お姉様になるグラーニェ様は、お母様より二つ三つお年下と聞いていたけれど、お背が小さくてかわいらしいお方だった。
 華やかに、入城の式典が執り行われる。これからはずっとここにいらっしゃるグラーニェ様に、お母様は、玉座の側の王妃の椅子を譲られた。

 城の、王と家族だけの空間に、私達はいた。
「もっと早く、お迎えすべきでしたが、なにぶん、国内の情勢不安定にくわえて父の死去も重なりまして」
と、お兄様が角張ったことを言う。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「いいえ、今までのことは今日忘れることに致しました。ここに来ることは長らくの夢でしたもの、私、これ以上ない程幸せですわ」
グラーニェ様のお声はとても綺麗だった。私の側で、お母様は、お兄様達を笑って御覧になっている。
「キュアンに会えなかったのが心残りだ。彼は一足先に卒業して行って、彼の結婚式にあったきりだ。昔からの友情をなんだと思っていると、シグルドと恨み節を唸ったところで」
「そうおっしゃらないでくださいましな陛下。私、王太子殿下にくれぐれもと、お言葉を託されました。御出席を切に望まれておりましたわ、でも、トラキアとの衝突は予断を許さぬと、涙を飲まれたのですわ。たしかに…お妃様が御懐妊で、有頂天になって…いらっしゃることもありますでしょうが…」
「それはシグルドから聞きました。結婚してやっと半年なのに」
「お城では、今から王子様か王女様か予想で持ち切りですわ。キュアン様は御心配でも、侍女の方々がおそばにも近付けさせなくて、それが少々御不満とか」
グラーニェ様はその情景を思いだしたのか、くすくす、とお笑いになった。
「だからでしょうかしら、先頃亡くなった側近の御子息を、弟同然にお目にかけているようですわ。身寄りがないからと、すぐ近くにお部屋を与えたり、特別に馬術を教えて差し上げたりとか」
「それはどう言う風の吹き回しだか。キュアンは、昔から女性には愛想がいいが男にはまったく仏頂面だと、士官学校でも有名だったのに」
お兄様とグラーニェ様は、お二人して声をあげて笑われた。とても仲がよさそうだった。文字だけの付き合いでも、十年と言う時間は、お互いの気心を知るには十分なのかも知れない。
 そのとき、つい、と、お母様が私の服を引かれた。
「なんですか?お母様」
「…お勉強の時間が近いのでしよう? そろそろ、お二人にして差し上げましょう」
「…はい」
「私も横になりたいわ…疲れて」
そうおっしゃるお母様の顔には、血の気がなかった。
「お部屋に戻ったら、お医者様を呼ばせましょうか?」
「いいえ、その必要はありません」
私は、その場を離れることを、お兄様に言おうとした。お兄様達は笑い声も交えながら、まだまだお話は尽きないらしい。でもお母様は私の手をはなされなかった。
 物音に、やっばりお兄様が私達の方を向いた。
「どうした?」
 お母様が部屋に戻られるのが、心配なのかも知れなかった。途中で席を立つのは、起きていられなくなった時だから。お母様はほんのり微笑んで、会釈された。私も、
「私はお母様をお送りして、そのままお勉強します」
と、笑ってみせた。

 部屋に戻られる途中、私の後ろでお母様は、ずっと、何かのお声を堪えておられるようだった。
 私は、振り向かなかった。

 それからお母様は、ほとんど起きられることがなくなった。
 お医者様は、お母様の体の中には悪いものがあって、それが毒を吐き出して体を弱らせているのだと、今分かったように教えてくださった。
 お食事の量もお話の量も少なくなり、一時は溢れるばかりだった笑顔も、消えかけて。私は、お母様が、何かにむけて振り向かずに走って行ってしまわれるようで、少しだけ、恐かった。
 お母様は、お兄様がお見舞いに来るのを、かたくなにお断りしていた。病気のお顔は心配されるから、と。
「陛下は、グラーニェ様とお前とを、お気にかけてくださればそれでいいの。お前が、私を忘れないでくれれば、それでいいの」
と、細い息でおっしゃる。
「家臣の方々に、お早く、華燭の典をあげられるように、進言していただきましょうね…私の最後のお願いと言えば…陛下は…
 グラーニェ様は、それは何年も何年も、この時をお待ちでいらしたのですもの」
そして、ため息をつかれた。
「お前にも…そろそろ、しかるべくお嫁入りのお話がある頃でしょうから…何人か、そういうお言葉を戴きました」
「まってお母様、私まだ十二歳よ?」
「早いことはまったくありません。レンスターのエスリン王女様はそのお年で御婚約されたとか」
「でも」
お母様は、私のこれからを心配していらっしゃる。お兄様はグラーニェ様と、いずれ生まれてくるお子さまとで、王家をのちのちまで伝えてゆく。お母様の違う妹の私は…家臣や外国との仲を保つ為に、どこかにお嫁に行かなくてはいけないのかも知れない。先生もそうおっしゃっていたし…
 でもまだ、少しだけ、今のままでいたかった。お母様は…まだ…ここにいらっしゃる。
「私…私、お母様の側を離れたくありません」
そう言った。お母様が、ひさしぶりに、声をあげて笑われた。
「…あらまあ…半分大人になりかけている人が、何を言うの」
嬉しそうだったけれど、寂しそうだった。

