そのうち、露天風呂に懲りたティルテュたちや、酔い覚ましの男たちなど増えてきて、賑々しくなる。
その頃。
まだ平服のままで、髪だけを纏め上げ、女湯の脱衣所の鏡の前で真剣に歯を磨く姿があった。一度湯から上がり、はたはたと涼んでいたエスリンが、
「あらラケシスさま」
と声をかける。
「あ、そのままで結構ですよ、おつづけくださいな」
というのを、ラケシスはばしゃばしゃとすすいで、
「いえ、ちょうど終わるところでしたから」
と、あでやかに微笑んだ。
「お夕飯が、ちょっと歯に挟まってしまって」
という無邪気な言葉には、向こう側のことを知らないのだというのを思わせた。
「エスリン様は、お夕飯の前にお入りになったはずでは?」
そういうのを、
「ここのお風呂は、お肌がぷるぷるつやつやになるのですって」
と耳打ちで返す。
「ラケシスさまはそのままでも十分ぴちぴちしてらっしゃるけど」
「お肌、ぷるぷるつやつや…」
ラケシスはそう呟くように言って、おもむろに服に手をかける。
「あら」
「もっと早く教えてくださいませエスリンさま、そうと知ってたら、夕方も入りましたのに」
ガーターベルトから靴下から下着から、全部ひとつ籠に放り込んで、バスタオル一枚を手を、ラケシスは、小走りに浴場へと入っていった。
「天真爛漫というか、無謀というか」
エスリンは、その姿を見送り、いささかならず不安そうにため息をついた。
ラケシスが、いそいそと浴場に足を踏み出すと
「あ」
「お」
できればこの日程の間、顔を合わせたくない手合いに遭遇した。
「…兄上」
「ラケシス、やっと見つけた。
着いているはずなのに姿が見えなくて、心配したんだぞ」
まるで家出した子供を見つけた親のようにすがり付いて
「みんなはお前にひどいことをしてないだろうね、ああ何も言わなくていい、お前の顔を見ればなんでもわかるから」
「あ、あの、兄上」
前は何とかタオルで隠してはいるが、後ろは丸見えなのだ、その裸の背中に手があたって、ともすれば余り触って欲しくないところにまで及びそうな勢いだ。
「私、あの、お湯にはいりたくて」
「あ、ああ、すまん」
エルトシャンはぱ、と手を離す。
「そうだ、お前の部屋番号を聞いておこうかな、後で訪ねていこう」
「え」
ラケシスはがち、と固まって、
「い、い、今ちょっと…忘れてしまって…」
という。
「ならば、後で内線をかけてくれ、絶対だぞ」
ラケシスにしては歯切れの悪いそのそぶりに、まだなんとなく違和感を感じたその兄の背後から
「エぇルトシャン!」
と声が上がった。
「!」
武器代わりに振り上げられていたケ■リン桶をはし、と手で押さえ
「お前もいたのか、ハイラインの淫蕩王子」
エルトシャンはエリオットをねめつける。
「俺を背後からその桶で襲おうとしたのか、いい度胸だ」
「俺を今までの俺と思うなよ、何だか知らんが、俺は特別扱いらしいからな!」
まあ、特別扱いというか、当て馬にこれ以上の人材もないし。
「いかに妹とはいえ、今のは少しやりすぎだろう」
「やりすぎ? 聞き捨てならないな。やりすぎということはないはずだか」
「黙れ、抱きつきながら余計な場所まで触るようにしか見えなんだぞ」
「兄が妹の体のどこに触ろうが、お前には関係なかろう」
ちょうどそんな言い合いの始まったスキを抜け、ラケシスはすたすた、と脱衣所に戻っていってしまった。
それをティルテュが見咎め、喧嘩の邪魔をしないように、そぉっと、後を追っていった。
ラケシスは、着替え始めている。湯上りサービスの浴衣の帯がどうでもうまく結べないのを
「ああ、もう」
じれったく舌打ちしているのを、
「手伝うよ」
と、ティルテュが手をかけた。
「あ、ありがと」
浴衣の前を合わせなおして、帯を結びなおす。
「嫌いな人でも、いたの?」
というティルテュに、ラケシスは、
「エリオットに兄上まで一緒じゃ…ちょっと…」
と言いよどむ。兄は兄でああいうことがなければいてくれてもかまわないが、エリオットまで一緒は勘弁。生理的に受け付けない。
「戻ったの、正解だと思うな。まだ、獅子王さまは、ラケシスがアルテナちゃんぐらいにしかみえないんだね」
ティルテュはこまかいところを調整しつつ、
「おかしいね、こういうときなのに、フィンが一緒じゃないなんて」
同じ部屋なんでしょう?という言葉にも、こくん、と答え、
「でも、みんな寝てから入るって」
「だめな人だなぁ、ああいうのを仲裁するのも、ラケシスのお尻触っていいのも、、あの人だけなのにね」
