トラキアにおける拠点を必要としていた我々は、辺境の城ミーズをまず制圧した。
 城というよりはとりでのようで、城下は有事と言うことも重なってひっそりとしている。それでもここは、グランベルに近いルテキア城と並んで、半島北と繋がる重要な商業基点なのだそうだ。
 それを奪取されたとあっては、トラキアも黙ってはいられまい。一週間とたたずに、ミーズの真南になるらしきトラキア本城から竜の編隊が接近してきていた。
「援護を頼む」
その編隊とは指呼の間となったとき、城内の張り詰めた中で、リーフ様がそうおっしゃった。
「そんな予感がする。赤い竜騎士は…姉上は、きっとここまでやってこられる。
 話してみる。きっと、わかってくださる」
「御意のままに」
リーフ様は結局、説得のみちを選ばれた。
「あくまで話をしたい。だから、殺気立ったところは見せたくないんだ」
「はい」
単騎城門を出られようとしたリーフ様の後を追うように、私の半身後ろになっていたナンナが飛び出した。
「リーフ様!」
「どうしたナンナ? 君は城にいなければダメだよ、危険なのだから」
「はい、わかっています。
 でも」
ナンナは、耳飾りの片方をその場ではずし、リーフ様の手に握らせた。
「トラキアの兵にはくれぐれも油断なさらないで…ご武運を」
「ありがとう」
リーフ様は一度下馬された。ナンナのそばに立たれたようだが、それから先は臣下として親として正視するものではないだろう。悠長にも、一抹の気まずさと寂しさを覚えつつ、私は一足先に城内に戻った。

 果たして、赤い竜騎士は、
「父上に…確認する。それからだ」
と言い、ミーズから離れていった。

そして。
「トラキア方面より一編隊接近、
 旗印は…トラバントのものと思われます!」
事態は意外な方向に向っていこうとしていた。トラバントが親征してくる。あまりにも早いその瞬間に、城内は半ば恐慌状態になっていた。
「リーフ様」
城内で、治療を受けるリーフ様の前につとひざをついた。
「…トラバントは、私におまかせ願えますか」
「なぜ」
リーフ様は聞き返された。
「トラバントは、私とお前との共通のあだだろう」
「はい。百も承知です。ですが、トラバントは、アルテナ様の養父…リーフ様がそれを討つことは、アルテナ様に対してよいことではありません」
人道的な大義名分を持ち出してはみたが、リーフ様は微笑んで
「わかったよ」
とおっしゃった。
「行ってこい。行って存分にやり合ってこい」
「ありがとうございます」
「だが、死ぬな。相打ちもダメだ。ナンナが悲しむし、お前も奥父上母上にあわせる顔がないだろう」

 払っても、払っても、わいて出てくるかのような竜。トラバントはどこにいるのだろうか、その姿は見えない。と、背後にしている城から声があがった。
 私は直感した。目の前にいる竜を払い落とすと、そのまま城に走り戻る。
 「お父様」
ナンナが駆け寄る姿が見えた。
「トラバント王を含めた数騎が」
「わかっている」
私は、言葉を発することすらもどかしかった。先を急ごうとすると、ナンナは私の服の端を捕らえる。
「どうした」
「フィーが、これを」
ナンナは、私の前に一本の槍を差し出す。そして、私の服の襟に触れながら、私の顔をじっと見上げた。
「お父様、…ご武運を」
目尻に涙を含んだまな娘の顔を、私もじっと見た。
「…その言葉は、微笑んで言うものだよ。お前の母上は、それができるお方だった」
私は、思ったことをそのまま口にして、屋上へと、駈けた。

 その間に、私は私で、自分を納得させようとしていた。
 私とて、トラキアのすべてを頭から否定しているわけではない。
 セリス様のおっしゃるように、半島南部は厳しい状況にある。北部の豊かさを羨み、ああいう所行をしたとしても、あるいは詮ないことかも知れぬ。
 そして、ここに至るまでに出会い、戦いを共にした、多くのトラキアびとたち。彼等は私が今からしようとしていることを、きっと許しはしないだろう。
 だが、騎士の魂を刷り込まれた私は、赦せと言う声に耳を傾けることなど、できないのだ。
 真の善人のいないようにも真の悪人もいない。だが、私の中にある騎士の正義は、彼を悪だと断じた。滅ぼせ、と。
 すべてを投げ打ったとしても、私は永遠に、容れることはできぬ。
 あの男を!
「トラバント!」