 それが、お母様の笑顔を見た最後だった。
 お兄様とグラーニェ様のご結婚式を数日前にしたある日、お母様はとうとう亡くなられてしまった。
 お綺麗なお顔だった。お医者様が、寝台の脇にある引き出しの手紙を持ってきてくださった。結婚式の前に亡くなったら、式の一ヶ月後まで誰にも知らせてはいけないこと、遺灰はマディノとノディオンにわけて、ノディオンではお父様の近くに埋葬してほしいこと、マディノとノディオンにある、お母様名義の財産は、私が成人した時に相続すること、そんなことが書いてあった。さいごに、私達の幸せを祈ります、と。
 グラーニェ様は目を真っ赤にしておられた。
「やはり、皆に知らせるべきと存じます…式は、伸ばしてもやむを得ませんもの…」
しかし、お兄様は、遺言を守ることを決定された。私は、そういう会話がかわされている中で、涙も出さずに立ち尽くしていた。前々から、お母様のお姿を見ていた私は、知らずのうちに、この日のための覚悟を教えてもらっていたのかも知れない。お母様は、御自分の背中に迫っている何かの存在を、かくさず私に見せてくださった。
 その私の体を、後ろから、グラーニェ様が抱き締めてくださっていた。
「…とうとう…おひとりになってしまわれのたね…お可哀想に…」
背中が暖かくて、ほんのりといい香りがした。
「お強い子…私、お祖母様をなくした時には、こんなにしっかりしておれませんでしたのに…」
グラーニェ様は暖かかった。あたたかさと優しさが、背中伝いに一気に流れ込んできた。
「…」
私達を見るお兄様の顔が、急に歪んできた。溶け出したように、涙が出てきた。肩に回された手を握りしめていた。
「…お姉様…」
その言葉が自然に出てきていた。涙が止まらなかった。歪んで見えるお兄様は、ずっと、唇を噛み締めていた。

 お母様の遺言は、忠実に実行された。式は、予定通りにあげられた。
 お姉様のお話によく出ていらっしゃる、レンスターのキュアン王太子様をはじめてお見受けした。お兄様は、シグルド様と三人、たいへん楽しそうにしていらっしゃる。朝になるまで、浴びるように飲もう、そんな言葉が聞こえた。
 そして、私に、ぽつりぽつりと手紙が届けられるようになる。
「ええ、お年頃ですもの」
と、お姉様は至極当然のお顔だった。
「あなたは、そうやってお手紙を下さる中から、しかるべくお相手を探しても良いのですよ」
「ええ」
私は生返事をしてみた。というのも、最初の何通かは目を通したけれども、どれも似たような交際の申し込みばかりで、後の残りとそれからの手紙は、ことごとく、封も開けずに捨てさせていたのだ。
「あるいは…陛下がしかるべく、お相手を御紹介下さるかも知れません。
 ええ、陛下が選んでくださる方なら、間違いはございませんわ、きっと」
お姉様は、幸せそうだった。幸せそう過ぎて、目が眩む程だった。