あはは、と、笑いさえしながら、ティルテュは自分の荷物の入っている籠から、何かを取り出した。
「はいこれ、バトンタッチ」
「何?」
「貸切露天風呂の札。かけておけば使用中。返すの、忘れてたんだ」
少し歩くけど、絶対お勧めだよ。というティルテュに、
「ほんとに、ありがと」
ラケシスはくしゅん、と少しすすり上げて、荷物を抱えて脱衣所を出て行った。
「大変だね、関連創作総延長メガバイト級の人は」
さて。
ケ■リン桶を両手に持ったエリオットの「攻撃」を、エルトシャンは全部流して避けた。ついでに、脚をつい、と引っ掛ける。
「わ、わ」
エリオットは派手に均衡を崩し、女性たちが固まっているほうに派手な水音と一緒に落ちていった。奇声があがる。
「ラケシスの騎士ぶろうなど、100年早いわ」
と、エルトシャンがぼそ、と言ったところで、
「お静まりください、尊いお方がおいでなのです!」
きん、と金属的な響きのようなマーニャの声がきた。
「恐れ多くもシレジアの王妃、ラーナ様がおいでなのですよ、エルトシャン王、何我を忘れておいでですか、あなたほどのひとが!」
「む」
ことさらに体を隠すこともせず、すっくり立ち上がっているマーニャの後ろに、ラーナ王妃が
「あらあら、こんなところで私を持ち出しても、何にもでませんわよ、ほっほっほ…」
と笑っている。
エルトシャンは、
「確かに、貴婦人のおわすところで我を失った振る舞いを」
と膝を突く。シグルドが、そのわきからケ■リン桶を差し出したのは、彼なりの配慮だろう。丸出しでかしこまっても、何の説得力もない。
それはそれとして、エリオットが、仰向けに、ぷかりと浮いている。いうなれば、「猥褻物」が浮遊している状態だ。
「いやぁ」
「きゃあ」
だの、悲鳴が聞こえる。オイフェが仕方なく、転がっていたケ■リン桶をかぶせた。
「軽い脳震盪なら、じきににさめる」
ベオウルフが呟くが、目が覚めたらいずれあやめか杜若の女性たちを前にして、立ち上がったら桶に支えなど要らない、なんて状態になっていても困る。申し訳なさそうにその足を引き寄せて、
「すいませんねぇ、バカ王子がご迷惑をおかけして…」
ざっぷざっぷと、その気絶したエリオットを脱衣所に放り込む。それからまた戻り、シグルドにちくりと言う。
「大将、よくあんなのを呼ぶつもりになりましたねぇ」
「私が呼んだんじゃない」
ええ、書き手のシュミですとも。
いっぽうその貸切露天風呂のひとつでは。
「いやあ、上の方はにぎやかで楽しそうですねぇ」
クロードが、湯船の中で、膝にシルヴィアをのせて、実に暢気に言った。外にある湯は、のぼせにくい分長居ができる。
「神父様は、あっち行かないの?」
「行きませんよ。行ったらまきこまれて、それこそ覚えのない馬に蹴られます」
シルヴィアは行きますか?と尋ねられ、シルヴィアは少し考えて、
「ううん、いかない」
と答えた。
「あたしいつもおてんばだから、今日は神父様と一緒におとなしくするの。きめたの」
「天使のような人だ。私は悪魔になりそうです」
クロードは実に意味深に言った。と、足音が通り過ぎてゆく。
「…ほんとに、あんな修羅場とは、あたしも予想していなかった」
「うむ」
「仕切りなおしはこっちがいいね」
「うむ」
「…長湯になってもいいよね?」
「別に」
シルヴィが興味ありそうに足音を目で追って、
「誰だろう、さっきはティルテュ様たちがいたみたいだけど…」
「誰でもいいじゃないですか」
にぎやか過ぎて困った人でしょう。
ざざ、と、梢の方が風に揺れた。
幹事室。
「あいつんち、ずいぶん複雑な事情抱えてたんだな」
「シグルド様が単細胞だから、お気づきにならなかっただけですわぁ」
何気にひどいことを言われるが、あばたもえくぼ、シグルドは
「気が付く必要がなくてもいいコトは、世の中にはたんとあるものさ」
そういって、
「奴ら、もういい加減に解散しただろうな。」
「柵を戻しましたからもう大丈夫かと」
「それならいいんだが」
と、見えそうで見えない階下の浴場をみようとした、と、
「ん?」
貸切露天風呂のひとつが、ぼんやり明るいのに気が付いた。
「まだ誰か使ってるんだ」
「そっちのほうを見たらいけませんわ」
ぐい、と腕を引かれて、シグルドは無理やり窓から離される。
「それより夜が更けたら、第二ラウンドの始まりですのよ」
「第二ラウンド?」
「えぇ」
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