リボーの町で、闘技場の飛び入りにすごいのが来た、という噂を聞いたかと思えば、賞金を重そうにぶらさげてホリンが帰ってきた。賞金については、
「これはもののついでだ」
と彼はいい、ついで、
「シャナン王子達は、この国の北の、ティルナノグという村にいるそうだ」
といった。その話しの持って行き方があまりに唐突だったので、私は一瞬ついて行けなかった。返事のない私に怪訝そうな顔をして、彼は同じことをまた言い、
「デルムッドに会いたいか?」
と聞いた。
 商売をしながらの旅は思ったよりゆっくりだった。もう言葉ははなせるか、もう歩けるのか、今まで見てきた、周りの小さな子供達の事を考えてから、私の知らないところで、デルムッドはいったい、どんなになっているだろうかと、考えた。
「会うつもりがなくて、このまま君だけレンスターに向かうのなら、そうしてもいい」
忘れかけていたものが戻り始めていた。デルムッドに対する一抹の罪な気持ちが、つい口になる。
「…大きくなったでしょうね」
「決まりだな」
私が何かを言う前に、彼は言って、淡く笑んだ。

 「一度商隊を離れて、俺たちだけでティルナノグに入るべきだとおもうのだ。本拠のイザーク城下は避けて、すぐ北のソファラで東に山を迂回することになる」
ホリンは、借り受けた地図を、言った通りの線にあわせてぐるりとなぞる。
「それでもいいと私は思うわよ。でも二人は大丈夫?」
エーディンは先日娘を生んだ。レスターの時も思ったのだが、彼女はますます母親を縮めたようだった(本当にジャムカの子供なのだろうか? そんなことをいったらデルムッドもあまり、彼に似てるとは言い難いのだが)。ブリギッドのほうがそろそろ動きにくくなり、どんどん腕白になってくるファバルをもてあましている事態だ。
「それなんだ」
ホリンは少し困った顔をした。
「だが、主に頼りっぱなしというわけにもいくまいに」
「とんでもない。俺はちっとも悪いとは思ってやおりませんぜ、旦那」
いつの間にか主がいた。
「一応俺にもニョーボコドモがおりますんで。注意しなきゃならないことは一応わきまえてはおりまさ。それに、姉御のお妹さんがお産だってんで長居しましたがね、そろそろたつつもりでおりますよ、はい」
「そうか… すまない」
ホリンは頭を下げた。自分は用心棒として雇われる身分なのだから敬意を払うということらしいが、主はかえってそういうのがいやな様だった。
「なに言ってなさるんですか、姉御の旦那なら、俺にとっても主筋、気づかいはなしにしてもらいましょ」
主はあっさり言った。
「イザークを避けてソファラ回りでね、はいはい承知しましたとも」

 道々の人から話を聞くと、ティルナノグは、イザークでもなかば秘境といった場所にあるそうだ。その言葉の通りに、街道は細く人通りは少なく、最後の町から小一時間も山に近付いた、森を切り開いたような村だった。
 その村でもはずれの方になるさらに山に近く、山小屋と言うには大きい家が一件、私達を出迎えた。
 私達が突然訪れたことに、オイフェは尋常な驚きようではなかった。リューベックで別れた頃より一層騎士らしくなって、でもその回りには彼の膝ほどの子供がわらわらと群がっている。
「それでは、バーハラ当局の捜索などにはまだ遭っておられないのですね、皆様」
片手で子供をあやしながら、片手で私達を接待する。
「…なんだか宿の女将みたいだな」
ホリンが真顔で冗談を言った。オイフェはそれを真面目に受けた。
「いえ、万が一のことを考えて、素性の不審な者とはかかわらないようにしております。幸い、この村にはまだ当局の手は伸びてはおりませんが」
「あなた以外には誰もいないの?」
エーディンがそれを助けながら聞く。
「おりますが、いま村に買い出しに。シャナンは修行といって、森に入りました。」
「子供達を見ていい?」
と聞くと、オイフェは実にこともなげにこう言った。
「どうぞ、裏庭で遊んでいるはずです」
子供達は、数人の無名の騎士にまもられながら、庭の木陰の柔らかい草の上で思い思いに時間をすごしている。
 私は、駆け出すようにして、その姿を探していた。そして、見つけた。小さなデルムッドは、ちょうど今、うたた寝から起きた所か、眠そうに顔を擦っていた。
 私が手放した時、この子は私の腕の中で、自分で動くことすらできなかった。
 自分を抱き上げた私を、吃驚した顔で見た。その瞳の青の、懐かしく鮮やかなこと!
 手放した宝物にまたであったとは、こんな心持ちであろうか、突然の「見知らぬ人」に、ややおびえたような声をあげるデルムッドを、私はしばらく抱き締めてはなせなかった。

