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 「さっきまで、綺麗に湖面が見えていたものだが」
と、その部屋から顔を出してジャムカが言う。
「もやが出始めたな」
「あら、こんな風景も私好きですわ」
横からひょこ、とエーディンが顔を出す。
「早くに成立する割には、私たち、独立した創作もなくて、ちょっと寂しい思いをしておりましたの」
「書き手に対するイヤミかそれは」
「でも、余りにも安全牌過ぎて、ネタが浮かびにくいってコトに思い至って…
 ああ神様、七転八倒の創作の餌食にならなかったことを、感謝させてくださいませ」
「そんなことを祈ってると…ネタになるぞ」
そんなことを言っていると、部屋がノック…というにはいささか強めの音がする。ジャムカが聞きとがめて
「なんだ?」
と怪訝な声を上げると
「お姉さまかもしれませんわ」
と、エーディンはすたた、と入り口の鍵を開ける。
「ごめんねぇ、お二人さん取り込み中に」
確かに、そこにはブリギッドがいた。イザークわたりの長いキセルから、ゆら、と煙を上げて、両手に何か抱えているところからして、さっきのノックは足でしたのだろう。
「これからフロ行くんだけど、あんたたちもどう?」
「はい、いきます」
「ジャムカは? 今入っといたら、後で修羅場に巻き込まれずに済むよ」
「そうだな、俺も行くか」
かくて四人…気配こそほとんどないが、ブリギッドの後ろにはホリンがいる…は、ロビー階を、安物のスリッパがぺたしぺたしとなるのを響かせながら、大浴場に向かっていった。

 「お姉様」
いそいそと服を脱ぎながら、エーディンが尋ねる。ブリギッドは、さすがにキセルはまずいかと、その始末をしていた。
「修羅場、って、なにがありますの」
「なに、あんた混ざりたいの」
「別に、混ざりたいというわけでは…ただ、いさかいがあったら、折角の慰安が慰安にならないでしょう?」
「いいの、修羅場の渦中にある奴らは修羅場も慰安なんだから」
全部脱ぎ終えて、バスタオルの端をきゅ、と胸の辺りにしまいこんだエーディンは、
「…大変な人たちですこと」
と小さくため息をついた。

二人で髪をまとめあってから、浴場に出ると、部屋の窓よりいっそう、きらきらとした湖が大きく目に写りこむ。
「まるで、ここも湖の一部になったみたいですわ」
「いいねぇ」
男湯のほうは、もうあきらめたあたりがあとは飲むだけの準備のつもりで一風呂浴びているのか、そこそこにぎわしい。
「あたしら一番乗りかな」
ブリギッドが言ったとき、からから、と、引き戸の空く音がして、
「あら、早いのね」
と声がする
「エスリン様」
「エスリン様こそ、ずいぶんお早いじゃあないですか」
ブリギッドが言うと、
「また入りに来るからいいの」
と言う。
「アルカリ泉質なんですって」
「ある、かり?」
ブリギットがなんのことだ、という顔をする。
「お湯が柔らかくて、お肌のたまった汚れを流して、つやつやぷるぷるにするそうよ。
 だから、ここにいる間は何度でも入ろうと思って」
「お肌…つやつやぷるぷる…」
双子は顔を見合わせて、
「参ったねぇ」
と、ブリギッドが顔を赤らめた。
「コレじゃなんか、期待してるみたいで」
「まあ、お姉様ったら、ほんとうにもう、みかけによらずらぶらぶなんだから」
エーディンがぱしゃ、と水を叩いた。
「あらぁ、女性のほうはまだまばらですのねぇ」
と声がして、ディアドラとフュリーがはいってくる。
「あ、ディアドラ様、お招きいただいて、有難うございます」
エーディンが軽く礼をすると、ディアドラは、
「いいえ、バカ話が書きたい書き手様に操られているだけのことですから」
そうやってみもふたもないことをいいやがりなさる。
「フュリーも、もう入っちゃうの?」
「はい、ラーナさまがいらっしゃるので、個人的なことは先に済ませようかと思いまして」
「あらぁ、それではレヴィン様がっかりなさいますねぇ」
ディアドラがおおように言う。
「お相手のある方はお相手とお二人部屋にしたので、楽しんでいただこうと思いましたのに」
二人部屋で楽しむ内容が、まさかじゃんけんやにらめっこですむわけでもあるまいし…
「ディ、ディアドラさま、それは…」
「もちろん、ここであたりが出たら、幹事冥利に尽きますわぁ」
「ああああ」
フュリーがのぼせたように真っ赤になってしまう。パラレル仮想空間だから、いくらハメをはずそうが、あたりなど本当は出るわけないが。
「お姉ちゃんが一緒なら、丸投げさせときゃいいじゃん」
ブリギットの答えは至極単純だ。
「何もこんなとこまで宮仕え根性ださなくったって」
「そうそう」
エスリンがしみじみという。
「折角二人なんだから、もっと恋人らしくしないと」
「そうですわ」
「は、…はい、努力は、します」