 確かに、私はこう言ったことがある。
「ノディオンには砦の聖戦士ヘズルの血が流れている。その血を絶やさないことは血を伝えるものにとっては義務に等しい」
と。
 でも、それは頭の中だけのことだった。具体的に、それがどう言うことなのか、話を聞きはするけれども、私は分かったようなわからないような心持ちでいた。まだ完全に成人しきらない私には、まだ遠い話とされていたのかも知れない。
 とまれ、私とお姉様との間柄は、すこぶるつきの良好な状態であったと思う。お姉様は、物語の継姉のようなそぶりはかけらもなく、お兄様をひとりじめしているようだからと、お兄様といらっしゃる時でも私を呼んでくださったりした。レンスターから、昔お召しだった服を取り寄せてくださったり、本を貸してくださったり…
「最初は、不安もあったが、仲が良いようでなによりだ」
と、お兄様が言った。
「強い子だから、グラーニェと喧嘩しはしないかと気を揉んだりもしたが、心配するまでもなかった」
「まあ、お兄様、そんなこと考えていらしたのですか?」
「当然だ、お前が、母上と俺とのことを心配したのと、なんら変わらない」
お兄様は、私の角口にいかにも、と言う顔をした。
「…あの時、思いきってグラーニェを迎えて良かった」
「ま」
お姉様が目を細めて、口元に手を当てられた。
「家臣達の期待は相変わらずなんだがな。もっとも、今度は『おはやくお世継ぎを』だが」
「もう、陛下ってば」
お兄様がくすくすと笑う隣で、お姉様が顔を真っ赤にされる。そのお二人の顔には、お母様が亡くなったということなんて、残っていないように見えた。あの時、お兄様もお姉様も、あんなに悲しそうだったのに。
「ねえ、お兄様? お母様のこと…」
そう口にだしかけた。でも顔をあげた時、お兄様は、お姉様に誘われるままに部屋を出た後だった。

 その夜に、私は、お姉様にかえす本があることを思いだした。次の本を貸してくださる約束だった。
 本をかかえて、部屋を出る。もう寝るべき時間でもあるうえに、この時間に、お姉様の部屋に入ってはいけないと、そう言われていたけれど、その理由もわからなかったし、続きも気になったし、廊下から見えたお部屋にはまだ明かりがついていたから、おやすみになる前に、と、私は自分にあれこれ言い訳をつけて、夜の城の中をかけていた。
 お姉様のお部屋には、人の気配はしたけれど、侍女の姿がなかった。やっぱり、おやすみになってしまったのかしら、と思いながら、続きになっている寝室をのぞいた。
 なぜかそこに、お兄様がいた。私の見ている方からは、背中しか見えなかったけれど、その背中にうきあがる剣の形のアザは、お兄様しかいない。結っている髪を解かれて、お姉様は夜着のあわせをゆるめながら、俯いてなにかおっしゃっているようであった。お兄様は背中を少し揺らして笑ったようだった。お姉様はその言葉に遠目にわかる程顔をそめられて、ついと、お兄様の体に顔を寄せられる。お兄様は、そのお体に手を回して、そして…
 私は、瞬間的に、声をあげそうになった口を手でおさえて、扉の脇にへたり込んでいた。そのまま、寝室に背中を向ける。結局、お二人に気付かれなかったのは幸いだった。走った訳でもないのに息が浅くなる。扉の向こう側は、そんな私の気持ちは愚か存在さえも慮る様子はない。囁く声と布の擦れる音が聞こえてくる。それを聞きながら、私は、体のふるえがおさまるまで、その場所を動くことが出来なかった。
 動けるようになってから、そろそろと、部屋を出てからは全速力で、私は自分の部屋に戻っていた。
 なぜか、本も持って帰っていた。

 目が冴えて眠れなかった。頭が冷えはじめた時に、「アレが、そういうことなんだ」と、妙に納得していた。跡継ぎを作るって、家臣は口で簡単に言うけど、…それって… 私も、お父様とお母様でああして生まれてきたんだ、お兄様とお姉様も、ああしているうちにお子さまができて…私も…誰かと?
 でも、その時は、自分のことなんて、考えがおよびもしなかった。動転ついでに脱線していたのだ。
 これまで、さまざまに、楽しそうにしていらっしゃるお二人のお顔が浮かんだ。
 お母様がなくなったのに。
 お兄様が、あんなに大切にされていたお母様が亡くなったのに!
 複雑な感情が、もろもろと私の体の中を駆け巡る。その感情に呼応するように、体の内側がうずうずと痛くなってくる。体を丸めて、私は無理矢理寝た。
 それから二三日は、お二人の顔を見る私の顔はね少しく引きつっていたかも知れない。そそくさと本をかえした後は、続きを借りることをためらってしまった。だから、本の続きはわからない。ドラゴンの塔に閉じ込められた姫君を、一体誰が助けに来たのやら。