 数日は、夢のように過ぎた。
 ティルナノグは歴史と時間に取り残されたような場所だった。
 その取り残された時間は、蜜のように私達親子をつつむ。
 肌で分かるのだろうか。デルムッドは、じきに私を自分にとって特別な人間と認識したようだ。
 この子と離れたくない。
 でも、この引き裂かれるような思いに身を投げなければならない時間は、迫っていた。
 小さなベッドの中で、手足を折り曲げ、うまれてきた時のような姿で眠るデルムッド。時間も忘れて、その金色の髪を撫で続けていた時、後ろで声がした。
「…そろそろ、ガネーシャの沖が荒れる時期らしいわ。その前の短い間だけ、レンスター行きの海流を使えるらしいの」
エーディンだった。私は、彼女の言葉を聞いているそぶりは見せたが、まだ、子どもと二人だけの時間に浸っていたかった。
「…せかすわけじゃないわ。でも、砂漠経由は危険すぎるの。一人で砂漠に送りだして、行方不明なんて事になったりしたら、私達…」
「…」
 私は、大きくため息をついた。
「シャナンは、子どもと母親は、ちゃんと一緒にいなきゃっていうけれど… 砦の聖者の末裔の私達が今そうすることが、どんなに危険なことか、あの子にもきっと、ちゃんと分かるはず。私が説得するわ。」
エーディンの言葉から、私への気遣いがにじみ出ていた。長過ぎる程の旅だった。
 大きい遠回り…でも。
 引き裂かれる思いの中に、レンスターという言葉に、私は一抹の喜びを禁じ得ずにいた。

 出立は能う限り準備を急いだ。
「粗末なものですが、私の馬をお使い下さい」
とオイフェが言った。
「いいの?」
「その時が来たら、また整えます。それに、その方が、馬にもいいでしょう。鞍や鞍袋もそのままにしておきますから、ご自由にどうぞ」
「ありがとう。かわいがるから」
「一国の王女が乗るようなデザインじゃないね」
「それなりにするとかえって目立つぞ」
てんでんに勝手なことを言って、私達は久しぶりに腹から笑った。オイフェとホリンが鞍の調節をしてくれた。
「デルムッドの事は心配しないで。私がちゃんと守ります」
「それじゃ」
「元気でね、姫様」
ブリギッドが手を上げた。

 順風だった。私と馬は、一晩を船を過ごして、朝にはレンスターの港についた。かなり静かだった。船から荷を降ろすしばしの喧騒を聞きながら、私の目の前には、薄くもやをかぶる城がそびえるのが目に入ってきた。
 あれがレンスター城。彼がいるかもしれない?
 港は、だいぶ荒れているようだった。
「レンスターは初めてかい」
後ろであまり達者ではないアグストリア語の声がして、私は驚いて振り向いた。五十がらみの、漁師風の男で、赤い顔は潮風とアルコールに焼けていた。
「怪しいモンじゃない。こんな朝に、うら若いお嬢さんが一人こんな港に立ってる方がよっぽど怪しい」
「あ、私は」
「ふーん」
男は、私をぐるりと見て回った。
「いい剣を持ってるな。だがここはレンスターだ。ランスリッターの前には、どんな剣もなまくらさ」
「あ、あの」
「とはいえ、いまはかつての雄姿も夢の後。フリージとトラキアにはさまれて、この有様」
男は感慨深く言う。
「お嬢さんはここになんの用だい」
「人探し…なんです、けど」
私の言葉尻は我ながら消え入るようだった。男は、私の顔を笑いながらじっと見た。
「港の出口にある、『勇者の槍』亭って所の女将に聞いてみな。宿と酒場だ。一番人が集まる」
「ありがとうございます」
私は、男に少しばかりの心付けを渡した(そうするものだとブリギッドは言った)。
「すまねえな… あんたのいい人が見つかるように、乾杯といくぜ」
男は言った。

