メルゲンの、季節の花の咲き乱れる中庭に、娘達の姿があった。
「ほらナンナ、お父様よ」
そんな声も聞こえた。ナンナは私の姿を認めると、何やら複雑な顔で
「お父様」
と声を上げた。レンスターでは、王子以外に年頃の近いものと会うことも少なかったし、ここに来れば気後れはするだろうとの思いは持ってはいた。案の定ナンナは、持ち前を表に出すことなく、車座の中に半ば埋もれていた。久しぶりに見る、何かにおびえたような顔だった。
「ああ、やっぱり思っていたとおりの!」
「かっこいいじゃない、ナンナったら」
「オイフェさんとはまた違う渋みがあるみたい」
「でも、デルムッドとはあんまりにてないのねぇ」
口々にそういう声がした。この少女たちも、レヴィン様のおっしゃる所の、バーハラの悲劇に遭われた方々の御遺志を受けているのだろうか。少女たちの表情は一様に明るいが。
 私は少女たちからの自己紹介を一通り受けてから、それまでのことを簡単に話してもらった。
「やっぱりね、もっと穏便に済むと思ったら、全然そんなことないみたいで、セリス様も気が重そうだわ」
「レヴィン様はもっと強気にならなきゃダメだっていってるけど、それがセリスさまのいい所でもあるのよね」
「でもさ、アレスでしょ、リーフ様たちもいるでしょ? 大丈夫」
見たような風体の華奢な少女はそう指折ってから、物音に顔を上げた。
「あ、アレス!」
「アレス?」
私とナンナはほとんど同時にお互いの顔を見た。少女の駆け出す先にはその先の空間に通じる扉があって、そのさきは練兵場なのだろう、兵士たちと一緒に出てきた、明らかにちがう雰囲気の一人の男のもとに、踊り子リーンは吸い込まれてゆく。
「今リーフ様たちがついたのよ。会わないの? 恥ずかしがっちゃダメよ」
リーンの声はよく響いた。そして、
「お待たせ、アレスよ」
見事にアレス王子を私達のもとに連れてきてしまった。

 過去、その方を直にお見受けしたことはない。だが、その風貌を思わせることについて、目の前の騎士は十分すぎる程だった。憂いを含んだ眼差しが、私たち親娘を見下ろしておられる。私は自分とナンナとを自己紹介した。
「ここに王子と我々とが出会えるということを亡き方々もお喜びのことでしょう」
アレス王子はしばらく、本当にとまどったお顔をしていらした。
「デルムッドが自分の身内と聞いたときにも驚いたが」
そして、一呼吸おいて、
「…今はそれどころじゃない」
くるりときびすを返されて、城の中に入っていかれる。リーンも後についていきそびれたものらしい。それでも、
「ごめんなさい。今彼気が立ってるの」
そんなことを言いながら、小走りに王子のあとをついていった。

 何となれば、アレス王子とセリス様、二人のお父上の間に、修復しがたい確執があると、あの方は思っていらっしゃるようだったのだ。少し後になって、リーンから聞いたことである。
「でも、あたし言ったの。
 二人とも、騎士だったんでしょって。騎士って、子供の頃からの友情をそんな簡単に主君のために捨てられるの?」
この踊り子は、荒れる王子を見るに忍びないのだ。ダーナの領主に囲われかけた所を助けられたのを、彼女なりに恩義に感じているとか。
「きっと、お二人の間の事情をよくご存じでないのだ。私もお二人と特に親しかったというわけではないが、それだけはいえる。
「あたしもそう思う。昔の事情は、あなたやオイフェさんの方がよく知ってると思うわ。だからさ、よく説明してあげてよ、アレスに」
「お父様」
そばのナンナが私の袖を引いた。だが、すぐあさっての方を向き、
「あ、でも、それとこれとは全然違う話だわ。王子、混乱しちゃうかも」
と言う。そして、足早に、去っていくリーンの後を追う。置いてきぼりになった寂しさに漠然ととらわれたところで、オイフェ殿の声がかかった。

