案の定、オイフェ殿は、入って来たナンナを見て、しばらく固まっていた。
気持ちは良く分かる。私も、この十五年を同じ気持ちで過ごして来た。いかに子供は親に似るとはいえ、ここまでというのは我ながら経験したことがない。やっと襟足を被うようになった髪が、肩を過ぎるまでになれば、私の記憶の中で永遠に時をとめている面影にそのままなのだ。
ナンナにも、部屋の人物をざっと紹介した。私とちがって、彼女は、兄の出現がひさしぶりの喜ばしき椿事であったらしい。ひとしきり、兄に抱き着いて離れなかった。そして、
「お兄様、お母様のことは何か覚えてらっしゃいまして?」
と言う。埒の開かない私ははやあてにしないとなったか。それも詮のないことだろう。デルムッドは、少しだけ眉をひそめた。
「いや、イザークにかくまわれた当初、しばらくおいでだったこともあったとオイフェ殿からは聞いたが、物心ついてからは一度もない」
「え?」
ナンナは怪訝そうな声をあげた。
「おかしいわ。お母様は、お兄様をイザークからここに連れてくるとおっしゃって、レンスターをお出になられたそうよ?」
言って、
「そうよね?お父様?」
私を見た。今こそ洗いざらいを聞くときだという顔をしていた。私が、言うことを見つけている間に、
「ん、何だ? やな時に来たな」
レヴィン様の声がした。私はこの方の出現にやや力を得た感じがした。それがつい口を出る。
「ちょうどいいところにお出でになりました」
「私に用か?」
「子供逹にに話したいことがあるのですが、レヴィン様の御口添えがいただければと思いまして」
「ああ…そのことか」
レヴィン様は、すこし困った様な仕種をなさった。
「デルムッド、ナンナ、お前達の両親のなれそめから語らにゃならんから、ちょっとややこしくなることを覚悟でいるんだな」
「母上のことは少々聞かされてはおります。アレス王子のお父上とは兄妹の関係であったそうですね」
「え?」
ナンナは目を丸くした。その顔を見て、レヴィン様は「なんだ、こんな事も教えていないのか」という御顔を私に向けた。弁解のしようもない。
必要な事項だけを過不足なく、だが全く飽きさせず、時々私やオイフェ殿に確認を取られながら、レヴィン様は語られる。こういう話題にまっ先に飛び付きそうなフィーは、その背後で、上目遣い気味に、やや厳しい顔で、その方を見つめている。
そのお話が終わった時、デルムッドのやや上擦った声がした。
「では、母上は、私を連れ戻すほかにも、アレス王子を捜索されることもあって、イード砂漠に赴かれて、それきり、ということですか?」
「…」
私はうなずいた。
「正確には、これよりイード砂漠にお入りになるとのお手紙を最後に、音信が途絶えられた。
沙漠に入らずにイザークに至る、他に方法がない訳ではない。だが、沙漠に出現したと言うミストルティンの情報が、王女を動かした」
「それじゃ、どこかでまだ生きていらっしゃる可能性がありますわ… 記憶を失ったとか、やむなく動けなくなられたか…」
ナンナがぐるりと周りを見て手を組んだ。
「ナンナ、イード砂漠は魔の砂漠と、聞いたことがあるだろう?」
だが、レヴィン様のお言葉は冷静で、冷酷でもあった。
「旅慣れているキャラバンさえも、灼熱の砂の中で行方を断つことがある。まして彼女は単身だった。途中でなにかあっても、それをこっちが察知するのは難しい」
諦めるしかないんだ。そのうちナンナは、はしばみの瞳からぽろぽろと涙を落とし始める。彼女を支えていた一つが、今の瞬間崩れたのだ。失神しかけたナンナを、フィーとデルムッドが支える。私はそれを見ていられなかった。回りの視線が、私にはことさらに痛く感じた。それはおそらく、私が長らく悔根に感じることへの、無言の責めか。そこに再び、レヴィン様のお言葉。
「ことわっておくが、その旅に随行しなかったからといって、この男を責めるのはかえって筋がちがうというものだ」
「なぜです」
そして、私は自ら、続くお言葉に逆らっていた。
「お一人で旅立たせてしまったことを私は今でも後悔しております」
「彼女がそれでいいといったのだろうが」
「ですが」
「色ボケんじゃない!」
「!」
レヴィン様の視線が私を射る。
「お前には、リーフを扶育する重要な任務があっただろうが」
「ですが」
「良く聞け!」
レヴィン様が私の胸ぐらを掴み、私達だけにしか聞こえない声でおっしゃる。
