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 その夕食が済んで、
[露天風呂 →]
という階段の前で、ごく、と生唾を飲むような顔をした二人が立っていた。
<札をお持ちになり、ご利用の際には入り口におかけください。
 札のない場合は、申し訳ございませんがすべてご利用中です。時間をずらしてご利用くださいませ>
という張り紙は、「使用中」の札がまだ二、三のこっていた。その中のひとつを、取り上げて、
「いくよ、ティルテュ」
「うん」
ふたりは、階段をてくてく、と下りていく。
 貸切露天風呂は、木立と板塀に囲まれた中にあった。それぞれの距離は少しずつ離れているようで、早い話が、多少ハメをはずしても、お構いなし、だ。
「ちょっと、暗いかな」
とティルテュが言うと、かがり火らしいところに、アゼルが炎の精霊を投げ込む。すぐに火があがって、こじんまりとした湯船をぼんやりとてらした。
「お風呂お風呂?♪」
とはしゃぎながら、するするするっと服を脱ぎ捨てて、
「ふぁぁ、きもちいい?」
ティルテュがゆるみきった声を上げる。アゼルがそれに続いて、
「いいねぇ」
とゆるみきった声で答えた。が、ティルテュはすぐにぴと、とアゼルの腕にすがり付いて
「二人っきりでもっとさいこー」
という。
 成立までの事情の煩雑さに比例して、成立後のカップルによって温度差がある。もうすっかり空気の一部みたいな間柄の二人もいれば、このように、いまだどきどきの二人だっているのだ。アゼルの周りの湯が、一瞬、じゅうっと沸騰したような音を立てた。
「だって、デートなんてしたことないし」
「そ、そうだね」
「結構二人きりになれるとこ、少ないし」
「そうだね」
「ディアドラ様に大感謝」
「…はいいんだけど、ティルテュ…少し、離れてもいいんじゃない」
「なんでぇ」
と、ティルテュは最初少し頬を膨らませたが、すぐに、
「あは、もしかして」
と湯の中を探る。はた、顔を見合わせて、それからやっと、体ひとつ分離して、ティルテュは背中で
「…バカ、期待しすぎ」
と言った。
「生理現象なんだからしかたないよ」
「でも、そんなにして、今夜眠れるの?」
「それは君しだいかな」
「…うー」
ティルテュが指をもじつかせる。首っ丈なのはティルテュなのだから、いつ眠れるかは彼女の注文しだい、なのだ。
 とまれ、そう言う話し声が聞こえでもしたのか、
「お、ひょっとしてアゼルいるのか?」
と声がした。
「あ、レックスだ」
「うわぁぁぁあぁ」
「なんか楽しそうだな、俺たちも混ぜろ」
「ま、混ぜろって、使用中て出てるだろ」
「二人でも四人でもこの際おんなじじゃん、入るぜ」
外出用の下駄をからんころんと小気味良く鳴らして入ってくるレックスの後ろで、アイラが気まずそうに、二人を見て会釈した。
「まずかろう、アゼル一人ならともかく、ティルテュ殿が一緒では」
「いいじゃん、ティルテュお子様体型だから、見せつけたれ」
「そう言う意味ではなく」
アイラが小声で抗議しているうちに、しゅ、しゅしゅ、と旅館備え付けの浴衣の帯がはずされ
「ごちゃごちゃいうヒマあるんなら、脱がすぞ」
すぐ浴衣もぱっさりと落ちた。
 その様子を、言葉を上げず見てて
「なんか、情熱的」
ティルテュが呟く。二人とも、彼らの部屋で繰り広げられている夜毎の風景を垣間見た気がした。朝になるとたたき出されるレックスの苦労など、知るはずもないだろう。
 そしてレックスが言うとおり、剣士なのかと疑うほど、アイラは豊かな体つきで、湯船に沈めたときにふわりと浮かぶ山の大きさも違う。
「負けた」
テイルテュがうなるように言った。
「この色気はおこちゃまには出ないだろう」
レックスがいかにも自慢したそうな顔で言う。
「ティルテュはかわいいでいいんだよ」
アゼルが、ティルテュの体を隠すように、その前に出る。
「知らない僕じゃないよ、大きさも形も重要だけど、一番重要なのは」
「何だよ」
「感度でしょ」