「そういえば、エスリン様」
「何?」
「アルテナちゃんはご一緒でなくて?」
エーディンに指摘されて、エスリンは少し困ったように
「それなんだけど…今しがた、どっちに入れるか言い合って、キュアンが男湯に連れて行ってしまって…」
「ああ、だから…」
ブリギッドが、湯を隔てている柵をの向こうを見透かすようにした。
「あっち側、いきなり静かになったんだ」
「こらお前ら、もの欲しそうに見るな、アルテナが減る」
とキュアンの声が聞こえて、女湯の面々はくすくすくす、と笑った。
「ああ、そう、ここにおられる方にちょっとだけ秘密を…」
ディアドラが、岩作りの浴槽の淵に腰掛けて言った。何々と寄り集まる面々に、小さく
「この柵、日が沈んだら撤去ですのよ」
とささやいた。

 それを聞かなかったのは、幸せかも知れない。ブリギッド達があがっていったあと、入れ違いにグラーニェが、アレスを抱いて入ってくる。
「グラーニェ様」
「エスリン様お久しぶりです」
お湯の温度を少し確認してから、ゆっくりと入り、アレスをその前に抱えると、ちょうど、胸が支えになって具合がいいらしい。
「ま、小さな王様みたい」
エスリンがくすくす、と笑った。アレスの顔が、余りに満足そうだったからである。
「そういえば、アレスとアルテナ、ほとんど年が変わらなかったわね」
彼女はふと思い出したように、
「ねえアレス」
と、少し声を大きめに言う。
「大きくなったら、アルテナをお嫁さんにしてくれるかしら?」
ある意味お約束な会話であるが、柵の向こうで、どばしゃん、と盛大な水音がして、
「え、エスリン、何を言うか!」
とキュアンの声がした。アルテナが「ふぇぇ?ん」と泣き出す。アレもあれで結構な修羅場かもしれない。
「キュアンさま、相当お取り乱しのようね…大丈夫かしら」
グラーニェが同情の声を上げた。
「大丈夫よ、アルテナのことになると冗談が通じないだけだから」
とにかく、柵の向こうでアルテナがなき続けている。
「おとしゃまこわい?」
「大事無いですよアルテナさま、もうお泣きやみになってください」
「母上があまりおかしなことを言うのでな、つい…
 アルテナを怒っているんじゃないんだぞ、さ、お父様のところにおいで」
どうやらアルテナは、キュアンでない誰かに預けられていたようだ。そうでなければ、キュアンが滑ったときに、彼女も溺れていたはずだ。
「おとしゃまこわいから、いやっ」
エスリンがすすすす、と、柵の法によって聞き耳を立てる。
「参ったなぁ」
ここが湯の中でなかったら、キュアンもorzである。なにぶん目の前で「いやっ」である。しかも女の子は口が立つ。同次元にいたら言い負かされる。
「そりゃ、こんなところで声を荒げたら、アルテナ姫でなくても怖いだろう」
というのは、おそらくグラーニェと一緒にきたエルトシャンの声。
「キュアンが怖かったら、私のところでもいいぞ」
「裸の娘を友人とはいえほかの男に抱かせられるかっ」
「ではその、お前の従者はどうなんだ、離れないようだが」
「アルテナ、お父様もう怒ってないから、おいで」
「いやっ」
「しょうがない」
キュアンのため息が聞こえて、
「君主命令である。アルテナをこちらに」
「はい」
「いやいや、アルテナ、きしさまといっしょがいいのぉ」
ばしゃばしゃとアルテナのもがく水音の後、
「積もる話もございましょう、私はこれで」
「何だ、今来たばかりなのにもうあがるのか」
「人が少ないときにでも」
「部屋に戻るのは勝手だが、襲うなよ」
「…キュアン様…」