「来たな、死に損ないが」
微かに、血が臭う。解放軍の無名の戦士がるいるいと横たわるその中に、トラバントは私を待っているかのように立っていた
「やっと主人の後を追う気になったか」
とも言った。
「この十数年守ってきた亡き主君の恨み、代わって晴らす!」
私は昂揚していた。私の言葉を、トラバントはハナで笑った。
「雑魚が何を言うか」
「何!」
「ちがうか、力不足ゆえにお前は戦線をはずされ、主君の死に目に会えなかった」
どうしようもなく情けないことだったが、私はトラバントの言葉にいよいよ平常心をあおられていた。身体が熱い。
 その中トラバントは、一転声を荒げた。
「槍を構えろ!」
直後、鈍い重い衝撃が、槍の柄を伝わって私の両腕に響いた。

 助けはない。見物人もいない。文字どおりの一騎討ちだった。

 彼の持っている槍はグングニルではなかったが、いずれ銘槍であることに変わりはないだろう、竜に騎乗する場合とは槍の捌きは全然異なろうところを、彼は軽々しく槍を振るう。
 私は、そのときはじめて、私の手におさまっているのが、「恩賜の槍」であることに気がついた。騎士の私が一番輝いていた時をともに過ごした、石突きから穂先にまで私の息が染み渡っているような存在。ここでこの槍を振るってトラバントを取る、それも、一興と言うものか。
 そして私本人も、すべての力と技とを持ってトラバントに対峙している。
 なくしたレンスターと、それに関わるすべての者の仇を、ほかならぬ私が討つことが、私がここまで生かされてきた理由である気がする。さすればこれが、私の有頂天か。
 否。私は、まだ死ぬことはできない。そうだろう?
「私はまだ死ぬことはできない。主君より命を落としても良しと許しをいただいていないからな」
「主君の後を追うことすら許されず、その上女まで行方知れず、その騎士や男の出来損ないのようなザマで、お前はよく今までおめおめと生きたな」
「私に与えられた使命はまだ残っている。
 現在を見つめ、未来を支えるために、私は過去を担うのだ。
 全うされぬうちは」
「自分だけが善人になるつもりか」
トラバントが、槍の穂先を下げた。
「確かに、あの小僧にくみしたお前はいずれ善人として、そうしなかった俺は悪人として、後世伝えられるだろう。
 しかし俺は、このトラキアを思うが故に、あえて後ろ指をさされることに決めたのだ」
俺も、今に「過去」になるだろう。トラバントはそう呟いて、屋上の隅で主人を見ていた竜に歩み寄った。鞍と防具をはずす。おそらくそれが、竜にとっては自分の仕事の終わりをあらわすのだろう、安心したような低い声をあげ、主人の顔に鼻先を寄せた。そのくびを軽くたたいて、トラバントは声をかけた。
「さあアイオロス、トラキアへの道は分かるな?
 これからは、お前を俺より可愛がってくれるアルテナを乗せて、あれの為に飛ぶがいい」
竜は、その言葉がわかったように、主人に背をむけ、屋上から身を踊らせる。上昇のために二三度大きく羽ばたいて、その後は、上空の風を得て、南を目指した。

 それから、かなり長いこと、私達は戦っていた。私の槍はトラバントの身体を何度かかすめたが、いずれも致命傷にはならない。
 一瞬の事だった。傾いた太陽が私の目に入った。目を細めた瞬間、身体の横の方に、どん、と、何かがあたった感触がした。
 熱い。トラバントの槍の穂先が、私の脇腹から、真っ赤に染まって抜け出てきた。膝から崩れ落ちた私に、トラバントの容赦ない声が浴びせかけられる。
「どうした、仇を討つだの、過去を担うだの、あの言葉ははったりか!」
血が、私のからだのうちと外とに流れ出してゆくのが、嫌にハッキリわかった。
 立ち上がったが、地面が揺れているように感じて、私はなんとか、槍を支えにして均整を保った。
 対峙するトラバントが、全く傷の影響を受けていないようだ。しかし私の目に写るその姿も、急に歪んてくる。
 …ここで、私は終わるのだろうか。
「トラキアの兵も知れば己を嘆くだろう。この程度の男からレンスターを奪えなかったとは!」
トラバントの、叱責にも似た嘲笑が聞こえた。
 私は、顔をあげようとした。手足に、力を入れようとした。痛みはやや和らいでいた。しかし、傷がなおったのではない。体中が痺れはじめていた。
 ふいに、和やかなものが、私の身体を包むようにあらわれた。背を押す。
 死際の人間に見える、この世ならぬ者たちなのか。だとすれば、この存在は、英雄と天が定めたもうた者を嘉するというヴァルキリーなのか、それとも。
 しかし、その存在は、急に私のもとから離れてゆく。かすかな不満をあらわす気配。凛と張る声が、それらを追い払う。
『離れなさい! このひとはまだ、与えられた命を全うしていないの!』
「!」
急に現実に引き戻された気がした。私の身体を、再び、暖かく包むものがある。身体が淡く光るようだった。再び、声が聞こえる。
『トラバントの願いを、叶えてあげなくいいいの?』
「願い?」
そこにはトラバントと私しかいないはずなのだが、もう一つの存在の出す言葉に、私は違和感なくこたえていた。
『顔をあげて、良く見て』
動かして、というよりは動かされて、私の顔は真正面にいるトラバントを見た。が、その前に、私の目に入ってきたものがある。
 私を包む光が、私とトラバントの間で凝りはじめた。そして、つくり出された形に、呆然とする。
「…」
『トラバントの気持ちをわかって』
「気持ち?」
『そう』
「…彼が何かを望んでいるとしても、…今の私には、無理です」
『…お願い』
光は私の胸に飛び込んできた。一瞬の静寂ののちに、私は、トラバントの非想な顔を見た。私が、再び槍を振るってくることをじっと待ち受けている。
 すべてに思い当たった。
 なぜ、竜を放したのか。
 なぜ、グングニルを持っていないのか。
 すでに、この男は自らの退路を断っているのだ。ここを死に場所に定めてきたのだ。傭兵王と号されることも、ハイエナと蔑まされることも、すべて自らの誇りにして、…私のように、過去を担って死んでいきたいのだ。
 しかし、私に、彼の望みは叶えてあげられるのだろうか。血と共に、魂も抜けたようなのに。
 それでも、私は彼を討たねばならないのだろう。
 彼と同様に、過去を担うものとして、誇りのうちに。

