セリスさまの御判断で、何騎かはアルスターよりワープを使用してきた。
 第一陣はフィーとアレス王子の部隊。フィーはレンスターとコノートとの境に位置する集落に、機に乗じた盗賊から村を自衛するように伝えに行くと言う。
「まったくうちの軍師様ったら人使いが荒いわ」
と笑っていた。
 そして、まだセリス様との誤解の解けていないアレス王子。とはいえ、誠実なセリス様のお心に触れて、そのわだかまりはわずかづつだが、なくしておられるようだ。先日のフィーから聞いた話も思い出し、そのことには
「先日より、娘が御迷惑を」
と言わざるを得なかった。アレス王子は少々驚かれた。
「いや、俺は迷惑じゃない」
「勿体ないお言葉です」
「お世辞じゃない。いずれ根も葉もないうわさじゃないのか? 『大陸一の槍騎士』も、娘のことは心配か」
「…痛み入ります」
「それより、」
アレス王子がふと改まられる。
「聞きたいことがある」
「私でお役にたてるなら」
「父上のことだ。
 セリスを見ていると、今まで俺が真実と思っていたことがことごとく覆される。奴の父と、父上と、俺の信じていたことは嘘だったのか、このままでは俺のほうが先に壊れていきそうだ。
 あんたなら、ずっと、本当のことを見ていたのだろう? いったい何が本当のことなんだ!」
「王子」
当代の魔剣の使い手が、二十歳ばかりの年相応に、震えておられた。
「そのことについては、私ではなく、娘にお聞きください」
私はそうとしか言えなかった。
「私が今ここですべて話してもよいことなのですが、ぜひともここは娘より」
そう、「真実」を今持っているのはナンナなのだ。私は、今自分が過去に触れると、巷のうわさも真実と認めてしまうような気がした。それだけは、避けなくてはならない。アレス王子の血をおとしめることは、私には言えない。
「あいにく、本来もっとも王子とお話してしかるべきお方は、ここにはおられませぬ故」
「…俺の叔母とかいう人だな。一度、会いたかった」
しばらくうつむいておられたアレス王子は、おりから敵接近の知らせが前線に走っていたこともあって、
「よし」
と顔をあげられた。
「今はそのことを忘れる」
「はい」
「それと」
「はい」
「俺を王子と呼ぶな」
「…はい」
「俺は傭兵だ、『黒騎士アレス』だ。頭はわかってるが、まだ俺は王子にはなれない」
「それは、お気のすむように。今は王子の威厳より、『黒騎士』の脅威の方が、敵にはより有用かと」
「単純に言えば、『黒騎士アレス』だからこそ、敵は震え上がるって事だ」
敵部隊のあげる土煙が認められた。アレス様は黒光りする剣をかざした。
「死にたくないやつは俺に続け!」
歓声、それぞれの武器がなる音。ミストルティンの刃が日を照り返す。
「ナンナといったな、あの娘」
「はい」
「リーンとはまたちがった、いい娘だと、俺は思う。少し、気になるな」
「は」
私の思考ははたと停止した。

 魔法騎士団のあとを、単身やってくる『雷神』イシュタルは、二十歳にやや欠けるというその年に似合わず、影をその身に含んだ妖艶な美貌の王女だった。魔術の道にはまったく疎い私にも、その身の回りに取り付く魔力が青白い火花を散らす様が、焼き付くように、目に映る。
<阿鼻叫喚の嵐と共に、怒り来れ雷帝… 御身に親しむあらゆる雷を集め、御身が御名を冠した鉄槌となし、御身が御名の元に我振りおろさん…中空に荒ぶるあらゆる雷よ、雷帝の御名の元に我に従え!>
 そして、レンスターを守る我々の前で、高らかな呪文の詠唱、『トールハンマー』をくり出そうと挙げたその腕は、その背後より突然あらわれた誰かの手に掴まれた。
「そんな御大層な魔法を、このような奴らを相手に見せる必要はない。
 イシュタル、俺のもとに帰って来い」
高慢を人型にした者が発したような声だ。雷神は暗い朧のなかからあらわれた声の主人の方を見て、顔に朱をはしらせた。
「はい。仰せのままに。ユリウスさま」
ユリウス。記憶が正しければ、先日立太子したグランベル帝国皇子。あらゆる希望を闇の内に封じた、皇帝アルヴィスの、息子。