ぴしっ

空気が固まった。
「…お前、この創作のサーバーかえる気か、それとも、あの本読んで本気で頭参ったか?」
レックスの表情がひく、とこわばる。
「レックスが形と大きさで来るから、僕はそう反論しただけだよ。
 何なら、全部話したっていいんだよ」
「へえ、聞こうじゃない」
アイラはすでにあさっての方向を向いて、鼻歌を歌っている。
「じゃあ、語らせてもらうよ。
 ティルテュは」

びりびりびりびりびりっ

「うわっ」
「ぎゃあっ」
「!」
「アぁゼルの、ばかっ そんなこと、話す必要、ないじゃないっ」
思わず立ち上がったティルテュの体に、青白い燐光がまとわりついて、ぱちぱちっと火花が散る。
「レックスも聞こうとしないでよ、二人して、えっちなんだからっ」
しかし、そう言う声を、三人とも聞いていなかった。ティルテュの怒気が変換されて発動した簡易雷魔法が、今現在も湯船のあちこちで漂っている。魔法防御にほとんど素養のないレックスとアイラはもちろん、至近距離でその電撃を食らったアゼルも、無傷ではなかった。

 その潜在的雷魔法の発動は、「幹事室」と張り紙されたシグルドとディアドラの部屋からも見ることができた。もちろん、木立の中なので、その光だけだが。
「何だ、あれ」
ものめずらしいからと、イザーク風の夕食を運ばせて、なれない箸で茶碗の中をかき込んで、シグルドが言う。湯上りサービスのお好み浴衣で優雅にデザートの水羊羹を食べながら、
「正しい青春ですわよ」
ディアドラは、くすくす、と笑った。

 ぴーんぽーんぱーんぽーん。
<お客様にご案内いたします、大浴場の清掃が終了いたしました、ご案内いたします…>

「うぉしゃあ!」
そのアナウンスを待っていたように、エリオットが立ち上がる。
「妙に元気になりやがって、王子さんは」
「当たり前だ、これが張り切らずにいられるか、あのぴちぴちぷりぷり…うへ、うへへ」
「やべぇなぁ」
ベオウルフは、まだ湯上りと食後で体がけだるかったが、勢い、ついていかざるを得なくなりそうだ。
 昼入った時は気が付かなかったが、大浴場は全面ガラス張りだった。今は温泉の熱気が立ち込めて、数歩先も真っ白だ。光の精霊でも閉じ込めたのか、白い照明も、浴場の全体を照らしている風ではなかった。
「真っ白で、何も見えん」
「湯気には勝てねぇ」
二人は湯船の中でそう呟きあう、と、奥の方でぱしゃん、と水の音がして、
「誰か着たな」
と、ベオウルフが言った。
「お前らに混ざってる子供たちだろう、派手にしぶきを散らして、しつけがなってない」
エリオットが、そう呟く。
「まあそういうな。はしゃいでいるんだろう。
 奥様方にもウケがいいしな」
「なぬ?」
「奥様が言うには、『お肌ぷるぷるつやつや』」
「ぷるぷるつやつや…何と響きのいい言葉か」
エリオットが感慨深く言う。
「それはいいんだがよ、あんたがこうして待っている間に、姫さん来なかったらどうするつもりなんだ」
「俺の野生のカンは来るといっている」
「へいへい
ベオウルフの呆れた声に、エリオットは口まで湯につかって、ぶくぶくぶく、と気炎を吐いた。
自分ひとりでこのバカ王子の暴走など止められたら、神様など要らない。できれば彼は、来て欲しくなかった。
「だって、貸切露天風呂でしっぽりのほうが、姫さんはともかく、少年にはありがたいだろう」
ええ、まあ、そうなんですけどね。

