産褥から離れるのももどかしく、私はデルムッドと一緒に、リューベックの城に入った。
 しかし…そこで私が聞いた話は、…到底信じられないものだった。
 リューベック南方のイード砂漠で、ここまで援軍にやってくるはずだったランスリッターが、トラキアの竜による全滅の目に遭ったと言うのだ。
 しかも、そのランスリッターの中には、キュアン様とエスリン様、まだ3つのアルテナ姫までいたというのだ。
 「ほんとうに、本当にランスリッターは全滅してしまったの?」
という問いに、兵士は
「…姫様が何をお聞きになりたいのか、分かりますけれども」
と、渋い顔をした。
「全滅な物で、その中に誰がいたか、性格に情報は何一つありゃしないんです…
 ですが、覚悟はされた方が良いとは思いますがね。なにせ、…キュアン王太子の懐刀って、すでに鳴りものもおもちのお方…」
 私は、そこまで聞いていなかったのだそうだ。兵士の目の前で、昏倒したきり、一両日の記憶がないのである。

 目がさめて、も、私の胸のうちには暗雲が立ちこめていた。
 我ながら不思議だった。兄が死んでいったときすら、その分までも、と生き存える心があったというのに、今度は、夢に現われたといっては泣き、少ない手持ちから購ってもらった小物が目に入ったといっては泣いていた。もちろん、デルムッドなど側に近付けられようものなら…
 半月ほどもそんな状態が続いていただろうか。
 シグルド様がおいでになった。
「いいよ、寝ていなさい」
起き上がろうとした私をそう制された。お顔が土気色だった。私は、かける言葉を失う。
「…私を心配してくれるのか?
 ありがとう。私はもう、何があってももたえられそうな気がするよ」
「…」
「君こそ、うまれたばかりのデルムッドと一緒に、ザクソンからリューベックまで、御苦労だった。
 …あんな報告しか、聞かせてあげられなくて、すまない。
 私が援軍を当てにしていたばかりに、君には夫になる人間まで、あんな目に…」
「…援軍は、キュアン様がシレジアを離れる時に約束されていったことではありませんか」
「それでもね。
 …それで、きみに提案なのだが…」
「はい」
「…子供達には、未来がある。
 私は、セリスをこれ以上危険な目にあわせたくないんだ。
 …イザークに、逃がす。オイフェとシャナンも一緒に、…未来のために」
「シグルドさま? では」
「そう。デルムッドも、イザークに逃れてはどうだろう。
 君がデルムッドと離れたくないのも重々わかっている。
 しかし、これからは砂漠地帯がつづく。ただでさえ慣れぬ道、乳飲み子をつれては無理だ」
「はい、でも…」
「君には辛い報告ばかりなのだが…グラーニェ王妃の行方が分からなくなっているんだ。アレスと一緒に」
「…」
「彼等に万一の事があったら、君たちだけがヘズルの血を持つことになる。
 君にこんな重圧をかけるのは、本当はしたくない。だが…」
シグルド様はぐっと頭を下げられた。私は、寝台の上に身を起こして、硬直していた。
「私は…これ以上、大切な者たちを失いたくないんだ…」
「…わかりました」
私も、シグルド様のこんな卑屈なお姿を見ていられなかった。
「私も、その、未来に望みを繋ぎましょう。
 デルムッドのことを、お願いいたします」

 数日後の出立。
 私は最後まで、デルムッドを離しがたかった。
「さあ姫様、御子息を」
無名の騎士に促されて、私はやっと、その腕をのばす決心がついた。すう、と、デルムッドの目が開く。鮮やかな青。
 しばらくは、その青に出会うこともないのだろう、そう思うと、やはり涙が出てしまう。
 馬車が見えなくなるまで、見送った。思い付く、ありとあらゆるものに、その行く先の無事を願った。
 彼と私とを繋ぐ唯一のものに…どうか幸せを与えて下さいますように。

