考えれば、この外出は、マディノからノディオンに来た時以来の、初めての大きい旅になった。そういう私に、この生活はとても刺激に溢れたものだった。
 私は、ノディオンからの守備部隊のほかにも、シグルド様とキュアン様の部下からそれぞれ少しずつ、守護部隊をいただくことになった。シグルド様のおっしゃるには、
「君になにかあったら、申し訳がない」
とのこと。キュアン様も同じようなことをおっしゃった。
 シグルド様のお心に供なって来られた方の中には、そもそもの遠征の発端になられた、ユングヴィのエーディン様のお姿もあった。救助された後は、生き別れのお姉様を探しておられるそうだ。華やかな面だちに清楚なお振る舞いが尼僧然として、年下の私がいうのもなんだけれども、かわいらしいお方だ。そのヴェルダンで保護されたと言う、イザーク王族というアイラは、将来の国王になる甥を守って、国の崩壊以来傭兵に身をやつしてきたと言う。夜の闇が滴ってきたような真っ黒な髪と瞳で、剣の腕の立つ勇ましさの中に、優雅さの漂う艶やかなひとだ。私は、こう言った方達と、比較的早くに打ち解けられた。
 その一方で、ヴェルダンの動乱にまぎれて脱獄してきたとうそぶく小盗賊デューが、そのアイラの甥シャナンや、シグルド様の従者オイフェと、年頃が近いらしく徒党を組んでいる風景がある。私も、何処で手に入れた来たか、
「これ、お近づきの印だよ」
と、剣を貰ったりして…人貧しくして卑しからずと、分け隔てのないシグルド様の御器量の広さに、些か面喰らったものを感じたりしていた。

 ともかく、隊は、ハイラインから北上して、アンフォニーに向かう。アグストリア中心を覆う大森林を開拓して、交通の便宜を計ろうと言うイムカ様のご意向で、多くの民が入植されいてるのだが、その開拓民のささやかな貯えを、アンフォニー領主マクベスが狙っているのだそうだ。シグルド様は、これを退け、裏で指図をしているはずのシャガールを追求するらしい。
「出過ぎたまねとは思われるだろうが、民より搾取して私腹を肥やそうなどという行為は、同じく人の上に立つものとして赦したくない」
とは、シグルド様のお言葉である。
「あいつも、きっと同じことをするだろう。私達の心はいつも同じだ」
「俺は、もう少し方法があるんじゃないかと、言ったんだけれどね」
と、その横でキュアン様がおっしゃる。
「慎重なんて言葉、今のシグルドには言っても聞かない」
「キュアン、私はこれでも冷静な方だ」
「わかってるよ。向こうの言い分を聞く暇もあればこそ突撃するなんてことをしないだけマシだ。
 ディアドラがいいホダシになって、俺もエスリンも一安心だよ」
「キュアン!」
近頃奥様にされた方の事を取りざたにされて、シグルドさまは顔を赤くされて、去ってしまわれた。その後ろ姿を見送って、キュアン様がおっしゃる。
「なにぶん、真正面からあたってくだければ、どんな難題でもきっと道は開けると信じている男だ。苦労はさせられるが憎めない人格だ、得なやつだよ」
ははは、と、キュアン様がいとも簡単に笑われるので、私もつられてしまう。でも、キュアン様はすぐに、そのお顔を険しくされた。
「なんでだろうな、ほとんどおなじ性格なのに、あいつは損ばかりする」
「シャガールは…以前より、人望ある兄を妬んでいましたから。
 盟主になった優越で、兄を邪険にするだろうことは想像は出来ましたが、まさかここまでとは」
「難しいんだよ、あいつ程の人間が、誰かの下につくって言うことは」
キュアン様はふう、とため息をつかれた。
「申し訳ありません。私があの日、登城を止めていれば… 例えアグストリア中で孤立する事態になっても、兄さえいれば…もうすこし」
「いや、ちがうね」
キュアン様は、あっさりと、私の考えを投げられた。
「結局、こうなったと思う。残念だが、表向きにはアグストリア諸候連合の一部の些細な身の足掻きにしかみえない事態だ。
 君は、間違っていない。誰がなんといっても」
「はい…」
「君が、ここで弱気になったら、君についてきた守護部隊の士気に関わる。
 元気出せ」
キュアン様は、私の背中を、息がつまりそうになる程の音で叩かれた。
「!」
「大丈夫。アグスティの内政に関して、シグルドが首を突っ込むのは、このアンフォニーの件だけだ。それ以上のことはさせないよ。エスリンの悩みのタネを増やしたくもないしね」
何か言いたくても、背中が痛くて声が出なかった。
「…」
「君は、兄上の解放を第一に考えてくれればいい。これは、シグルドも同じ意見だ。
 君を無事、アグスティに届けるために、私達はより抜きの部下を回しているのだからな」
「…はい、それは、伺いました。有り難うございます」
「こき使ってくれていいんだからな。君程の美姫に仕えるって言うんで、天狗になっているヤツもいるからな」
「ま」
美姫、とおだてられたことを言われて、私はつい笑ってしまった。キュアン様は、
「そうそう、その笑顔ですくわれる兵士もおおかろう」
と呵々大笑された。