ぺたぺたと、足音が脱衣所の中に消えて、エスリンは戻りながらぷくすすすす、と笑った。
「何か、面白いことでもおあり?」
とディアドラが問うのに
「ええ、ちょっと」
エスリンの笑いは、すぐには止まらないようだった。グラーニェが、フュリーにアレスをあずけ、するすると寄ってきて、図らずも、親ばか…もとい、士官学校三人組の奥様鼎談の形になる。
「不思議なご縁ですのねぇ」
「え?」
「シアルフィから貴女がレンスターにいらっしゃって、私がノディオンに来て、でもシグルド様はディアドラ様と結ばれて…」
「当たり前だ、あんな猪突猛進にやれるか」
女湯の会話も、少しは聞こえるのだろう、柵ごしにエルトシャンの突っ込みが入った。
「そうですわねぇ、私でなくて、ラケシス様がシグルド様の所にいらっしゃったら、面白いご縁でしたのにねぇ…」
しかし、ディアドラはそう言う話にはまったく頓着がないらしく、グラーニェが言うはずの続きをうけて言う。
「でもラケシス様は」
つづけてディアドラが口をひらくと、
「しいっ」
と、エスリンがその口をふさいだ。柵を避けそうな勢いで、
「ラケシスがいるのか?」
と、向こう側から声がしたが、グラーニェは
「まだいらっしゃってませんわ」
と答える。
「なんだ…しかし、ここに来てから全然顔を見ないな…どこにいるんだ、あいつ」
そう呟くエルトシャンに、キュアンも何も言っていないようだ。
「いけませんディアドラさま、その先はエルト様には禁句です、まだご存じないのですから」
グラーニェが、今度は声を潜めるようにして
「ラケシスさま、どうかなさったのですか」
と尋ねる。
「ご存知になりたければ、まずラケシスさまを見つけていただかないことには、どうにもなりませんわぁ」
ディアドラがそう言った。

 まだ柵のある間に、滑り込みセーフで男湯に入ってきたのがベオウルフだった。
 振り返って、エルトシャンの顔が変わる。
「ベオウルフか」
「うはは、なっつかしい顔がおいでじゃないの」
ごめんよ、と、ざっぷり湯に使って、
「まあ、こうして再会したのも何かの縁だ、久しぶりに後でいっぱいやろうじゃないの」
「それもよかろうなぁ」
まあ、時間があればね。
「廊下であったが、なんだよウィグラフ、嫌がってた顔のワリにはえらい別嬪の嫁さんじゃんか」
「グラーニェはレンスター宮廷でも人気の華だったんだぞ」
キュアンがそうフォローをいれる。アルテナは、湯上りのエスリンが脱衣所まで来たので、預けたところだ。
「大事にしないとバチ当たるからな」
「粗略になどするか」
エルトシャンは、複雑な顔をした。彼は彼で、グラーニェにちゃんと愛着があるのだ。妹への愛着が暴走しているだけで。
「それよりベオウルフ、ラケシスを見かけなんだか」
「へ、姫さん?」
彼女は…確か、ロビー階の喫茶スペースにいたような気がする。もちろん、一人じゃない。
「ロビーで見かけたが」
「そうか、きているのならいいんだ、なにぶん気分屋で、こないと駄々をこねて周りを困らせていたらどうしようと思ってなぁ」
「兄バカ炸裂」
「何とでもいえ」
「まあ、来ないと駄々をこねたってコトはなかったな。まだフロって気分じゃなさそうだが」
「シグルドから聞いた話だと」
よい加減に温泉にのぼせたキュアンがぷか、と浮かびながら言う。落ちつつある日に、顔と、肩の辺りと…申し訳程度に乗せたケ■リン桶の影がゆらゆらとおちる。
「完全に日が落ちたら、夕飯の間を閉鎖して、その柵、撤去するらしい」
「なにぃ?
 そしたら、なんだ、見せ放題か」
「今のはちょっと問題発言な気もするが」
「いかん、嫁入り前の妹の素肌など、欠片も見せられるか」
エルトシャンは大量の湯と一緒に湯船から飛び出して行った。
「旦那」
「なんだ」
「ウィグラフに、洗いざらい教えた方がいいんじゃないっすか?」
「一度ぐらい馬に蹴られたほうが、アイツの頭もすっきりしようさ」

ぴーんぽーんぱーんぽーん…
<皆様にご案内申し上げます。ご夕食の用意が整いました、各部屋においでくださいませ。
ご案内します…>


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