 これから先のしばらくのてん末を書くのは、私にはとても辛い。
 バーハラの悲劇。後世そう言い習わされるその事件がおきたのは、バーハラ城まで指呼の間となっている、とある陣地の中だった。
 私達は、時代の暗部を屠るための贄に選ばれたのだ。そのためには、ひとひらの真実さえ、口にすることは許されない!
 遠目に見える、焔色の髪の端正な男は、
<我こそは御身の遠き枝葉にして御身が騎士なり、その勲を具現するは我にとって至上の歓びなり! 煉獄の熱と炎、いまここに現れよ、瞬きのうちに燃え尽きんがこと、これ偉大なる焔の女帝ファラの慈悲なり! 邪なるもの滅せよ!>
高らかな詠唱、そして、天からおりてくる、まっかに焼けただれる竜の頭…!

 阿鼻叫喚、そういう状況はまさにあのようなことを言うのだろう。無名の兵士達が、我先に逃げ出そうとする、その背中に、天空から炎の塊が浴びせられてゆくのだ。
 私は、それを、おびえる馬を手綱を引いて見入ることしか出来なかった。
「危ないっ!」
声に、改めて見巡らして、私に一直線に、襲い掛かる火の玉! しかし、不意に私のからだはバランスを失って、馬の背から地にのめった。
「!」
首をひねり、私に覆いかぶさる人影を見れば、今しも傭兵ベオウルフが、背中にその火を受け、苦悶の呻きをこらえていた。
「どうして…」
「今あっちに言ったら兄貴が泣くぜ。それにな、イザークにゃデルムッドが待ってるんだろ、おっ母さんつうもんはそんな簡単に死んじゃあいけねえもんさ」
「なんで、どうして、私なんか…」
脂汗と、得意のグリンを顔に浮かべて、彼はこんな憎まれ口を聞いた。
「聞いとけ!
 少年が死んだ、それが本当かどうかは姫さん、あんた自身の体に聞いて見ろ!
俺は、あんたを守るって決めたんだ。だから寝返った。もらった金の分は働くんだ。…この大仕事でやっと割があうってもんだぜ」
「ベオウルフ…」
「俺のために泣いてくれるな、姫様。そんな色っぽい顔はあいつのためにとっとけ、な」
「…」
冗談のつもりの一言が、それでも重かった。返す言葉を探しているうちに、彼の瞳の色は消えていった。思わず、焼けただれているだろうその背中にしがみついた。
「だめよ、あなただって死んではだめよ! 逢うんでしょう、探すんでしょう、あの人を!」
返事はもう聞こえなかった。肉の焼ける匂いが鼻をついた。

 私達を救い出してくれたのは、炎をかいくぐった無名の戦士達と僧侶達、近い村の住人だった。
 何人かに別れて、村の民家にかくまわれた。助けられず、村でみとられた人もあった。
 私は、手に少しやけどをおっただけで、それもじきに跡形もなく消えるだろうといわれた。
 そして、それぞれが持ち直すにつれて、物騒な話も聞くようになってくる。
「残党狩り?」
「そう。だから、元気になった者からどんどん、この村を離れようって、そうきめたの」
と、ティルテュが言った。彼女は、フュリーと一緒にシレジアに行くと言う。妹の家がそこで見つかったそうだ。フュリーは、その逃避行に本来率先して手をかけるべきレヴィンが、帰国しないという彼女いわく「本末転倒な」事態に、戸惑い呆れていた。
「フュリーはいいわよ。離れ離れでも、レヴィンは生きてるじゃない」
テイルテュはあくまでも軽く言った。
「あたしなんて…」
だが、つぐ言葉を失って、胸元のペンダントを弄んだ。そして、顔をあげる。
「ううん、もういいの。大丈夫」
私が、ひょっとしたら彼を失ったかもしれないと呆然としているあいだ、ティルテュは、彼女には訪れてしまった厳しい事実の前に、いつまでも、吐くように泣き続けていたのだ。アゼルは村に収容され、ティルテュはそれをみとったそうだ。
「一時ね、あたしの前から刃物が消えたのよ」
おどけていたが、目は笑っていなかった。
「どうして死なせてくれないのって、みんなに八つ当たりしたわ。でもね」
アーサーもいるし、この子も。ティルテュは赤らみながらうつむいた。ふっくりとしたお腹を撫でている。リューベック城を制圧してすぐにやってきたこの子供のことも含めて、アゼルは随分彼女を心配していた。
「この子は、アゼルの生まれ変わりだと思う。絶対に、離さない」
希望を得た彼女は、本当にいきいきとしていた。
「元気ね」
私は心から感じ入った。うらやましかった。
「あなたも、いつまでも寝込んでなんていられないわよ」
ティルテュはもっともそうにいう。
「何だか、自分が大きい流れの中にいるような気がするの。今のあたしには、それに逆らうことは出来ないけれど、あたし達から生まれてくる全ての子供達には、それが出来る気がするわ。…結構、先行きは明るいと思うの」