 そこに
「おや、思ったより人が少ないなぁ」
と入っていたのがシグルドであった。
「ああ、大将。
 まだ、みんな腹ごなしと違いますか?」
「そうだね、まだ食べている部屋もあるだろう」
シグルドは暢気に言って、今まで柵があったあたりにのんびりと体を伸ばした。後から
「ああ、忙しかった」
といいながらオイフェが入ってくる。
「ご苦労オイフェ」
「ひどいですよシグルド様、みんなティアドラさまと僕に任せられてしまって。一人建物の中走りまわって、僕いつもより疲れました」
「しかし、もう、取り立てて忙しいことはあるまい、ゆっくりしよう」
「シグルド様は暢気なんです」
「はっはっは」
「暢気なご主君様を持つと大変だな」
ベオウルフがオイフェに言う。
「大変です。でも、これも騎士の修養のうちと思って、我慢します」
「何だ、お前さんまだ見習いか」
ベオウルフはきょとん、とした声を上げた。
「大将、いくらなんでも、そろそろ一人前にしてやったらどうですかい?」
というと、シグルドは
「そうだね、そのうち考えよう」
という。
「これですから」
「大変だな、お前さんも。ふたつしか離れてないのに、あっちはもう、なぁ」
「はい…」
そのうち、ちゃぷ、ちゃぷ、と水の中を進んでくる音がして、
「ん?」
シグルドが水面下で手を握られた、そのほうを見た。
「何だディアドラ、君も来てたのか」
「はい、ここのお湯はお肌にいいので。皆さん喜んでいらっしゃいます」
「ははは、今夜はどの部屋も忙しくなりそうだな」
「ま」
そう言う風景が、目に入ったのだろう、エリオットが振り向き、目をむく。
「お、お、おい、傭兵」
「何だよ」
「男湯なのに女がいるぞ」
「違います」
脇でオイフェが言う。
「昼は柵で仕切ってあったのですが、今は取り払ってあるのです。事実上の混浴です」
「なぁにぃ」
エリオットがざば、と立ち上がった。つまり、余計な手練手管を労さなくても、堂々と目標物を拝むことができるわけである。こんな都合のいいことはない。
「でかした見習い、今の主人に飽きたら取り立ててやろう」
わけのわからないことを言う、その声は、もう片方の端の女性たちが固まっているところにまで良く聞こえた。
 ちょうど、ラーナ王妃がやってきていて、マーニャに
「ラーナ様、少々足元が危ういので、お気をつけくださいませ」
と手を添えられつつ、女王然と、彼女が身を沈めたところだったのだ。
「まあ」
マーニャが眉をひそめた。
「下品な大声を立てるものがおるようですね」
「いえいえ、多少にぎやかなほうが楽しくて結構ですよ」
ラーナ王妃も大概暢気な人だ。そのうち、ざぷ、ざぷと近寄ってくるものがあって、
「ご招待にお答えくださって、ありがとうございます」
少し離れたところで、シグルドが膝を折った。水面下が見えたらまったく間抜けな光景だろうが、
「いえいえ、私を忘れてくださらず、招待をいただけるなんて」
と、ラーナ王妃もそう返す。ちなみにそのほかの女性陣、肩まで湯の中に入って、見えにくいようにしている。
「ごゆっくりとしていただければ、幹事として企画した甲斐があるというものです。
 これ以上は失礼になりますから、これで」
ざっぷざっぷと帰ってゆくシグルドの背中を見て、
「なんて兄上かしら」
修羅場を期待して入りなおしに来ていたエスリンがあきれ返った。
「どうせオイフェあたりにぜーんぶ押し付けて、おいしいところだけ持って来たに違いないわ」
「まあまあ」
ラーナは王妃はそう言うエスリンをなだめるような手つきをし、
「これをこそ裸の付き合いというものでしょう、腹蔵なくすごしましょう」
やはり人生経験LV★の仰ることは格がちがう。


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