『隊長さん、いいとこにおいでなさった』
『いいところ?』
『この方が町を御覧になるってよ。町に出たいんだろ?」
聞かれて、ついうなずく。彼は一瞬、なにやらとても複雑な顔をしたが、すぐにいつもの顔にもどり、私に向って手を差し出した。
「お一人では危険です。お供しましょう。…女将さん』
そのあと彼は女将に何か言ったが、女将は何か言い返して、彼は困った顔をした。
「どうしたの」
「いえ、なにも」
彼は教えてくれなかった。出ようとすると、女将が
「隊長さんに、明日まで帰ってこなくていいよって、つたえておくれね。それだけ言えば分かるよ」
と、言った。

 「…って、女将さんが言ってたの」
と言うと、彼は実に困った顔をした。
「なにか、あったの? あのお店に来たのは」
「ええ、…あの店にリーフ様をお預けしているものですから」
非常事態ごとにそうしていると言うことだ。あの女将は、数年前までレンスターの城に仕えていて、城にも顔見知りが多い。何より、木を隠すには森、ということなのかもしれない。
「リーフ様が最後の直系王族だものね」
「あの方に万一のことがあれば、ノヴァの血が絶えてしまうということも、あります。ですが、あの方達の遺児を失うとということのほうが、私には恐ろしい。
 私は私の、リーフ様の傅育という職掌のために、主君の死に目に遭うことも出来なかった。その不忠を、長じてからリーフ様に叱っていただくのです」
「…」
そういう彼の横顔は、疲れているように見えた。そのために自分は生かされていると、彼はそう思っている。私は…その為に離ればなれになったんだもの。ちゃんと分かろうとしたもの。責めることなんてしたくない。
「思い詰めないで。…先は長いんだから」
そう言うだけにしておいた。この思いを私が支えてあげなければいけないのだし。
「で、女将さんには、なんて言われたの」
「リーフ様をお迎えに上がったのですが…」
彼は言葉をいいさして、難しい顔をする。
「ですが?」
「『ここまで来て恋人放っておく馬鹿がどこにいる』と言われました」
「ま」
「『王子はここでしっかり預かってあげるから、明日の朝までゆっくりしろ』とも」
自分の顔が紅潮していくのが、自分でわかった。この女将は察しがよく、言葉に飾りないだけに、彼女の思惑そのままが私につき刺さるようだ。
「…」
ついかえす言葉を見失った私を、彼は相変わらず難しい顔で見ている。しかし、すぐ私の手を改めて取り直し、
「参りましょう」
と、私の前に立った。

 彼は、数日ぶりの平穏に賑わいを新しくする町の中を、慣れたようにすいすいと進む。私は、彼のセイヨンの端を握りながら、半分小走りになって、人ごみの中を進んでいた。
 何となく息があがってきた感じがして、
「ねえ、もう少しゆっくり歩いて。それに、どこに連れてゆくの?」
ととがめるような言葉になる。彼はぴたっと立ち止まって、私の視線を、指で上の方に導いた。
「こちらです」
と、指差された先には尖塔が立つ。エッダ教の印が輝いている。
「教会?」
今日は安息日ではないはず。しかし、教会はいつも解放されているらしく、扉がわずかに開いていた。
 中に入ると、祭壇の前に人のよさそうな司祭がいて、私達を招いていた。