 アンフォニーに至るまでに間に、一つ、再会があった。
 戦場の私の回りには、編成された守護部隊が鉄壁のような壁を作っている。その壁を間を縫うように、敵らしき騎兵が飛び込んで来た!
「何してやがんだ、姫さんがこんなところで!」
当然のように、守護部隊の騎士達が壁を作ってくる。
「何者だ、姫様に軽々しい口をききおって!」
私も、その言い方が、余りに知った風でぶしつけに聞こえたものだから、壁の間から顔を出した。
「あなたは誰? 私に何か用? 敵の兵士に知り合いなんていないわよ」
すると騎兵は
「つれねぇいい口だ、俺の事はお忘れか」
と言う。
「口を慎まんか、無礼者」
「無礼者じゃねぇ、俺は姫さんとその兄貴の知り合いだ、怪しいもんじゃねぇ」
「十分怪しい!」
悶着になりかけたところで、
「どうしたの、大丈夫?」
とエスリン様の声。
「エスリン様!」
エスリンさまは、騎兵の様子を見た。騎兵は、エスリンさまに、何ごとか言った。ようは、私に口添えを、と言うことのようだ。エスリン様が近付いてきて、
「この傭兵、昔貴女にあったことがあるそうよ。これを見せればわかるって」
私の手に何かをにぎらせる。金貨が一枚。そこで私は、顔を上げた。
「まさか!」
「やれやれ、やっと気が付いてくれたか…」
騎兵…いや傭兵ベオウルフは、安心した、と言うように頭をかいた。

 私はいつか、ノディオンに一人で向かおうとして、その途中でノディオン貴族と傭兵に保護をされれたと言う経緯がある。
 私は、マディノの自宅を出て、すぐ見えた酒場らしい建物に入り、旅の間の護衛として、たまたまそこにいたベオウルフを雇おうとしたのだ。
 金貨一枚で。最初相手にしなかったベオウルフだったが、私の余りの無謀さが無下に出来なくなり、その契約を結んでくれた。その後、情勢穏やかならないマディノを視察する為一貴族に身をやつしていた兄に出逢ったと言う経緯があった。
 兄は、身をやつしたままマディノ攻略にすすみ、しばらく、この傭兵と一緒だったことは話に聞いている。
 閑話休題。しばらく交渉の末、ベオウルフは、それまでの主人であったマクベスを裏切り、エスリン様に私的な従者として雇われたらしい。
 夜。自分の宿舎に戻ろうと言う所で、そのベオウルフが声をかけてきた。
「話は、あらかた聞いたぜ…あいつ、あんなことになってやがったのか」
「ええ、そうなの」
話が兄の事になったので、私はとくに感じる所もなく頷いた。
「お兄様を助けたくて、私ここにいるのよ」
「心がけは立派と言いたいが… 戦争は子供のお遊びとは違うぜ?」
「わかってるわ。でも私は、足手まといにはならないつもりよ」
「お姫様はお姫様らしく、お城でジッとしてればいいと思うがねぇ」
「そんなことできるわけないじゃない」
「だろうな」
ベオウルフは、あっさりと、自分が言いまかされたことを認めた。
「家出をするぐらいの姫さんだ、いまさら俺はびっくりしたりはしねぇよ」
「ありがとう」
「しかし…あいつ、こうなることを予想していたのかねぇ」
「予想?」
私が首をかしげると、ベオウルフは、
「ああ、二ヶ月ぐらい一緒にいたが、別れまぎわに、姫さんと、城以外の場所であうことがあったら、俺の身に何かあったことだから、あんたを気にかけてくれ、とな」
「そうなの?」
「そうさ、だから、今こんな場所で会っちまったもんだから、…今を予想していたんかな、と」
「だとしたら…その予想が現実になったのは、私のせいなんだわ。
 ベオウルフ、ごめんなさい。あなたまで、何か大変なことに巻き込んでしまったかも知れない」
「おっとっと、そんな言葉、姫さんの口から聞きたかないね」
ベオウルフは、諸手を挙げて、私の言葉を押しやるようにした。
「傭兵っていうのは、金次第で誰の手下にもなるもんだ。何かに巻き込まれて、最悪死んだとしても、それは自分の見込み違いってやつなのさ。
 一度あいつの友情ごっこに乗った俺だ、縁がきれるまでお供しようじゃないの」
「え?」
「そういうことだ」
ベオウルフは、唇の端をことさらに持ち上げた顔をした。陣を照らす明かりに、えくぼのような影が見えて、やっと私は、彼が笑っているとわかった。
「ありがとう」
「だから、礼はいいって」
ベオウルフは、くるっと、きびすをかえした。歩こうとしたらしいが、すぐに振り返った。
「姫さん」
「なに?」
「…綺麗になったねぇ」