 最後に村に残ったのは、私の他には、シルヴィア、エーディン、ブリギッド、ホリン、そしてクロード神父。
 私達も、旅立つことになった。
 その前に、私は、バーハラの焼け野原に立っていた。
 事が終わってしまいさえすれば、もうそれは過ぎたことになる。城下町を出たら、ただ広い野原が、分け隔てなく来る者を待っていた。
 「見つからなかったもの」の事を思い出していた。
 村でみとられたもの、身元が分かって引き取られた遺体、その中に、私達がずっと探していた姿があった。
 アイラ。どこに行ってしまったのだろう。イザークに逃がした可愛い双児を、きっと迎えに行くと言っていた彼女が。
 最後まで、双児の父になるレックスと、戦線離脱について話し合っていたと言う。
 イザークとドズルの間にうまれた軋轢を、自分達と双児がきっと解決すると、そう決心したと言う。
 でも、二人がいたと思われる場所には、ただ、黒くこげたような跡があるだけだったと、話に聞けば天から落ちた焔の竜は、まず二人を贄に欲したと…

 バーハラに近いその町から、ミレトスに出ることをきめた。馬車でざっと二日はかかるというその道を、一日強という強行軍。それでも私達は、なんとかミレトスまであとすこしというところまで、当局からのなんの追求もうけずに出ることができた。
「…潮の香りがしますね」
馬車の中から声がした。
「神父様、起きたの?」
小さい声であったけれども、シルヴィアは弾けるように反応して、幌の中に入る。
「外に出たい? 肩貸してあげる。リーンふんじゃいやよ」
「…」
私たちはその様子を振り返って、思わず微笑みあった。
 たしかに、海が近いのだ。百メートル先には狭い海峡があり、大橋を渡ればそこはミレトスの自由都市群だ。私たちは、商人の一行に紛れて、その橋を渡り、…グランベル王国を抜け出そうとしていた。私たちはその前に、食事をとり小休止をしていたのである。
「姐御」
商隊の主が、ブリギッドに声をかけた。
「窮屈な思いをさせて、すまないことで。でもこの橋を渡れば」
「いいんだよ。お前さんたちは渡りに船さ。こっちこそ、こんなやくざなことを頼んで」
渡りに船とは、ああいうことを言うのだろうか。もとブリギッドの手下だという商人が、私達の逃避行のお膳立てを買って出てくれた。ただ、ブリギッドに言わせれば、『一度こういう商売に手を染めたやつはね、どこかしらで話が繋がっているものさ』ということなのだが…とにかく。
「そんな。姐御は足を洗いたいという俺の願いを聞き届けてくれた。恩返しはこれぐらいでも足りないぐらいだ」
主は頭を下げた。そして、私たちを見た。
「まさか、こんなに別嬪さん揃いだとは知らなかった。バーハラ当局がお尋ねものにしているというから、どんな悪党かと思っていたら」
そう言って、慌てて口を押さえた。
「いけね、お姫様ばっかりの前でこんなことを言っちゃ」
だが、私たちはそんな失言にもう拘泥しないほど、自分でもおかしくなるほど、落ち着いていた。一つの知らせが、再び、私の足を地につけていたのだ。