「…身体も任せる程恋い焦がれた兄貴の息子に会いに行くのに、お前はどのツラ下げてそれについていくつもりだったんだ? 第一、お前も同じことを考えたから、結局ひとりで行かせたんだろう? 今になってからのそんな言い分は詭弁だ!」
「…」
「わかったか」
また普通のお声でおっしゃる。
「彼女なりの思惑があったんだ」
デルムッドとナンナ、二人の母親である以前に、彼女はヘズルの血統の重鎮として、いにしえの聖戦士の血脈の絶えてゆくのを、手をこまねいて見ているわけにはいかなかったのだ。レヴィン様は、特にナンナに向いて、「だから、この男をせめてはいけない」とおっしゃった。
そのまま、酒が運ばれてきたが、どんなに飲んでも、頭の中までは酔えなかった。不甲斐のなさだけが、どんどんと頭の中にたまり、浴びる程の酒は身体に先に回って来て、自分の背筋さえ支えられなくなった私は、レヴィン様とオイフェ殿、そしてデルムッドに支えられて自分のへやに帰るという失態をおかしてしまった。
「俺は、お前を、アグストリアワインのグラス半分で真っ赤になる頃から知ってるつもりだが、まさかこんな無謀な酒飲みになるとは思わなかったぞ」
というレヴィン様のお声が、頭の上でする。
「図体もでかくなりやがって、まったく」
誰かの手が滑ったか、廊下の真ん中に、私は背中からのめる。上の方から呆れたようなお声がした。
「…デルムッド、初対面の父親のいきなりへべれけになったこの姿をどう思う」
「きっと、母上の事を思い出されていたのでしょう。遭難された責任の一部分は、私にもあります。ナンナのように、責めることはできません」
「生後すぐ生き別れになって責任もなにもあるものか。
…もう少し込み入った事情は、リーフ達が合流する頃からおいおい明らかになるだろう。そう言うねたの一つぐらい、抱えていそうなやつなんだ、気をつけておけ?」
「…はあ」
「御明察、痛み入ります」
「…聞いてやがるんだから」
かたわらで、ごそりと何かが動く音がして、デルムッドの顔があった。
「父上、御気分はいかがですか?」
「心配はいらない」
「ナンナは、俺やフィーがなんとかしますから、今夜はこのままお休みください」
「…そうか」
まかされてくれる人間がいるという気楽さが襲って来て、私は床の上で眠りそうになってしまった。
「こんな所で寝るな、運ぶのに重くなる…
まったくしょうがないやつだ」
男四人の黒い固まりが、ゆっくりと廊下を進む。
「デルムッド」
「はい父上」
「…ナンナに勘違いしてもらってほしくないのは、私がレンスターに戻ってそれきりの間であったなら、あの娘はいなかったという事だ…」
そこまでは言った記憶がある。だが、すぐに、私の意識は深いところまで墜ちた。
「…私は、忠義と騎士道なんぞというものの影に隠れていた、愚か者なのだよ」
不思議に宿酔いはしなかった。朝食の席で、一両日中に、我々がセリス様の本隊に合流する決定が告げられた。
私は、フィーとナンナの間に挟まれてそれを聞く。
そして、セリス様がお出ましになると、デルムッドはやおら立ち上がった。なにくれと世話を焼いているようである。
「デルムッド」
セリス様はその彼に、静かな声でおっしゃる。
「頼むから、そういうことはよしてよ。イザークじゃ一緒に悪さした仲じゃない」
「いいえ、そういうわけにはまいりません。
グランベル帝国の皇位継承権を持つようなお方に、今まで俺はさんざん無礼を働きました。今からでも償わせて下さい」
オイフェ殿が、
「なんというか、朝からうるさい男だ」
と、頭に手をやっている(アルコールが残っているらしい)。後ろでメイドの笑い声がした。
「何がおかしい?」
と、身をそらせて聞くと、彼女は、
「今まで何となく信じられなかったけれど、あの人、本当に隊長さんの息子さんなんですね」
「どういうことだ、それは」
「昔の、隊長さんと奥様を見ているようで」
「…」
どうもよくわからないが、はたからはそういうように見えたようだ。
「そうだった」
と、オイフェ殿の笑う気配がした。ナンナは大人しく朝食をとっている。とくに、いつもの朝とかわったことではないと、安心して観察していると、フィーは
「大丈夫、あのことはちゃんと話しました」
といつになく神妙に言った。
「でも、機嫌悪そうね。昨晩は嬉しそうだったのに」
「うれしそう?」
「お父様のことで少し当てられました」
「は?」