 司祭は、前に出てきた私を見て、
「おやおやこれは」
と声をあげた。
「隊長殿も木石ならず、というところですか。うわさに違わず、薔薇のようにお美しい」
「司祭殿、今は冗談につき合う余裕は私にはありません」
「まあ、落ち着きなさい」
いつになく焦る様子の滲む彼を、司祭は鷹揚にたしなめて、二人の間の会話の意図がつかめない私にこう言った。
「隊長殿からあらかたのお話を伺っております。
 御家族に様々あったことは、神の御名の元、あなた方に与えられた、天国への試練です」
「有り難うございます司祭様」
「さて、本題に入りましょう。
 私達レンスター留守部隊は、貴女を隊長夫人として、しかるべく遇したく思っています。ところが隊長殿からお話を伺った限りでは、なにもそれらしいお披露目もないとか。
 そこで、先夜急遽留守部隊から有志を募り、その準備をすすめたのですよ。
 私達の好意を受け取っていただけますか」
「え?」
「そのことなのだが、司祭殿」
司祭の言葉を最後まで理解する間に、彼はこんなことを言う。
「司祭殿はそうおっしゃられるが、私にはやはり…」
まだ、彼と私の間には、絶対にこえられない何かの壁があるのだろうか? 戸惑いを含んだ、彼の難しい顔が、心無しか紅潮して見える。
「だめですよ、隊長殿」
そして司祭は、その態度が何から及び腰に見えたのだろう、穏やかだが有無を言わせない返答をした。
「…つねづね殿下がおっしゃっておられましたが、貴方はつくづく女性の心と言うものに疎くておられるようだ。
 すべての女性がそうとは、必ずしも言えませんが、隊長殿、まがうことなくこの方は貴方の妻になられることを望んでおられるはずですよ。
 たしかに、その出自を辿れば、血筋も高貴で、見目もお麗しい。だからといって、隊長殿がはばかる理由なんて、今や一つもないはずです」
そうでしょう? 司祭は私に顔を向けた。私は、その言葉に、正直に答えた。その言葉は、私の思っていることと、ほとんど一致していたからだ。
「司祭様」
つい膝をついていた。
「私はもう、王女ではありません。兄は誅殺され、後継者も絶えました。ノディオンは崩壊しました。存在しない国の王女の称号は、もう何の役にも立たないと思うのです。
 私は、王女ではなく、この人の妻でいたいと思います。この人と、イザークに残してきたデルムッド…何もかも失い、捨てた私に、二人だけ残った大事な人なんです」
「王女」
彼は困ったような声をあげた
「言ったでしょう、私は王女ではないの」
司祭が鷹揚に頷いた。
「結婚は家とするものじゃないですよ、隊長。お子さんもおありなのでしょう? 腹括りなさいよ」
「司祭殿!」
「人間は元来貴賎などない。まして愛の道には、貴賎なく、国もない。
 迷える人、あなたは偉大なる使命の途上にある。その方こそ、手に手をとりその使命を共に歩むべしと神が配したまうたのです。
 隊長どのは、天も嘉するこの御采配に背かれると」
「…」
彼は本当に困っていた。でも、本当の所は、にじみ出て私を包むようだった。私を見た。
「ほんとうに、よろしいのですか?」
「そんな顔しないで。私達悪いことしてるわけではないはずよ。それに、私、このためにここに来たようなものよ」
「では、かたじけなくも、王女ご降嫁の栄誉を賜わったと思い上がらせていただきます」
彼には精一杯の譲歩だったようだ。それでもよかった。

 指輪もドレスも祝福の声もなかったけれど、聖典が読み上げられて、私達は永遠を誓った。
 でもそのあと、市で見た私達を尾行して、とうとうなだれ込んできた騎兵達にその静寂を打ち破られるということまでは想像していなかった。

 成りゆきのまま、レンスターの城へと足をすすめることになる。城では有志とかいう数人のメイドが私達を待ち構えていて、背中をおすように一つの部屋に通された。
「ここはどこ?」
見回す私に、彼の背中が答える。
「私が使っていた部屋です」
「あら」
「その話はいずれいたしましよう。今は使っておりません」
聞けば、今は別棟で、騎兵と一緒に寝起きしているらしい。
「今の私には勿体無いばかりの場所ですから」
彼はいい、カーテンを開けて日の光を部屋の中一杯にした後、私に向って膝をついた。
「ねぇ、ちょっと…」
「いろいろと回りのものがご迷惑をおかけして、申し訳もございません。どうぞお叱りは、私一人に」
彼はそう言い頭すら下げた。でも私は、怒る気などさらさらなかった。
「怒ることなんて、何もないわ。…こんなに笑った数日なんて、ひさしぶりよ。
 私が想像していた通りだったわ。レンスターの町は、本当に明るくて」
「…有り難うございます。
 いずれ、相応しい所に部屋を用意いたしますので…これよりは、このレンスターの城が、王女をお守りいたします」
「…ねえ」
「はい」
「そろそろ、『王女』は…」
試しにそう言ってみた。すると彼は立ち上がり、ハッキリときっぱりと
「そういうわけには参りません」
と返答してきた。
「そう」
呼び方については、私は、慣れるかあきらめるより他はないようだった。これ以上言い合って、双方気を悪くしては、何だか損な気がする。