 アルスター城下町の詳細について、情報を提供してくれるのは、アルスターで養われていたというティニーという少女だった。いすに座った両手を膝の上で堅く握りあわせて、広げられた地図と、レヴィン様とセリス様をはじめにした、「解放軍」の主立った面々の前で、肯定否定を主体にした説明をしていた。やや憂いのかった面差しに面影がある。もっとも、その表情のほの暗さは、彼女、そして我々の前にある情勢そのものに他ならなかった。
「そりゃ、彼女にしちゃ辛かろうさ」
レヴィン様が小声でおっしゃった。
「今まで育てられた恩も忘れてと、先方から中傷されても、何の文句も言えない立場なんだ。しかも俺達は、伯父夫妻の迫害からかばってくれたイシュトーを討ってしまった。その上、アルスターと全面抗争ともなれば、姉同様に慕ってきたという『雷神』イシュタルとも戦うことはさけられないだろう。いくら身内と再会できたからって、そう手放しでは喜べないのだろう」
情勢というものは一面だけあるんじゃないんだよな。レヴィン様はそうおっしゃった。
「だが、見せているすべての面について、丸く収めることはできない。ティニーにもセリスにも、それをわかってもらわにゃ」
セリス様も、頼ってくるすべての人々の、あらゆる希望に応えられるほど長生しておられるわけではないだろうに。レヴィン様はこうもおっしゃる。
「自分一人で何とかするなんてことは絶対にできんことだ。だから俺達は、セリスをもり立てていかねば。俺はそのつもりで、あいつの足の下で朽ちてゆくことに耐える決心をしたんだ」
そのお顔がいっそう険しくなった。

 アレス様にお目にかかったからだろうか、久しぶりに王女の夢を見た。小さなナンナを重そうに、しかし、これ以上はなくお愛しそうに、腕に抱えられながら、日溜まりに休んでおられる。私の方を向かれて、何事かおっしゃる。だが、その声は聞こえなかった。
 王女のお声は、どうだったか。数年前まではっきりと覚えていたものを。
 ずっと手の中にしていた大事なものを、何かの拍子に取り落としたような、不安な心持ちを抱えながら、声のない王女のお姿を、延々夢に見た。
 何か言いたそうだったいつかのナンナを思い出した。間違いなく、彼女の中の何かが、アレス様に関わって反応を始めている。
 それは、ヘズルの血が、出現したより強いものに共鳴をはじめただけなのか、それとも?

 そのナンナは、メルゲンに入ってからの数日来、アレス王子の動向を気にしているらしい。
「なんでも、今日はどこにいるのか、いつもどってくるのか、そう言うことを聞き回って、行くところ行くところにいるらしいわ」
とはフィーの言葉である。
「お城じゃ変なうわさになるし、リーンはもう大変だし、いったいナンナどうしちゃったのかしら」
うわさ、と聞いて、私は一瞬、あまりいい予感を持たなかった。
「うわさ?」
聞き返すと、フィーは
「でもこれって、言っていいことなのかしら」
と言い淀む。
「いいんだ、聞かせてほしい。何を言われても私はたえられる」
場内で流れている、おそらくは他愛のないうわさに、ここまで私がムキになるとは、彼女も思っていないことだったのだろう。だが、ここはレンスターに近いアルスターなのだ。フィーの目は少しの間だけ、ふだん以上に大きくなった。
「…じゃ、話すわ。
アレスのお父様と、あなたの奥様って、異母でも兄妹だったでしょう?でも、…お互いがあまりに素敵すぎて…そういう関係になっちゃってたって。でも兄妹って、そういうことまずいから、自分たちがそれぞれ別の結婚をして、いとこ同士になる子供なら、何の問題もないから、自分達の夢を叶えてほしいから、そうしたんだって。
 だから、いまナンナがアレスをすごく気にしているってことは、そう言う、『一度汚れた血』の影響なんじゃないかって」
「誰から聞いた?」
「私はパティからよ。パティは町で、レンスターの軍勢が合流したっていう話を聞いた時から、そんな話を聞いたって。『背徳のヘズルの血が呼び合ったんだ』って」
「…」
私はかえす言葉をなくしていた。ついてまわる、ヘズルの血の円環の憶測について、世の好事家どもを皆殺しにしたくなった。
 王女がレンスターにいらしたこと、それはほどなく、ごく真実に近いうわさになって、半島北部を流れた。ナンナの出自についても、当然のように知られていることになる。それが、こういう風評に発展するということは、うわさにある王女の思惑を知ってか知らずか、子を得る道具となった、私への揶揄も多分にあろう。
 だがそれよりも、私の大切な者たちが、預かり知らぬところで言葉に凌辱されているという現実がある。私の目は血走っているのだろう、フィーは半ば恐怖も混じった複雑な表情で
「でも私、そのうわさは嘘だって信じてる。解放軍のみんなも、信じてる。だって、オイフェさんはそんなこと嘘だってちゃんと言ったし、そのうわさじゃ、デルムッドのこと説明できないし、第一、あなたが奥様のことどんなに大切にしてたか、ナンナ見てればわかるもの」
「ナンナには、言ったか?」
「言ってないけど、もう聞いてるかも知れない」
「…」
私は、おのが額に自分の手を当ててみた。私の表情は、そういううわさに関して、敏感に反応していることだろう。しかし、今の私には、何も出来ない。膨らんでゆく憶測、揶揄、そういう言葉にけがされてゆく彼女らを、私の言葉は助けられない。
「でも大丈夫。きっとリ−フ様がそんなうわさからナンナを守って差し上げますから。
 さっきだって、このうわさをしていた兵士を立て続けに二三人殴り倒したみたい」
「え?」
この話題に何故リ−フ様が絡んでくるのか、私はそれが聞きたくてフィーに聞き返した。しかし、彼女はその質問には全く答えようとはせず、片目をつむっただけだった。
「もちろん、私も信じてませんから、御心配なく。そのうちおさまります」
「まあ…ナンナがおかしいのには、私にも原因がないでもない」
私はその話から遠ざかりたかった。
「…実はアレス王子について、私より託されたことがあるのだ。切り出す切っ掛けを探っているのだろう」
「じゃあ、そのことをちゃんとリーンに言ってあげてくださいね、もう、大変なんだから」