 宿に馬を預け、私は酒場に入った。ひと盛り上がりあった後の静けさというのだろうか、朝の活気の名残が感じられた。
「あの、女将さんは」
「今に戻りますよ」
客の朝食のものらしい、大量の皿を拭きながら、料理人らしい娘が答えた。
「お客さんは、一人旅ですか?」
「ええ」
「勇気ありますね」
「探す人がいるの。ここに来れば人探しが出来るって聞いたから」
「へえっ、お客さんの恋人ですか?」
どうして同じことを聞くのだろう。でも事実なのだ。頷くしかない。そのうちに、誰かの入って来る気配があって、扉についた鈴がからからと鳴った。
「お帰りなさい、女将さん。人探しのお客さんですよ」
「へえ」
女将は寄ってきて、私を見た。そして、今度は流暢に言われた。
「…アグストリアのお方かい?」
「はい」
どうしてわかるのだろう。不思議だった。女将は
「そういうお肌と髪の色はそっちの人。見ればわかるさ。子供のころからなん十年もここにいるんだから」
「そうそう、アグストリア語も、グランベル語も、ヴェルダン語だってぺらぺら」
「こら、手がお留守だよ」
女将はいいながら、カウンターに入って、部屋の鍵が入っている棚から白いものをとった。
「『隊長さん』からあずかっているよ。やれやれ、これで棚の掃除もできたってもんだ」
「え、あの」
突然のことで、何のことかわからなかった。女将は紙を渡し、読むようにいった。
「伝言らしいんだけどさ、ラテン語は読めないよ」
「どうして、すぐ私だって、わかったのですか?」
「『隊長さん』は、アルコールが入ればすぐあんたさんの話になるからね」
聞いていた特徴からわかったらしい。人の記憶に残るほど吹聴していたのか?
「それじゃ、私のこと」
「知ってるも知らないも。レンスター一のお姫様の嫁ぎ先の姫様は、こちらが百合なら向こうは薔薇」
女将は謡うようにいう。私は渡された紙を見た。いつか見た字で、
『ようこそ、レンスターに。ひとづてに聞いてここにおいでになったと思います。もし私が出迎え出来なかった時は、お返事は女将にお渡しください』
としか書いていなかった。でも、それ以上のことが伝わってきた。
「紙はありますか」
渡された紙に、
『とうとう来ました』
とだけ書いた。真っ白い部分にそれ以上を込めた。
「町の中はどうですか?」
「町の中、ねぇ、何処も同じとは思うけど、キナくさくなったねぇ、めっきり。
 あんたの『隊長さん』のおかげで、お城は無傷だけど、いかんせん多勢に無勢だし。船も、しばらく来ないようだし。しずかになるまで、ここにいたほうがいいとは思うけどね。
 なにせ。今ちょうど、町の反対側に騎士様達が大挙して向かって行ったよ」
 でも私は立っていた。ヘズルの血が立つように強く響いた。
「どこにいくの」
「両軍の接触場所はどこですかっ?」
「東の街道に出るあたりだというよ、ここに来るまでにドラゴンの姿が少し見えたもの。でも、あんたさんがいく必要はないよ。危険だよ」
でも私はそれを聞かなかった。荷物の中に入っていた杖をもち、虫の知らせるままに武器屋で槍を購った。馬は合図にあわせて、船でうんでいた気持ちを一気に弾き飛ばすように走り出した。

 戦場の場所はすぐわかった。城門を出たすぐの場所に、そろいの色調で武装した一団が、急降下を繰り返す竜を相手に戦っていた。戦闘というよりは、斥候部隊との衝突という具合だった。城壁には、義勇兵による弓部隊がいて、竜騎兵はやすやすと城壁を飛び超えることは出来ないらしい。
 城門のすぐ前に、集中攻撃を浴びている騎士がいた。だが、返す穂先で確実に相手を戦闘不能にしていく。
いつのまにか、相手は隊長以下数人を残すのみになっていた。馬の隊長は部下を城門の中に下がらせた。
 竜が再び急降下を始める。
 鈍い音がした。騎士の槍が折れた。一人の騎兵が気がついて、自分の槍を渡そうと飛び出してきたが、竜騎兵の槍が騎兵の命ごとそれを阻んだ。
「!」
私は馬に拍車をかけた。ほとんど騎士に隣接するまでに近付いた。
「うけとって!」
槍は過たず騎士の手に収まり、騎士は何もなかったように竜を払う。私も一体、近付いた竜の頚動脈を斬った。
 私達は馬を添わせ、お互いの背中をあわせるように戦った。息遣いが、手さばきが、背中越しに伝わってくる。私はこうして戦ってきたんだ。こうして、この人を守ってきたんだ。

 隊長は、最後の部下が落ちていくのをいまいましそうに振り返りながら東に飛んでいく。
 騎兵は、突然入ってきた私に驚いた顔をしている。
「どちらのお方かわかりませんが…」
騎士が振り返って、礼を述べようと下馬した。私も下馬して、目の前の騎士が礼を述べ終るのをだまって聞いていた。
 騎士は、地に横たわる部下と竜騎士達とにエッダの聖印をきったあと、顔を上げて、私の顔を見た。はっきりいって、凍り付いていた。
 彼の顔は余り変わってはいないようだったが、すこし細くなったように思える。
 私は彼より先に、彼の胸に飛び込んだ。
 長い旅が終ったような気がした。私の返る場所はここに、私の目の前に「いる」のだ。