 二人をのせたワープの魔法陣が、まだ空間をゆがめながら燻るのを見て、
「…あんな気味悪いやつと、同じ血が流れてるなんて、考えるだけでぞっとする」
馬を並べていたアーサー(かのティニーの兄である。イシュタルとこの兄妹とは、母方の従兄弟であり、さらにかのユリウス皇子とは父方の従兄弟になる。)が、手綱を握りしめながら、奥歯を噛み締めたような声で言った。

 ブルームは、頼りの娘もバーハラに行ったきりになったところを、我々の急襲を受けた。
「本当に悪いのは、ヒルダとかいうあんたの女房のことだ」
エルファイアの炎を、今にも叩き付けん勢いでブルームに迫りながら、アーサーはそんなことを言った。
「だから、俺はとどめを刺さない。どんな思惑があったにしても、母さんを保護しようとしたその心意気だけは認めてやる。
 それに、俺よりも、もっとあんたに恨みを持ってるやつぁ、この解放軍にはぞろりといるからな」
ティニーは、ユリアといういやに私の記憶を騒がせる清楚な美少女に支えられて、そのてん末を見つめている。
「リーフ王子、こいつのとどめはあんたが刺すんだ」

 主人を失ったコノートは、ろう城の構えに出た。セリス様はあえて強硬な手段に訴えることはせず、その間に、解放軍の面々に短いが休息をとるように指示された。
 レンスターの城がここまで華々しいのは、実にひと昔以来のことであった。
 メイド長に託してあった鍵を受け取り、その部屋の前に立った時、私はいろいろと、このお部屋の主人であった方のことを思いだしていた。

 レヴィン様がめんめんの前で時に戯れに見せられる吟遊の技とはちがって、私の言葉には限界があろうが…

 初めてお見受けをしたのは、陥落寸前を救ったノディオンの城で、であった。
 助けられた城と御自身を喜び、そしてそれ以上に囚われの兄王を案じられ、ほほにかかった金色の髪は涙に濡れておられた。
 可憐にして気高く、滋味溢れる美貌の王女。それが、私が抱いた最初の感慨である。王女をおそば近く守るように、主君から命じられた時は、若干の不安は覚えながらも、それ以上の高揚感が襲ったものだ。
 兄王にお会いになりたい一心に、御無理を承知で戦に加わり、慣れない剣を手にされて、酸鼻極まりない戦場に、嫣然とたたずまれる「運命の女神」。あの方のお名とヘズルの恩恵…それらはけっして、伊達や酔狂で下されたものではない。
 戦いのない時は、王女はよくお話をして下さった…御自分がいかにノディオンと、兄王のゆく末を案じておられるか、あの方をお慕いしているか、十分に聞いた。
「私、嫁ぐならお兄様のような方の所にと、決めているの。
 だって、そうでしょう? 最高の王、最高の騎士。兄のような人がいたら、私、誰が止めてもその人の所に行くわ」
そう口癖のようにおっしゃる王女の盾たらんことを、使命を離れた場でも考えるようになったのは、いつのことだっただろうか。

 優越感、高揚感、不安…全てをないまぜにして不安定に揺れている少年の心で、私は、あの時間を迎えていた。
「ありがとう。帰っても、いいわ」
 シルベール砦からやや離れた場所で、下馬されながらそうおっしゃった。懐いてくる私の馬の鼻面を、労るように撫でられる。
「…『サブリナ』も、気をつけてかえってね」
「お帰りは、どうするのですか?」
「説得ができるまで、帰らないつもり。だから…誰かに送ってもらうわ。戦いは終わっているはずだもの」
「そうですね」
「気をつけて」
ひとり歩いてゆかれる王女の後ろ姿が、たまらなく寂しそうだった。