 アンフォニーを下したシグルド様に、いよいよアグスティは危機感を持っていた。
 マッキリーが、手薄になっていたノディオンに手を伸ばしはじめているらしい。ノディオンへの強行軍をこなしたはいいが、皆疲労困ぱいをしていた。
 私の守護部隊も、怪我の治療をする合間もなく、この強行軍を踏破した。もとが、経験の浅い騎兵達だけあって、その疲労は並ではない。私が、治癒の杖を振ると、皆一様に、安堵の顔になった。
「アグスティまで、もう少し…マッキリーをこえれば、私の願いもかないます。
 それぞれの御主人様に、良く勤めてくださったと、その分恩賞をいただけるように、計らいますから」
というと、部隊の中から、
「もはや、お金じゃありませんよ!」
と声がした。
「姫様!私達の事は心配ありません、ノディオンの為に戦えれば、本望です!」
「皆…」
また、涙が出てきてしまいそうになる。顔を押さえる。その私に、声がまたかけられる。
「王女が御本懐を遂げられる為に、精一杯のことをせよと、我々はそう言い渡されております。どうか、お気に為さらず、ノディオンの為に御まい進下さい」
「はい…」
涙が押さえられなくて、しゃくりあげそうになる。
「あ、隊長が姫様を泣かした!」
誰かのおどけた声がしたけれど、笑う気持ちにはなれなかった。

 そして、私は…兄に会えなかった。
 シャガールを守って、西の砦シルベールに本拠を移した。
「これを君にと、預かっている」
兄に会うことの出来たシグルド様が、私に手紙を差し出された。
 兄は、私の行動を…優しい言葉であったが、やはり、評価できないと言った。でも、シグルド様達は、全幅の信頼を預ける友人だから、きっと自分の立場も考えた策を出してくれることだろう、その方達の指揮を手伝って、その行く末を見届けろ、と、そう続けてあった。
 ノディオンはもう、無事ではいられない。兄は、お姉様を、アレスと一緒に故郷のレンスターに疎開指せることを指示してきた。キュアン様は、私の相談に、
「それは、レンスターとしては問題のないことだよ。グラーニェ王妃とは昔から宮廷で顔を合せてきたし…知らない仲じゃない。こういう形ではあるけど、一度里帰りして、羽根を伸ばすと言うのも、いいことじゃないかな。一度会った時は…やや消耗されていた」
と、快諾された。
 …後になって聞いた話だけれども、お姉様ご本人は、この疎開を、最後まで首を縦に振らなかったそうだ…でも、レンスターなら、アグストリアから遠く、政争も及ばない。
 兄の判断は、ひとまず、順当なものとしなければならないだろう。