 たしかに、リーンにとっては面白くない事態だったのだろう。アレス王子は踊り子と言うこの出自にまったくかかずらうことなく、リーンにお目をかけてくださっていることは私の目にも分かった。そこに私の娘があらわれて、となったら、心中穏やかではないだろう。
 「だってさ、向こうがアレスのこと気にしてくるから、アレスだって気にするじゃない? 私といるところにつれてきたりして、話させるのよ。
 もうすこし、あなたが言ってくるのが遅かったら、私の方がくるところだった」
踊り子リーンは、まず早口でそう言ってから、私の鼻先に指を突き付けた。
「ちょっとあんた、好きになったら人のものでも横取りしろなんて、娘になんて教育してきたのよっ! …て」
その剣幕たるや、以前レヴィンさまと親しくしていた、あの踊り子にすんぶんも違わなかった。しかし、自分の身の上については、旅芸人の母親に修道院に預けられたということ以外、彼女も身の上を知らないらしい。
「私によく似た人…シルヴィアって言うらしいわね。でも私、親のことなんて、何一つ覚えてないの。まあ、踊り子ならよくありそうな、酒場育ちの気風のよさっていってほしいかな?」
とにかく、リーンは、アレス王子のことを考えるので精一杯らしい。セリス様とのことは、根が深いのだろうか。ナンナも、まだ…
「酒場で踊るようになってね、そしたら、ジャバローに連れられてアレスが来るようになったの。
今はあんなに仏頂面してるけど、昔の彼はあんなんじゃなかった。早くセリス様との誤解が解ければいいのに」
リーンはへたりと適当な階段に腰をおろした。

 そしてアルスターは陥落した。ブルームは逃げたらしい。いや、逃げたわけではないらしい。単に「前線を後退させた」なのかも知れない。ブルームの領土となっているのはかつてマンスターと呼ばれた、すなわち私の良く知るレンスターも包括する広い部分になる。トラキア半島の北半分、その西の一角を、我々「解放軍」はやっと切りくずしたに過ぎない。
「ブルームはコノートにいるという話だ。温存している部隊、それに、マンスターにるイシュタルとも協力して、レンスターとアルスター、二つの城を取り戻しにくるだろう。位置からして、レンスターに全部隊を移動させたいけれど」
セリス様が地図の前で静かにおっしゃる。私は、各地の地形と情勢を分析していた。
「アルスター西の森の中には、アルスターの残存兵がいると考えられます。こちらにも若干力を残しておくのが得策と思います」
「そうだね、土地に詳しい者の言葉は聞くべきだね」
そこに、
「セリスさま!」
とリーフ王子のお声。
「レンスター城はぜひ、私に守らせて下さい!」
「でもリーフ王子」
「守らせて下さい。お願いします」
「…わかった。もともとレンスターにいた者は全員レンスターに。…王子が先発隊に? じゃあ、機動力のある騎馬隊を後でワープさせてあげるよ」
私はややあぜんとして、王子のご挙動を見守ってしまった。我々の献身を泰然も見守られる。それも王子としてのあるべき態度だろう。だが、王子のお目に、なき主君の光が見えたような気がして、この場を王子にお任せしておくことにした。

 一通り軍議を終えて、王子がおっしゃった。
「すまない、かってなことだろうね。でも、私だっていつまでも守られているばかりじゃいられないんだ。
守ることを覚えなければ。…いや、思いださなくちゃ。
 手伝ってくれるね?」
私に異義などあろうはずもなかった。そして、フィーの言ったことも忘れていた。王子の一連のお振る舞いが、何をさすのかも、悟れなかった。