 秋深い日に、いつまでも消えない、窓のあかり一つ。
じっと見ながら、私は、その明かりの下であるだろうことを思った。停戦はなるだろうか…敵に寝返ったとして、投獄の憂き目にあわれたか…あるいは…何があっても、笑って出迎えようと、思った。
 いつの間にか、朝になっていた。砦の門が開いた。目を向けると、王女がお一人で、おでましになる所だった。
 駆け寄ってくる、すこしくつかみ所のない、あかたも空を踏むような、王女のしなやかな足の動き。しかし王女は、まっすぐに私に飛び込んで来られた。そして…

「あなたがいてくれて、よかった。一人きりだと、この重さに耐えられないの」
ひとしきり、涙を流しおえられてから、馬にお乗せして、アグスティまでの道、王女はそうおっしゃった。おそらく…我々が望んでいた、停戦講和への道は、永遠に閉ざされることになったのだろう。砦の兄王は…この戦に命を落とす覚悟を、王女に打ち明けられたのかも知れない。
「私のしたことを、誰にも間違いと言ってほしくないの」
「王女のお力を持ってしても、事態を良い方向に持っていけないとおっしゃるのなら、公子も王女をおとがめにはなりません」
「…」
王女は何もおっしゃらなかった。
「さあ、皆が動き出す前に…戻りましょう」
だが、私の答えは、明らかに王女のお心とは違う場所にあった。

 その夜、翌日に向けての軍議が…いま思えば、それはあまりにも空しいものであった…終わってから、去りしな王女が私の手をとられた。桜色の爪が私の手のひらを走り、その声なき伝言は、城の者が寝静まった頃に、王女の部屋に参上せよとのことであった。

 夜半、鍵のかけられてないお部屋は、ほんのりと暗かった。王女は、寝台に身を起こされていて、私をお待ちだったようだ。近付いた私を、仰がれる。
「お願い…わたしを…助けて」
「?」
「恐い」
次の言葉を見つける私に、身体から飛び出された王女は、私に腕を伸ばされる。
「恐いの、ですか?」
動揺を殺しながら、尋ねてみる。
「もう私ではどうにもならない… 私は守って差し上げられない…」
暗に、兄上のことをさしているのだと、わかるには少し時間が要った。
「戦いも止まらない…私…」
「王女は、十分に果たされたではありませんか。どうか、御自分をお責めにならないように…」
王女は激しくかぶりを振られる。
「私は、何も変えられなかった! 変えられなかったの!」
私の服を、あらん限りのお力で掴まれていた。切り裂かれるような慟哭。急に放たれて、行き場を失ったような怯えが、私に刺さってくる。私は王女の腕を取り、崩れそうなそのお体を…抱き締めていた。それが待たれていたのかも知れない、背中に、お手が回されて、お声が、急に沈まれてゆく。
「…かつての歴史には、暗君には、その忠義ゆえに、膝元を離れることにより、諌言とかえた騎士の例が、無いと言う訳でもありません。
 何故兄は、それをしなかったのでしょう…」
「私には、兄王のお考えは、わかりません」
そう答えた。
「何故」
「王がその判断を見極めるに難い事態のことを、一介の騎士にはとても、考えることすら、できません」
王女は、
「本当に、幸せな人なのだわ、あなたは」
小さく笑われたようだった。
「…お願い」
「はい」
「あなたは、お兄様のようにはならないで」

 夢と現のはざまにあった。細いお手、おみ足、いつか涙で濡れた金色の髪は暖かく湿り、私はその香りにむせ返る程だった。いささかに、何も知らぬ故の無礼もあったかとは思う。しかし王女は、その一切を受けてくださった。
 夜明け前、部屋を退出する私を、寝台から見送られる王女の、真っ白い肩の色と、帰る道、城が朝焼けで、真っ赤に照らされていたことだけは、覚えている。