「生まれた時から今まで、何日も離れたことがない、ずっと一緒だったって」
ナンナは私の顔を少しだけ見た。
「ずっと見ていてくれた人ですものねぇ、うまれたときから」
どこかの薄情な人とは大違い。フィーは健やかに笑う。どこかでせき払いが聞こえた。
いろいろ、予感が渦を巻いていた。
十二年前、ダーナの町の武器屋にミストルティンの修理依頼があったと言う話。
そして、今。姿をあらわそうとしている当代の魔剣の使い手。
だが。
今の私の前に、「これ」は、残されている。
御出立が近くなったある時、王女が私に、それを託された。
「これを、預かっていて」
「え?」
「これ…兄がアレスにあてた手紙なの」
「そんな、大変なものは」
うろたえる私に、王女は、封筒をついと、ことさらに私の前に押しやられた。
「大変だからこそ、私はあなたに預かってほしいの。私はもう…その手紙は空で言える程読んだわ」
「…」
「イザークに行ってくるだけなら、簡単なこと。でも…沙漠の中に入ったら、どうなるかわからないわ。だから、アレスを先に探すの。
無事帰れれば私が読ませるわ。でも、私がアレスに会えなくて、」
「そんなことはおっしゃらず」
「いいえ」
私が、余りの御決心に取り乱しかけた私を、王女は強く、しかし優しく、引き戻してくださった。
「…あとになって、あの子があらわれたとしたら、あなたが読ませるの。
ヘズルの血にかかわったあなたなら、その資格と…義務があります」
「…はい」
「王子アレスの捜索は、叔母、王女としての私の使命と、あなたは言いました。
宜しくお願いします…王女として」
王女は、私に膝を折られた。私はそれに、それ以上、何もかえせなかった。
今にして思えば、王女は、こうなることを、予感されておられたのかも知れぬ。
出立の前に、私はナンナを呼んだ。アレス王子のことをさっど説明してから、
「解放軍に合流すれば、アレス王子とも接触が叶うだろう。
…率直に言う。アレス王子に、お前が『これ』を手渡してほしいのだ」
「なぜ私が?」
と、ナンナは聞いてきた。
「私より、お前が適任だと判断したからだ。いつ切り出すかもいっさいお前に任せる。アレス王子の生い立ちに関わる重要なことだからな」
「昔のことなら、お父様がお話すべきではありませんか? レヴィン様のお話の通りなら、お父様とも全くの他人ではないと思うの」
「いいのだ」
私は、無理にそれ以上の質問をさせなかった。
無気味な程静かなアルスター城下を遠回りにして、当分の本拠になるメルゲンに到着する。複雑な気分だった。リーフ様はセリス様と水入らずにお話を、ナンナはメルゲンを守っていた少女戦士達に囲まれるように、それぞれ私の前を離れていく。
いつのまにか側にレヴィン様がいらっしゃっていた。
「面白いことになっているぞ」
「面白いこと?」
「バーハラの炎に焼かれた俺達の昔の仲間の子供達が、だんたんとセリスに引き寄せられてくる。
みな子供達の中に、何かを遺していったんだろうな」
「…」
私は何も言えなかった。生き残った私は、子供達の中に、その何かを置き忘れたのだろうか。
「あんまり思いつめるなよ。お前は生き残ってよい人間だったんだ。その命を後ろめたく思うな」
レヴィン様は落ち着いてそうおっしゃった。
「お前は昔から何でも抱え込み過ぎる。俺みたいに全てをうっちゃれとは言わんがな。ナンナもデルムッドもあんなに立派に育ったんだ。親はなくとも子は育つ、ひとつの真理だぞ。
少しはやつらに下駄を預けて知らんぷりしているのがいいさ」
「はあ」
「どうせ、まだ子供はもちろん、俺達にも話していないネタの一つぐらいかくしているんじゃないのか?」
「…はあ」
「そうだ、娘等が騒いでたぞ、お前の顔がみたいってな。なにぶんにもデルムッドは、相応に男前の顔らしいから、その出所が知りたいって言う、単なる好奇心か…」
「はあ?」
「あるいはもっぱら口実で、それぞれの親の話でも聴きたいのかもしれないがな」
レヴィン様は短い間豪快にお笑いになった。
「ま、娘達の間に入って、女親そっくりのナンナを見違えるのも、いいことかもしれんな」
行って来い。私を迎えに来たのだろうか、近付いてくるフィーをさけるように、レヴィン様は私の肩をぐいと彼女の方に押しやられた。
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