 私は槍から片手を離して、胸の前でにぎった。
「…私を守りたまうもの、魔剣の血に連なる枝葉に鮮やかなる暁の薔薇、私こそ、御身の騎士。
 願わくは、私の祈り聞き届けたまわんことを…」
『…たとえどこにあろうとも、私は貴方とともに』

 内部に熱が戻ってくる。視界がはっきりしてきた。高い山の稜線に日が赤く隠れようとして、決着に時間がかけられないことが悟られた。
「そうだ、そうこなくては!」
トラバントの顔が嬉々と輝いた。傷の衝撃は、完全に忘れたわけではない。しかし、逆に身は研ぎすまされたように、軽く感じた。
「私はまだ死ねないようだ」
「当たり前だ」
「トラバント、望み通り引導を渡す!」
「来い!」
 トラバントの槍を、皮一枚で避けた。いなしながら穂先で彼の胴をなめた。そして、体勢を変えて突っ込んでくる胸に、しゃにむに突き立てた。
 胸骨が砕ける感覚が柄を伝わってくる。ドラバントはそのまま仰向けに倒れた。
 歩み寄る。胴の傷から血が流れてくる。
「…」
トラバントは私を、笑ったような目で見た。
「…これで、いいのか」
「…ああ」
満足そうに、目を閉じた。
「…アルテナの事を、頼む。
 お前なら、一切の事情も、分かるだろう」
「…」
「あれは…アリオーンとは、戦えまい」
「…」
トラバントは、大きく息をついた。
「お前が私についていれば、トラキアもすこしは賢く、世をわたったかな」

 トラバントが、完全に動かなくなった時、日はとうに落ちて、ちらちらと、星が瞬きはじめていた。
 私は、あの気配がまだ身を離れていないことがわかっていたから、こう言ってみた。
「これで、いいのですね」
『…』
はじめ、なにもおっしゃらなかった気配は、ややあって、
『あなたはまだ、死んではダメよ。「過去を担う」のでしょう?』
「…そうでした」
『「過去をになう」のは…それは、つらいことよ。でも、になわれた過去の中に、生きることを望む人がいるの…
 おねがい、生きて、過去を伝えて。トラバントの…私の…あなたに関わった全ての人を』
「はい」
気配は、私の身体を離れられた。私の前で再び、お姿をあらわされ、柔らかいお手が私の服の襟に触れた。艶やかに微笑まれたお顔があった。
 消えながらのお声が、しばらくその場に残っているようで、私は無性に離れがたかった。
『どうか、御武運を。私の騎士様』

 呼ばれた気がしたので、振り返った。
 リーフ様とナンナ、デルムッドがいる。三人は私に駆け寄ってくる。
「リーフ様、トラバントはこのように」
と言った。リーフ様は、たいまつの明かりでざっと検分して、
「そうか…よくやった」
とだけ、おっしゃった。
「しばらく見ていたよ。ナンナが回復に行きたがっていたけど、私がとめたんだ。
 私は信じていたけどね。お前がそう簡単に死にはしないって」
「ありがとうございます」
「あ、あの、父上」
そしてためらうようにデルムッドが言った。
「…今、母上がそこにいらっしゃいませんでしたか?」
「え?」
「はい、私も感じました。お母さまみたいな気配が」
ナンナが声をつまらせる。
「嬉しかったけど…魂になってしまわれたみたいで…」
「…」
私は、ナンナの肩に手をおいた。
「そう言うものではない。確かに、この世ならぬものが、あの場所にはいた。
 だが、あれはお前達の母上ではなくて、…私の幸運の女神だよ」