 私はそこで回想を打ち切った。
「どうしたの?」
後ろからかけられた声に、私は一瞬身をすくませた。
「ラ」
口がそう動きかけて、止まった。
「ナンナか」
「リーフ様が探してらっしゃったわ。お父様、ここにいたのね」
「うむ」
すぐ後ろまで、ナンナの気配がやってくる。
「私が小さい頃、このお部屋に、お父様はめったに入れてくれなかった」
「そうだったか」
「中にどんないいものがあるのか、私、すごく気になっていた。いつか、お父様について入った時に、ただの部屋で、拍子抜けしたの覚えてる。
 メイド長に、お母さまの部屋だって教えられて、お母さまが帰られたら、ここで、旅のお話を聞かせてもらうのを、楽しみにしていたの。
 でも、お母さまがお迎えに行ったはずのお兄様が、お母さまのこと知らないってことは…」
ナンナの声が急に小さくなる。
「私、今、ずっとお父様を見ていました。この部屋、何もないはずなのに、とても楽しそうなお顔でした…
 お父様、どうして、お母様の思い出で一杯のお部屋で、笑っていられるの?」
「どうしても聞かれても、私にはわからない」
私は、その時思ったことを、衒いなく口にした。
「思い出と言っても、母上がもうこの世界にいないという証拠は、何もないのだよ。
 私にできるのは、このお部屋を、御帰還なるその時まで、そのままにしておくことぐらいだ」
ナンナは、私の背中の方で、じっと動かなかった。
「私…間違っていたのかしら…
 レヴィン様から聞くまで、お母さまを一人で行かせたお父様が許せなかった。
 今も、お父様の気持ちの全部は分からないの。
 でも私、今でも、お父様がお母さまを大切にしてるってことが分かっただけでいい」
振り向いてみた。ちょうど、滲んだ瞳を指先で拭ったところだった。
「ここはお父様の宝箱なのよね。お母さまが、一番の宝物なのよね」
どちらから求めるでもなく、私はナンナを、ナンナは私を、抱き締めていた。苦しい生活で小柄だった体にも、訪れつつある次の季節の気配がある。
「私、お母様みたいになれるかしら」
そう言った。
「お父様が話してくれた、びっくりするくらい綺麗で、賢くて、強くて、優しくて、そんなお母様みたいな人に、なれるかしら」
「大丈夫、きっとなれる」
 金色の髪。手触りもそのままに。娘は憧れるままに、見ぬ母に面影を似せてくる。
 …思いだした。
 王女が、夢の中で私に言ったお言葉。
『ナンナの瞳の色はあなたに似た方が、もっと可愛いのでは無いかしら』
「…あなたと同じはしばみの瞳で、この娘は十分美しいですよ、王女」
「え?」
ついでた言葉に、ナンナが変な声をあげる。
「何か言った? お父様」
「…いや」
ナンナから腕を離し、私は、そばの小机にある箱を思いだした。
「これを覚えているか?」
「いいえ」
ナンナは首をかしげた。
「あけてみなさい」
手渡されて、言われるままあけてみたナンナは、少しだけ目を丸くして、そのあと、華やかな笑顔になった。
「ま」
「まだお前が小さい頃にほしがっていたものだ。お前がつけられる年頃になったら渡してほしいと、母上が遺しておいて下さったものだ」
何の変哲もない、色水晶を繋げた耳飾りだ。それでも、それまでお持ちのどんな貴石や
真珠よりも、好んで身につけていらした。あの頃は、これ一つ買うにも、懐が痛んだものだが。
「似合うかしら」
ナンナは相応に無邪気に、私の前でひと回りした。耳もとの石が、窓から入る落ちぎみの日の光に、わずかに輝いた。